新型コロナが経済・社会課題の解決を加速(ASEAN、インド、オセアニア)

2020年11月9日

新型コロナウイルスは、各国の経済・産業に大きな影響を与えている。今後、従来どおりのビジネスに回帰することは想定し難い。また、ウィズコロナ下において収益低下を避けるためにも、企業は迅速にビジネス構造を変化させていく必要に迫られている。そうした変化を特に起こすツールがデジタルだ。新たな技術によってこれまで注目が集まりにくかった市場を切り開く動きが、北東アジアを除くアジア大洋州地域でも見え始めた。

企業にデジタル化を直視させる新型コロナ

アジア大洋州地域には、新型コロナウイルス(以下、新型コロナ)前からさまざまな経済・社会課題があった。そしてこれらは、各国の経済成長を阻害する要因となっていた(図1参照)。例えば、インドやインドネシアにおける深刻な渋滞はヒトの円滑な移動を滞らせ、多くの交通事故を引き起こすなど、看過できない経済損失を生み出してきた。また、アジア各国はパーム油、ゴムなどの生産・収穫のために、低所得者あるいは外国人労働者を安価な労働力とし活用してきた。しかし、労働投入の大きさの割には、必ずしも生産効率が高いわけでもなかった。生産量は天候や生育状態に左右されるのがその一因だ。加えて、最近は欧米諸国を中心に労働者の人権問題に対する意識も高まり、同産業の労務環境の過酷さも社会問題化してきた(注1)。

図1:新型コロナを経たアジア大洋州地域における経済・社会課題の変化
これまでの経済・社会課題の事例として、以下が挙げられる。1.定型化されていない教育システムが教育格差を助長(イドネシア、インドなど)2.農林水産業の生産性の低さ、冴えない労働環境(インドネシア、タイなど)3.低所得者層によるローン組成の困難さ(フィリピン、カンボジア、インドなど)4.医療費支出拡大による政府の財政悪化(シンガポール、マレーシアなど)それが、新型コロナによって、新たな経済・社会課題が出てきた。具体的には、店頭での購買などヒトとヒトとの接触による感染拡大対面での医療・教育などのサービス需要による感染拡大ロックダウンによる物流面の途絶・寸断大量の労働力活用による感染拡大、などだ。これらはESG投資の拡大と合わせて、早期に取り組むべき課題との認識が関係者の間で高まっている。

出所:各種ジェトロレポートから作成

これらの経済・社会課題解決に、企業は費用と収益の見合いから、必ずしも積極的でなかった。例えば、自動化設備やロボット措置の導入を通じた単純労働作業の効率化について、ASEANに拠点を構える電機関連の日系企業は「導入は容易。ただし、投資効率との見合いから導入を見送っている」と現状維持の考えをにじませた。こうした声はまれでなく、むしろ多数の企業が同じ方向性にあった。低廉な労働力を利用することが、工場設置のメリットの1つとなってきたからだ。この考えを一変させようとしている出来事が新型コロナだ。企業は社会的距離の確保から、自動化設備やロボットの導入といったデジタル技術の導入にいや応なく向き合わざるを得なくなっている。また、逆に、政府の規制がグレーなために企業が参入を見送っていたオンライン診療も、今後は普及が進むだろう。感染リスク低減のためだけではなく、オンラインのメリットを生かして都市部だけでなく郊外・過疎地での活用が容易だからだ。その結果、これまで高度な医療へのアクセスが難しかった患者が医療・治癒の機会を享受できることになる。

コロナ禍でも投資は堅調

アジア大洋州地域への投資家の期待は大きい。

新型コロナが同地域でも一気に拡大し都市封鎖(ロックダウン)がなされたことによって、2020年前半、多くの国でビジネスが停止した。そうした中でも、投資家は例えば、ASEANへのハイテク投資には前向きで、同年上半期(1~6月)の投資金額、件数はそれぞれ前年同期比約1割減にとどまった(図2参照)。近年、日本でも主流になってきている、環境・社会・企業統治(ESG)投資は経済・社会課題解決につながる投資の側面もあり、こうしたESGを目的とした投資がASEANに向かっていることが背景の1つにあると考えられる。新型コロナ問題を受けて、ESGを身近に考える投資家が増えて、その傾向は一層強まっているとみられる。

図2:ASEANへのハイテク投資の推移
投資家はASEANへの投資には積極的で、新型コロナ問題が本格化した2020年上半期(1~6月)の投資金額、件数は前年比微減にとどまった。

出所:"Southeast Asia Tech Investment - H1 2020"(Cento Ventures)から作成

アジア大洋州地域で、新型コロナ後にビジネスを拡大したスタートアップをみると、その変化を捉えることができる(表参照)。1つは、治療に直結する医療だ。インドで遠隔医療を手掛けるエムファイン(mfine)はコロナ禍で、AI(人工知能)を活用し新型コロナ感染の可能性を判断するサービスや、患者のせきの音を診療アプリで認識し、病名判断の材料とするシステムを開発している(注3)。インドネシアのスマートフォン診療アプリを開発したハロドクは、新型コロナに特化した医療相談を受ける機能をアプリに追加するだけでなく、配車・配送サービスを展開する同国のゴジェック(Gojek)と連携し、提携薬局の処方薬をゴジェックが配送するビジネスモデルを構築した。これにより、利用者は遠隔診療サービスを享受できるだけでなく、診察から処方薬の受け取りまでの一連のフローを外出することなく済ませることができ、感染リスクからの回避にもつながる。

表:新型コロナを受けたアジア大洋州地域のスタートアップのビジネス展開
企業名 本社所在国 業態 サービス詳細
ハロドク インドネシア 遠隔医療 新型コロナに特化した医療相談を受け付ける機能をアプリに追加。さらに、配車・配送サービスを展開するゴジェック(Gojek)とともに、インドネシア保健省と覚書を締結し、ハロドクの提携薬局での処方薬を「ゴジェック」の運転手が、ユーザーの自宅まで配達。
グラブ シンガポール 配送・配車 新型コロナを契機にECなどでデジタル決済需要の高まりを通じて、今後のフィンテック市場の拡大が見込まれる状況下、小口融資サービスや後払い決済の展開に加えて、小口で投資を募るマイクロ投資商品を提供する意向を発表。
タートルツリー・ラブス シンガポール 食品 細胞から人工ミルクを培養する技術を持つ。コロナ禍の6月に、香港や米国などの海外投資家から、シード・ラウンドの資金を調達。2020年以降、新型コロナ感染抑止策としてのロックダウンに伴うサプライチェーン遮断が、食品の安定的な調達を脅かす懸念が広まる中、あらためて同社のアグリテックに注目が集まる。
バイジューズ インド 教育 コロナ禍前から動画技術などを活用したユニークな教育サービスに、需要があった同社のオンライン教育は、感染抑止のための政府のロックダウン政策による学校閉鎖を受けて、さらなる需要取り込みへ。
アフターペイ オーストラリア 金融 オーストラリアを代表するデジタル後払い決済サービス「バイナウ、ペイレーター(BNPL)」企業。新型コロナの感染拡大によって、衛生対策の観点から、現金よりも電子決済に注目が集まる中、新型コロナ禍の5月に中国のアリババが株式を取得。

出所:ビジネス短信など各種ジェトロ資料から作成

医療と同様にオンライン教育も、新型コロナ感染拡大によって一気に需要が拡大したビジネスの1つだ。インドのオンライン教育を手掛けるバイジューズは、動画技術を活用したユニークな教育モデルが新型コロナ前から人気を博していた。ビジネスが好調だった中で、新型コロナの感染拡大抑止のために政府が学校閉鎖を含むロックダウンを実施したことで、同社の利用者は急拡大した。

不必要なものに触れないという感染防止の視点から、金融のデジタル化も加速しそうだ。デジタル後払い決済サービス「バイナウ、ペイレーター(BNPL)」が、オーストラリアで急成長している。BNPLは、商品購入後に一定期間内で分割による後払いを可能とする決済サービスのこと。アカウントの作成が簡単かつ迅速で、クレジットカードのような厳格な審査が必要ない。スマートフォンのアプリで手軽に利用できるのが特徴だ。新型コロナ後に、衛生対策の観点から、需要は高まっている(注4)。仮想通貨などフィンテックが進んでいたフィリピンにおいても、通信大手グローブ・テレコム傘下のグローブ・フィンテック・イノベーションズ(ミント)が手掛ける電子決済サービスの「Gキャッシュ」が決済額を拡大させている。電子商取引(EC)需要も新型コロナ禍で一気に拡大した。それだけに、決済面でECとの関連性も高いフィンテックの市場規模はさらなる成長が期待される。

ロックダウン実施によって、物流の重要性にもあらためて焦点が当たった。EC需要の高まりを背景に、シンガポールのニンジャバンのデリバリーは、小回りの利く物流サービス提供によって、企業価値が拡大した。物流の停滞・寸断は国民の経済・社会活動に大きな影響を与えたが、その最たるものが食だろう。例えば、食料自給率が低く、食品を輸入に依存するシンガポールなどは、物流が停滞するだけで死活問題になる。この点、シンガポールのタートルツリー・ラブスは、細胞から人工ミルクを培養する技術を持つ。同社はコロナ禍の2020年6月、食品の安定調達に懸念が広まる中、資金調達を成功させた。シンガポールでは、新型コロナを経て、あらためて食品の輸入依存度を減らせる可能性が大きいアグリテックに注目が集まる(注5)。

人材、規制、資金がカギ

デジタルを通じた経済・社会課題の解決は、ますますその必要性が高まっている。新型コロナ問題を受けて、密を避けること、接触しないこと、遠隔で対応する必要があること、などが求められていることがその背景にある。しかし、デジタル化を推進するためには、乗り越えなければならない課題がある。第1は、人材だ。デジタル化は、これまでにない大きな構造変化を起こすだけに、その技術を創造・活用・維持・更新できる人材は限られている。ジェトロが2019年8~9月に実施した調査において、アジア大洋州地域の日系企業にデジタル人材の状況を聞いた(図3参照)。その結果、例えば、インドネシアでは33.5%、およそ3社に1社がデジタル技術に詳しいエンジニア人材がいないと回答した。域内では、デジタル先進国のシンガポールでもほぼ同様の水準だ。おおむね、域内では3~4社に1社がデジタル人材不足の状況にあるのが現実だ。

図3:社内にデジタル技術に詳しい人材がいない比率(%)
インドネシアでは33.5%、およそ3社に1社がデジタル技術に詳しい人材がいないと回答した。以下、マレーシア(33.3%)、シンガポール(30.9%)の順に大きい。逆に、スリランカ(13.3%)、ニュージーランド(16.1%)では人材がいないとした回答比率は小さい。

注:国名の隣の括弧は回答率。
出所:「2019年度アジア・オセアニア進出日系企業実態調査」(ジェトロ)から作成

次に、規制の問題がある。各国はデジタルビジネスの拡大に合わせて、個人情報保護やデータフローなどに関する規制を導入している。例えば、タイでは、EUの一般データ保護規則(GDPR)を基にした個人情報保護法の一部が、2019年 5 月から施行された。マレーシアやインドネシアでは、施行済みの個人情報保護関連規則の見直しが始まっている。インドでも、データローカライゼーションに関する内容が盛り込まれた法案審議が、今後に予定されている(個人情報保護やデータを国内のサーバーまたはデータセンターで保存することを義務付ける規定や、重要個人情報の国外移転を原則禁止する規定など)。そのため、顧客情報を持つ企業は対応を迫られることになる。そのほか、域内では、デジタル課税はじめデジタルビジネスを行う上で勘案する必要がある規制・制度が実施されている(注6)。

最後は、資金調達環境の問題だ。ASEAN地域では先述のとおり、資金調達環境が想定ほど悪化しなかった。他方、インドでは投資調査会社のベンチャー・インテリジェンスによると、上半期のスタートアップへの投資件数は前年同期比30.8%減の272件、投資額は10.9%減の41億ドルとともに減少する中、特に投資件数の減少が目立った。2019年後半以降にビジネスに陰りが見えだしていた中で新型コロナが発生し、事業モデルが揺らぐスタートアップが出始めている。インド商工会議所連盟(FICCI)の調査(7月)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますによると、投資家が資金投資の決定を保留していると回答したスタートアップは全体の33%にのぼった。

新型コロナをバネに、新たな成長の姿を

新型コロナは、いや応なくデジタル化を加速させる。これまで医療や教育の機会に恵まれなかった人々にデジタル技術によるアクセス機会を提供することを可能とした。また、金融サービスを利用できなかった人々はフィンテックで容易に利用できるようになった。結果的にデジタル化は、人々の経済的厚生(幸福度)、生活の質を底上げする。その実現には、企業がデジタルを自社ビジネスに確実に取り入れ、そこからビジネスモデルを磨く必要がある。人材をはじめ課題は多く、特にスタートアップなど企業規模の小さい企業には現下の経済環境では、投資家サイドが資金拠出を厳選しているだけに、確実な資金調達は焦眉の急だ。スタートアップをはじめとする企業側は新型コロナ下でも成長ストーリーを描けるビジネスモデルを提示することで、投資家からの信頼を勝ち取ることが期待される。その先に、経済・社会課題の解決を通じた、ウィズコロナ時代の成長の姿があるだろう。


注1:
パーム関連企業は、持続可能なパーム油のための円卓会議(を取得することで、持続可能なパーム油の生産と利用の促進を行っていることを客観的に示すことができる。
注2:
ESG投資は、経済・社会課題解決につながる投資で、近年は日本でも主流になってきている。
注3:
インドの最近のオンライン診療ビジネスは、地域・分析レポート「コロナ禍で、遠隔医療技術の浸透にさらに高まる期待」(2020年8月)に詳しい。
注4:
BNPLは、地域・分析レポート「急成長するデジタル後払い決済「バイナウ、ペイレーター(BNPL)」」(2020年10月)に詳しい。
注5:
シンガポールのアグリテックを通じた食料自給率向上の動きは、地域・分析レポート「目指すは30%の食料自給率達成」(2020年9月)に詳しい。
注6:
ASEAN、インドのデジタル関連ルールについては、「世界貿易投資報告2020年版」(ジェトロ)の「第Ⅳ章 デジタル貿易 第3節 デジタル関連ルール形成動向」PDFファイル(2.77MB)に詳しい。
執筆者紹介
ジェトロ海外調査部アジア大洋州課課長代理
新田 浩之(にった ひろゆき)
2001年、ジェトロ入構。海外調査部北米課(2008年~2011年)、同国際経済研究課(2011年~2013年)を経て、ジェトロ・クアラルンプール事務所(2013~2017年)勤務。その後、知的財産・イノベーション部イノベーション促進課(2017~2018年)を経て2018年7月より現職。