細胞培養ミルクで食料自給率向上に貢献へ(シンガポール)
スタートアップのタートルツリー・ラブス

2020年8月12日

タートルツリー・ラブス(Turtletree Labs)は、2019年創業のシンガポールのスタートアップだ。細胞から人工ミルクを培養する技術を持つ。食料の自給率向上を目指すシンガポール政府も、同社の技術に注目する。同社は、2020年のテマセク基金主催の、都市課題を解決する技術を公募する「ザ・リバビリティー・チャレンジ(The Liveability Challenge、注1)」で優勝。賞金として100万シンガポール・ドル(約7,700万円、Sドル、1Sドル=約77円)の資金を獲得した。60カ国から400件の応募があった中での優勝だった。

フェンルー・リン最高経営責任者(CEO)と、マックス・ライ・チーフストラテジストに、同社が細胞培養ミルク開発に取り組む背景、今後の展開についてインタビューした(7月22日)。なお両名は、同社の共同創業者でもある。


タートルツリー・ラブスのフェンルー・リンCEO(右)と
マックス・ライ・チーフストラテジスト(同社提供)
質問:
タートルツリー・ラブスが持つ細胞培養技術で、哺乳類動物全てのミルクをつくれるということか。
答え:
(マックス・ライ氏)そのとおり。我々のテクノロジーはプラットフォームのようなもの。羊、ヤギ、ラクダ、牛など、どのような哺乳類の細胞も培養できる。どのような製品が開発できるか、その可能性は無限だ。
質問:
どのようにミルクを培養するのか。
答え:
(フェンルー・リン氏)乳の排出後3~4時間以内に、生細胞を抽出する。それを培養して増殖させ、独自の特許技術で作成した培地に移す。そして、この乳糖成分の培地を触媒として、バイオリアクター(生体触媒を用いて生科学反応を行う装置)が、ヒトや牛の乳房のような役割を果たす。その結果、最終的にミルクを排出するというものだ。
質問:
哺乳類のミルクの中でも、乳児用のミルクから取り組むのはなぜか。
答え:
(ライ氏)我々が最初に取り組むのは、(ヒトの)母乳だ。母乳を優先する利点は、価格設定を高くできるからだ。開発間もない製品は、常にコストが高くなってしまうものだ。最初に乳児用ミルクを扱うことで、高付加価値製品に特化できる。牛乳の価格まで下げる必要がなくなるわけだ。
長期的には生産量を増やし、価格を下げることも見込んでいる。実際にそうなれば、牛乳や羊のミルクのほか、別のタイプの製品にも手を広げられるだろう。
質問:
乳児用ミルクの価格設定は。
答え:
(ライ氏)1リットル当たり35Sドル。ただ、今後、生産プロセスを効率化し、生産性を上げていく。その中で、価格は下落していく見通しだ。
質問:
リン氏は米国グーグルという大手テック会社に勤めていたと聞く。フードテックという全く異なる分野で創業した理由は。
答え:
(リン氏)テック会社で働いていたものの、実はチーズ作りが趣味だった。良いチーズを作るには、高カルシウムで高脂肪率の牛乳が必要だ。最適のミルクを求めてインドネシアやタイを探し回った。しかし、アジアで見つけるのは非常に難しかった。
その後2~3年前に、ライ氏とグーグルで出会った。未来のテクノロジーについて語り合った中で、細胞培養した肉を作る「メンフィス・ミート(Memphis Meats)」と、細胞培養のシーフードの「ブルーナルー(BlueNalu)」のことを知った。そこで、細胞培養でミルクを作れないか、と考えた。当時は細胞培養のミルクに取り組む企業はなかった。そのため、研究者の友人を何人か誘って研究した。そして昨年、手持ち資金から50万Sドルを投入して会社を設立した。今は20人のフルタイムのエンジニアや科学者がいる。特許も取得済みだ。今年は、事業を拡大する年となる。
質問:
なぜシンガポールで創業を考えたのか。
答え:
(ライ氏)私はカリフォルニア州出身だ。だとすると、なおさら資金調達の容易なサンフランシスコで設立した方が望ましいと思うかもしれない。しかし早い段階で、シンガポールを拠点とすることを決めた。なぜなら、カリフォルニアには食料不足の問題がないからだ。拠点は、必要としてもらえる場所に置く方がよい。戦略的にも、シンガポールに拠点を置く方が成長は速いと考えた。シンガポールの研究環境は良く、政府の支援もとても素晴らしい。
質問:
シンガポールではそもそも、フードテック分野が強いわけではないが。
答え:
(リン氏)確かに、シンガポールではフードテック分野はとても新しい分野だ。しかし、バイオテクノロジーの分野は進んでいる。我々がオフィスを置いているバイオポリスは、シンガポールのバイオテックのハブだ。実際、多くの製薬会社が研究拠点を置いている。政府系企業産業振興機関のエンタープライズ・シンガポール(ESG)が、こうした製薬会社を紹介してくれた。これが、事業拡大を加速できた重要な要因にもなった。
質問:
シンガポール政府からはどのよう支援を得られているのか。
答え:
(リン氏)科学技術研究庁(Aスター)と、複数のテーマで共同研究に取り組んでいる。これにより研究開発(R&D)を5~10年早めることができた。ESGは新型コロナウイルス感染拡大防止のための事業閉鎖(サーキットブレーカー)中も、必須サービスとして研究活動が継続できるように支援してくれた。シンガポール食品庁(SFA)には毎月、我々の事業の進捗状況を定期報告している。
政府は、2030年までに食料自給率30%を達成する目標を掲げている(注2)。30x30といわれるこの目標は、シンガポールにとってとても重要だ。これまで食料供給システムに何か変調が起こるたび、政府が一丸となって卵やミルクを世界中から調達する努力をしてきた。このことは、シンガポール人としてここで育ってきたからこそ、よく理解している。
質問:
今後、シンガポールでの計画は。
答え:
(リン氏)実証プラントをシンガポールに来年設置することを計画している。用地は決定済みだ。来年第4四半期の稼働を予定している。
質問:
ビジネスモデルとしては、企業へのライセンス供与か。
答え:
(リン氏)酪農会社が使用するプロセス・プラントは非常に高額だ。我々のようなスタートアップが負担できるようなものではない。我々としては、ネスレやダノン、ユニリーバのような企業に、代替手段で調達できるミルクを提供したい。企業にライセンス供与をすることで、資産を保有する負担を最小限にすることができる。
質問:
既にパートナー候補となる企業と話し合いを進めているのか。また日系企業とは話し合いをしているか。
答え:
(ライ氏)現在、大手の乳幼児用栄養食品会社の数社、酪農会社の数社と話し合いをしている。しかし、日系企業との本格的な話し合いには至っていない。
質問:
日本市場をどうみているのか、またはパートナー候補企業としてどのような分野の企業を望んでいるのか。
答え:
(ライ氏)日本は大きな市場だ。最先端の技術が生まれ、さまざまな分野で先端を行く国だ。日本にはパートナー候補となる企業が数多くある。我々の技術を提供することで、日本の企業はより持続可能な商品を開発でき、新たな収入源を得られると思う。パートナー候補の企業としては、乳製品を扱う企業だけでなく、製薬会社との提携にも関心がある。
(リン氏)また、(パートナー候補として)食品の素材を提供する会社とも組むことに関心がある。我々はミルクを培養できる。ミルクにはさまざまな成分要素がある。例えば、乳清タンパク質、脂肪、糖質などだ。これらは麺類などの製品を製造するための有望な素材になり得る。

注1:
「ザ・リバビリティ―・チャレンジ」とは、熱帯環境の都市課題を解決ための技術を公募する企画(2020年3月16日付ビジネス短信参照)。テマセク基金が2018年から毎年実施している。なお2020年の決勝ピッチコンテストは、新型コロナウイルスの影響で7月8日にオンラインで行われた。
注2:
シンガポール政府は2019年3月、2030年までに栄養ベースで自給率30%を達成する目標(30x30)を発表した。
執筆者紹介
ジェトロ・シンガポール事務所 調査担当
本田 智津絵(ほんだ ちづえ)
総合流通グループ、通信社を経て、2007年にジェトロ・シンガポール事務所入構。共同著書に『マレーシア語辞典』(2007年)、『シンガポールを知るための65章』(2013年)、『シンガポール謎解き散歩』(2014年)がある。