大詰めブレグジット交渉(2)英国政府が「白書」で提案するモノの貿易

2018年10月16日

英国のEU離脱(ブレグジット)に当たって、離脱協定と合わせて交渉が行われているのが、英国とEUの将来関係の枠組みに関する政治宣言だ。その将来関係に関する英国政府の具体的提案は「白書」、あるいはこれについて閣僚が集中的に協議した首相別邸チェッカーズにちなみ「チェッカーズ提案」と呼ばれる。焦点となるモノの貿易に関する内容や論点をみていく。

EUとの共通規則で国境手続きを回避

「英国とEUの将来関係」と題された白書は、1. 経済パートナーシップ、2. セキュリティ・パートナーシップ、3. 横断的分野・その他の協力、4. 制度的アレンジメントの4章で構成されている(白書の概要:ビジネス短信「離脱後のEUとの将来関係交渉に向け白書を発表」の添付資料参照)。

交渉の焦点となっているモノの貿易に関する提案は、経済パートナーシップの章に記されている。この章の冒頭で、英国はEUの単一市場と関税同盟から離脱することを明言。その上で、農水産品を含むモノの貿易については、新たに「自由貿易圏」を設立し、EUとの間で「共通規則(ルールブック)」を設定・維持することで、通関手続きが不要な貿易を実現することを提案している。言い換えれば、この部分に限って、EU規制を事実上受け入れることになる。

共通規則は、工業製品、農水産品・食品を英国とEUの両市場でシームレスに販売できるようにするものだ。英国規格協会(BSI)が、EU規格に基づく共通規則を採用することで、両規則のかい離が生じないようにする。

他方、規則の変更に英国の意思が反映されないことを防ぐため、英国は白書の中で、投票権を失っても欧州標準化機関(ESO)の技術委員会に参加することを追求する、としている。

また、消費者、患者、環境に関する安全性に高いリスクを与えると考えられる医薬品、航空機、化学品の3分野については、それぞれ欧州医薬品庁(EMA)、欧州化学品庁(ECHA)、欧州航空安全庁(EASA)への参加継続を希望・提案している。この場合も投票権を失う一方、各機関への拠出金が必要となるとされる。これら共通規則やEU機関への参加継続が実現した場合、事業者にとって最大の恩恵となるのは、通関手続きの簡素化に加え、同一製品について英国、EUの両市場で別々の製品・化学物質の登録や販売許可の取得などを回避できることだ。

EU関税の代行徴収などを提案

共通規則と並んで、「自由貿易圏」の提案の核となるのは、「円滑化された通関取り決め(Facilitated Customs Arrangement:FCA)」という仕組みだ。この仕組みでは、英国とEUの間での関税徴収などの手続きを回避するため、EU以外の第三国から英国経由でEUに仕向けられる物品については、英国がEUの通関手続きに従ってEUの関税を徴収し、最終仕向け地が英国の物品は英国の通関手続きと関税を適用・徴収する。

これは信頼性が確認された貿易事業者(Trusted Trader)を対象とし、主に最終製品を想定している。他の事業者が輸入する物品や、中間財など最終仕向け地が確定していない物品については、英国とEUのいずれか高い方の関税を徴収し、後に低税率の市場に仕向けられる場合は還付を受けられるようにする。複雑に見えるが、英国の試算では還付が必要となるのは、英国のモノの貿易全体の4%程度にとどまるという。

この仕組みを確実にするため、徴収した関税の送金や信頼された貿易事業者の相互承認などについて、双方が合意する必要がある。また、これらは段階的な導入が想定されている。

原産地の累積でサプライチェーンを維持

そして、共通規則やFCAに加え、工業製品、農水産品、食品などすべての物品について関税を撤廃し、数量割当は設けず、恒常的な原産地規則に基づく手続きは導入しないことが提案されている。

このうち原産地規則については、英国とEUがそれぞれ第三国と自由貿易協定(FTA)を締結する際に(EUは既存のFTAも含む)、原産地の「対角累積」を認めることを提案している。これは英国の原産品をEUの原産品として、逆にEUの原産品を英国の原産品として取り扱えるようにする仕組みで、サプライチェーンが双方にまたがる事業者は、この累積により原産地規則を満たせば、FTAの恩恵を受けられことになる。EUは同一の原産地規則を有することを対角累積の条件としているため、英国はEUと同じ原産地規則を維持することになる。

EUは事実上の単一市場を問題視

EUは、白書が交渉の土台として有効と評価したものの、このモノの貿易に関する提案は、人、モノ、サービス、資本の4つの移動の自由は不可分とするEUの単一市場の原則に反するため、EUとして受け入れられない「レッドライン」とみなしている。

EUは当初、英国がノルウェーのように欧州経済領域(EEA)に加盟し、4つの移動の自由をすべて受け入れて単一市場にとどまるか、あるいは2017年9月に暫定適用を開始したEUとカナダの包括的経済貿易協定(CETA)を念頭に置いたFTAに他の取り決めも加えた発展系[ドナルド・トゥスク欧州理事会常任議長は2018年10月4日の記者会見でこれを「カナダ+++(プラス・プラス・プラス)」と形容]のいずれかのモデルとすることを英国に提案していた。

しかし、テレーザ・メイ首相は2017年1月のブレグジット方針に関する演説(ランカスター・スピーチ)以降、単一市場・関税同盟からの離脱に重ねて言及しており、独自の通商政策を手に入れるというブレグジットの根幹を放棄することになるノルウェー型は、英国にとっての「レッドライン」として、現実的な選択肢からは外れるようになった。

他方、カナダ型は関税を無税にできても通常の第三国との貿易と同じく国境における通関手続きを伴うため、北アイルランドとアイルランドの国境に「ハードボーダー」(国境管理のための物理的な構造物)を設けないという合意が実現できない。これも英国とっての「レッドライン」だ。そこで英国は、モノの貿易に限って限りなく単一市場に近い市場アクセスを実現する、ノルウェー型とカナダ型の折衷案と言えるような提案をまとめた(参考参照)。

参考:英国政府が提案する「自由貿易圏」の要点とEU、国内離脱強硬派の反応

  • 円滑化された通関取り決め(Facilitated Customs Arrangement:FCA)の段階的導入
    • 英国経由でEUに仕向けられる物品は、英国がEUの通関手続きに従いEUの関税を徴収。
    • 仕向け地が英国の物品は、英国の通関手続きに従い英国の関税を徴収。
    • 仕向け地が未定の物品は、高い方の関税を徴収し、後に低税率の市場に仕向けられる場合は還付。
    • 信頼性された貿易事業者(Trusted Trader)の新たな制度設計、AEO相互認証などの導入。
  • 関税と原産地規則
    • すべての物品について関税はゼロとし、数量割当は設けない。
    • 恒常的な原産地規則に基づく手続きは導入しない。
    • 第三国とのFTAには、原産地の「対角累積 」を認め、サプライチェーンに配慮。
  • 工業製品、農水産品・食品
    • 共通規則(ルールブック)を適用し、規格基準の同一性を確保。
    • 医薬品、航空機、化学品の3分野はEU機関への参加継続を追求し、二重登録の負担を回避。
    • 英国独自の地理的表示(GI)の導入。
  • 市場監視
    • 当局間の協力に関する新たな仕組みを導入し、消費者、患者、環境に関する安全性を確保。
    • 食品・飼料早期警告システム(RASFF)等のEUシステムへのアクセス継続を追求。
EUの反応
モノの貿易のみ単一市場へのアクセスを求める提案であり、人、モノ、サービス、資本の4つの移動の自由は不可分とするEUの単一市場の原則に抵触。受け入れは困難。
英国内のEU離脱強硬派の反応
EUの規制に縛られ続けることになり、競争力の高い独自の通商政策を導入して米国、中国、CPTTP等とのFTAを積極的に追求する上でマイナス。CETAに多数の相互承認を付加したカナダ型の発展系モデルに方針転換すべき。

出所: 各種資料を基にジェトロ作成

離脱強硬派の代替案にも課題が

しかし、カナダ型が本当に英国のレッドラインなのか、英国内で激しい論争になっている。EU離脱強硬派の多くは、先端技術の導入や出荷元など国境から離れた場所で手続きを行うことで、北アイルランドとアイルランドのハードボーダーは回避できると主張する。強硬派にとっては、モノの貿易に限るとは言え、EUの規制に縛られ続けることになる白書の提案の方がレッドラインとなる。

新たな通商モデルが国境管理に影響を与えなければ、カナダ型はレッドラインではなくなる。英国の民間シンクタンク、経済問題研究所(IEA)は9月24日、FTAに加え多数の相互承認を取り交わしてEUとの通商関係を緊密に維持しつつ、EUの規制からは完全に独立した通商政策を手に入れて米国、中国、環太平洋パートナーシップに関する包括的および先進的な協定(CPTTP、いわゆるTPP11)などの主要経済国・ブロックとのFTA交渉を速やかに開始するという、白書の代替案「プランA+」を公表した。デービス前EU離脱担当相ら強硬派がこれを支持している。強硬派の中心人物の1人ボリス・ジョンソン前外相も9月28日の地元紙への寄稿で、「スーパー・カナダ」と呼ぶ類似のモデルを主張している。

これら離脱強硬派の代替案も、実現可能性には疑問が残る。ゼロ関税や内国待遇などに加え、モノ・サービスの両方で規制の相互承認を最大限導入することを提案しているが、EUはこれまでも相互承認には積極的とは言えない。EUはブレグジット交渉の過程でも、英国が求めていた金融サービスの相互承認を否定し、一方的な決定である同等性評価を改善させる方針にとどめていた。白書での金融サービスに関する提案では、こうした経緯も考慮され、相互承認を盛り込んでいない。

また、カナダ型モデルが実現可能だとしても、白書のモデルほどシームレスな貿易が実現できなくなることは明らかだ。EUとの間でモノの往来が生じる企業にとっては、国境での障壁が小さければ小さいほど望ましい。EUの通商政策の専門家は、これら実務的な課題を指摘しているが、政治的動機も絡み、離脱強硬派の突き上げは簡単には収まらない。

メイ首相は、現在議論の俎上(そじょう)に載っている「唯一の選択肢」として、白書による提案の受け入れをEUに迫ってきたが、合意に向けて妥協が必要となるのは確かだ。これから英国とEUの最後の調整が本格化するが、政治宣言はあくまで英国とEUの将来関係の「枠組み」をうたうもので、細部の詰めは離脱後の移行期間に行うことが想定されている。実務を伴う効率的で野心的な通商関係が望まれる。

執筆者紹介
ジェトロ・ロンドン事務所 次長
宮崎 拓(みやざき たく)
1997年、ジェトロ入構。ジェトロ・ドバイ事務所(2006~2011年)、海外投資課(2011~2015年)、ジェトロ・ラゴス事務所(2015~2018年)などを経て、2018年4月より現職。