ジェトロ世界貿易投資報告 2025年版
第Ⅲ章 世界の通商ルール形成の動向
第3節 世界の新たなルール形成の動き 第1項 デジタル社会のルール形成
デジタル技術の急速な進展と社会全体のデジタル化の加速を背景に、越境データ流通、個人情報保護、サイバーセキュリティなどのデータガバナンスに関する国際的なルール整備が喫緊の課題となっている。同分野では、WTOの枠組下での電子商取引に関するルール整備の動きに加え、二国間・複数国間でデジタルに特化した協定によりルールを形成しようという取り組みも進展する。また、デジタルに関する国際的な議論として、「デジタル課税」や「AI規制」も新たなトピックとして登場。これらの分野でのルール形成における動きと第2次トランプ政権の動向を報告する。
2025年に入り、EUのデジタル特化型協定2件に進捗
デジタルに特化した協定はシンガポールが主導しているものが多く、2020年頃から締結が進んだ。2025年6月時点で、シンガポールを締約国に含むデジタル特化型協定は4件が発効済み、1件が署名済み、2件が交渉中である。また、EUはシンガポール、韓国とのデジタル貿易協定の交渉を終え発効手続きを進めている状況にある(図表Ⅲ-40)。
| 状況 | 協定名 | 発効年 |
|---|---|---|
| 発効済 | シンガポール・オーストラリアデジタル経済協定 | 2020年 |
| デジタル経済パートナーシップ協定(DEPA) | 2021年 | |
| 英国・シンガポールデジタル経済協定(UKSDEA) | 2022年 | |
| 韓国・シンガポールデジタルパートナーシップ協定 | 2023年 | |
| 署名済み | EU・シンガポールデジタル貿易協定 | — |
| 交渉妥結 | 韓国・EUデジタル貿易協定 | — |
| 交渉中 | ASEANデジタル経済枠組み協定(DEFA) | — |
| EFTA・シンガポールデジタル経済協定 | — |
- 注:
- 2025年6月1日時点の情報に基づく。
- 出所:
- ジェトロ「世界のFTAデータベース」および各国・地域政府発表から作成
EUは締結済みのFTAを補完するものとしてデジタル貿易協定を進めている。2025年5月には、EU・シンガポールデジタル貿易協定(EUSDTA)が署名された。シンガポール産業貿易省によると、EUSDTAの主な特徴として、(1)自由で開かれた安全なデータ流通の実現と促進、(2)エンド・ツー・エンドのデジタル貿易の円滑化、(3)信頼のある安全なデジタルシステムの確立、(4)企業・国民のデジタル経済の機会への参加とアクセス拡大を挙げた。具体的には、(1)は、電子商取引やそのほかのデジタル化された活動のための信頼ある越境データ流通を支援するため、データを特定の場所に保存する要件の禁止を含め、企業がデータを移転できることなどをEUSDTAで約束する。(3)は市場アクセスの条件として、ソースコードの移転またはアクセスを要求しないことなどを盛り込んでいる注1 。また、韓国・EUデジタル貿易協定の交渉が、2025年3月に妥結した注2 。
そのほか、ASEANにおいては、加盟10カ国間でのデジタル経済枠組み協定(DEFA)の交渉が進んでいる。同協定はASEAN域内におけるデジタル貿易のルール・規則を調和させ、域内の電子商取引(EC)市場を2020年の1,050億ドルから2025年に3,000億ドルへ拡大させる目標を掲げる。交渉は2023年9月に開始された。2025年2月に開催された第31回ASEAN貿易円滑化共同協議会では、ASEAN事務局がDEFAに関して、同月時点で約3割の条文で合意に至ったと説明している注3 。
コスタリカが新たにDEPAに加盟へ
デジタル経済パートナーシップ協定(DEPA)は、2020年6月にチリ、ニュージーランド、シンガポールの3カ国が署名し、翌年1月より順次発効した世界初のデジタル分野特化型の多国間協定である。DEPAは加盟国間のデジタル貿易における協力を推進し、高水準なデジタルルールを保つための枠組みとして、WTO電子商取引協定を補完するものと位置付けられている。DEPAには複数国からの加盟申請が寄せられ、既に手続きが開始されている。韓国が2024年5月にDEPAに加盟、2025年1月にはコスタリカの加盟交渉が実質妥結している。その他には、2025年5月時点で、カナダ、中国、ペルーが同協定に加入するための作業部会が進行中だ。エルサルバドル、ウクライナ、UAEも正式に加盟申請を行っている注4 。
DEPAの初期加盟国の3カ国は、CPTPPの加盟国であり、DEPAは自由なデータ流通などに関してCPTPPの高水準のルールに準拠している。経済産業研究所(RIETI)発行のレポート注5 によれば、データ流通に関連するDEPA4.3条‐データの越境移転、4.4条‐データローカリゼーション措置を規律するコンピューター設備の設置要求禁止は、CPTPP条文の引用であり「これらは、CPTPPの関連義務についての確認規定で、DEPA独自の義務ではないと解される」と述べられている。では、CPTPP非加盟国である韓国の加入に際し、当該規定はどのように韓国に適用されるのか。
2024年3月にDEPAの当初加盟3カ国の間で発効した改正議定書では、これらの条項についてはCPTPPの義務を行うことの確認規定ではなく、CPTPPの条文同様の義務規定(法的拘束力あり)に改められた。これにより、韓国などのCPTPPの加盟国以外にも、DEPAのルールが適用できるように協定の一部が改正されたかたちである。CPTPP加盟国以外にもCPTPPのデジタルルールの一部やそれ以上の水準のルールを適用できる手段としてのDEPAの役割が明らかになったといえる。
デジタル課税を巡るOECDルールの整備は停滞
近年、デジタル課税は、国際的な議論を呼んでいる分野だ。デジタル課税とは、オンラインサービスを提供する多国籍企業が、恒久的施設を持たない国で収益を上げながら、当該国に税金がほとんど払われていない問題に対処するための仕組みである。オンラインのサービスとは、例えば、リモート会議サービス(ズームなど)、ストリーミングサービス(ネットフリックスなど)で見られるデジタルコンテンツ(映画など)、SNS、ECサイトなどが挙げられる。
2021年10月、経済協力開発機構(OECD)とG20による「税源浸食および利益移転(BEPS)包括的枠組み」において、「経済のデジタル化に伴う課税上の課題」への対応策として、国際的な合意が形成された。第1の柱は、デジタル課税に関連する「市場国への新たな課税権の配分」、第2の柱は、最低法人税率を規定する「グローバル・ミニマム課税」(第Ⅱ章第1節第2項参照)である。
このうち、第1の柱では、売上高が200億ユーロ(約2.6兆円)超、利益率が10%超の多国籍企業を対象に、利益の一部をサービス提供先である「市場国」に再配分する仕組みが導入される。具体的には、利益率10%を超える超過利益の25%が市場国に配分される。
2023年10月には、同内容に基づく多国間条約(MLC)の条文案が公表された。2025年1月には2024年の交渉を踏まえた条文のアップデートがOECDによって示されたが注6 、2025年7月1日時点で署名には至っていない。
各国で導入されたデジタル課税に反発する米国
フランスやスペインでは、2021年にBEPS包括的枠組みで第1の柱が合意される前から独自のデジタル課税の導入を進めていた。同年、BEPS包括的枠組み合意の直前に「デジタルサービス税法」を導入したスペインは、同税はデジタル課税をめぐる国際ルールが合意されるまでの一時的な課税との立場を示していた。2023年7月、BEPS包括的枠組み参加国145カ国のうち138カ国が、「対象多国籍企業の最終親事業体の60%以上を占める30以上の国が、2023年末前までにMLCに署名する」という条件で、少なくとも2024年末までデジタルサービス税の導入を保留していた注7 。しかし、前述のとおり第1の柱に基づく多国間条約の締結が進展しない中、米国連邦議会図書館議会調査局によると注8 19カ国がデジタルサービス税を導入した(2025年1月6日時点)。
米国は、バイデン前政権の頃から、各国が導入するデジタル課税に反対してきた。2024年8月にカナダが導入したデジタルサービス税に対しては、米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)に基づく紛争解決協議を要請した。カナダがUSMCA第15章「越境サービス」に基づいて米国企業を差別的に扱わないとした合意に抵触している、というのが米国側の主張である注9 。第2次トランプ政権発足後の2025年1月には、OECDの国際課税ルールからの離脱を発表。BEPS包括的枠組みで進められてきた課税ルール形成について、米国が参加しないことが明らかになった。トランプ大統領は、2025年2月に、「海外からの恐喝や不当な罰金・罰則から米国企業とイノベーターを守る」と題する大統領覚書を発表した。1974年通商法301条に基づくデジタルサービス税の調査再開検討などを行う内容となっている。具体的には、フランス、オーストリア、イタリア、スペイン、トルコ、英国の同税に関する301条調査を更新するかどうかを決定するなどだ注10 。なお、カナダは2025年6月29日に米国との通商交渉を理由に同税の撤回を発表した注11 。
OECDのデジタル課税の導入保留期限も過ぎ、米国がデジタル課税の国際ルール作りに参加することが見込めない。そのような状況下で、各国がデジタル課税を導入することにより、米国との新たな応酬の種が生まれている。
EUは罰金ありのAI規制を施行、米国は規制緩和へ
2025年に入ってから、中国の人工知能(AI)「ディープシーク」が米国市場で急速に注目を集め、議論を呼んだ。ディープシークが、米国の輸出管理の対象である高性能の半導体を使用したのではないかという疑惑や、ChatGPTなどを手掛ける米国オープンAIの生成AIから大量のデータを取得し学習に使用したのではないかという疑念からだ注12 。生成AIの開発・利用が急速に拡大し、AIの活用を推進するとともにその安全性を担保するためのルール作りが模索されている。AIの法規制を率先して行ってきたのは中国と米国、EUだ。米国では第2次トランプ政権が発足し、AI政策は大幅に緩和の方向に転換する見通しだ。EU、日本は関連法整備を進める(図表Ⅲ-41)。
| 国 | 法令 |
|---|---|
| 中国 |
生成人工知能サービス管理暫定弁法 (2023年8月) |
| 米国 |
人工知能に対する規制緩和を支持する大統領令 (2025年1月) |
| EU |
人工知能を包括的に規制する規則 (2025年2月2日から一部規定が先行適用) |
| 日本 |
人工知能関連技術の研究開発及び活用の推進に関する法律 (2025年5月国会で成立) |
- 注:
- 発効日順
- 出所:
- ジェトロビジネス短信および各国・地域政府発表から作成
米国のトランプ大統領は就任直後の2025年1月23日、「人工知能に対する規制緩和を支持する大統領令」を発表した。大統領令に基づく指示は大きく2つあり、(1)AIで米国のグローバルな優位性を維持・強化するための行動計画を策定し、大統領に提出すること、(2)バイデン前政権の大統領令を見直すこと、を命じるものだ。バイデン氏による大統領令は、AIの安全性評価や、公平性と公民権に関するガイダンス、AIが労働市場に与える影響に関する調査を義務付けるもので、米国で初めての法的拘束力のある行政措置とされていた注13 。バイデン前政権の政策では、先端AI技術の進歩が近い将来、国家安全保障や外交政策に重大な影響を及ぼすなどとして、開発を促進すると同時に、AIのリスク管理を求めるなどガバナンスの強化にも取り組んできた。これに対しトランプ氏は、バイデン氏の政策は「AIイノベーションを妨げ、AIの開発に過剰で不必要な規制を課す」注14 としてバイデン氏が実施した大統領令の撤回を選挙期間中より訴えてきた。第2次トランプ政権のAI政策の詳細はまだ明らかになってはいないが、一部の規制が緩和されることが予想される。
EUは、罰金制度を持ったAI規制を導入した。「人工知能を包括的に規制する規則(AI法案)」は2024年8月に発効し、2026年8月の完全施行まで2年間の猶予期間が設けられている。罰金は、最大3,500万ユーロあるいは前年度の全世界総売り上げの7%のいずれか高い方を課す。同規則は、4つのリスクに応じてそれぞれAI規制を設定しており、リスクが高いほど規制が厳しくなる。2025年2月には、禁止事項とAIリテラシーに関する義務が適用開始され、国民の安全や基本的権利の関係から「禁止されるAIシステム」(最上位のリスク)の詳細についてのガイドラインも公表された。汎用AIモデルに関するガバナンス・ルールと義務は2025年8月2日から適用される。欧州委員会は、2025年後半にも他のリスクに関するさらなるガイドラインを発表する予定。
日本では、「人工知能関連技術の研究開発及び活用の推進に関する法律」が2025年5月28日に参議院本会議で成立した。日本は、2024年4月に「AI事業者ガイドライン」を定めて方針を示していたが、今回、法律の制定に至った。同法律は、AIを「安全保障上重要なリスク」と位置づける。開発の面では、米国(約672億ドル)、中国(約78億ドル)と比較し、日本の民間投資が約7億ドルと低水準であることから、日本のAI開発を強化・促進したいという意図だ注15 。規制面では、不正な目的や不適切な方法による人工知能関連技術の開発による国民の権利利益の侵害については、調査を行い、指導や助言などの措置を講じるとする。日本の法律に罰則規定はなく、国内におけるイノベーション促進を進めながらリスク対応との両立を目指す方向だ。また、日本は、AIの国際ルール作りのため、G7議長国であった2023年に「広島AIプロセス」を立ち上げ、さらに、同プロセスの取り組みとして、広島AIプロセスに賛同する国々の枠組みとして「フレンズグループ」を立ち上げた。フレンズグループにはG7だけでなく合計64カ国(2025年5月14日時点)が参加している。2025年2月に開催された同グループの会合では、民間企業や国際機関などで構成される「広島AIプロセス・フレンズグループパートナーズコミュニティ」が設立された。同コミュニティには米国巨大テック企業のアマゾン、グーグル、マイクロソフトやオープンAIなども参加している。さらに、広島AIプロセスに関連した取り組みとして、OECDのウェブサイトで、AI関連企業のリスク管理などの情報開示を一覧できる取り組みが2025年2月に開始注16 。日本企業や米国企業などが既に提出、公開している。
注記
- 注1
- ジェトロ「シンガポールとEU、デジタル貿易協定に署名」『ビジネス短信』(2025年5月9日付)
- 注2
- 欧州委員会プレス発表(2025年3月10日付)
- 注3
- ジェトロ「ASEAN事務局、貿易円滑化に関する会合開催、DEFAの交渉進捗状況を報告」『ビジネス短信』(2025年3月6日付)
- 注4
- ニュージーランド外務貿易省“Overview of the DEPA”
- 注5
- 渡辺翔太(2024)「デジタル経済連携協定(DEPA)の意義に関する一考察」RIETI Discussion Paper Series,24-J-003
- 注6
- OECD “Pillar One Update from the Co-Chairs of the Inclusive Framework on BEPS”(2025年1月13日付)
- 注7
- OECD “Outcome Statement on the Two-Pillar Solution to Address the Tax Challenges Arising from the Digitalisation of the Economy”(2023年7月11日付)
- 注8
- 米国連邦議会“Canada’s Digital Services Tax Act: Issues Facing Congress”(2025年1月6日付)
- 注9
- ジェトロ「米USTR、カナダのデジタルサービス税に対してUSMCAに基づく協議要請」『ビジネス短信』(2024年9月2日付)
- 注10
- ジェトロ「トランプ米大統領、外国のデジタルサービス税などの調査を指示する大統領覚書を発表」『ビジネス短信』(2025年2月26日付)
- 注11
- カナダ政府財務省プレス発表(2025年6月29日付)
- 注12
- ジェトロ「中国発AIディープシークの台頭、米中AI競争の新たな火種」『ビジネス短信』(2025年1月31日付)
- 注13
- ジェトロ「トランプ米大統領、AIに対する規制緩和を指示する大統領令発表」『ビジネス短信』(2025年1月27日付)
- 注14
- 米国ホワイトハウスファクトシート“President Donald J. Trump Takes Action to Enhance America’s AI Leadership”(2025年1月23日付)
- 注15
- 内閣府「人工知能関連技術の研究開発及び活用の推進に関する法律案(AI法案)」概要(2025年2月28日)
- 注16
- OECDAI Policy Observatory “G7 reporting framework – Hiroshima AI Process (HAIP) international code of conduct for organizations developing advanced AI systems”
特記しない限り、本報告の記述は2025年6月末時点のものである。
目次
-
第Ⅰ章
世界と日本の経済・貿易 -
第Ⅱ章
世界と日本の直接投資 -
第Ⅲ章
世界の通商ルール形成の動向 -
- 第1節 世界の通商政策を巡る最新動向
- 第2節 多国間貿易体制の現状と課題
- 第3節 世界の新たなルール形成の動き
(2025年7月24日)



