特集:インフレ下の南西アジアにおける企業戦略・投資環境の再検証南西アジア投資環境に温度差
将来的な事業拡大意欲は旺盛

2023年5月18日

南西アジア主要国の成長率は高い水準で推移してきた。しかし、各国は常に経常収支赤字を抱えるマクロ経済構造を有する。日系企業の進出はインドが圧倒的で、他の主要国への進出は限定的な状況にある。通貨安とインフレが二重の打撃となり、各国の経済・ビジネス環境は悪化し、さらには一部の国での外貨準備確保のための輸入規制がより状況を厳しくする。総じて、日系企業の事業拡大意欲は強いこともあり、各国は産業構造の転換・投資誘致活動に注力することが期待される。

高成長も経常収支は赤字

インド、バングラデシュ、パキスタン、スリランカ(以下、南西アジア主要国)のここ数年の経済成長率をみると、デフォルト(債務不履行)に陥ったスリランカ以外の経済は、米中貿易摩擦、新型コロナ禍、インフレなどの経済への逆風の要素があるにもかかわらず、2020年の新型コロナ感染拡大に伴う急激な成長率の落ち込みの時期を除き、順調に成長してきている(図1参照)。外貨準備高の減少が進み、先行きが危惧されるバングラデシュ、パキスタンは比較的高い成長率を維持してきた。急速な経済成長を遂げているインドに加えて、バングラデシュ、パキスタンは多くの人口が生み出す内需が外生的ショックを和らげている。在パキスタンの日系企業からは、外貨準備高の問題は深刻ながら、「パキスタン・ルピーの経済圏は好調」との声も聞かれる。

図1:南西アジア主要国の経済成長率の推移
新型コロナに伴う事業制限があった2020年を除いて、各国はプラス成長を確保している。平均的には、インド、バングラデシュは6%程度、インドは4%程度、スリランカは3%程度の成長率となっている。

注1:成長率は、スリランカ以外は会計年度とし、インドは4~3月、バングラデシュとパキスタンは7~6月。例えば、パキスタンの「2022」との表示は2021/2022会計年度(2021年7月~2022年6月)を意味する。
注2:予測値を含む。
出所:"World Economic Outlook Database, October 2022"(IMF)から作成

内需が経済成長のエンジンとなる国が多い一方、海外需要の取り込みは各国ともに十分とは言えない。対外経済関係として、貿易構造をみると、各国ともに、近年の経常収支はおおむね赤字が続いている(図2参照)。域内大国のインドは2011年以降、経常収支の黒字を計上した年は1度しかない。国別では、パキスタンやスリランカのGDPに占める経常収支赤字比率が高い。新型コロナ禍前の2019年におけるITやソフトウエアなどサービス輸出で稼げるインドの同比率は、マイナス0.9%だった。また、郷里送金の受け取りが多いバングラデシュの同年比率もマイナス1.3%とそれほど高くない。他方、パキスタン、スリランカの赤字比率(2019年)はそれぞれマイナス4.2%、マイナス2.1%とインド、バングラデシュを上回る。南西アジア主要国は、一般的には食料品や軽工業品の輸出ウエートが大きく、機械機器の輸入が多い貿易構造となっていることで、貿易赤字を計上しやすいことが経常収支の赤字につながっている。また、原材料・資源を海外からの輸入に依存する結果、国際商品市況が高騰した場合、赤字が膨らみやすい傾向もある。

図2:南西アジア主要国のGDPに占める経常収支割合の推移
各国ともに、近年の経常収支は概ね赤字が続いている。中でも、パキスタン、スリランカの赤字比率が大きい。

注1:図1に同じ。
注2:予測値を含む。
出所:"World Economic Outlook Database, October 2022"(IMF)から作成

南西アジア主要国への日系企業の進出は、インドを除いては限定的といえる。そのインドも、2021年末の日本からインドへの直接投資残高をみると、金額は309億ドルで、タイの4割強の水準に過ぎない。各国の国別の投資をみると(表参照)、インドはシンガポールや米国、バングラデシュとパキスタンは米国や中国、スリランカはインド、英国や中国と総じて、インド以外は中国からの直接投資が存在感を示している。中国は一帯一路構想に絡んで、バングラデシュ、パキスタンやスリランカではインフラ投資を中心に存在感を高めている。他方、中国との国境紛争を抱えるインドは中国からの投資を規制していることもあり、対中投資は目立っていない。なお、いずれの国においても、日本からの投資は上位3カ国には入っていない。

表:南西アジア主要国への国別対内直接投資(上位3カ国) (単位:100万ドル、%)
順位 インド バングラデシュ パキスタン スリランカ
投資国 金額 構成比 投資国 金額 構成比 投資国 金額 構成比 投資国 金額 構成比
1 シンガポール 13,392 26.1 米国 586 20.2 中国 532 28.5 インド 161 20.6
2 モーリシャス 8,744 17.0 中国 408 14.1 米国 250 13.4 英国 151 19.3
3 米国 8,518 16.6 シンガポール 299 10.3 スイス 146 7.8 中国 77 9.8

注1:インドは実行ベース、バングラデシュ、パキスタンは国際収支ベース、スリランカは認可ベース。
注2:2021年時点とし、パキスタンのみが年度(2021/2022)。
出所:各国中央銀行、投資機関などから作成

各国通貨は減価

足元の経済情勢は、インフレや利上げなどから世界経済の不透明感が強まる中、必ずしも楽観的にはなれない。南西アジア主要国の中では、インド以外は外貨準備高が大きく減少している。特に、スリランカは2022年5月にデフォルトに陥った。こうした経済危機、もしくはそれに近い状態が起きる理由の1つが外貨準備高の減少にみることができる。図3は、各国のインフレ率の上昇要因の1つになったと考えられるロシアによるウクライナ侵攻があった2022年2月を100とした外貨準備高の状況を示している。インドの外貨準備高は減少しているものの、安定的といえる水準で推移している。他方、バングラデシュは足元では減少ペースが速まっている。事実、2023年1月にIMFは同国向けの47億ドルの融資承認を行った。スリランカは2022年以前から外貨準備高が急速に減少し始めていた。しかし、現在、外貨準備高は持ち直しつつある。進出日系企業からも「経済危機の底は過ぎた」との声も聞かれる。他方、パキスタンの状況は深刻だ。そのため、パキスタンは、デフォルトではないものの、一部企業関係者からは「実質的にはデフォルトしている」という厳しい見方もある。

図3:外貨準備の推移
2022年2月を100とした外貨準備の状況を示している。2022年12月末において、パキスタンが38.6と最も落ち込みが大きい。スリランカは92.0と減少に歯止めがかかった感がある。インド、バングラデシュの同月の値はそれぞれ88.2、73.4。

出所:各国中央銀行から作成

外貨準備高の減少は支払い能力への懸念を高めることになり、当該国から外国人投資家は資金を引き揚げる。それは、各国通貨の減価につながる。図4は、南西アジア主要国の為替レートの推移を新型コロナ禍が本格化する前の2020年初頭を100として、その後の推移を示している。主要4カ国すべてにおいて、2020年初頭比で、為替は減価している。特に、デフォルト状態にあるスリランカの為替は、同国が変動相場制に移行した2022年3月以降に、一気に下げ足を速めた。ただし、2023年3月以降は、IMFとの支援交渉が進展し、為替は持ち直しつつある。

続いて、同じく経済危機下のパキスタンの通貨安が顕著になっている。同国通貨は2023年以降に下落ペースが進んでいる。バングラデシュは2022年9月に変動相場制に移行した直後に大きく減価したものの、その後はスリランカ、パキスタンとの比較では緩やかな下落にとどまっている。外貨準備高が相対的に安定しているインドについても、通貨は緩やかな減価が進んでいる。通貨安は各国の輸入コストを引き上げる。特に、ロシアによるウクライナ侵攻の影響もあり、エネルギー・食料価格は上昇し、各国のインフレ率は近年ではまれな上昇率をみせている。そこに、通貨安が加わることで、各国経済・ビジネス活動には大きな下押し圧力がかかる。

図4:南西アジア主要国の対ドル為替レートの推移
為替レートの推移を新型コロナが本格化する前の2020年初頭を100として、その後の推移を示している。2023年3月値をみると、主要4カ国すべてにおいて、2020年初頭比で、為替は減価している。2023年3月末時点で、インドは115.4、バングラデシュは126.3、パキスタンは183.3、スリランカは179.9。※数字が大きいほど当該通貨はドルに対して減価。

注:データ取得期間は2020年初頭から2023年3月31日まで。
出所:Refinitivから作成

インフレ率は、南西アジア主要国すべてで上昇している。図5は、供給不安を引き起こした新型コロナ禍が拡大した2020年以降の南西アジア主要国のインフレ率の推移を示している。元々、高いインフレ率で推移していた中、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻以降にインフレ率は急上昇した。南西アジアの中でも、インド、バングラデシュのインフレ率は1桁にとどまる中、スリランカ、パキスタンのインフレ率は常時2桁の水準となっている。特に、スリランカにおいては、2022年第4四半期の食料品のインフレ率は前年同期比69.6%と品目全体とほぼ同じ上昇率だった。インフレ率抑制のために、各国中央銀行は政策金利を引き上げている。2022年初頭と2023年3月を比較すると、インドの政策金利は4.0%から6.5%、バングラデシュは4.75%から6.0%、パキスタンは9.75%から20.0%、スリランカは5.5%から15.5%にそれぞれ引き上げられている。政策金利の過度な引き上げは、経済成長を下押しするために、各国中央銀行は景気とインフレを見据えた難しい政策運営が求められている。

図5:南西アジア主要国のインフレ率の推移
インフレ率を2020年から2022年にかけて四半期ベースで表示している。総じて、2021年後半以降に上昇が加速している。2022年第4四半期の値は、インドは6.1%、バングラデシュは8.8%、パキスタンは25.0%、スリランカは64.9%。

出所:各国統計から作成

外貨準備高の減少防止・確保をはかるために、各国政府は輸入規制・為替管理政策を強化する。米中貿易摩擦に代表されるように、世界の通商環境は自由貿易から保護主義に傾斜する向きがある中、その流れを強めかねない動きが南西アジア主要国においても確認できる。足元で外貨準備高の減少が激しいパキスタンにおいては、日系企業が競争力を有する自動車メーカーが完全現地組立部品(CKD)の輸入ができず、生産停止に追い込まれる事態が発生している。スリランカにおいては、外貨をスリランカ・ルピーに交換する外貨管理制度が適用され、企業の管理コストが上昇するという問題が生じている。バングラデシュは、ディーゼル燃料の輸入を減らすための計画停電実施に加えて、一定金額以上の輸入には信用状(L/C)を開設する商業銀行に対して、事前に中央銀行に通知するよう通達を出すなどビジネス環境が悪化している。他方、インドについては、外貨準備高が大きく減少していないこともあり、日系企業に影響のある輸入規制は確認されていない。

通貨安に見舞われる南西アジア主要国は、サプライチェーンにおいて、現地調達比率が低いために、物価高と為替安の両面から輸入コストの上昇に直面する。ジェトロが2022年8~9月にかけて実施した「2022年度海外進出日系企業実態調査(アジア・オセアニア編)」によると、インドの現地調達率は48.7%とアジア大洋州域内では4番目に高い水準にあるものの、パキスタンは38.4%、バングラデシュは28.0%、スリランカは22.1%と相対的に現地調達率が低く、原材料・部材は国外に依存する状況となっている。サプライチェーンにおける販路については、パキスタンとインドは内需を、スリランカとバングラデシュは外需を取り込む企業が多いことがわかる(図6参照)。このため、スリランカなどでは通貨安が企業業績にプラス、という見方が日系企業からは上がっている。

図6:売上高に占める輸出の平均比率(国・地域別、0~100%で回答)
2022年8-9月に実施したアンケート調査を元に、日系企業の売上高に占める輸出高比率を示している。輸出比率50%未満を内販型、50%以上を輸出型とした場合、パキスタンは15.8%、インドは18.3%で内販型、バングラデシュは60.7%、スリランカは56.1%で輸出型となっている。

注:国名直後の括弧内の数値は、アンケート回答社数。
出所:「2022年度海外進出日系企業実態調査(アジア・オセアニア編)」(ジェトロ)から作成

コストアップ要因がビジネス環境を悪化

南西アジア主要国における進出日系企業のビジネス環境に影響を与える要因は大きく分けて3つある。第1に、インフレが挙げられる。バングラデシュ、パキスタン、スリランカでは燃料の確保に苦労する結果、計画停電を実施せざるを得なくなり、それが日系企業のビジネス環境を悪化させる。国際商品市況では、ロシアによるウクライナ侵攻などで、資源・原材料価格が上昇する中、通貨安が輸入コストをさらに引き上げる。加えて、これらの国では現地調達へのシフトも難しく、海外依存率が高くならざるを得ないために、よりコスト高となる。他方、南西アジア主要国では価格転嫁がしやすい土壌があり、企業業績はそれほど悪化していないとみられる。

第2に、人件費の上昇が挙げられる。企業は従業員の生活を守るために、人件費を増やさざるを得ない。バングラデシュの日系企業からは進出当初時の最大のメリットは人件費と考えていたところ、現状はインドの地方より人件費が上昇し、人件費に関するメリットが薄れつつあるとの声も聞かれる。スリランカの企業は、従業員にインフレ手当に該当する特別金を支給するも、こうした手当は従業員のモチベーション維持の観点からは、簡単には取りやめることができないため、実質的にはベアの引き上げになる、と人件費の上昇を懸念する。

第3に、サプライチェーンへのインパクトが指摘できる。影響を与える要因として、まずは政府の規制がある。例えば、バングラデシュ政府が実施する一定金額以上の輸入における、L/C開設銀行から中央銀行への通知義務については、日系企業から「L/C開設に時間を要す」「そもそも開設ができない」といった副次的な課題が聞かれた。パキスタンでは、輸入規制から日系企業が競争力に強みを持つ自動車の生産が停止するといった事案も生じている。政府規制以外では、スリランカでは、抜港問題からコンテナが確保できないといった課題が挙げられた。また、インドの日系企業からは、米中摩擦の余波で、顧客が中国からの調達品を忌避するといった事例も聞かれた。

外資誘致による経済底上げがカギ

経済状況について、南西アジア主要国の明暗は分かれている。アジア開発銀行(ADB)が2023年4月に発表した経済見通しによると、インドの2023年の成長率は6.4%、バングラデシュは5.3%と、世界経済が不透明感を増す中でも、堅調な成長率となっている。対照的に、パキスタン、スリランカは0.6%、マイナス3.0%と厳しい経済見通しになっている。総じて、パキスタン、スリランカのビジネス環境は厳しい。成長率は堅調ながらも、各種規制の導入がみられるバングラデシュも、決して良好とはいえない状況にある。特に、ビジネス環境が安定しているインドも含めて、各国通貨が減価している点は、現在、世界が共通で直面するインフレ問題をさらに深刻化しかねないだけに、注視を要する。

この地域におけるビジネス環境の優位性は、総じて、人口の絶対数にある。中国を抜いて、世界最多の人口を擁する国になったとみられるインドをはじめ、各国の多くの人口は労働力として産業を支える基盤となると同時に、消費者として市場を拡大する役割を担う。先のジェトロのアンケート調査においても、今後1~2年において、事業拡大を検討する在インドの日系企業は、72.5%とアジア大洋州域内では最も高い回答率になっている。バングラデシュも、71.6%と7割を超える。パキスタンは経済危機ながら、42.1%の企業が事業拡大を考えている。他方、人口が少なく、デフォルト状態にある在スリランカの日系企業の事業拡大意欲は、9.5%とアジア大洋州地域では最低の水準になった。

南西アジア主要国において、共通するマクロ上の課題は、外貨を十分に稼げる輸出産業が育っていないことにある。特に、スリランカ、パキスタン、バングラデシュは食料や繊維などの軽工業製品の輸出にとどまり、より単価の高い輸出製品を育成していくことが望まれる。インドについても、現在、政策面での後押しがあるものの、輸出で稼げる貿易構造が確立していない。高度な輸出産業に競争力があれば、通貨安も追い風となる。自国企業のみでの産業構造の高度化・転換が難しい場合には、外国企業の協力・共創が必要となる。そのためにも、各国は現在実施している過度な輸入規制はじめ各種規制を緩和することで、ビジネス環境を改善し、外国企業からの投資・技術誘致に注力する必要があるだろう。

執筆者紹介
ジェトロ調査部アジア大洋州課課長代理
新田 浩之(にった ひろゆき)
2001年、ジェトロ入構。海外調査部北米課(2008年~2011年)、同国際経済研究課(2011年~2013年)を経て、ジェトロ・クアラルンプール事務所(2013~2017年)勤務。その後、知的財産・イノベーション部イノベーション促進課(2017~2018年)を経て2018年7月より現職。