米国で遠隔医療などのデジタルヘルス市場が成長

2022年11月29日

米国の医療業界では、新型コロナウイルス感染拡大を契機に、デジタルヘルスの実用化が進んだ。人工知能(AI)やビッグデータなどを活用する技術の発展により、医療業界でデジタル技術の活用機会が拡大し、今後も長期的な成長が見込まれている。本稿では、新型コロナ禍で特に普及した米国の遠隔医療(注)市場の現状や課題、デジタルヘルス分野のスタートアップの投資動向などを紹介する。

デジタルヘルスを駆り立てる米国民の健康ニーズ

デジタルヘルスは近年、医療や健康管理の領域で世界的に注目されている。その定義は広範かつ変化しているが、一般に情報通信技術(ICT)を活用したヘルスケアサービスを指す。診療や健康維持を目的として、ウエアラブル端末などのモニタリングツール、ビデオ通話、電子カルテ、医療用モバイルアプリなど、さまざまなICTが用いられている。

米国でも、遠隔ケアやウエアラブル技術のようなデジタルヘルスのイノベーションが進展している。米国食品医薬品局(FDA)は2020年9月、医療機器・放射線保健センター(CDRH)内にデジタルヘルス技術に関する専門部署「デジタルヘルス・センター・オブ・エクセレンス(DHCoE)」を立ち上げ、モバイルヘルス機器や医療機器ソフトウエア、ウエアラブル技術などのテクノロジーの発展に焦点を当てていくことを明らかにした。

米国では、高額な医療費や経済全体に占める医療支出の高さがデジタルヘルスの発展を促す大きな要因となっている。OECDによると、2021年の米国民1人当たりの医療費(1万2,318ドル)はOECD加盟国の中で最も高く(図1参照)、米国を除くOECD諸国上位10カ国の平均は6,452ドルだった。米国の医療費は平均の約2倍に達し、深刻な社会問題となっている。

図1:OECD諸国の国民1人当たりの医療費、上位10カ国
2021年の米国の医療費は1万2,318ドルと最大。次いで、2位はドイツ(7,383ドル)、3位はスイス(7,179ドル)、4位はノルウェー(7,065ドル)、5位はオーストラリア(6,693ドル)、6位はデンマーク(6,384ドル)、7位はスウェーデン(6,262ドル)、8位はオランダ(6,190ドル)、9位はカナダ(5,905ドル)、10位はアイルランド(5,836ドル)。

注:データは直近年のものに基づく。*印は2020年のデータで、それ以外は2021年のデータ。
出所:OECDのデータを基にジェトロ作成

遠隔医療市場は896億ドル規模に達する見通し

デジタルヘルスを促進する技術革新の中でも、遠隔医療はヘルスケア産業への応用可能性が高い。また、新型コロナ禍で遠隔医療の利用は拡大した。新型コロナ禍が遠隔医療の普及に与えた影響について、医療機器メーカー・フィリップスのコネクテッドケア事業部長のロン・ジェイコブス氏は「従来、ゆっくりとしたスピードで動いてきた医療業界だったが、COVID-19(新型コロナウイルス)はイノベーションへの変化と適応を加速させた。10年かかると言われていた遠隔医療の実装がわずか3カ月で達成された」と述べている。米国での遠隔医療サービスの導入率について、2019年は入院設備のある病院で33%、外来患者用施設で45%だったが、2020年には全米の病院で約75%に急伸した。特に、ビデオ対応機能を持つプラットフォームの需要が拡大しており、ズームやシスコ・システムズが市場シェアを獲得している。

遠隔医療市場は今後もさらなる成長が見込まれている。調査会社グローバル・マーケット・インサイツは、米国の同市場は2021年から2027年にかけて毎年17.5%以上成長し、2027年には896億ドル規模に達すると推測している。最近では、大手小売業者のウォルマートが2021年5月に遠隔診療大手のミーMD(MeMD)を買収し、2019年から設置し始めた店舗併設の簡易診療所「ウォルマート・ヘルス」の拡大を目指すと発表した。また、アマゾンは2022年3月、遠隔医療分野の最大手テラドックとの連携を発表した。これにより、スマートスピーカー「アマゾンエコー」の利用者は音声アシスタント「アレクサ」を通じて、テラドックのプラットフォームに参加する医師の相談を受けられるようになった。

ミズーリ州に遠隔医療に特化した世界初のバーチャルケアセンター

米国の医療業界でデジタル技術を積極活用している病院の例として、ミズーリ州セントルイスに拠点を置くマーシーのバーチャルケアセンターがある。同センターは世界で初めて遠隔医療に特化した施設として、2015年に設立された。入院設備も来院患者も存在しないため、「病床のない病院」とも呼ばれる。同センターは遠隔医療の提供に加え、遠隔医療技術の開発、トレーニング、製品の試験などを行っている。臨床医は高性能の双方向カメラやリアルタイムの生体信号などを利用して、ほかの医療施設や自宅にいる患者を遠隔から診察する。マーシー傘下の従来型病院はアーカンソー州、カンザス州、ミズーリ州、オクラホマ州に点在しており、患者の5割以上が地方在住者だ。マーシーは同センターの遠隔医療サービスを通じて、地方在住者に大都市と同等の医療サービスを提供し、医療格差の是正に寄与している。マーシーは2019年12月に農務省(USDA)から助成金を得て、従来型病院にビデオ機器を設置し、バーチャルケアセンターを中心に従来型病院と患者を遠隔でつなげる取り組みも開始した。同社は2019年に約1万件の遠隔診療を行っていたが、新型コロナが流行して以降、その件数は80万件を超えた。同センターが提供している主な遠隔医療サービスは以下のとおり(表参照)。

表:マーシーのバーチャルケアセンターで提供する主な遠隔医療サービス
サービス名 サービス内容
vICU 全米最大級の遠隔集中治療室。5つの州にある30の集中治療室で働く医療従事者に加え、マーシーバーチャルの医師と看護師が生体信号をモニタリングすることによって、二重の患者管理を行う。
vStroke 地域の救急診療部では、多くに神経科医が配属されておらず、病院の救急診療に来訪する患者に脳卒中の症状が見られる場合、双方向オーディオとビデオを通じて即時に神経科医が診療できる。
vHospitalists 医師で構成する医療チームが遠隔医療技術を用いて24時間態勢で院内患者の診察のみを行う。必要な検査や検査結果の確認を行うことによって、治療を迅速化する。
vEngagement マーシーでは3,800人以上の患者のモニタリングを継続的に行っており、必要ならば速やかに医療介入を行う。これによって患者が入院する必要性を減少させ、患者が独立した生活をより長く送れるよう支援する。

出所:マーシーのバーチャルケアセンター

州ごとに異なる医師免許や、患者のインターネットアクセスが課題

遠隔医療は安価かつ容易に利用できるほか、来院困難な患者に医療を提供できる。また、待ち時間や医療費の削減にもつながると期待されている。他方、遠隔医療を普及させるためには、さまざまな課題を解決する必要がある。

1つ目の課題として、臨床医は州ごとに異なる医師免許を取得しなければならない。遠隔医療に従事する臨床医と患者の居住州が異なる場合、患者は継続的かつ一貫した遠隔ケアを受けられない可能性が生まれる。大半の州は新型コロナ禍の中、公衆衛生上の緊急事態を理由に、他州の医師免許を有する医師の受け入れ規制を緩和したものの、多くの州が再び規制を強化している。医師が他州で医療を行えるようにするために審査を簡素化・迅速化する州間医療ライセンス協定は存在する。しかし、簡素化しても審査に時間を要する上、30州しか同協定に参加していない。また、カリフォルニア州やニューヨーク州など大きい州が含まれていない。

2つ目の課題として、遠隔医療を必要とする多くの患者がインターネットへ十分にアクセスできない環境にある。また、民間保険や公的保険の適用範囲には制約があるため、遠隔医療の普及によって、診療費が過大に請求されたり不正行為が行われたりする点も懸念されている。

2021年、デジタルヘルス企業への資金調達が過去最高に

前述のとおり、遠隔医療が広く普及するまでにさまざまな課題が残されているものの、遠隔医療に限らず、ヘルスケア産業のデジタル化には大きな期待が寄せられている。近年、スタートアップの活躍も目覚ましい。デジタルヘルス専門ベンチャーファンドのロック・ヘルスによると、デジタルヘルス企業による資金調達が年々活発化しており、2021年には件数、金額ともに過去最高を記録した。デジタルヘルスのスタートアップによる資金調達の総額は、米国で2021年291億ドルに達し、前年比約2倍となった(図2参照)。

図2:デジタルヘルス企業による米国内資金調達額・件数推移(2011~2021年)
2011年の資金調達額・案件数は12億ドル(94件)、2012年は16億ドル(146件)、2013年は21億ドル(197件)、2014年は45億ドル(298件)、2015年は48億ドル(327件)、2016年は47億ドル(348件)、2017年は60億ドル(378件)、2018年は85億ドル(395件)、2019年は82億ドル(411件)、2020年は149億ドル(484件)、2021年は291億ドル(729件)。

出所:ロック・ヘルスのデータを基にジェトロ作成

また、2011年以降の大型案件をみると、上位5件のうち4件が2021年の案件だ。中でも、個人の健康とウェルネスの目標達成を支援するプラットフォームを提供するヌーム(Noom)の資金調達額は5億4,000万ドルに上った。このほか、遠隔医療サービスを通じて診療や医薬品の販売を行うロー(Ro)、顧客管理や決済など経営に必要な機能を備えたプラットフォームを提供するマインドボディー(Mindbody)、医療機関や医療関連のスタートアップに対しアプリケーションやソフトウエアの開発プラットフォームを提供するコミュア(Commure)なども、5億ドルを超える資金調達を実現した。

新型コロナの流行により、医療業界でデジタル技術の活用が加速した。大手医療機関のみならず、新興技術や新しいビジネスモデルに目をつけた企業とスタートアップの連携も増えており、デジタルヘルス産業により一層注目が集まるとみられる。

さらなる分析やデータについては、調査レポート「米国におけるデジタルヘルス市場動向調査(2022年3月)」を参照。

注:日本語の「遠隔医療と」いう言葉に当たる英単語の定義は定まっていない。リモートメディスン、テレメディスン、テレヘルス、バーチャルケアなどがある。さまざまな研究や情報媒体で定義されているものの、必ずしも統一されていない。一方、国立衛生研究所(NIH)や米国疾病予防管理センター(CDC)など複数の政府機関は、テレヘルスはテレメディスンよりも広範な意味を持つ用語と指摘している。

執筆者紹介
ジェトロ・ニューヨーク事務所 調査部
樫葉 さくら(かしば さくら)
2014年、英翻訳会社勤務を経てジェトロ入構。現在はニューヨークでのスタートアップ動向や米国の小売市場などをウォッチ。