アイルランド企業に見る製品開発
教育現場のデジタル化(2)
2025年7月17日
教育現場でのデジタル化に見る課題や可能性について、欧州の中でも積極的にデジタル化に取り組むスウェーデン、アイルランド、フィンランドの取り組みを紹介する。2回目の本稿で取り上げるのは、アイルランドだ。当地には、主要なテック企業が欧州本社を構える。高度なデジタルスキルを有することで、EU加盟国指折りだ。関係者へのインタビューを基に、概説する(取材日:2025年3月26日)。
教師向け研修で学校でのデジタル導入を後押し
アイルランド政府は2022年、「学校のためのデジタル戦略2022-2027」を策定。(1)すべての学習者が修学する上で、テクノロジーの恩恵を受けることができる未来と、(2)デジタル世界で必要な知識・技能を習得する機会を提供するため、学校システムをサポートすること、を目指すとした。その上で核になるのが、エドテック(注1)だ。エドテック・アイルランド(業界団体)のティム・レイバリー氏によると、当地教育現場では、1998年から教科に情報通信技術(ICT)が加わった。さらに2000年ごろから、デジタルを使った教育が始まったという。特に2020年以降は、国としてデジタルを使った教育に大きく投資している。教師向けインターネットサイトを通じて、小中学校用のリソース(授業計画、生徒評価、トレーニング)を提供。デジタル教育の最重要コンポーネントにしている。
中でも力を入れているのが教師向けの研修だ。教師に対して、デジタル製品を使ってどのように教えるかが、その主な内容だ。毎年夏に無料で研修講座を開講している。ただし政府は、学校でデジタル製品を導入するための目標などは設けてはいない。すなわち、導入するかどうかは各現場の判断にゆだねている。政府はむしろ、導入を希望する学校や教師の手助けするスタンスだ。
レイバリー氏いわく、現在の導入実態として、小学校(4、5歳~12歳)の方が中学校(12~18歳、義務教育は16歳まで)よりも進んでいるという。その理由は実務的だ。小学校では基本的に同じクラスに対して1人の教師が全教科を教えるため教室の移動がなく、授業の際にデジタル機器を使いやすい環境にある。また、中学校がデジタル導入を積極的に進めない理由として、(1)教師がアナログでの教えに慣れている、(2)機器を1人1台の導入する予算を国が確保できていない、(3)教師がデジタルで教えるメリットを必ずしも感じていない、ことなどを挙げることができる。
レイバリー氏はデジタル製品が強みを有する教科として、「歴史」「地理」「音楽」「言語」を挙げた。アナログでは提供できないプラスアルファの情報を提供できるのがその理由だ。
教育現場でも近年、人工知能(AI)の活用に注目が集まる。特に期待が高いのは、「生徒1人ずつ個人指導者(チューター)を付けられること」という。現在は教師1人が複数の生徒を受け持つ。授業についていける生徒やそうでない生徒など、それぞれの状況はまちまちだ。1人ずつにチューターが付くと、各人をサポートすることができるようになる。教師とチューターの役割は重複することはなく、教師は、各生徒がどの程度チューターのサポートを必要とするかを把握する想定だ。
デジタル導入で小学校に変化
アイルランドの小学校で高く評価されているデジタル製品の1つに、ゲームアプリ「ALPACA」がある。失読症〔dyslexia(ディスレクシア)、文字の読み書きに困難が生じる状態〕があるかどうかをテストすることができる。ダブリンの聖コルムキル小学校では、約2年前から導入してきた(注2)。同校でALPACAを導入する前には、同様の目的のテストを紙とペンを用いて実施。対象は6~8歳児で、1人あたり20分もかけていた。導入後は、入学してすぐの4~5歳の生徒に、タブレット端末で受けてもらっている。
キャロル・マーフィー氏〔スペシャルニーズ(特別な支援や補助が必要な生徒)向けのコーディネーター・教師〕は、ALPACAの特徴を2つ挙げた。(1)教師にかかる負担軽減により低学年段階で多くの生徒を受験させられること、(2)テストを受ける生徒や保護者を不安がらせないこと、だ。テスト画面は、やさしい見た目になっている。そのため、生徒に受け入れられやすく、楽しみながら受験できる。また、保護者に紙面試験実施を伝えると、それだけで不安になったり、テスト結果を気にしたりする。しかしALPACAなら、あまり怖がらせずに済む。また、テスト結果を基に、教師が授業で提供すべきことや、クラス間での教師配分などを計画・準備できるようになった。さらに、自分からはあまり主張しない生徒の理解状況を把握できる。従来なら、こうしたことは難しかったという。
信頼感を構築しつつ学校にアプローチ
ALPACAは2022年に創業した。2025年3月(製品開発から18カ月後)時点で、約600校が導入している。学校や教師という特殊な売り先に対してどのようなアプローチをしたのだろうか。
創業者のジョー・フェルナンデス氏は、「テクノロジーはただの手段」「人に取って代わるデジタル製品は好ましくない」と話す。製品を展開する上でもこの理解に立ち、まず教師に(1)内容的には紙で提供するのと変わらないこと、(2)違いは、デジタルでより効率的になるに過ぎないこと、を示した。その上で、(3)教師の仕事を奪うものではないことを伝えた。そうして、信頼関係を構築した。
従来型のテスト(紙とペン)には、生徒と教師が1対1で20~40分かけていた。そうなると、生徒全員に実施するのは難しい。失読症の懸念がありそうな生徒に限り、入学2年後に受けさせていた。その結果、90%の生徒をテストできなかった。一方、ALPACAを使うと同時に複数生徒が受験できるため、効率が大きく上がる。
2025年3月現在、ALPACA導入校では、基本的に4~6歳の初年期の生徒全員にテストを提供しているという。小学校への入学直後でまだ何も教わっていない4~5歳児に実施することで、外からは見えない困難を早期に「見える化」することができるようになった。また、有益な科学的証拠(evidence)を提供できる。それによって、生徒に授業やサポートを提供するスペシャルニーズ向けのコーディネーターに自信を与えることができるようになった。
フェルナンデス氏は「日本での導入に向けて拠点を設立することや、日本企業と連携することに、高い関心をもっている」と意気込んだ。

製品開発時に留意すべきことは
アイルランドは、人口約500万人。国内のマーケットは決して大きくないため、企業は輸出を想定して製品開発するのが通例だ。また、幅広い分野の企業がエドテック・アイルランドに加盟しているのが特徴だ。
この記事ではそうした企業の一例として、スキルズ・ビスタ(SkillsVista)を取り上げる。
同社は、就職や雇用をサポートするデジタル製品を提供している。創業者のジェイソン・カロティ氏は、自身の経験に基づき、学生、求職者、企業、産業・政府向けに製品を4種開発した。このうち学生向けに、キャリア適性テストや性格診断と大学のコースを結びつけた。さらに、自身の20年間の学習経験から、学習と労働市場のニーズも結びつけている。製品開発にあたっては、学生や求職者、研修提供者など同社製品に関連する人たちの声を聴いた。現在、アイルランドのほか、新規拠点を設立した英国で事業展開している。
ジェトロからは、この分野で製品開発を検討している企業へのアドバイスを聞いてみた。同氏は、(1)デジタル機器へのアクセスなどを促進する国家プログラムの有無、ネット環境などのインフラ、デジタルスキルなどを考慮すること、(2)時間をかけ、市場調査すること、(3)技術者でない創業者としての立場から、さまざまな人と協力する重要性、(4)製品開発に賛同してもらえる企業を探すこと、などを挙げた。(4)に関しては、リスクを1人で追うのは大変なので、リスクを分散する方が良いと付言した。

政府は「国家開発計画2021-2030」(注3)で、国全体でのスタートアップ・エコシステムの拡充を目指している。企業がステークホルダーと丁寧にコミュニケーションをとり、ニーズの把握や懸念点の解決を図りながら製品開発・展開する姿勢が印象深い。
- 注1:
- エドテック(edtech)とは、教育(education)とテクノロジー(technology)の英単語を組み合わせた用語。教育分野にイノベーションを起こす企業やビジネスの総称にもなっている。
- 注2:
- 聖コルムキル小学校は、製品開発の段階からこのアプリを試験導入していた。なお同校は、欧州最大規模ということでも知られる。
- 注3:
- 2021年に政府が発表した計画。国内全域での雇用創出や経済再生など、今後10年間でアイルランドが優先的に取り組む課題を盛り込んだ。
教育現場のデジタル化

- 執筆者紹介
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ジェトロ調査部欧州課
牧野 彩(まきの あや) - 2011年、ジェトロ入構。企画部情報システム課、ジェトロ福島、ジェトロ・ロンドン事務所を経て、2022年5月から現職。

- 執筆者紹介
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ジェトロ・ロンドン事務所
尾関 康之(おぜき やすゆき)(在アイルランド) - 2006年からアイルランドでジェトロのコレスポンデントとして業務に従事。