灼熱の地で屋内マラソン
ドバイのスポーツ政策と商機(前編)
2026年7月29日
アラブ首長国連邦(UAE)のドバイは高温多湿な気候のため屋外での運動や徒歩移動が難しく、市民は運動不足に陥りやすい。こうした状況への対策の一環で、ドバイではショッピングモールを活用したマラソン「Mallathon(モーラソン)」を実施し、安全で快適な運動機会を提供している。前編となる本稿では、筆者のMallathon参加実録とともに、政府による健康増進およびスポーツ参加人口拡大政策を紹介する。後編では、こうした流れを背景とした日本企業のビジネス参入の可能性について報告する。
運動不足になりやすい気候条件
ドバイの7月の平均気温は35度、平均最高気温は41度。一年のうちの大半が高温な気候であるドバイでは、平均気温が30度を下回る比較的涼しい時期は12月から3月頃までで、それ以外の期間は厳しい暑さが続く。また、湿度も高く、日差しも日本と比較にならないほど強い。日中の炎天下では、日差しを浴びると肌に刺さるような痛さを感じるほどだ。
このような環境のため、ドバイは日中の屋外スポーツには適しておらず、スポーツは日没後の夜間や屋内施設で行われることが一般的だ。また、気候の影響もあり、歩く習慣があまり根付いていない。人々の主な移動手段は、なるべく外気に触れずに移動できる構造となっているメトロやバスなどの公共交通機関、タクシー、そして自家用車だ。そのため、運動不足になりがちで、筆者も赴任から3年近く経つうちにみるみる体重が増え、体力の低下も日々感じるようになった。日本に出張した際には、家と職場の往復をしただけで筋肉痛になってしまったほどだ。電車通勤に伴う徒歩移動が、無意識のうちに良い運動になっていたようだ。そこで、ドバイに戻ってからは、休日にモールを訪れた際に意図的に各フロアを歩き回り、運動不足の解消に努めていた。すると、ある日その話を聞いた同僚が「それなら『Mallathon』があるよ」と教えてくれた。
観光都市ならではの発想
Mallathon。それはモール(Mall)とマラソン(Marathon)を掛け合わせた造語だ。「Dubai Mallathon」は、ショッピングモールをランニングコースとして開放し、高温多湿な屋外環境を避けながら安全に運動できる場を提供する、ドバイ政府主導の健康促進イベントだ。2025年に第1回として開始され、4万人以上が参加した。第2回となる2026年は、6月15日から9月15日まで開催されている。
会場はドバイモールやモールオブジエミレーツなどをはじめとする、ドバイの主要モール6カ所だ。開催時間は各モールの開店前にあたる午前6時から10時まで。事前登録や予約は不要で、参加費も無料のため、大人から子供まで誰でも気軽に参加できる。コースは複数の距離が設定されており、ドバイモールの例では2.5キロメートル、5キロメートル、10キロメートル(周回コース)が設定されている。さらに、走行者用レーンと歩行者用レーンが分けられているため、ランニングだけでなくウォーキングも楽しめる。また、別途事前申込制のレースイベントも開催されており、参加者はタイムを競い、入賞者にはメダルや賞品が授与される。加えて、モール内店舗による特典も用意されている。参加者に提供されるブレスレットを提示すると割引が適用される飲食店もあり、健康増進だけでなくモールの集客や収益向上にもつながる取り組みとなっている。既存の商業施設を営業時間外に有効活用することで、新たな施設整備を伴わずに健康増進と商業活性化を同時に実現している点も、この取り組みの大きな特徴だ。
また、観光が主要産業の1つであるドバイでは、2025年の国外からの宿泊を伴う来訪者数は前年比5%増の1,959万人を記録した。2025年のドバイ国際空港利用旅客数も前年比3.1%増の9,520万人となり、過去最高を記録した(2026年2月13日付ビジネス短信参照)。こうした観光需要に加え、先述の気候条件も相まって、ドバイではモールをはじめ、屋内スキー場やスケート場、水族館などの屋内型観光・消費施設が充実している。Mallathonはそのようなドバイならではの環境やインフラを活用したイベントといえる。
Mallathon走ってみた
2026年7月1日午前7時。快晴。スマートフォンが示すドバイ中心部の気温は31度、体感気温は41度、湿度は69%だった。筆者は重い腰を上げ、ドバイヒルズモールのMallathonに参加した。
開店前のモール、入り口は全部開いているのだろうか。いつも使う入り口から入れなかったらどうしようなどと不安を抱えていたが、杞憂(きゆう)に終わった。モールの入り口は通常通り開いており、照明も空調も営業時と変わらない。モール内は屋外と打って変わって涼しく、ランニングに合うアップテンポでポップなBGMが流れていた。いつもと違うのは、出店しているそれぞれの店が閉まっていることだ。
あたりを見渡すと、確かに走っている人たちの姿があった。筆者も見よう見まねで最短コースを走ってみた。モールの中で決められた区画にコース案内の掲示がされており、進行方向やルートが分かるようになっている。営業時間に比べると圧倒的に人が少なく、広々としたモールを走ることができるのは開放感があって心地いい。ドバイヒルズモールの売り場面積は約200万平方フィート(約19万平方メートル)で、東京ドーム約4個分だ。ルートの途中には給水ポイントが設置されていた。ドバイヒルズは新興の住宅エリアであることから、観光客よりも居住者がこのモールを利用することが多い。近くにいた参加者の女性に話を聞いてみたが、やはり近隣の住民だった。毎朝ジムに通っていたが、この時期はMallathonに参加しているという。参加者の中には赤ちゃんをバギーに乗せてそれを押しながら走っている女性もいた。なるほど、モールの中であれば赤ちゃんも快適な温度で過ごせるし、外の道路と違って段差や舗装のでこぼこなどを気にせずにバギーを押せるから安心だ。こうした取材目的の人間観察をしつつ、運動不足の筆者は2.5 キロメートルコースを半分以上歩きながらも完走した。

(ジェトロ撮影)

(ジェトロ撮影)


政府主導で健康スポーツ都市を目指すドバイ
ドバイはスポーツを「健康」「都市ブランド」「経済の成長エンジン」として位置付け、スポーツ政策や都市開発、各種イベントを一体的に推進している。2017年に開始されたドバイフィットネス・チャレンジ(Dubai Fitness Challenge)では、ドバイを「世界で最もアクティブな都市」にすることを目標に掲げ、市民に30日間、毎日30分の運動を呼びかけることで、生活習慣の改善や医療費の抑制、ウェルビーイングの向上を目指した。また、2024年1月に発表されたドバイ・ソーシャル・アジェンダ33(Dubai Social Agenda 33) は、ドバイにおけるエミラティ(UAE国籍の人)の家庭支援、教育、医療、住宅、社会保障の向上を目指した社会政策だ。さらに、同年5月には、ドバイ・クオリティ・オブ・ライフ戦略2033(Dubai Quality of Life Strategy 2033)が発表され、都市空間や交通、レジャー、ウェルビーイングを重視し、生活の質の向上と魅力的な都市環境の実現を目指す方針が示された。特に交通分野では、「歩ける都市(Walkable City)」の実現が重要な目標の1つとして掲げられている。いずれも経済成長と社会政策を融合させた包括的な戦略であり、健康増進や文化・スポーツ・コミュニティー活動の充実が重要な位置付けとなっている。
市民参加型かつ無料のイベントやコミュニティーハブの創出にも力を入れており、その具体例として、前述のモールマラソンのほかに、UAEの幹線道路シェイク・ザーイド・ロード(Sheikh Zayed Road)を開放して実施される市民参加型マラソンイベント「ドバイ・ラン(Dubai Run)」や、サイクリングイベント「ドバイ・ライド(Dubai Ride)」が挙げられる。ドバイ首長国レベルだけでなく、連邦レベルでもスポーツ振興が進められている。UAE政府は2023年に「国家スポーツ戦略2031」を策定し、その中核的な目標として、国民のスポーツ参加率を71%まで引き上げることを掲げている。
これら政策を推進する背景の1つには、UAEが抱える健康問題がある。生活習慣病が深刻であり、国際糖尿病連合(IDF)によると、UAEの20~79歳の成人の糖尿病有病率は20.7%、糖尿病患者数は約127万人に達する。成人人口約771万人のうち、およそ5人に1人が糖尿病という計算になる。こうした状況を踏まえ、政府は糖尿病やがん、生活習慣病の予防を重視し、医療制度の整備・強化に加え、スポーツイベントなどを通じて国民の運動習慣の定着と健康意識の向上に取り組んでいる。
また、ドバイは国際スポーツハブとなることも目指している。2025年11月に策定されたドバイスポーツ戦略計画2033(Dubai Sports Strategic Plan 2033)では、2033年までにドバイを世界有数のスポーツ都市へ発展させることを目標に掲げている。スポーツ外交をはじめ、投資誘致や観光振興といった政策を一体的に推進し、スポーツ産業そのものを成長産業として育成する狙いだ。つまりドバイでは、スポーツは健康政策だけでなく、観光、投資誘致、都市ブランド形成を含めた産業政策としても位置付けられている。同計画では、2033年までにスポーツ産業のGDP貢献額を183億ディルハム(約8,089億円、1ディルハム=約44.2円)まで拡大するとともに、スポーツ参加人口を260万人、年間スポーツイベント参加者数を410万人に増やす目標を設定している。それに伴い、ドバイスポーツ評議会主導のもと、スタジアムやトレーニング施設などのインフラ整備も進められている。さらに、2025年にはワールド・スポーツ・サミット(World Sports Summit)が創設され、国際競技団体の幹部、クラブ経営者や投資家、著名アスリートなど世界各国のスポーツ界の有力関係者がドバイに集結した。スポーツを通じた健康増進だけでなく、都市ブランド力の向上や経済成長の実現を目指すドバイの姿勢が、こうした取り組みに表れている。
こうしたスポーツ振興策は健康増進だけでなく、スポーツ関連市場の拡大にもつながる可能性がある。後編では、その動きを踏まえた日本企業のビジネス参入について紹介する。
- 執筆者紹介
-
ジェトロ・ドバイ事務所
清水 美香(しみず みか) - 2010年、ジェトロ入構。海外調査部中東アフリカ課、海外調査企画課、ジェトロ埼玉などを経て、2023年9月から現職。





閉じる





