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雇用規制を強化、国民の幹部登用に向けた圧力が高まる(シンガポール)

2020年11月2日

新型コロナ禍で雇用不安が高まる中、シンガポールの外国人幹部・専門職就労査証の発給基準が一段と厳格化された。同時に、国民の雇用促進インセンティブも新たに導入され、雇用主に採用活動の見直しを迫っている。この背景には、雇用環境の悪化に加えて、学歴の向上に伴って労働者としての国民の期待の変化もある。

幹部に国民登用を、厳格化を増す幹部専門職の就労査証発給基準

人材省は2020年9月1日から、外国人の幹部・専門職向け就労査証「エンプロイメント・パス(EP)」の発給基準となる最低基本月給を、これまでの3,900シンガポール・ドル(約30万4,200円、Sドル、1Sドル=約78円)から4,500Sドルに引き上げた(2020年9月3日付ビジネス短信参照)。政府は、2010年から導入した国家経済戦略に基づき、国民の労働生産性を引き上げる一方、外国人への過度な依存を抑制する政策に転換している(2011年4月5日付ビジネス短信参照)。その後、人材省は、EPに加え、外国人向けの中技能向け就労査証「Sパス」、低熟練向けの「ワーク・パミット(WP)」についても、最低基本月給や外国人雇用税の引き上げなど発給基準を段階的に引き上げてきた。EPの発給基準となる最低基本月給については、2011年6月末までは2,500Sドルだった。それが2020年9月から4,500Sドルと、この約10年で合計2,000Sドル引き上げられたことになる。

現時点のEP発給基準である最低基本月給4,500Sドルは、あくまでもEPを申請する20代の若手候補の基準だ。40歳代の中堅キャリアの場合、20代の基準値の約2倍の月給が必要になる。また、申請者が卒業した大学のレベルによっても、最低基準となる月給額も変わってくる(注)。さらに人材省は、12月1日申請分から、金融サービス部門のEPについて、発給基準となる最低月給を5,000Sドルへ引き上げる予定だ。ただし、発給基準となる最低基本月給には、基本月給と月々の住宅手当を含む固定手当も含まれる。本国から派遣する外国人駐在員は、多くが住宅手当を支給されているため、今回の最低月給基準の引き上げの影響は少ないとみられる。

しかし、雇用主に対する国民の幹部職への登用を求める「シンガポーリアン・コア(国民中心)」の圧力は高まっている。人材省は2020年8月5日、国民の幹部登用が業界平均と比べて少ないと認定した47社を、新たに「ウォッチ・リスト」(警告リスト)に加えたと発表した(2020年8月13日付ビジネス短信参照)。同省は2014年から、国民の雇用促進を目的に「公平な採用検討のためのフレームワーク(FCF)」を開始した。2015年8月以降は、政労使代表からなる「公平で革新的な雇用慣行のための政労使連合(TAFEP)」が、国民の幹部登用の少ない企業を審査している。ウォッチ・リスト入りした企業は、EP審査が通常より厳格化され、審査期間が長引くことになる。また、国民の幹部登用に向けて、人事体制を改善しなければ最悪の場合、外国人就労査証の申請権を剥奪されてしまう。ジョセフィーン・テオ人材相が2020年9月2日の国会答弁の書面回答で明らかにしたところによると、同日時点で同リスト入りしている企業は約400社に上る。その中には、日系の大手企業も含まれる。

さらに人材省は、FCFに基づき2014年8月から、EP申請前に地元人材を対象にした求人バンクへの求人広告の掲載を義務付けている。加えて、同省は2020年10月1日から、EPだけでなく、Sパス申請時も求人広告の掲載を義務づけるとともに、広告の掲載期間もそれまでの14日間から28日間に延長した。求人広告に応募した国民を選ばず、外国人を採用した場合には、その理由の説明を求められる場合もある。

新型コロナ禍で高まる雇用不安、学歴向上で増加する国民の幹部専門職

前述の通り、政府は2020年9月から外国人の雇用を厳格化したが、実際のところ、外国人労働者の数は、新型コロナウイルスの影響で減少に転じている。人材省の統計によると、外国人の就労者は2020年6月時点で135万1,800人と、2019年末時点と比べて7万5,700人減少した。このうち、EPパスの保有者が2020年6月で18万9,700人と、2019年末と比べて4,000人減少した。Sパス、WPも、それぞれ減少している(2020年10月1日付ビジネス短信参照)。しかし、リー・シェンロン首相は9月2日、国会での演説で、外国人労働者数の減少に言及した上で、「雇用市場が減速している上、地元労働力の教育や能力、所得も向上していることから、外国人の就労査証スキームを一段と調整する必要がある」と指摘した。

実際、国内の雇用環境は、新型コロナ禍で急速に悪化している。新型コロナウイルスに伴う渡航規制や職場閉鎖「サーキット・ブレーカー(4月7日~6月1日)」によって、国内経済が大きく打撃を受けた。政府は、2020年のGDP成長率が、1965年の独立以来最低になると見込んでいる。国内外の景気の急速な悪化を受け、大量解雇が相次いでいる。英国ロールス・ロイスのエンジン工場は2020年7月に約240人を解雇。シンガポール航空も9月に約2,400人の人員削減を発表した。人材省の雇用統計によると、2020年上半期の解雇者は1万1,350人に上り、2019年通年の解雇者1万690人を上回った。この解雇者のうち、幹部・専門・技術者の占める割合は1998年の19%から、2019年に61%となり、2020年上半期には47%と半数近くを占める(図1参照)。

図1:職種別解雇者の推移
1998年には、アジア経済危機が起こり、解雇者は3万2,8000人となりました。また2003年にはSARSにより1万7,260人の解雇者が発生し、2009年には世界経済危機により2万3,430人もの解雇者が発生しました。新型コロナ禍の影響により、国内の雇用環境は悪化しており、2020年上半期だけで解雇者が1万1,350人に上り、2019年通年の解雇者1万690人を上回りました。この解雇者のうち、幹部・専門・技術者の占める割合は1998年の19%から、2019年に61%、2020年上半期に47%と、半数近くを占めています。

注:解雇者は外国人労働者を含む。
出所:人材省の雇用統計からジェトロ作成

また、幹部・専門職の国民も、学歴の向上に伴って増加している。リー首相は2008年8月、公立大学への進学率を30%とする目標を設定した(2008年8月27日付ビジネス短信参照)。さらに、同首相は2012年8月には、公立大学の受け入れ枠を増やすことで、2020年までに大学進学率を40%にする目標を発表した(2012年9月4日付ビジネス短信参照)。人材省の労働力調査によると、国民(永住権者を含む)の労働者に占める大卒者の割合は1991年には6.7%だったが、2001年に17.0%、2010年に27.6%、2019年には37.5%に上昇。国民(同上)に占める幹部職・専門職・関連専門職・技術職の割合も1991年に22.8%だったが、2019年には55.4%にまで上がった(図2参照)。

図2:国民(永住権者を含む)の労働者に占める大卒者、幹部・専門職・関連専門職・技術職の割合の推移(単位:%)
国民(永住権者を含む)の労働者に占める大卒者の割合は1991年には6.7%でしたが、2001年に17.0%、2010年に27.6%、2019年に37.5%に拡大しました。国民に占める幹部職・専門職・関連専門職・技術職の割合も1991年に22.8%でしたが、2019年に55.4%にまで拡大しています。幹部・専門職の国民も学歴の工場に伴って増加していることが分かります。

注:15歳以上の国民(永住権者含む)。
出所:人材省の労働力調査からジェトロ作成

新型コロナ禍の中で2020年7月10日に実施された議会総選挙では、雇用の確保が大きな争点の1つになった。野党各党からは、外国人の中でも特にEPの発給基準強化を求める声が上がった。総選挙では、与党・人民行動党(PAP)が定数93議席中83議席を獲得して圧倒的勝利を収めた。しかし、最大野党の労働者党(WP)をはじめとする野党各党がそれぞれ得票率を伸ばす結果にもなった。選挙後の8月31日、WP書記長のプリタム・シン議員は国会演説で、TAFEPに基づく公平な採用を行わなかった雇用主への罰則強化とともに、EPとSパス申請者が申告した学歴について第三者機関による審査を自己負担で実施するよう求めた。EP保持者に対する規制強化の声は、野党だけではなく、与党議員の中からも出ている。PAPのティン・ペイリン議員は9月1日の国会演説で、国民が世界水準の学歴を持つようになる一方で、「幹部職が引き続き、地元の学卒者よりも低い学歴の外国人で占められているという話をよく聞く」と主張した。また、同党のジョアン・ペレイラ議員も同日の国会で、EPの発給基準と最低月給の引き上げを支持すると述べた。その上で、「それだけでは不足で、外国人と国民が実際にどう採用され、どのような職種に就いているか、雇用プロセスの監視を強化するべきだ」と訴えた。

リー首相、外国人雇用規制の一層の厳格化には慎重な姿勢も

こうした与野党議員の主張に対し、リー・シェンロン首相は9月2日の国会演説で、「政府は常に国民の味方だ」と強調した。ただし、リー首相は、雇用規制を調整した上で、外国人の雇用に対する一層の規制強化に関しては慎重な見解も示している。同首相はこの演説の中で、フォーチュン500入りしている大手国際企業数社が、政治的な先行き不安を理由にシンガポールへの地域統括拠点の移転を検討している、と指摘した。その上で、こうした企業がシンガポールに拠点を置くためには、「(外資が)歓迎されていると受け止め、必要な人材を連れてこられるようにしなくてはいけない」と語った。同首相は、国際統括拠点や地域統括拠点について、その制度設計上、世界中から集まった人材による、国際的なチームで運営されるべきであると述べた。「かつての日本の統括拠点のように一つの国籍者によって占有されているのではなく、あらゆる大陸から人材を集めている米企業のような統括拠点は、異なる市場や文化に対応ができる」との考えを示した。

政府は、EPの発給基準を強化する一方、国民雇用のインセンティブも新たに導入している。人材省は、2020年9月から2021年2月までに雇用主が国民(永住権者を含む)を採用した場合に、月給の25~50%を1年間にわたり補助する「雇用促進インセンティブ(JGI)」を導入。国民の採用を後押ししている。国民の採用に向けた圧力が高まる中で、雇用主は、採用の在り方の見直しを迫られている。


注:
EPとSパスの配給基準となる最低月給は、申請者の年齢、卒業した大学のレベル、経験年数によって異なる。就労査証の申請者は、事前に人材省の自己診断ツール(SAT)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますで基準に達しているか確かめることができる。
執筆者紹介
ジェトロ・シンガポール事務所 調査担当
本田 智津絵(ほんだ ちづえ)
総合流通グループ、通信社を経て、2007年にジェトロ・シンガポール事務所入構。共同著書に『マレーシア語辞典』(2007年)、『シンガポールを知るための65章』(2013年)、『シンガポール謎解き散歩』(2014年)がある。

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