在ロシア日系企業駐在員、任地へ「期限付き」で帰還

2022年8月4日

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を機に、在ロシア日系企業駐在員の多くが日本など第三国へ退避した。その後5月以降になって、一部企業の駐在員が任地ロシアへ一時帰還する例が出始めている。だが、帰還目的は拠点運営の維持に必要となる最低限の業務にとどまり、ロシア拠点での滞在期間も限られる例がほとんどだ。

ジェトロは、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から4カ月目に当たる2022年6月、ロシア拠点へ一時的に帰還した駐在員に話を聞く機会を得た。そこでは日系企業各社が、侵攻前後で大きく変わってしまったビジネス環境に対して難しいかじ取りを迫られており、それが駐在員の帰還の進展にも影響していることが浮き彫りになった。

滞在資格の維持が帰還の第一目的

ジェトロが2022年4月に公表した「ロシア・ウクライナ情勢下におけるロシア進出日系企業アンケート調査結果」(図参照)によると、アンケートに回答したロシアに拠点を持つ日系企業(111社)のうち、駐在員の一部もしくは全員を退避させた企業は全体の86%と、多くがロシア拠点から離れた状況であることが分かった。そのうち、ロシア拠点の代表者を含め駐在員全員がロシアから退避したのは全体の74.8%だった。

図:駐在員のロシア国外への退避状況
有効回答数は合計111社、製造業16社、非製造業95社。 合計111社のうち「0%(駐在員全員がロシアに残留)」と回答した企業の割合は14.4%。「50%未満」は3.6%。「50%以上」は7.2%。「100%(駐在員全員が退避)」は74.8%。 製造業16社のうち、「0%(駐在員全員がロシアに残留)」と回答した企業の割合は18.8%。「50%未満」は6.3%。「50%以上」は18.8%。「100%(駐在員全員が退避)」は56.3%。 非製造業95社のうち、「0%(駐在員全員がロシアに残留)」と回答した企業の割合は13.7%。「50%未満」は3.2%。「50%以上」は5.3%。「100%(駐在員全員が退避)」は77.9%。

出所:ジェトロ「ロシア・ウクライナ情勢下におけるロシア進出日系企業アンケート 調査結果(2022年4月)」

今回話を聞いた日系企業の駐在員は、いずれもロシア拠点代表を務める、いわゆる「現地法人社長」。ロシアに帰還した最大の理由は、ロシア拠点の管理・維持の大前提となる、現地社長の滞在資格の喪失を防ぐことが目的だった。

A社の代表は、ロシアに帰還した一番の目的を「ロシアでの労働許可の維持および査証の更新」と語った。A社代表は日本本社に対して、a.労働許可が失効することによって代表者が長期不在となることの不利益、b.治安状況が安定している間に労働許可および査証を更新する必要があるということを説明し、4週間の帰還の許可を得た。

在ロシア日系企業の駐在員は、高度熟練専門家(High Qualified Specialist:HQS)のステータスで労働許可を得て滞在している場合が多い。HQSの労働許可の取得要件は、2002年7月25日付連邦法第115-FZ号「ロシア連邦における外国人の法的地位について」の第18条に定義される。同条9項では、ロシア国外に6カ月以上滞在している場合は労働許可が取り消されるとある。ロシア拠点の現地社長の労働許可が失効してしまえば、ロシアでの滞在資格がなくなり、拠点の事業運営も困難になる。

滞在資格の維持といった目的に加え、どうしても遠隔では対応できない機微な業務を遂行するために帰還した駐在員もいる。B社の代表は、現場の安全管理の確認および人員整理の対応のために約3週間という期限つきでロシアに帰還した。現場責任者の退避が長期化する中、現場で安全管理がうまくなされているのかリモートでは細部まで確認できないことなどを懸念したためだ。また、やむなく人員整理を行うことになったことを受け、「退職する人とのやり取りはリモートではできない」と判断した。B社は、グループ会社の駐在員複数人がロシアへ帰還しているが、急きょ退避が必要になった場合に対応できるよう、帰還する駐在員の数はグループ全体で必要最小限とし、出張のローテーションが組まれている。

治安は安定しているが、駐在員をロシアへ長期帰還させる企業は一部

今回話を聞いた駐在員のロシアへの帰還期間は、明確に期限が定められている「出張型」が大勢を占めた。他方、一部だが、状況に応じて適宜滞在を延長する「滞在型」の形態をとる企業もあった。

C社の代表は、5月末に1カ月の一時渡航でロシアへ帰還した。侵攻開始当初に著しく高まった治安悪化および生活物資不足への不安がいったん落ち着いたこと、また多くの欧米民間航空の直行便が欠航となる中、トルコ航空や中東のエミレーツ航空、エティハド航空、カタール航空が安定的に運行継続していることが帰還の後押しとなった。そして現在は、現地の状況が引き続き安定していることなどから1カ月ごとに次の1カ月の一時渡航を見極める、実質「滞在型」に切り替えた。安全面では、デモの有無、前述の航空会社の運航継続、十分な生活物資、退避用航空チケットの確保などの条件を満たしていること、他方、業務面は、その必要性、取引先との関係、会社の経営状況や、労働許可、査証要件上の必要性を考慮して、滞在可否を判断する。現地社長が安全面・業務面の必要性を精査の上、日本本社に申請、承認を得る形だ。

D社代表は、2週間の「出張型」で退避先から帰還し、その後も現地の状況が安定していることから、2週間ごとに延長する形の「滞在型」に切り替えた。日本本社は事業継続の方針のもと、業務上の必要に応じ滞在延長の可否を都度判断していたが、8月以降は退避解除となる見通しだ。


2022年7月下旬のアルバート通り(ジェトロ撮影)

ジェトロ・モスクワ事務所の梅津哲也所長は「夏に入り、モスクワは良くも悪くも楽観的・開放的な雰囲気。繁華街で酔っ払いが出歩くのを見ることは多少増えたが、治安の悪化を感じることはない」という。前出のアンケートでは、退避した駐在員が任地ロシアに戻るきっかけとなり得る要因として、「外務省による危険レベルの引き下げ」(68.4%)、「停戦合意」(61.1%)と回答した割合が多かった。現状ではどちらも実現していないため、本社としては駐在員を戻すことに慎重にならざるを得ない。他方で駐在員は、現地に帰還して事業運営を安定させたいとの思いが強い。インタビューした企業からは、それら考えの溝が埋まらず、帰還の是非に関して調整が難航している、との声も聞かれる。

事業継続・撤退のいずれもリスクに

駐在員をロシアへ帰還させた日系企業は、ロシア事業の今後をどのように考えているのだろうか。ヒアリングからは、各社が日本を含む西側諸国とロシアの間で板挟みになり、身動きが取れない状況がうかがえる。

前出のA社代表は、今後しばらく「ロシア・欧米・日本の消費者および投資家に対してロシア事業を露出させない」と述べた。事業継続の素振りを見せても、撤退の動きを見せても、日系企業にとってはリスクだからだ。

継続する場合のリスクを見てみよう。現在、日本を含む欧米諸国からの対ロ制裁措置の影響から、ロシア拠点の事業運営は多方面にわたり困難な状況にある。今後も事業を継続するには、対ロ制裁に抵触しない形を模索せねばならず、場合によってはビジネスモデルの変更も余儀なくされるだろう。また、ロシアでの事業を継続することで、ロシア以外の国の消費者の間でブランドイメージを下げてしまう「レピュテーションリスク」の可能性も否定できない。在ロシア日系企業の多くは、西側諸国の制裁措置や日本・欧州からロシアへの物流が著しく停滞していることから輸出入業務を現在停止している。一部の企業は対ロ制裁に抵触しない形で別ルートを使ったロシア向け物流の再構築を検討しているが、今回のインタビューでは、それらの取り組みもレピュテーションリスクを踏まえ慎重にならざるを得ない状況であることが見受けられた。

逆に、ロシア市場から撤退することで企業が直面しうるリスクは何か。一例として、ロシアで現在審議中の、非友好国・地域(注)の企業に対して外部管理を導入する法案がある。法案が成立すると、外資系企業がロシア市場からの撤退を表明した場合などは、当該法令の対象となる可能性がある。そうなると、企業は自社の株式(持ち分)を外部管理者の信託管理に移譲するか、企業代表の権限を外部管理者へ移譲しなければならない。日本も非友好国に指定されているため、日系企業が外部管理者によって清算処理される可能性はゼロではない。

そのほか、補修・交換など製品販売後に必要なサービスを不当に提供しなかったと判断された場合、ロシアの消費者団体から裁判を起こされる恐れもある。D社代表は、ウクライナへの支援はいうまでもないが、ロシアの消費者に対してもサービスを提供しなければならない立場にある、と述べ、在ロシア日系企業が置かれた微妙な立場に苦慮している様子をにじませる。

ロシア・ビジネスの難しいかじ取りが駐在員の帰還にも影響

今回ヒアリングした事例は、拠点運営のために最低限必要な業務を行うことを目的とした期限付きの帰還が大半だった。現地の治安状況は安定しているとはいえ、ウクライナ侵攻後に日系企業や駐在員を取り巻く環境が激変し、現時点においても元に戻る兆しが見えないことが大きな要因だろう。現に、今も日本を含む西側諸国とロシア双方による制裁の応酬が続いており、従来想定していた持続的・安定的なビジネス活動が行えない状況だ。その一方で、将来的なロシア・ビジネスの回復を期待してか、韓国企業や撤退報道が目立つ欧米企業の駐在員でさえも、実際は日本企業ほど退避する駐在員は多くはない、との声もある。

在ロシア日本企業は、侵攻前後で大きく変わってしまったビジネス環境に対して、どのように自社ロシア事業を順応させるのか。各社は難しいかじ取りを迫られており、それが駐在員の帰還の進展にも影響している。


注:
ロシアに対し経済制裁など非友好的措置を講じる国および地域。連邦政府指示第430-r号(2022年3月5日付)および連邦政府指示第1980-r号(2022年7月23日付)で日本を含む48カ国・地域が指定された。
執筆者紹介
ジェトロ海外調査部欧州ロシアCIS課
菱川 奈津子(ひしかわ なつこ)
2011年、ジェトロ入構。海外調査部欧州ロシアCIS課、農林水産・食品部農林水産・食品事業推進課(商談会班)、農林水産・食品部農林水産・食品課(調査チーム)、ジェトロ・モスクワ事務所を経て2022年4月から現職。