背景に政府による促進策(スリランカ)
日本での就労希望者が増加中(前編)
2023年5月23日
「日本で働きたいのですが、どうすればよいでしょうか。今の給料のままスリランカで家族と生活するのは、困難なのです。日本のレストランやホテルなら、私の経験が生かせるはずです」
突如、声をかけられた。インド料理レストランで、それまで給仕してくれていた男性店員からだ。年齢は60歳前後。非常に切迫している様子が伝わってきた。その年齢で出稼ぎ労働にいかなければならないほど、経済状況が深刻なのだろう。ただ、日本語ができないとのことだった。特定技能の「飲食」や「宿泊」では日本語能力が必要とされることから、まずは日本語の学習を進めるように伝えた。
スリランカでは、ここのところ日本への就業関心が高まっているようだ。冒頭で述べたように、肌身に感じることもある。別の日には、三輪タクシーの運転手が、自身の娘の日本での就業について、路上で突然相談してきたこともあった。関心の拡大が事実ならば、なぜそうした変化が生じているのだろうか。
前編では、スリランカ政府による促進策を紹介しつつ、その背景を考察する。
経済危機を契機に、海外就労が拡大
スリランカでは、海外での就労が拡大している。海外雇用局(当地政府機関)によると、2022年に出稼ぎ労働者として出国したのは31万1,269人。過去最多を記録した。全人口の1.5%ほどに当たり、過去の内戦時代(1983~2009年)をも上回る数字だ(2023年1月20日付ビジネス短信参照)。
では、出稼ぎ労働が増加するのは、なぜか。最大の原因は、スリランカの経済危機だ(物価急上昇、燃料不足など)。経済不振から国内での生活が苦しくなるとともに、通貨スリランカ・ルピーの価値が大きく下がった。こうしたことで、相対的に海外で就労した方が多くの報酬が得られるようになった。
政府としても、海外からの送金による外貨獲得に期待をかけている。自国民の海外就労を後押しするのは、そのためだ。例えば、公務員に対して最大5年間の海外就労を認める制度を導入した。ほかにも、女性が家事労働で出稼ぎできる年齢を、一律21歳に引き下げた(注1)。
スリランカと言えば、衣料・縫製品や紅茶、観光業のイメージが強い。しかし外貨獲得源としては、2021年まで、海外からの送金がこれらを抑え、最大だった(図参照)。これが、2023年に入って盛り返したかたちだ。2023年3月の海外労働者からの送金額は5億6,830万ドル。2022年3月の3億1,840万ドルから78.5%も増加した。
政府が日本就労を積極的に後押し
こうした中で、日本で自国民が就労する機会の拡大に、スリランカ政府が力を入れている。
2023年4月上旬には、マヌーシャ・ナーナーヤッカーラ労働・海外雇用相が訪日。2022年10月に続いての訪日になる。大臣に就任したのが2022年5月。それからわずか1年足らずで2回というハイペースぶりだ。直近の訪日期間では、日本の政府機関や人材派遣・紹介企業・団体などと面談した。とくにパソナグループ(本社:東京都千代田区)との間では、日本での就労支援などに関するMOUを締結した(2023年4月18日付ビジネス短信参照)。
また、労働・海外雇用省傘下の海外雇用局は、日本語教育を推進している。狙いはもちろん、日本就労の促進だ。日本語は従来、中学校や高等学校で、選択科目の「外国語」として、一部の学校で教えられてきた(注2)。しかし、2022年8月には、中等教育課程で実施されている「技術」の科目に、新たに日本語と英語の教育を導入することが閣議決定された。併せて、「特定技能」の在留資格を取得する上で必要な介護、接客、ビル清掃、産業機械・電気電子情報関連製造業などの分野で、技術教育の促進も決定した。
日本では多くの就業機会と技術習得が期待できる
政府が自国民の日本での就労支援に乗り出した理由としては、以下が挙げられる。
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将来を含め、就業機会が期待できる
政府は特に高度な技術を有さない層に対して、海外での就労を促進しようとしている。そうした層の国民は、国内で十分な就業機会を得られていない。すなわち、雇用確保が重要な課題になっている。
片や日本は今後、生産年齢人口の縮小が想定されている。ということは、人手不足が継続すると見込まれる。そうしてみると、持続的な就業機会の確保が期待できることになる。
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技術習得への期待
スリランカでは、東南アジア諸国と比較して、日本をはじめとする先進国企業の進出が進まなかった。衣料・縫製業を例外として、技術移転が遅れているのが現実だ。日本での就業によって蓄積した技術や人材は、帰国した後も有益だ。母国での就労機会を通じ、広い意味での技術移転も期待し得る(注3)。
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開拓の余地が大きい海外労働市場
スリランカでは1970年代半ば以降、労働需要が高まった中東へ多くの出稼ぎに向かった。サウジアラビアやカタール、アラブ首長国連邦(UAE)、クウェートなどが、典型的な渡航先だった。これに合わせて、1976年、労働省に海外雇用局を設置。政府も出稼ぎを奨励するようになっていった。男性の多くは建設分野、女性は家事労働に従事してきた(注4)。
2021年時点でも、海外雇用局に登録されている出稼ぎ労働者の8割以上が中東向けだ(表参照)。ただし、特定の国に極端に集中するのは、それ自体リスク含みになる。海外での就労機会をより拡大するため、政府は現在、開拓余地が大きい各国・地域との協力を拡大しようとしている。その対象には、日本のほか、韓国やイスラエル、東欧なども含まれている。
表:2021年に海外雇用局に登録された国別出稼ぎ労働者数 順位 国名 人数(人) 全体に占める
割合(%)1 カタール 30,516 24.96 2 サウジアラビア 27,313 22.34 3 UAE 20,185 16.51 4 クウェート 12,816 10.48 5 モルディブ 7,136 5.84 6 オマーン 6,433 5.26 7 ルーマニア 3,012 2.46 8 ヨルダン 2,095 1.71 9 バーレーン 1,918 1.57 10 キプロス 1,703 1.39 15 日本 817 0.67 計 122,264 100% 出所:海外雇用局「2021年年次海外雇用統計報告 」からジェトロ作成
こうした政府の取り組みに対して、日本企業はどのように対応しているのか。後編では、日本企業の取り組みを紹介するとともに、今後の留意点について考察する。
- 注1:
- 従来、女性が家事労働で出稼ぎするのを開始できる年齢は、(1)サウジアラビアでは25歳、(2)他の中東で23歳、(3)その他の国で21歳としていた。なお、この年齢制限は、若年女性に対する虐待を防止するために導入された。
- 注2:
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2018年時点で、高等学校の外国語科目で最も人気があるのは、アラビア語。次いで日本語になっている。日本語選択者は、全体の24%に達していたという。
ケラニヤ大学で日本語教育を研究するディルクシ・ラトナヤカ氏は、(1)多くのスリランカ人が日本語ないし日本に好意を持っている、あるいは(2)シラバスの改定を通じ、日本語教育が他の外国語よりも充実してきた、ためと推察している(出所:Dilrukshi Ratnayaka「スリランカにおける日本語教育の現状 」2020年4月)。 - 注3:
- スリランカ出身のラタナーヤカ・ピヤダーサ氏は、アジア各国からの技能実習生に関して、調査を実施した。実習生の多くが専門的な技術を習得しておらず、帰国後も日本での研修とは関係ない仕事に従事していた。ただ、日本企業独自の規律や責任感などの「労働文化」を吸収する機会になったことも指摘。調査対象実習生の7割が「日本で得た資金と知識を基に、経済状況が改善した」と回答しており、日本での研修が貧困削減に貢献しているという(出所:「技能実習生たちに聞いて見えた、貧困対策としての役目/『移民大国』日本・私の提言(6)」2021年1月27日、朝日新聞)。
- 注4:
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スリランカの海外就労奨励策の歴史的展開に関する詳細については、以下を参照。
鹿毛理恵「海外就労奨励政策と経済発展の展開と課題」(荒井悦代・編『内戦後のスリランカ経済――持続的発展のための諸条件―― 』所載)、2016年3月、アジア経済研究所
日本での就労希望者が増加中
- 背景に政府による促進策(スリランカ)
- 日本企業も動く、留意点は(スリランカ)
- 執筆者紹介
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ジェトロ・コロンボ事務所長
大井 裕貴(おおい ひろき) - 2017年、ジェトロ入構。知的財産・イノベーション部貿易制度課、イノベーション・知的財産部スタートアップ支援課、海外調査部海外調査企画課、ジェトロ京都を経て現職。