香港拠点の位置づけに冷静な経営判断を

2021年1月18日

2019年半ば以降に発生した香港の民主化デモ・抗議活動、それに続く新型コロナ禍や国家安全法の成立。これらを受け、一部のマスコミ報道では一時、香港は「死んだ」との言葉も飛び交った。

こうしたことから、2020年9月半ばの筆者の香港赴任前には周囲から心配された。しかし、香港の状況は、日本での報道を受けて想像していたものとは全く異なっていた。香港市民は、日本と変わらない日常生活を送っているのだ。


2019年デモ当時の様子
〔ぱくたそ(www.pakutaso.com)〕

2020年12月現在の同じ場所
(ジェトロ撮影)

デモ・抗議活動時の一般市民の生活

デモ・抗議活動が多く行われた時期の一般市民の生活はどのようなものだったのか。香港警察の統計からは、デモ・抗議活動が盛んだった2019年7月から2020年6月までの逮捕者数が以前と比べて増加したことを示している(図1参照)。

図1:香港の年間逮捕者数
2014年7月から2015年6月までの逮捕者数は67858。2015年7月から2016年6月までの逮捕者数は61947。2016年7月から2017年6月までの逮捕者数は59413。2017年7月から2018年6月までの逮捕者数は54258。2018年7月から2019年6月までの逮捕者数は52970。2019年7月から2020年6月までの逮捕者数は66275。

出所:香港警察公表資料からジェトロ作成

香港でデモ・抗議活動が盛んに行われ、逮捕者数が大きく増加したのが、2019年7月から2020年6月にかけてだ。この時期、市民の足として利用されている香港地下鉄(MTR)の乗車数にデモ・抗議活動が与えた影響はどのようなものだったのか。

地下鉄乗車数は2019年7月以降、前年同月比で減少し始めた。新型コロナ禍の影響を受けていない2020年1月までについてみると、地下鉄の乗車数が最も減少したのが、デモ・抗議活動が最も激しく行われた2019年10月と11月だった(図2参照)。前年同月比でともに約4,000万回減だ。この減少のうち、香港への観光客の減少(2019年10月は前年同月比で約44%減、11月は前年同月比で約56%減)に起因すると思われるものを除いて計算(注)すると、激しいデモ・抗議活動の中でも前年同月比で約86%の利用があったことになる。ショッキングな映像から想像される姿と異なり、市民生活に重大な支障が生じていたわけではない。

図2: 香港の地下鉄乗車数と観光客減少率(前年同月比)
2019年7月の地下鉄乗車数は149182000回。2019年8月の地下鉄乗車数は140181000回。2019年9月の地下鉄乗車数は136005000回。2019年10月の地下鉄乗車数は116805000回。2019年11月の地下鉄乗車数は117304000回。2019年12月の地下鉄乗車数は132659000回。2020年1月の地下鉄乗車数は124730000回。2019年7月の観光客減少率は4.8%。2019年8月の観光客減少率は39.1%。2019年9月の観光客減少率は34.2%。2019年10月の観光客減少率は43.7%。2019年11月の観光客減少率は55.9%。2019年12月の観光客減少率は51.5%。2020年1月の観光客減少率は52.7%。

出所:香港政府公表資料からジェトロ作成

香港拠点の活用方針に現地と本社の間でギャップも

ジェトロは2019年1月から、在香港日系企業に対して香港を取り巻くビジネス環境に関してアンケート調査を実施してきた。第4回(2020年7月)と第5回(同年10月)調査においては、「香港拠点の活用方針」についての問いを設けた。第5回では、第4回に比べて香港拠点を維持するとの回答が増加(35.1%→47.4%)した。ただし、既に拠点の規模縮小・機能見直し・撤退を決めている企業(合計約19%)のほか、「今後検討する可能性あり」「現時点では不明」の企業も合計約26%存在しているなど、消極的な見方が読み取れた(図3参照)。

この点に関しては、複数の当地日系企業関係者から「香港のビジネス環境に問題はないという現在の状況を報告しても日本の本社から理解を得られず、香港拠点の機能縮小やリストラを求められる」といった旨の声も聞こえてくる。これには、デモ・抗議活動の際のショッキングな映像やその後の香港に対する日本の報道が引き続き悲観的なことや、新型コロナ禍や大陸との関係などの複合的な要因があると言えるだろう。

図3:香港拠点の今後の活用方針
全体の47.4%が「これまでと変わらない」と回答。全体の19.1%が、「香港拠点の規模縮小」(12.9%)、「統括拠点としての機能の見直し」(4.5%)、「香港からの撤退」(1.7%)と回答。全体の25.8%が「今後検討する可能性あり」(15.0%)、「現時点ではわからない」(10.8%)と回答。

出所:第5回香港を取り巻くビジネス環境にかかるアンケート調査(抜粋)

中国ビジネスのゲートウエーとしての香港の地位は不変

日系企業が香港に拠点を置く理由には、簡素な税制や低税率、フリーポートとしての位置づけ、地域統括あるいはキャッシュマネジメントの拠点としての機能が挙げられる。また、シンガポールなどの都市にはない、大きな魅力として中国本土へのアクセシビリティーが挙がる。

そうした中、香港からの中国への投資も増加傾向が続いている。2019年には中国に対する投資に占める香港からの割合が約70%を占めた。このように、香港と中国本土の経済的関係はさらに強まっている(図4参照)。また、林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は2020年11月、施政方針演説で、両者の関係のさらなる強化を打ち出した。広東・香港・マカオグレーターベイエリア(粤港澳大湾区)を活用し、中国経済の成長を取り込むことを香港の今後の基本的戦略とするという(2020年12月1日付ビジネス短信参照)。

図4:香港の対中国投資額と中国の対内投資全体に占める香港の割合
2018年の香港の対中投資額は89917240000ドル。2019年の香港の対中投資額は96298940000ドル。2018年の中国の対内投資全体に占める香港の割合は66.6%。2019年の中国の対内投資全体に占める香港の割合は69.7%。

出所:2019年中国統計年鑑からジェトロ作成

今後、米中対立がさらに激化する可能性や、中長期的に国家安全法が香港でのビジネスに悪影響を与える可能性など、香港への投資はリスクを免れるわけではない。しかし、日本とは異なり高い潜在成長率を引き続き有し、香港が現在担っている金融センターとしての機能などを中国他都市が代替できる可能性も低い。そのようなことから、中国ビジネスのゲートウエーとなる香港の重要性は、少なくとも短期・中期的には変わらないと考えられる。

香港拠点の位置づけを検討するに当たっては、イメージ先行・結論ありきではなく、現地の声に耳を傾け、長期的な視点から冷静な判断が望まれる。


注:
デモ・抗議活動や新型コロナウイルスなどの影響のない2017年10月、11月と2018年10月、11月の海外からの旅行者数の変化(合計約160万人増)と地下鉄利用者数の変化(合計約1,000万回増)を比較して計算した結果、海外からの観光客1人当たり地下鉄を約6.3回利用すると概算。当概算数を基に、2019年10月と11月の地下鉄利用数の減少(合計約8000万回)のうち、観光客の減少数(合計約590万人)に起因すると思われるものを除いて計算した。
執筆者紹介
ジェトロ・香港事務所
野原 哲也(のはら てつや)
金融庁入庁後、在ニューヨーク日本総領事館出向、金融庁マクロ分析室長などを経て2020年9月から現職。