「米国中西部スタートアップ」インタビュー(5)
シカゴのヘルスケア専門インキュベーター「マター」
米国医療産業への参入はシカゴから

2019年5月14日

ヘルスケアに力点を置くイリノイ州シカゴのインキュベーター「マター」は、現在まで9,200万人の患者に利益をもたらしているという。 2月15日、マター のマーケティング部長であるペイジ・エドミストン氏にインタビューした。


ペイジ・エドミストン部長(マター提供)


マターはシカゴに本拠を置き、ヘルスケア分野でのイノベーション促進を専門分野とするインキュベーターだ。同社の年次報告書外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます によると、マターは200以上の新興企業を抱え、その60%がデジタル・ヘルス分野、30%がライフサイエンス分野の企業だ。2015年の活動開始時から、40万人の臨床医がマターのメンバー企業の製品を使っている。メンバー企業は2億6,000万ドルの資金を集め、3,700人を雇用し、1億200万ドルの利益を上げた。


マターの正面入口 (ジェトロ撮影)

イリノイ州はライフサイエンス分野の企業にとって魅力的な地域だ。ノースウエスタン大学、シカゴ大学、ロザリンド・フランクリン大学、イリノイ大学シカゴ校など11の研究大学や他の研究施設がライフサイエンスと医薬品業界の革新的研究を進めている。イリノイ・サイエンス・アンド・テクノロジー・コアリションが発表したイリノイ・イノベーション・エコシステム報告書によると、2013年から2017年までにイリノイ州の大学から942のスタートアップ企業が生まれ、活動を続ける大学発スタートアップ企業の81%がイリノイ州にとどまっているという。不動産業者CBREの2018年のライフサイエンス報告書のデータによると、シカゴは米国のライフサイエンス分野における大都市の雇用市場で5位につけている。シカゴにおける医薬品製造部門の雇用数は 2016年時点で1万8,000近くに上り、2013年以降大きく伸びている。シカゴを拠点にするライフサイエンス企業アイテラム・セラピューティクス、ゼリス・ファーマシューティカルズと、アプティニクスはいずれも上場を果たし、遺伝子治療を手掛けるスタートアップ企業エイベックシスはノバルティスが87億ドルで買収した。


コワーキングスペース(ジェトロ撮影)

マター創立から組織を率いて大きく成長させてきた最高経営責任者(CEO)のスティーブン・コリンズ氏はもともと、今日ではシカゴ最大となったデジタルテック・インキュベーター「1871」創設メンバーでもあった。1871が当初目指したのはシカゴのスタートアップ企業にとって活発なコミュニティーを作ることであり、現在の1871の活況をみれば、それは達成されつつあるといえよう。しかしながら、ヘルスケア企業にとっては、その環境は十分ではなかったとエドミストン氏は語る。 「ヘルスケア関係のスタートアップ企業は一般のデジタルテック分野とは異なる一連の特殊な課題に直面していた。新たなテクノロジーがヘルスケア分野でシェアを得るには、大規模で十分に実績のある機関が開発の初期段階からスタートアップ企業と緊密に協力する必要がある」

この考え方こそがマターの土台となっている。コリンズCEOを含む数人の起業家がこのアイデアをシカゴ市に提案したことが、マターが組織されるきっかけとなったという。マターはイリノイ州から助成金を受け、このマターの土台となる考え方に賛同するアッヴィ、オー・エス・エフ・ヘルスケアなど著名なヘルスケア企業が参入することで、プロジェクトが動き出すことになる。エドミストン氏は続ける。「マターは初めからその目的のために作られ、これが他のインキュベーターと少し違う点かもしれない。私たちは、普段はあまり接点のないヘルスケア部門のさまざまな分野のスタートアップ企業と大規模な機関とをつなげる仕事をしている。現在マターは大きく3つの取り組みを行っている。1)コミュニティーであり集合体として、多くの有益なイベントを開催する、2)ヘルスケア・スタートアップ企業のインキュベーターであり続ける、そして 3)企業イノベーションを促進する、という3点だ」

なぜシカゴから始めるべきなのか

ヘルスケア・スタートアップ企業にとって、シカゴは米国市場への最適な入り口となる。シカゴにはヘルスケア関連企業が約2万6,000社あり、マターによると、シカゴのGDPの12.2%を占めるという。研究開発部門では、140を超える医学研究センターがエコシステムを支えている。アボット・ラボラトリーズや、米国エネルギー省のフェルミ国立加速器研究所などが例として挙げられる。これはエドミストン氏によると、「この地域には多くの医療教育機関もあり、その集中度は米国の他の地域とはほとんど比較にならないほど」だという。ライフサイエンス分野で世界ランキング16位のシカゴ大学は、2016年に業界大手のアッヴィと、がん研究で協力することで合意した。ノースウエスタン大学では医薬品開発のために、ニューヨーク市に拠点を置くディアフィールド・マネジメントとの6,500万ドル規模のベンチャーパートナーシップを発表したほか、生物医学研究センターを新たに建設中で、それに伴いファンドが創設される予定だ。シカゴのヘルスケア分野はすべての大学発スタートアップ企業の4分の1近くを占めるほか、過去3年にベンチャー キャピタルがシカゴのスタートアップ企業に行った投資の上位10位までがヘルスケアとバイオテクノロジー分野に集中している。

しかしながら、マターが設立されるまでは課題もあった。これらの企業がばらばらに活動しており、まとまるコミュニティーがなかったのだ。「マターの設立目的の1つは、これら点在するすべての資源をどのようにまとめるかということだった。シカゴはヘルスケア・イノベーションの最先端となれる要素がありながら、関係者が互いに知り合うことができていなかった。シリコンバレーは消費者向け技術に特化しており、これも良いことで必要なことではあるが、シカゴにあるような医療の実情に即した実務的なエコシステムとは異なる。また、私たちは米国だけでなく、世界中の大企業やスタートアップ企業とともに働いているということも、ここからスタートする理由の1つとなるだろう」

海外企業がシカゴを米国市場への入り口として活用

マターはイスラエルなどの海外新興企業の米国参入の支援も行っている(表参照)。

表:外国企業への米国市場参入支援内容
国名 支援内容
イスラエル (シカゴでサミット開催)シカゴの企業誘致機関ワールド・ビジネス・シカゴがイスラエルへ視察ミッションを組んだことがきっかけで、シーバ・メディカル・センターやセンター・フォー・デジタル・イノベーションと協力。イスラエルの企業20社と、シカゴのヘルスケア部門のエコシステムのリーダーたちとともに200の会議を開いた。米国の投資家を招いて資金調達方法について学ぶプログラムもある。米国の病院や医療関係機関からビジネス展開の情報提供。
(イノベーション・フェローシップ事業)保険会社ブルー・クロス(Blue Cross)およびブルー・シールド(Blue Shield)の運営企業と協力し、保険情報を提供。
カナダ (シカゴ・カナダ・メンタープログラム)カナダ総領事館との協力事業。今年で5年目。毎年、カナダ全土からコンテストを経て選ばれたライフサイエンス・スタートアップ企業5社が米国市場参入の戦略構築するため6カ月に渡って支援。
デンマーク ノボ・ノルディスクとの糖尿病の新しい治療法の共同開発を支援

出所:マターからのヒアリング内容に基づきジェトロが作成。

世界一の高齢化社会が抱えるさまざまな課題に取り組む日本のスタートアップ企業も、イスラエルやカナダのように、マターとシカゴを介して米国市場を開拓していくことができるだろう。大手のヘルスケア企業にとっても、イノベーションを創出するための近道となりうる。「日本との関係といえば、アステラス製薬(東京都)と武田薬品(同)がマターのパートナー・コミュニティーに入っている。起業後1年しか経っていないスタートアップ企業が武田薬品の問題に取り組んだ良い例もある。また、スタートアップ企業の1つ、フォトニケアが最近アダチ(大阪府)と契約を結んだ。私たちの目標は臨床医と患者により早くソリューションを届けることであり、それがシカゴを拠点とする企業であれ、その他の企業であれ、常に支援の方法を探している」

メンバーシップ

マターのシカゴメンバーシップは以下のとおり。定額を支払うことで、共有スペースへのアクセスとプログラムへの参加やサービスの利用が可能となる。

  • シカゴ:月額320ドル(マターのプログラム、サービスと施設利用を希望するスタートアップ企業向け)
  • プレミアム:月額480ドル(専用デスクを希望するスタートアップ企業向け)
  • グローバル:月額160ドル(シカゴ地域以外に拠点を置く企業向け)
組織の概要
名前 マター (www.matter.health)
設立年 2015年
住所 222 Merchandise Mart Plaza, Suite 1230, Chicago, IL 60654
ビジネス内容 シカゴを拠点とする医療テクノロジーに特化した新興企業インキュベーター、企業のイノベーション促進事業。
執筆者紹介
ジェトロ・シカゴ事務所 ディレクター
河内 章(かわち あきら)
2006年、ジェトロ入構。デザイン産業課(2010年〜2014年)、ジェトロ仙台(2014年〜2016年)などを経て、2016年4月より現職。米国自動車メーカーと日系サプライヤーの商談支援や、米国企業による日本進出支援、米国・中西部のスタートアップ・イノベーションなどを主に担当している。