コロナ禍で、遠隔医療技術の浸透にさらに高まる期待(インド)
医療インフラ整備が積年の課題

2020年8月21日

インドは、世界の貧困層の約25%を抱える。それだけに、医療分野でさまざまな課題が顕在化している。例えば、国民皆保険制度が存在しないことを背景に、医療費負担が大きい。1万人当たりの医師数が約8人と、医療従事者不足が慢性的だ。とくに農村部での医療アクセスは乏しい。インドの医療体制が脆弱(ぜいじゃく)で、国民が享受する医療レベルが低いことが分かる。

新型コロナウイルスの累計感染者数は、8月13日時点で約240万人が確認された。これは、世界第3位に当たる。これによって、インドの医療体制は従前以上に逼迫した。そのため、デジタル技術を活用した医療サービスが注目を集めている。その技術で、効率化などを実現できると期待されている。

本稿では、インドにおけるデジタル医療市場を整理した上で、コロナ禍で特に注目を集める遠隔医療技術や同分野のキープレーヤーの紹介する。また、日系企業との協業への可能性を探る。

医療、デジタルの双方に多大な市場性

民間調査会社インフォーママーケッツ(informamarkets)のレポートでは、2016年から2022年までに、インドの医療市場は年率22%成長すると予測された。2022年には、3,720億ドル規模に達するという。一方で、医療分野の発展を支えるデジタル市場も年率23%成長を続けるとされている。中でも、人工知能(AI)を活用したデジタル医療分野(ヘルステック)は年率40%の成長を続ける。2021年までに60億ドル規模にまで成長するという予測だ。過去から潜在的に存在した医療市場に加え、それに付加したデジタル技術に市場性が見いだされる。多くの企業が、いかにデジタルを活用してインドの医療市場を獲得するかを考え、ニュービジネスの創出に励んでいる。

近年インドでは、多数のスタートアップが医療分野への参入を果たしている。全国ソフトウエア・サービス企業協会(NASSCOM)と地場コンサルタント会社ジノブ・マネジメント・コンサルティング(ZINNOV)が共同で発表したレポートによると、2014年から2019年に創業したインドのスタートアップは8,900~9,200社あった。そのうち14%がヘルスケアだ。これは、企業内の業務効率化をはじめとする業務系のデジタルソリューション分野の19%に次ぐ2位ということになる(図1参照)。

図1:インドのスタートアップ企業分野
インドにおけるスタートアップ企業分野について、業務効率化分野は19%、ヘルスケアは14%、 金融は10%、人材は6%、教育は6%、小売りは5%、旅行・観光は4%、サプライチェーン・物流 は4%、不動産・建設は4%、自動車は4%、産業・製造業は4%、食品は3%、モビリティは3%、 農業は3%、その他は13%となった。

出所:Zinnovレポートよりジェトロ作成

2014年に誕生したTricog外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますは、心電図のAI診断サービスを提供する代表的なヘルステックのスタートアップだ。胸部に貼り付けたセンサーから得られる心電図データと、クラウドに保管されている過去の心電図データの照合をAIが解析する。それによって、心臓疾患の診断を従来よりも早めることができるのが特徴だ。このサービスはインド国内にとどまらない。すでに、東南アジア諸国へも普及。積極的な海外ビジネス展開が図られている。

DocsApp外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますは、2015年に誕生した。利用者が遠隔から自身のスマートフォンなどで診療を予約し、オンラインで受診、処方箋の発行・受領、薬の注文ができるオンライン診療プラットフォームサービスを運営している。このサービスでは、診療や医薬の代金支払いを電子決済で完了できる。また、問診情報にAIの分析技術を融合することで利用者の病気を予測し、それを医師に提示する技術も取り入れている。

日系企業とインドスタートアップとの協業事例として、DeepTek外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますがある。同社は、AIを活用した医療画像診断支援システムや遠隔読影サービスなどを展開するスタートアップとして、2018年に誕生。同じ2018年にNTTデータのから出資を受け、画像診断サービスの病院向け導入を図っている。NTTデータは、医療画像技術市場で世界的な存在感がある。そのNTTデータ側からみると、DeepTekのサービスを世界市場に展開することで、さらなるビジネス拡大を目指せるといったメリットが考えられる(「フィナンシャル・タイムズ」紙2018年10月3日)。

遠隔医療スタートアップのMfine外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますは、2017年に設立された。2019年4月には、SBIホールディングスの子会社SBIインベストメントをはじめとした投資家らから約1,720万ドルを調達。提携病院や国内でのサービスエリアの拡大を進めている。

このように、多くのスタートアップはそれぞれの分野でデジタル技術を活用し、医療課題克服のためのソリューションを生み出している。

コロナ禍で遠隔医療にさらなる注目

インドでは、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、3月下旬から全土が封鎖(ロックダウン)された。これにより、国民は移動制限を余儀なくされた。国全体でソーシャルディスタンスの実現を果たすといったマインドが生まれ、国民の医療サービスの受診スタイルにも大きな変化が見られる。他方でインドでは、コロナ以前から遠隔医療分野でビジネスを行う企業が大きな注目を集めていたが、コロナ禍を経た今、デジタル技術を活用した遠隔医療のニーズがさらに高まっている。

遠隔医療サービスの一般的な特徴は、病院に行かずに診療や処方箋受領、代金支払いなどができることだ。このサービスは、とくに農村部(インド全人口の約70%が居住)に大きな影響を及ぼす。先端技術を持つ病院がない地域の人でも、安心して迅速に医療サービスを受けられるメリットが生まれるためだ。

デジタル技術を活用して新たな医療サービスを提供する事例は近年、増加基調にあった。コロナ禍で生まれた国民の非接触に対する意識向上や、感染拡大に伴う医療需要増加で、大きな躍進を遂げる企業が輩出されている。以下は、その一例だ。

遠隔医療大手Practo外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますは5月、コロナ禍によって同社オンライン診療アプリに直近3カ月間で5,000万人がアクセスしたと発表した。同社によると、利用者の80%がオンライン診療を初めて受けた。44%は都市部以外の地域からだった。また、5月の同社のオンライン診療の件数は3月比6倍になったという。

前述のMfineはコロナ禍で、AIを活用し新型コロナウイルス感染の可能性を判断するサービスや、患者のせきの音を診療アプリで認識し、病名判断の材料とするようなシステムも開発している。また、500超の病院から2,500人を超える医師が同社のオンライン診療プラットフォームに登録し、医療供給体制の充実化を図った。急伸する需要増加に対しタイムリーな医療インフラを整えたことで、同社が受ける1日当たりのオンライン診療相談件数はコロナ禍以前の4倍の1万件を超えている。

DeepTekは既存の画像診断サービスを新型コロナウイルス診断に活用できるように技術開発を進めた。この結果、このサービスが5月に西部マハーラーシュトラ州プネ市にある大規模総合病院Ruby Hall Clinicに導入された。

各社のサービスはオンライン診療プラットフォームの拡充にとどまらず、コロナ禍に対応したデジタル技術が現場の医療体制を支える役割も担う。

政府をはじめとするエコシステムによるサポート体制が今後の遠隔医療分野の成長の後押しに

地場メディアInc42の調査部門データラボスの調査によると、遠隔医療市場は2025年までに54億ドル規模になると予測される(図2参照)。繰り返しになるが、潜在的な医療課題を克服するため、以前から遠隔医療への需要が指摘されていた。加えて、コロナ禍で遠隔医療の重要性がさらに国民に浸透した。さらに、政府による規制の明確化や施策も、今後の市場規模拡大を後押しするだろう。保健・家庭福祉省は、遠隔医療の運用ガイドラインを3月に発出。不透明だった料金体系や利用者の個人情報保護、AIの活用範囲などを示した。また、保険規制開発庁は6月、これまで保険適用とされていなかった遠隔医療における診療を適用範囲とするよう各保険会社に促している。すなわち、利用客の費用負担へのサポート体制も整ってきたことになる。

図2:インドの遠隔医療分野における市場規模推移
インドの遠隔医療分野における市場規模推移について、2016年は4億5,000万ドル、2017年は5億1,000万ドル、 2018年は6億4,700万ドル、2019年は8億2,900万ドル、2020年は10億8,100万ドル、2021年は14億2,800万ドル、 2022年は19億1,500万ドル、2023年は26億2,600万ドル、2024年は37億1,300万ドル、2025年は54億1,000万ドル とされている。

出所:データラボス公表資料を基にジェトロ作成

政府以外にも、スタートアップを支える大企業やVCなどのエコシステムのサポート体制がビジネス拡大を支えている。地場製薬最大手Biocon(本社:ベンガルール)創業者のマズンダール・ショウ氏は、病院グループNarayana Health(本拠地:ベンガルール、注)と共同で、インキュベーション施設を開設。地元のVCと提携したアクセラレーションプログラムなどを提供している。スタートアップの資金面をフォローする動きを中心に、スタートアップと投資家を結び付ける動きも活発だ。

日系企業との協業促進に関しては、ジェトロ・ベンガルール事務所による新たな取り組みがある。遠隔医療技術を中心としたインドのデジタル医療市場への日系企業の進出や地場企業とのマッチングを進めるのが、その目的だ。具体的には、ベンガルールに所在する3つの医療・バイオ関連インキュベーション施設〔Centre for Cellular And Molecular Platforms(C-CAMP)、Bangalore Bioinnovation Centre(BBC)、Mazumdar Shaw Medical Foundation〕と2019年から提携。日系スタートアップの同施設への入居支援や大企業のオープンイノベーションを促進するための地場スタートアップとのマッチングを支援している。

今後も人口増加が見込まれ、世界有数の経済大国になると予測されるインド。そのインドで、医療課題の解決は必須だ。日系企業が資金力を背景に、コロナ禍であらためて顕在化したその医療課題の解決に取り組む意義が見いだされる。インド企業のデジタル技術力を活用したオープンイノベーションを目指すなど、協業を通じた新たなビジネスの創出に期待が高まる。


注:
Narayana Healthは、低価格・高品質の心臓手術で海外からの医療ツーリズムでも注目されている。
執筆者紹介
ジェトロ企画部企画課
遠藤 壮一郎(えんどう そういちろう)
2014年、ジェトロ入構。機械・環境産業部、日本食品海外プロモーションセンター(JFOODO)、ジェトロ・ベンガルール事務所などの勤務を経て、2020年6月から現職。
執筆者紹介
ジェトロ海外調査部アジア大洋州課
谷口 晃希(たにぐち こうき)
2015年4月、山陰合同銀行入社。2019年10月からジェトロに出向。お客様サポート部海外展開支援課を経て、2020年4月から現職。