フィンランドの現場に委ねる方針
教育現場のデジタル化(3)
2025年8月4日
教育現場でのデジタル化に見る課題や可能性について、欧州の中でも積極的にデジタル化に取り組むスウェーデン、アイルランド、フィンランドについて紹介する。3回目の本稿では、教師の職業的地位が高く、教育の分野で特に有名なフィンランドについて現地関係者、特に幼児教育関係者を含むインタビューをもとに概説する(取材日:2025年3月25日)。
現場主導で進めるデジタル化
フィンランドでは、デジタル化はどのように見られているのだろうか。フィンランド教育庁のヤルッコ・ニーラネン氏、ユホ・ヘルミネン氏、イダ・インモネン氏、アンドレイ・ヴェレメンコ氏に話を聞いたところ、デジタル化が特に強みを有している分野として、学習者ごとに最適化された学習内容を提供するアダプティブラーニングやドリル、スペシャルニーズ(特別な支援や補助が必要な生徒)や移民向け教材、STEAM(注1)学習、ロボット工学を挙げた。フィンランドでは2016年から適用されている「初等および中等教育のためのナショナル・コアカリキュラム」があり、中核とする科目が定められている。それら中核科目における7つの横断的な能力(注2)の1つとして「ICT(情報通信技術)能力」が定められているが、それをどのように実現するかは各自治体や学校、教師に権限が委ねられている。デジタル機器の導入状況なども国として情報収集(Survey)はしているが、学校の評価や国としての方向性検証・分析のための調査(Inspection)はしていないという。フィンランドでは、義務教育のうち初等教育以降の教師全員が修士号を取得しており全幅の信頼を寄せているため、国としての方針を押し付けることはせず、教師が各教育現場に応じた判断をできるようにしている。
フィンランドの特徴として、教師が高い専門性を有していることに加えて、教師を評価する仕組みをつくっていないため教師同士が競争関係になく、協力関係を構築できていることが挙げられるという。そのため情報共有なども活発で、例えばデジタル教材についても、教師同士の口コミなどのネットワークで広がることが多いという。フィンランドでは例外を除き義務教育は主に公立学校のみが提供し、教材の調達はデジタル教材を含めて自治体が行うが、その選定には教師の意見が大きく反映される。また、教師自身が直面している課題を解決するために、自身でデジタル教材を開発するケースもあるという。エドテック(注3)分野は、フィンランドにおける他産業と同様に分野内でエコシステムが発達しており、企業、アカデミア、自治体や政府機関などが協力し合い、国内外の教育現場に適した教材を開発し市場を開拓している。
元教師が開発した幼稚園のための管理ツール
幼稚園向けの管理ツールであるキンディーデイズ(Kindiedays)は、幼稚園の元教師が、自身が感じていた課題解決のために開発した製品だ。フィンランドの幼児教育では、「カリキュラム・ゴール」として、子供たちに多様なことを行う機会を等しく提供することを重視しており、半年に1回その提供状況および記録(Observation)を子供ごとに作成する必要がある。共同創業者であるミッラ・ヴァンデルブルグ氏およびイエッシ・ヴァンデルブルグ氏が教師をしていた際には、それを管理・記録する仕組みやシステムがなく、半年に1回思い出しながら作成していた。提供したか記憶が曖昧な教育内容は念のため再度提供しており、非効率的であった。このやり方は子供への本来あるべき「カリキュラム・ゴール」の提供方法ではないと感じ、2015年に、必要とされる情報を日々管理・記録するデジタルツールであるキンディーデイズを開発した。同製品にはフィンランドの「カリキュラム・ゴール」が登録されており、教師は該当するものを1日の終わりに選択し、登録、記録のために児童たちの様子を写した写真をアップロードすれば、半年に1度のレポート作成のために別途時間をかける必要がなくなる。同社製品を使うことは、教師の効率化向上だけではない効果を生み出しているという。提供した「カリキュラム・ゴール」が可視化されることで、幼稚園の運営側は各教師による機会提供に偏りがないか把握することが可能となり、教師間の苦手分野と得意分野を代替して務めるなど教師同士が補完し合えるよう調整することができる。また同ツールは、教師の登録・記録のためだけでなく、保護者への連絡や共有ツールとしても使用できる。教師が同ツール上で登録した内容の一部は保護者も見られるため、保護者は、その日児童がどのような「カリキュラム・ゴール」を提供されたのかを知ることができ、家庭でその情報を基に会話をしたり、授業中に十分にできなかったと思われるものについては家庭で手助けしたりすることができるという。
現在は、フィンランド以外の国のカリキュラムにも対応しており、約30カ国の幼稚園に同社製品を販売している。これに伴い、フィンランドでは幼稚園において児童に成績を付けないが、他国向けには必要とすれば成績評価を入力できる機能も設けている。また、フィンランド国外の保育園から、世界的に評価の高いフィンランドの幼児教育カリキュラムについて知りたいというニーズがあり、教師向けにフィンランドのカリキュラムを伝えるオンライン講習も行っている。
幼稚園におけるデジタル製品の導入ではアナログとのバランスが重要
キンディーデイズを導入している幼稚園は、どのような製品の利点を見ているのだろうか。カルーセルナーサリー(Carousel Nursery)のロバート・ハッスル氏は、製品上にフィンランドの「カリキュラム・ゴール」が登録されていることをまず挙げた。同幼稚園では15年前から記録のためのデジタルツールを導入しており、別の企業の製品を使用していたが、2022年からキンディーデイズの製品に代えた。「カリキュラム・ゴール」が製品に登録されていることにより教師の負担を軽減でき、「カリキュラム・ゴール」の達成度が明確に示されるため、次の授業計画を組み立てるうえで役立てられる。また、幼稚園への欠席・登園・外出状況も記録できるため、児童数に応じた教員の配置や緊急避難時の児童数の把握などにも活用できるという。そのほか、使い勝手の改善などユーザ側の要望にも応えてくれる点も評価した。ただし、同社製品に限らず、デジタル製品利用の際には、ネットワークに接続できないなどの緊急時を想定し、必ずアナログでのバックアップは用意する必要があるという。
同幼稚園では、教育ツールとしても、デジタル製品を積極的に導入している。児童の小学校への入学に備えて、テクノロジーを使えるように教育するためだ。導入時に意識している点としては、複数人で一緒に使えるものを選ぶことや、物理的な道具との併用などによりスクリーンを見る時間を短くすること、児童が1人で遊ぶために使うのではなく教師が常に傍らにつくこと、などを挙げた。ハッスル氏は、教師として、また子を持つ親として、デジタルが社会で果たす役割の大きさを理解しながら、アナログとのバランスの重要さを指摘した。
幼稚園と小学校に通う生徒の保護者は、フィンランドの教育の特徴について、子供にかかわる人たちが皆、子供を1人の個人として尊重して接している、と話す。自治体の子育て支援施設(ネウボラ)での幼児への定期健診や児童の学校面談でも、親が代弁するのではなく、子供自身にも問いかけることが当たり前だという。国からの信頼の厚い教師が、子供を第一に考えながらデジタル化導入を進めている。
3カ国での相違点と共通点
スウェーデン、フィンランド、アイルランドの3カ国における教育分野のデジタル化に対する姿勢や取り組み方はそれぞれだ。国がイニシアティブをとってデジタルとアナログのバランスを模索するスウェーデン、教師への信頼を基に現場主導でのデジタル化を進めるフィンランド、デジタル導入を希望する現場を後押しするアイルランド。一方で、教育現場へのヒアリングでは共通点もあった。各国の学校関係者に話を聞くと、皆、デジタルとアナログのバランスの重要性に言及した。既に最低限のデジタルスキルの習得割合が高い3カ国(注4)において、デジタル導入はそれ自体が目的ではなく、アナログとデジタル双方に優位性があることを認めていることが分かる。3カ国の教育現場においては、アナログとデジタルは補完し合う関係と言えそうだ。
- 注1:
- 「Science」(科学)、「Technology」(技術)、「Engineering」(工学)、「Art」(芸術)、「Mathematics」(数学)の頭文字を取ったもの。
- 注2:
- そのほかの横断的な能力は「学習のための考えと学び」「文化的能力、交流、自己表現」「自己管理と日常生活の管理」「マルチリテラシー」「社会人としての能力と起業家精神」「持続可能な将来の参加、関与、構築」。
- 注3:
- 教育とテクノロジーの英単語を組み合わせた造語で、教育分野にイノベーションを起こす企業やビジネスの総称。
- 注4:
- 欧州委員会は2021年に、2030年までの欧州のデジタル化への移行実現を目指し、今後の10年間を「デジタル化の10年間(Digital Decade)」と位置付けて以降、国ごとの進捗状況を年次レポートで公開している(2021年3月12日付ビジネス短信参照)。2024年レポートにおいて、「最低限のデジタルスキル(At least basic digital skills)」の割合はEU平均が55.6%のところ、スウェーデン66.6%、フィンランド79.2%、アイルランド70.5%。
教育現場のデジタル化

- 執筆者紹介
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ジェトロ調査部欧州課 課長代理
牧野 彩(まきの あや) - 2011年、ジェトロ入構。企画部情報システム課、ジェトロ福島、ジェトロ・ロンドン事務所を経て、2022年5月から現職。

- 執筆者紹介
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ジェトロ・ロンドン事務所(在ヘルシンキ)
半井 麻美(なかばい あさみ) - 2022年12月からジェトロ・ロンドン事務所レジデントエージェント(在ヘルシンキ)