目指すは30%の食料自給率達成(シンガポール)
新型コロナ禍で加速、農業テックへの投資

2020年9月17日

食料の約9割を輸入に依存するシンガポールは、食料自給率を2030年までに30%まで引き上げることを目指している。しかし、都市国家である同国の農業用地は国土の1%に満たない。

これまで政府は、本格的には農業に取り組んでこなかった。一転して2019年からは、細胞培養肉などのフードテックやテクノロジーを活用した農業(アグリテック)を次の成長産業と位置付けて、産業育成を本格化している。新型コロナ禍に伴うサプライチェーンの遮断を受け、食料自給率の向上に貢献できるフードテック、アグリテックへの投資が加速している。

農業用地は国土の1%未満、テック活用で自給率向上へ

シンガポールの北西部にある農園、コック・ファー・テクノロジー・ファーム(以下、コック・ファー)は、広さ2.4ヘクタールほどの国内最大の野菜農園だ。シンガポール食品庁(SFA)によると、国内には2019年時点でコック・ファーを含め野菜農園77カ所、魚の養殖場109カ所、養鶏場5カ所などが点在する。しかし、これらの生産量は、葉物野菜で国内需要の14%、卵で26%、魚で10%を生産しているにすぎない。そのほか、同国に必要な食品の多くを輸入に依存しているのが現状だ。


コック・ファーは、国内に77カ所ある野菜農園で最大の農園(ジェトロ撮影)

こうした状況に対し、SFAを所掌するマサゴス・ズルキフリ環境・水資源相は2019年3月、輸入への依存を軽減するために、2030年までに栄養ベースでの食料自給率を30%へと引き上げる目標「30×30」を発表した。ただシンガポールは、国土面積725.7平方キロ(2019年末時点)ほどの島に、人口約570万が住む過密な都市国家だ。農地は国土の1%にも満たない。食料自給率向上のためには、限られた土地の中で生産効率を上げる必要がある。そのためSFAは、テクノロジーを活用して生産性を向上する地元農家に対し、補助金「農業生産性基金(APF)」を導入した。その総額は、6,300万シンガポール・ドル(約49億1,400万円、Sドル、1Sドル=約78円)に上る。上掲のコック・ファーも同基金を活用し、新たに水耕栽培を導入した。SFAによると、2020年3月時点で約100カ所の地元農家が、APFを利用して食糧生産の効率化に取り組んでいる。

アジアの都市型農業、水産養殖テックの技術開発の一大拠点を目指す

既存の農家の生産性向上に取り組むだけではない。政府はアグリテックと、細胞培養、代替プロテインなどを開発するフードテック分野を、次世代の有望産業と位置付けて、両分野のスタートアップの育成を始めている。貿易産業省(MTI)は2019年3月、シンガポールを「有数の都市型農業、水産養殖技術のハブとする」という方針を明らかにした。同省は、国内開発した都市型農業や水産養殖技術のソリューションを、周辺国にも輸出したい考えだ。

食料調達の問題を抱えるのは、シンガポールだけではない。同国を取り巻くアジアの国々の多くが人口増や所得増に伴い拡大する食料需要に対して、既存の食料生産が追い付かないという課題を抱えている。シンガポール政府系投資会社テマセク・ホールディングスは、大手会計事務所プライスウォーターハウスクーパース(PwC)とオランダのラボバンクとの共同レポート(2019年11月発表)で、アジアの人口増などを支える農業や食品産業に向こう10年で、8,000億米ドルの投資が必要、と試算している。シンガポール政府は、近隣アジア諸国の食料調達の課題を新たなビジネス機会と位置付けている。

こうした中で近年、アグリテックやフードテック分野に参入し、食料にからむ課題解決に取り組む起業家も、少しずつだが増えてきた。中には、新型コロナ禍の最中に資金調達をして注目を集めるスタートアップもある。例えば、エビを細胞培養するシオック・ミート(Shiok Meat)は、2019年4月に米国Yコンビネーターなどから総額460万米ドルのシード・ラウンド(注1)の資金を調達。その後2020年6月に、英国インパクト・ベンチャーなどから、シリーズA以前のつなぎ資金を300万米ドル調達した。また、人工ミルクを細胞培養する技術を持つタートルツリー・ラブス(Turtletree Labs、注2)は同年6月、香港のグリーン・マンデー・ベンチャーズや米国KBWベンチャーズなど海外投資家から、シード・ラウンドの資金として総額320万米ドル調達したと発表した。さらに、地元の果物を使った代替豚肉を開発するカラナ(Karana)も、同年7月、170万米ドルのシード・ラウンドの資金調達を明らかにしている。

新型コロナ禍で加速、フード・アグリテック産業の育成>

しかし、シンガポールを含め、東南アジアでのフードテックやアグリテック分野の起業の動きは、まだ始まったばかりだ。投資額はいまだ多くない。米国アグリテック専門のベンチャーキャピタル(VC)、アグファンダー(Agfunder)によると、フードテックとアグリテック両分野のスタートアップに対する投資総額は2020年上半期、世界全体で88億米ドルだった。国別にみると、米国と中国への投資額が合計61億米ドルで、全体の約7割を占める。これに対し、インドネシアやシンガポールへの投資額は、それぞれ2%にも満たない(表参照)。

表:2020年上半期のフードテック・アグリテック分野のスタートアップへの国別投資上位10カ国
順位 投資額
(米ドル)
投資
件数
1 米国 49億 293
2 中国 12億 24
3 インド 6億1900万 76
4 英国 3億7300万 64
5 韓国 1億7800万 3
6 インドネシア 1億7400万 14
7 シンガポール 1億5700万 22
8 フランス 1億3700万 16
9 フィンランド 1億1600万 6
10 カナダ 1億 34

注:前述の投資額はフードテックの川下のオンライン食料販売(電子商取引)、POSシステムの店舗支援ツールなどを扱うフードテック分野のスタートアップへの投資案件も含まれる。
出所:アグファンダー「2020年半期アグリフードテック・レポート」(2020年8月発表)

フードテック・アグリテック両分野でスタートアップへの投資を活性化するため、政府は2019年から、「スタートアップSGイクイティー」(注3)を通じて支援している。その一翼を担うのが、政府の産業育成機関エンタープライズ・シンガポール(ESG)だ。その傘下のシーズ・キャピタル(SEEDS Capital)は2019年1月、スタートアップSGイクイティーを通じた両分野への共同投資パートナーとして、国内外7社のVCやアクセラレーターを指名した。その中には、先述のアグファンダーに加え、ノルウェーの水産専門アクセラレーターのハッチ(Hatch)、シンガポールVCのIDキャピタルが含まれる。

2020年に入り、新型コロナ禍に伴うサプライチェーン遮断が、食品の安定的な調達を脅かすのでないかという懸念が広まった。そうした中、政府は、食料自給率向上に向けた支援を一段と加速している。SFAは4月、「30×30エキスプレス」と銘打ったスキームの公募を開始した。農家を支援するため、向こう6~24カ月で、地元の葉物野菜、卵、魚の生産性を向上させるためのプロジェクトに対し、最大で費用の85%を支援する。このスキームの予算規模は当初3,000万Sドルだったが、9月に7社に対して補助金を支給する際に支給総額を3,940万Sドルへと引き上げた。また、ESGは6月、地元の農業、養殖業がハイテクソリューションを導入するための支援を行うため、5,500万Sドルの追加予算枠を設けると発表した。さらに7月から、アグファンダーがシンガポールに設置したアクセラレーターのグロー(GROW)が「シンガポール・フード・ボール」と題するプログラムを開始した。食料自給率30%の達成に取り組むスタートップを育成するため、12週間にわたる支援が提供される。このプログラムはESGも支援し、第1期生としてシンガポールやタイ、オーストラリアなどのスタートアップ12社が参加中だ。

また、政府は、フードテックやアグリテックの研究開発(R&D)環境の整備も進める。2021年上半期には、シンガポール北西部に広さ12ヘクタールの「アグリフード・イノベーション・パーク(AFIP)」が完成する見通しだ。MTIは、同パークを、植物工場や昆虫食、養殖など、ハイテク農業および水産分野における研究開発や、企業間の協業を促進する拠点とすることを目指している。また同パークでは、ハイテク農園のための新たな規制を整備するために「レギュラトリー・サンドボックス(注4)」の設置も計画している。

これまでの食料の海外依存から、2019年を境に一転、食料自給率向上へとかじを切ったシンガポール。テクノロジーを活用したアジアの農業、食品技術の開発一大拠点化に向けて歩み始めている。


注1:
シード・ラウンドとは、スタートアップが創業する段階での最初の資金調達のラウンドを指し、その次の調達ラウンドを、シリーズA、シリーズBと呼ぶ。
注2:
タートルツリー・ラブスについては地域・分析レポートの8月12日付インタビュー記事を参照。
注3:
「スタートアップSGイクイティー」は、ESGが管轄する官民の共同スキーム。認定民間投資会社が選んだ有望分野のスタートアップに対して、政府もその共同投資をする。詳細はスタートアップSGのウェブサイト外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます を参照。
注4:
レギュラトリー・サンドボックスとは、新たなビジネスモデルの実施が現行規制との関係で困難な場合に、新しい技術やビジネスモデルの社会実装に向け、事業者の申請に基づき、規制官庁の認定を受けた実証を行い、実証により得られた情報やデータを用いて規制の見直しにつなげていく制度を指す。
執筆者紹介
ジェトロ・シンガポール事務所 調査担当
本田 智津絵(ほんだ ちづえ)
総合流通グループ、通信社を経て、2007年にジェトロ・シンガポール事務所入構。共同著書に『マレーシア語辞典』(2007年)、『シンガポールを知るための65章』(2013年)、『シンガポール謎解き散歩』(2014年)がある。