ASEANで進むDX:日系企業の事例・規制対応の実態・人材の実像ASEAN日系企業におけるデジタル人材の現状
ASEANのDX(4)

2026年2月16日

ASEANのデジタル経済は2025年時点で3,000億ドル、2030年には1兆ドルへ成長することが期待されている巨大市場(注1)だ。検索エンジンやソーシャルメディア、データセンターなどのサービスを提供する企業が市場を牽引するほか、日系企業が強みを持つ製造業分野でもデジタル技術を活用した生産性向上、サプライチェーンの最適化などが進む。日系企業がデジタル技術を活用してビジネス拡大を図るのは急務といえるが、課題も存在する。ジェトロが実施した「2025年度海外進出日系企業実態調査(アジア・オセアニア編)」(以下日系企業調査)によれば、デジタル技術の導入・利用を進める際の課題として「デジタル人材の不足」が最も多くの回答を集めた。本稿では、ASEANにおける日系企業のデジタル人材不足の実態を、最新のアンケート結果やインタビュー調査による現場の声から紹介するとともに、今後の成長を取り込むために日系企業が取るべき方策を明らかにする。

日系企業のデジタル人材の課題

前述の日系企業調査によれば、ASEAN進出日系企業によるデジタル技術の活用は、オーストラリアや韓国、インドと比較して、相対的に低い水準にある。特に、製造業では48.9%と50%を割り込み、非製造業においても54.4%と半数強にとどまる(詳細は本特集「ASEANのDX(5)日本企業の展望(ヒアリング・アンケートから)」を参照)。将来的なデジタル技術への投資についても、58.1%が「拡大」と回答した日本を、韓国(72.4%)やオーストラリア(69.5%)は大幅に上回る。最大の障壁は「デジタル人材の不足」だ。61.2%の企業がデジタル化を進める上での課題に人材不足を挙げている。次いで、「導入や運用のコストが高い(55.8%)」や「投資に見合う売り上げが見込めない(27.8%)」などの回答が続く。

この傾向はジェトロが2025年に東アジアビジネス評議会(EABC)と共同で実施したアンケート調査(注2)でも顕著だ。日系企業(本社所在地を日本と回答した企業)の回答を分析したところ、デジタル人材に関する課題として83.6%が「人材不足・スキルギャップの拡大」を挙げた。次いで、「教育・研修機会の不足(44.8%)」「各国の労働許可・ビザ制度の違い(32.8%)」「人材の流出(31.9%)」が続いている。

表:デジタル人材の確保・流動性の確保に関する課題(単位:%) 注:カッコ内は回答者数。
課題 割合
人材不足・スキルギャップの拡大(97) 83.6
教育・研修機会の不足(52) 44.8
各国の労働許可・ビザ制度の違い(38) 32.8
人材の流出(海外流出)(37) 31.9
ASEAN内の人材交流・協力の不足(17) 14.7
現時点で大きな課題は特になし(2) 1.7

注:カッコ内は回答者数。
出所:2025年ジェトロ-EABCアンケート調査から抜粋

日系企業へのインタビューから見える課題

定量的な人材不足の背景には、複数の要因がある。ジェトロが実施した在ASEAN日系企業に対するインタビュー調査(2025年3月実施)に基づき、日系企業が直面している課題を3つの観点で整理した。

(1)変容する人材要件と採用競争の激化

デジタル化の目的が高度化するにつれ、企業が求める人物像は、単なる「IT保守・運用」を担う人材から、ビジネスプロセスを理解し自律的に動ける「デジタル人材」へとその要件が厳格化している。

  • 「IT」と「デジタル」の区別: 海外法人におけるIT部門の立ち上げ時に、従来のシステム保守要員と、人工知能(AI)活用やアプリ開発をビジネス視点で牽引できる人材との定義に苦慮した実態がある(自動車メーカーA社)。
  • 高度スキル人材の希少性: 特にAI、データサイエンス、サイバーセキュリティー分野の高度人材は圧倒的に不足しており、外部ベンダーへの依存や日本からの派遣を余儀なくされている(自動車メーカーB社)。
  • 報酬の逆転現象: 人材獲得競争の結果、現地人材の給与水準が高騰し、場合によっては日本からの駐在員の給与を上回る、あるいは「金額度外視」での採用を迫られるケースも生じている(通信会社C社)。

(2)変化する人材定着の要因:「報酬」から「プロジェクトの魅力」へ

確保した人材の定着(リテンション)には、もはや給与のみならず、業務自体の魅力が決定的な要因となっている。

  • キャリア資質の重視: 報酬面での離職が一定の落ち着きを見せる一方、優秀な層ほど「自身のキャリアに資する魅力的なプロジェクト」を求める傾向が強い。保守的な定型業務をいかに刷新し、挑戦的な機会を提示できるかが定着の鍵となっている(自動車メーカーA社)。

(3)人的リソースを圧迫する各国の法規制

各国のデジタル関連法制への対応コストが、本来は推進役となるべき人材の工数を奪うという構造的課題も浮き彫りになった。

  • コンプライアンス負荷の増大: シンガポールのサイバーセキュリティー法や各国のデータローカライゼーション規制への対応が複雑化しており、現地で完結できない場合は、日本からの常駐支援が必要になるなど、コストとリソースの二重苦を招いている(自動車メーカーB社)。
  • 流動性に関する課題: 域内での人材融通を模索しても、ビザ規制が障壁となり、必要なタイミングで他国から専門人材を呼び寄せられない事例がある(通信会社C社)。

現地主導・柔軟な人材活用への転換

ASEANのデジタル経済が急成長を遂げる中、日系企業がこの成長による恩恵を享受するには、デジタル人材の「不足」を前提とした新たな戦略が不可欠だ。インタビュー調査などから見えてきた主要な方策を以下に提案する。

第一に、デジタル人材の定義を再考し、報酬以外の「動機付け」を強化すべきだ。高度な専門性を持つ人材は、自身のキャリア形成に資する業務を求める傾向がある。日本本社主導の業務にとどまらず、現地主導のプロジェクトを創出し、適切な裁量を与えることが、外資系企業などへの人材流出を防ぐために必要となるだろう。

第二に、地域の大学や教育機関との共同プロジェクト、インターン、産学連携によって人材供給源を作ることも重要だ。地域とのパイプラインの強化は採用競争が続く局面での安定策となろう。加えて、国ごとの政策を活用するのも有用だ。インタビュー調査では、マレーシアやインドネシアでは周辺諸国と比べて政府がデジタル人材の育成支援、採用支援を進めており、人材確保がしやすいとの声も聞かれた。

第三に、高度人材への依存を減らす「技術による補完」が挙げられる。高度人材の不足を所与の前提として捉え、必要な高度人材の投入量そのものを減らす発想が重要だ。全ての業務を専門家に委ねるのではなく、ローコード・ノーコードツール(注3)などの活用により現場社員が自ら業務改善を行う「市民開発」を推進し、人材不足のボトルネックを解消することは有用だ。

ASEANのデジタル化は、ASEANデジタル経済枠組み協定(DEFA)の進展により、今後さらに加速するとともに、デジタル人材の域内流動性も高まることが期待される。一方で、デジタル人材は要件の高度化や定着要因の変化、法規制対応による負担増加により採用・定着の難易度は一層高まる傾向にある。日系企業には、日本本社主導の管理体制のさらなる強化に加えて、優秀なローカル人材の定着や中長期的な人材確保を目的とした現地主導の人材戦略策定や意思決定、「技術による補完」を含めた柔軟な人材活用を軸とした戦略転換が求められる。


注1:
Google、テマセク、ベイン・アンド・カンパニーによるASEANのデジタル経済に関する調査(e-Conomy SEA2025)。本文に戻る
注2:
調査時期は2025年6月16日から7月10日。総回答数は536。ASEANプラス3(日本、中国、韓国)の企業に対してアンケート調査を実施。調査結果はASEANプラス3経済大臣会合(9月24日開催)、およびASEANプラス3首脳会合(10月27日開催)における政策提言の根拠資料として用いられた。本文に戻る
注3:
プログラミング言語の記述を最小限、または一切行わずに、視覚的な操作でアプリ等を開発できるツール。 本文に戻る
執筆者紹介
ジェトロ・ジャカルタ事務所
大滝 泰史(おおたき やすふみ)
2014年、ジェトロ入構。総務部広報課、アムステルダム事務所、福井貿易情報センターを経て、2021~2023年に経済産業省通商政策局経済連携課に出向。CPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的および先進的な協定)の英国加入プロセスなどの日本のEPA/FTA(経済連携協定/自由貿易協定)交渉および利活用促進のための業務に従事。その後、調査部国際経済課を経て、2023年12月からジャカルタ事務所で広域調査員として勤務。