新型コロナ感染第2波にみるインド医療事情
邦人感染者対応に奔走した日系医療サービス会社の奮闘

2021年8月17日

新型コロナウイルスのデルタ型変異株の広がりにより、日本や東南アジア諸国では、感染者が急増している。これに先駆けてインドで同変異株が猛威を振るったのが、2021年4月から5月にかけてだった。そもそもデルタ株は、インドで初めて確認されたものでもある。5月6日のピーク時には新規感染者数が40万人を超え、4月からの1カ月で新規感染者数が4倍となった。このように、短期間で急激な感染者増を招き、医療体制は事実上崩壊状態に陥った。

2020年3月から5月にかけてインド全土で厳格なロックダウンが敷かれた際、また、2021年4月から5月にかけての感染第2波の発生時、推計で日本人駐在員の7~8割が日本に退避した。その最大の理由が「医療体制への不安」だった。第2波では300人近い日本人駐在員も感染し、入院が必要となる重症者も少なからずいたもようだ。多くのインド人感染者が病院に押し寄せ、受診そのものへの不安や入院病床の確保も難しい状況だった。そうした中、インド唯一の日系医療サービス会社プレステージ・インターナショナル インディア(以下、PIインディア)は、日本人に適切な医療サービスを提供すべく奔走した。

本稿では、PIインディアの活動を通じて、コロナ感染第2波でのインドの医療事情を報告する。

「ジャパニーズヘルプデスク」で在留邦人をサポート

プレステージ・インターナショナルグループ(本社:東京都千代田区)は、アジアを中心に世界18カ国で、海外旅行保険の被保険者に対し24時間の日本語受け付けサービスやキャッシュレス・メディカルサービスを提供している。

一方でインドでは、2010年以降、日本企業の進出や在留邦人が年々増加していた。これを受けて、2017年4月、現地法人のPIインディアを設立した。その事業は、医療機関の紹介から予約、当日のアテンドサービス、受診時の通訳、検査や薬の手配、医療費用の立替など、広範なサポートに及ぶ。現在約60の医療機関と提携し、院内に「ジャパニーズヘルプデスク」を設置、日本人スタッフとインド人通訳を常駐させ、日系企業からの問い合せなどに対応している。インドには8人の日本人スタッフと17人のインド人スタッフがいる体制だ。


大手私立病院内のジャパニーズヘルプデスク・スタッフ一同(PI インディア提供)

平時でもハードル高いインドでの診療

インドは一般的に、公衆衛生の意識が不十分だ。さまざまな感染症も多く、結核大国ともいわれている。医療水準・体制も日本などの先進国に比べると改善の余地は大きい。確かに、国公立病院での治療費は安価だ。しかし、施設が古く設備も旧式、日本の衛生基準を満たしている病院はかなり少ない。そのため、在留邦人のほとんどは私立病院に行くのが一般的だ。対照的に私立病院では、先進国並みの施設や設備・備品を整えられていることが多い。欧米諸国で経験を積んだ医師も多く在籍し、診断技術は日本の医師と比較しても見劣りしないという。ただ、インド全土で医師の数は100万人強で、人口1,000人当たり0.8人と、人口比からすると圧倒的に医師が不足する。インドでは「病院」より「医師」個人の実績や信用で「かかりつけ医」を決めることが多いのも特徴だ。また、看護師の待遇が良くないことから医師以上に人材が不足し、教育も十分とは言い難い。受診時の言葉の問題や、受け付けから受診・支払いまでの手続きや仕組みは、当然、日本などと異なる。さらに、インフォームドコンセントの概念が希薄だ。外国人が単独で受診するには、ハードルが余りに高い。

このように、平時でもインドの病院で受診することは容易ではない。そうした中、コロナ感染第2波では大勢の患者がいっきに押し寄せた。日本人の受診は、困難を極めた。


完全防備で患者と接するスタッフ
(PI インディア提供)

病院に設置されたコロナ患者の受付窓口で
病院と対応するスタッフ(PI インディア提供)

第2波では医療崩壊を経験

PIインディアの山上拓也代表にインドでの感染第2波における医療状況について、7月23日に聞いた。「2020年には、日本人の罹患(りかん)者数がまだ少なかった。しかし、提携する私立の医療機関もコロナ治療の経験が浅かったため、患者への説明や提携する病院への申し入れには慎重に対応してきた。幸いにも重症化する例は極めて少なかった」という。

しかし、様相が変わってしまう。「第2波では、患者数も症状の程度もすさまじかった。医療機関での物資不足や病床逼迫が顕著な中、迅速さが求められると同時に、相当数の患者への対応を迫られた。総員総力で昼夜を問わず対応する状況が1カ月以上続いた。感染防止には細心の注意を払って対応したが、患者との接触や医療現場への立ち入りも多く、社内でも感染者が発生してしまった。そうした中、少ない人員で罹患した方を救うべく、医療機関への打診や交渉などの業務を続ける毎日だった」「特に苦労したのは病床の確保。多くの医療機関へ打診を続け、何とか受け入れ先を見つけるというケースが頻発した。先にデポジットを払い、病床を抑えたというケースもあった。しかし、ベッドがあっても酸素供給設備がないことも多かった。医療崩壊という言葉を実体験からかみ締めた時期だった」と語る。

日本とは異なる医療ビジネスの考え方

山上代表は、設立以来のインドでのビジネスと感染第2波の経験を経て、インドと日本との医療ビジネスについて2点、大きな違いを強く感じているという。

第1は「備えあれば憂いなし」という考え方だ。この言葉は日本人社会には根付いている。一方、インドではそういった考え、またそれがビジネスにも展開し得るという感覚が薄い。医療ビジネスを展開するに当たり、専門家や医療機関に対して、有事に向けた提案や顧客対応を持ちかけても関心は低い。「その時が来たら」とか「実際に需要が出てから」といった回答が多く、保証サービスの必要性などを理解してくれないケースがほとんどという。実際にコロナ感染拡大が始まってからも、第1波では医療体制が逼迫した状況にならず、第2波の直前は感染が収まっていた。そのため、第2波への備えが全くできていなかった。ところが、強烈な第2波を経験したことから、今では中央政府や州政府、医療機関も第3波に備えて、医療物資の調達やコロナ対応病棟の速やかな拡張準備など、事前の備えへの意識が確実に高まっているとのことだ。6月28日にシタラマン財務相が発表した経済対策(2021年7月1日付ビジネス短信参照)でも、医療インフラの整備、公共衛生分野の強化が重点事項となっている。

第2には、遠隔での意思疎通や協力態勢の構築が非常に難しいということだ。現場に人が赴いて対面の交渉や説明がない限り、物事が何も動かないことはインドで一般的だ。この点は、医療機関でも変わらない。何をするにも工数と時間を要する。対面接触が少なくなっている中、この課題はより深刻となった。もちろん、コロナ禍で遠隔オンライン診断などが普及して効率化が進んだ面もある。しかし、医療サービスの提供という点では課題も多い。


PIインディア事務所にて(PI インディア提供)

日本品質の医療サービス提供目指す

インドでの医療サービスでは、限られた人的資源の中でどれだけ「日本品質のサービスが提供できるか」という点がキーポイントになる。医療機関には「医療サービス」という概念はまだ希薄で、治療さえすれば良いという意識が一般的だ。PIインディアは、患者の立場になって「かゆいところにも手が届く」サービスを提供することを目指しているという。先に触れたとおり、「インド医療機関との考え方の違いからなかなか思うようにいかないことも多い。それでも、スタッフを挙げて患者と医療サイドの距離を近づけ、日本人にとってより良い医療環境になるよう努力を続けていきたい」と意欲を示した。

感染第2波のピーク時には、日本への帰国時に必要な陰性証明を得るためのPCR検査の予約が困難で、検査結果を得るのに時間がかかるケースが頻発した。そのニーズに対応して、現地の日本人会・商工会が主導するかたちで、日本人専用のPCR検査会場は設けられた(2021年5月21日付ビジネス短信参照)。ただしこれは実質的にはPIインディアの手配によるもので、同社のネットワークと経験があったからこそ実現できたといえる。さらに、7月から8月にかけて、在留邦人に確実にワクチン接種ができる態勢も構築された。そこでも同社の協力があった。


日本人専用PCR検査会場全景(PI インディア提供)

インドのカントリーリスクといえば、医療体制への不安が常に上位に挙げられる。日本レベルに達するにはまだ長い時間を要するだろう。その中で、こうした日系医療サービス機関の存在と活動は、日本企業や駐在員が安心して生活するため重要な要素になっている。

執筆者紹介
ジェトロ・ニューデリー事務所長
村橋 靖之(むらはし やすゆき)
1989年、ジェトロ入構。海外駐在はクアラルンプール事務所所員、テルアビブ事務所所長、リヤド事務所所長、イスタンブール事務所所長を経て、2019年7月から現職。