ポテンシャル高い水素産業、海外の技術導入など課題に直面(ロシア)
2022年以降、政策と案件進捗に変化

2025年5月16日

ロシアは、豊富な天然資源を活用した水素エネルギーの生産と輸出で大きな潜在力を持つ。石油精製や化学産業での水素利用が進み、調査会社のビジネススタットによると、2019年から2023年にかけて、ロシアの水素生産量は20億立方メートルから24億立方メートルへと増加した。国内生産の約95%は自国内で消費され、現状ではその大半は化石燃料由来のグレー水素に分類される。他方で、ロシア政府は2023年に改定した「気候ドクトリン」に基づき、2060年までのカーボンニュートラル達成を目指す。このため、低炭素水素(注1)への関心も高まっている。

2030年までに水素市場の20%獲得を目指す

ロシア政府が水素エネルギーに関する方針を初めて明記した政策文書は、2020年に承認された「ロシアの2035年までのエネルギー戦略」(以下「戦略」)である。同戦略に水素エネルギーの発展が盛り込まれており、ロシアは水素の生産および輸出で世界をリードすることを目指す、と定められた。この方針のもと、経済発展省のイリヤ・トロソフ第1次官は、2023年11~12月にドバイ(アラブ首長国連邦)で開催された国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP28)での演説で、ロシアが2030年までに世界の水素市場の20%の獲得を目指す意向を示した。

ロシア政府は、2020年に「2024年までの水素エネルギー開発のロードマップ」を承認し、水素燃料による鉄道輸送の試験車両の開発や、メタン水素燃料を用いたガスタービンのテストを検討していた。

このロードマップをもとに、2021年8月5日に「水素エネルギー開発コンセプト」が策定された。同コンセプトの目標は、水素の生産、輸出、利用を実現し、それを通じて水素分野でロシアの存在感を示すことにある。同コンセプトでは、水素産業の発展を以下の3段階に分けて進める計画が示されている(表1参照)。

表1:ロシアにおける水素エネルギー開発の3段階
段階 概要
初期
(2021~2024年)
  • 水素クラスターの形成・パイロットプロジェクト指導(20万トンの輸出を目標)
  • 水素の製造、貯蔵、輸送に関する9つの国内技術の開発
  • コラ原子力発電所とサハリンでの水素生産の組織化に関するEPC契約 
  • 6台の水素エネルギー機器の試作品製造
  • 水素エネルギー機器の試験場の開設(2ヵ所) 
中期
(2025~2035年)
  • 商業プロジェクトの開始(2025年時点で200万トン、最大1,200万トンの輸出を目標) 
  • コラ原子力発電所とサハリンでの水素生産開始
  • 10台の水素エネルギー機器の試作品 製造
後期
(2036~2050年)
  • 世界に向けた市場の拡大(2050年時点で1,500万トン、最大5,000万トンの輸出目標)
  • 再エネ由来水素の価格低下(地下資源利用水素と同様の生産コストを目標) 
  • アジア太平洋諸国、EU向けの水素、同関連製造設備・技術の輸出

出所:ロシア政府「ロシアの2035年までのエネルギー戦略」「水素エネルギー開発コンセプト」、連邦プロジェクト「クリーンエネルギー」からジェトロ作成

また、水素の生産地域ごとに北西部、東部、北極の3クラスターが形成される予定である(表2参照)。

表2:ロシアの水素製造クラスター
地域 特徴
北西部クラスター 欧州諸国向け輸出およびカーボンフットプリント削減対策
東部クラスター アジア諸国向け輸出、輸送・発電分野での水素インフラ整備
北極クラスター ロシア北極圏地域への低炭素電力供給

出所:「水素エネルギー開発コンセプト」からジェトロ作成

ウクライナ危機以降に政策転換

ロシアによるウクライナ侵攻とそれに伴う欧米諸国からの経済制裁が始まった2022年以降、ロシアの水素産業の発展の方向性における優先順位に変化が生じた。それ以前は生産と輸出を重視していたが、対ロ経済制裁により生産技術の導入元として想定していた欧州諸国や日本との協力が困難になったことから、技術開発と設備の国産化に重点が移った。

2022年にエネルギー省は水素輸出に関する見通しを修正し、ロシアの2030年までの水素輸出目標を950万トンから450万トンに引き下げた。2022年12月に「水素エネルギー開発のロードマップ」が改定され、2030年までの年間低炭素水素生産の目標が55万トンに縮小された。

同ロードマップには、水素の製造・輸送・貯蔵など20を超えるプロジェクトが盛り込まれており、連邦予算から185億ルーブル(約314億円、1ルーブル=約1.7円)以上が支出される予定だ。ロードマップの一環として、2023年に、ロシア政府、ガスプロム、ロスアトム、投資会社のAFKシステマが、水素エネルギーの発展に向けた協力に関する合意を締結した。AFKシステマは関連メーカーと共同で、水素を動力源とする輸送機器開発を進めており、双胴船やトラックが対象となっている(「RBK」2023年10月10日)。

水素エネルギー関連の補助金は、連邦プロジェクト「クリーンエネルギー」の枠組みで割り当てられている。2022~2023年にかけて、ロシア産業商務省は水素関連技術の研究開発支援として、国内機械製造企業の20件のプロジェクトに対し総額37億ルーブル(約63億円)の補助金を交付した。さらに、2024年10月23日にロシアで開催された水素エネルギーに関する国際会議で、産業商務省の燃料・エネルギー産業関連機械工業局のミハイル・クズネツォフ部長は、2024年以降も、6件の契約(総額20億ルーブル、約34億円)の締結が予定されていると述べた。

同プロジェクトの一環として、政府は2023年10月に水素の大規模輸出に向けた製造・輸送・貯蔵技術の開発プロジェクトに対する補助金支給の新規則を制定した(表3参照)。これにより、企業や研究所は、開発コストの最大70%を賄うことが可能となる。補助金の交付期間は最長3年間とされている(2023年10月11日付連邦政府決定第1679号)。

表3:ロシアの水素関連技術開発に向けた補助金額 (単位:100万ルーブル)(-は値なし)
項目 2022年 2023年 2024年 2025年 2026年 2027年
水素の製造、輸送、貯蔵に関する技術開発 1,550  681.6  619.8  581.6 

出所:ロシア連邦予算基本法からジェトロ作成

水素の活用に対応するロシア企業、ただし現時点での需要家は限定的

ロシアの水素発展戦略では、ブルー水素の製造が、経済性、既存インフラの活用、輸出の可能性から優先されている。一方で、長期的には脱炭素化の世界的なトレンドに対応するため、製造価格の低減を含めグリーン水素開発を加速化する方向性も示されている。 人工的に生産されるものに加えて、天然水素(注2)鉱床の開発も視野に入る。水素エネルギーに関する国際会議で、ガスプロム・ボドロドのコンスタンチン・ロマノフ社長は、ガスプロムは既に複数の鉱床でサンプル採取を実施している、と述べた。ただし、商業利用に適した十分な量はまだ確認されていない。今後は、より水素の濃度が高いとみられる東シベリアや極東の鉱床を調査する予定だ。天然水素の採掘コストはブルー水素よりも安価になる可能性が指摘されており、そうなった場合には、水素関連ビジネスでもロシアが存在感を発揮する可能性がある。

エネルギー省によると、水素は脱炭素において最もコストがかかる方法の1つであり、水素を利用できる需要家は一部に限られる。ロシアは世界有数のアンモニア、窒素肥料、メタノールの輸出国のため、水素の最大のユーザーは製品の精製に水素を活用するガス化学産業である。石油精製業でも、水素化脱硫や水素化分解に使用される。低炭素水素は、発電機の冷却や気象観測気球への水素の充填(じゅうてん)など、使用が少量ですむ分野で伝統的に使用されている。新たに水素の利用が見込まれる分野は、(1)都市部から離れた遠隔地での利用、(2)機械類の動力源としての利用、の2つが考えられる(表4参照)。

表4:水素利用の有望な分野の例
項目 分野
遠隔地での利用
  • データセンター建設に伴うエネルギー需要対応
  • 携帯電話基地局  
機械での燃料電池の利用
  • 都市交通 
  • 旅客船
  • ロボット関連(ドローンを含む) 
  • 重量物輸送
  • 列車
  • 倉庫フォークリフト    

出所:水素エネルギーに関する国際会議  (2024年10月23日)での参加者発言からジェトロ作成

極東は水素技術開発と利用の拠点

水素関連プロジェクトの先進地域は、サハリン州を中心とする極東である。サハリン州は2025年までの州内のカーボンニュートラル達成を目指し、実証実験を行っている。実験の目的は、温室効果ガス(GHG)の排出量の測定、カーボンユニット取引手法の開発およびロシア全土への展開である。同州では「東方水素クラスター」が開発されており、2024年7月にはロシアで初めての「グリーン水素」が製造された(2024年7月29日付ビジネス短信参照、表5参照)。

同クラスターには、中国企業が参入している。2022年9月、ロスアトムの子会社であるロスアトム・オーバーシーズと中国能源建設(CEEC)は、2025年からサハリン産の低炭素水素を中国に輸出する意向を示している。液化水素をタンカーで輸送する想定だ。同プロジェクトのパートナーは、フランスの大手工業ガスメーカーであるエア・リキードであったが、同社の撤退に伴い、中国企業が参入した。

また、2023年の東方経済フォーラムにおいて、カムチャツカ地方発展公社、水素プロジェクトを開発する企業であるH2クリーンエネルギーが、カムチャツカ州のペンジンスカヤ潮力発電所を基盤とする「水素エネルギークラスター」プロジェクトの実施に関する4者協力協定に署名した。同協定は、グリーン水素およびそれを基盤としたその他の化学化合物を生産する大規模工場の設立に向けた協力を定めている。

水素の使用に関するプロジェクトの中で重視されているのは、サハリン州の「水素列車」である。同プロジェクトは、クリーンエネルギーの導入により、サハリン州での鉄道輸送の環境負荷を軽減することを目的としている。ロシア鉄道(RZD)と鉄道車両メーカーであるトランスマシホールディングが協力し、水素燃料電池を搭載した旅客列車を試験的に開発している。2026年の試験運行を経て、2028年の商業運行を目指す。特に、遠隔地や寒冷地での使用を想定し、水素技術の適用可能性が検証されている(「RBK」2024年10月2日)。

もう1つの大きなプロジェクトは、スネジンカ国際北極ステーションである。モスクワ物理工科大学(MFTI)と連携し、再生可能エネルギー源と水素のみで稼働する、完全自立型の施設を想定している(「タス通信」2023年3月10日)。

表5:ロシアにおける水素プロジェクトの例
プロジェクト名 地域 企業・団体 目的 水素の色
(生産技術)
規模
(生産量、設備容量)
稼働(予定)時期
水素プラント サハリン州 ロスアトム
ガスプロム
サハリン州政府
ロシア極東発展省 
CEEC
製造
貯蔵
輸送
ブルー 3万6,500トン/年 2029年(予定)
水素試験場 サハリン州 ロスアトム
ルスギドロ
サハリン州
ロシア教育科学省
科学研究所 
製造
貯蔵
使用
グリーン 第1段階:5立方メートル/時
第2段階:30立方メートル/時
2024年7月稼働
水素列車 サハリン州 ロシア鉄道
ロスアトム
トランスマシホールディング
使用 低炭素水素 2025年(試験走行)
2027~2028年(導入)
コラ原子力発電所 ムルマンスク州 ロスアトム 製造
使用(タービン発電機の冷却)
ピンク 200立法メートル/時 2025年 
ペンジンスカヤ潮力発電所(PPES)
水素エネルギークラスター
カムチャツカ地方 カムチャツカ地方発展公社
H2クリーンエネルギー
SEL CHEM CO., LTD
JI-TECH Co., Ltd
製造
貯蔵
使用
グリーン 液化水素(LH2)1万7,500トン、アンモニア11万5,000トン  2034年
スネジンカ国際北極ステーション ヤマロ・ネネツ
自治管区
自治管区地方政府
モスクワ物理工科大学(MFTI) 
製造
使用
グリーン n/a 2024年
(試験運転開始)

出所:各種公開情報からジェトロ作成

求められる政府の統一的な取り組み

ロシアは、低炭素電力や再生可能エネルギー資源、未稼働の設備容量、高度な技術基盤を生かし、欧州やアジアへの水素の生産供給において競争優位性を持っている。しかし、対ロシア経済制裁により欧州向けの輸出は難しくなり、潜在能力を十分に活かせない状況が続いている。

国内でも、コスト高の低炭素水素、技術の未発展、インフラの不足、低い国内需要、法制度の未整備、高い資金調達コスト、政府の支援不足、標準化の未整備などが課題となっている。ロシア科学アカデミー国家技術イニシアチブ「新・モバイルエネルギー源」コンピンテンシー・センターのアレクセイ・パエフスキー副所長は、水素エネルギーに関する国際会議の中で、ロシアの水素産業が直面する3つの主要な課題を挙げた。まず、水素を抽出するための膜技術の開発。ただし、これはすでに試験生産段階に進んでいるので、一定のめどはついているようだ。次に、数千人規模の人材不足。専門家は、科学・高等教育省の支援が不可欠と指摘する。最後に、政府による各プロジェクトの評価が不十分なこと。ロシア科学アカデミーや専門機関の知見を活用する必要がある。

問題なのは、政府の中で、水素エネルギー開発の統一された取り組みがないことだ。ロシア政府は2025年4月12日に、2050年までの新たなエネルギー戦略を発表した。この戦略では、水素製造の技術開発、水素ステーションなどのインフラ整備、水素電池の開発、政府による安全性に関する法整備や社会的環境の整備を挙げた。しかし、政府関係者から他の関係省庁の動きに対して、水素エネルギー分野への関心が不十分であるとの苦言が呈される状況でもある。政策文書は形作られても、実務レベルでは必ずしも調整が進んでいない現状がうかがわれる。

ロシアにおける水素エネルギー分野の発展は、連邦政府が水素戦略に関する統一されたビジョンを確立し、優先順位を明確化できるかどうかにかかっている。現時点では、ロシアのエネルギー政策の中で、水素は優先度が高いとは言い難い。しかしそれでも、政府は関連プロジェクトを継続し、完全には放棄していない。経済制裁下という技術面での制約を受けている状況で、ロシアは国内向けの技術・設備の国産化を推進しており、これは内需の充足には一定の効果を見せている。しかし、グローバルな市場で競争力を持つためには、国産技術だけでは不十分であり、中国や韓国などの技術も導入しなければならない。国内の調整、外国からの技術導入、国内産業の育成。それらのバランスをどうとるかが問われている。


注1:
ロシアにおける低炭素水素の定義は次のとおり(「水素エネルギー開発コンセプト」からジェトロ作成)。
  1. 再エネなどを使って、製造工程においてもCO2を排出せずにつくられた水素。グリーン水素とよばれる。
  2. 水素の製造工程で排出されたCO2を、「回収・貯留/有効利用」(CCS/CCUS)技術で回収し貯留・利用するなど製造工程のCO2排出を抑えた水素。ブルー水素とよばれる。
  3. 天然ガスの主成分であるメタンなどの炭化水素の熱分解によって生成される水素。
  4. 原子力発電による電力を用いて製造される水素。ピンク水素とよばれる。
  5. カーボンフットプリントが気候変動対策プロジェクト(排出削減またはCO2吸収量の増加)によって相殺される水素も低炭素水素とみなされる。
注2:
地中から直接採取可能な水素。
執筆者
ジェトロ調査部欧州課