スタートアップ向けのビザ制度緩和でイノベーション取り込み目指す
エストニア・スタートアップの今(2)

2020年10月9日

エストニアのスタートアップ環境の魅力の1つに、スタートアップを支援する各種制度が挙げられる。エストニア政府は制度に改良を重ね、世界の起業家の注目をさらに集めようと今なお努力を続けている。本稿では、エストニアのスタートアップ関連の制度とその実情について言及する。連載の2回目。

170カ国・地域以上から申請があるEレジデンシー制度

エストニアで2014年に開始されたEレジデンシー制度は、外国人に対してエストニアの行政サービスをオンラインで提供することで、フリーランサーやノマドワーカー(注1)など、場所にとらわれない働き方を求める人や、起業家や投資家にエストニアでの法人設立を促す目的で導入された制度だ。導入後、世界中からの認知度を徐々に高め、数多くの人々が申請している。2019年末時点では170カ国・地域以上から6万人を超える電子居住者が登録されており、日本人の中にもエストニアの電子居住者の登録者がいる。エストニア政府は2025年までに世界中から1,000万人の登録を目標として掲げた。1,000万人到達にはまだまだ時間がかかるが、この制度は順調に運用されている。電子居住者が設立した会社は2019年11月に1万社を超え〔エストニア公共放送(ERR)2019年11月22日〕、法人税による税収が2019年に初めて1,000万ユーロを超えたという(ERR、2019年11月11日)。

場所にとらわれずに事業を開始する起業家に加えて、エストニアのみならず、EU市場でのビジネス活動を目的として法人を設立する起業家が多いのも同制度の特徴だ。電子居住者が設立した法人を国籍別で見ると、ウクライナ人による法人設立数が最も多く、ドイツとロシア、トルコがそれに続く(表1参照)。ウクライナやロシアはEU加盟国ではないため、エストニアで法人設立をすることでEU単一市場へのアクセスが可能になるメリットがある。また、行政手続きのデジタル化により法人設立手続きが迅速なこともメリットのひとつだ。

表1:エストニアの電子居住者および電子居住者による設立企業数

国別電子居住者数
順位 人数
1 フィンランド 5,464
2 ロシア 4,792
3 ウクライナ 4,375
4 ドイツ 4,221
5 中国 3,559
9 日本 3,186
電子居住者による国籍別企業登録数
順位 企業数
1 ウクライナ 1,025
2 ドイツ 988
3 ロシア 907
4 トルコ 712
5 フランス 686
14 日本 279

注:2020年9月28日時点。
出所:Eレジデンシーウェブサイト

電子居住者となっても銀行口座の開設は困難

Eレジデンシー制度を利用して法人設立をする上で大きな課題は銀行口座の開設だ。エストニア政府は電子居住者による銀行口座の開設を可能にする法改正を2016年11月に行っているが、エストニアの銀行はマネーロンダリングの懸念を背景に非居住者の口座開設には慎重だ。銀行は口座開設を希望する企業の取引先までリスク管理を求められるため、リスクを犯してまで口座開設に踏み切れないという状況がある。加えて、2017~2018年にダンスケ銀行(デンマーク)のエストニア支店で発生した大型マネーロンダリングスキャンダルにより、非居住者の口座開設が一層難しくなった。 エストニアに居住していないEU諸国の起業家にとっても、口座開設は起業に際して直面する課題だ。そのため、エストニア政府はエストニアだけでなく、欧州経済領域(EEA)(注2)内の銀行口座での法人登記とビジネス活動を可能とする修正法案を可決し、2019年1月から適用した。これにより、EU諸国からの対エストニア投資の機会がさらに拡大した。このように、エストニアは小国ならではの機動力を生かし、迅速に法整備を行うことで、ビジネスチャンスを逃さないようにしている。

デジタル人材確保が困難、企業流出も

エストニアのスタートアップが直面する大きな課題はもう1つある。人材確保だ。トランスファーワイズや、ボルト、パイプドライブなど急激に事業を拡大している企業が経験を積んだ優秀な人材を確保してしまい、新たなスタートアップへ人材が集まらないという事態が発生している。大型スタートアップの成功は資金調達面(前編:2020年10月9日付地域・分析レポート参照)だけでなく、人材面でも課題をもたらしている。スタートアップ・エストニアが集計しているデータベースによると、現在エストニアには1,000社を超えるスタートアップ があり(注3)、分野もフィンテックからグリーンテックまで幅広い。スタートアップで働く従業員総数は7,000人ほどいるとされており、エストニアの全労働人口(約70万人)の約1%に相当する。最も従業員数が多いスタートアップは送金アプリのトランスファーワイズで約950人、次いで、ライドシェアアプリのボルトが約500人となっているほか、これらの企業を含めた上位10社でスタートアップ従事者全体の4割を占める。

IT技術者が多いと言われているエストニアだが、人口規模が130万人と小さいため、技術者の絶対数が実は少ない。急成長するスタートアップの需要を満たす人材を確保しにくい上、市場が小さいため、成長するに伴いエストニアに本社機能を置くメリットが薄れてしまう。規模が小さいスタートアップはもちろん、成長しているスタートアップにとっても人材が確保できず、その多くが本社を国外に移す傾向の要因となっている。実際、ユニコーン4社のうち、エストニアに本社を残しているのはボルトのみだ。海外市場での成長を続けるボルトだが、海外出張などもできるだけ避け、可能な限りエストニアの拠点からテレビ会議などを利用して遠隔で海外との業務を行っている。同社は徹底したコスト削減により、本社を首都タリンに維持できているという。

2017年1月からスタートアップビザ導入

こうした人材確保の課題を踏まえ、エストニア政府はスタートアップによる人材確保を支援する措置を講じてきている。Eレジデンシー制度は滞在許可とは異なるため、電子居住者となってエストニアで法人を設立しただけでは、エストニアに住むことはできない。エストニアでは、EU域外からの外国人に発行する年間の滞在許可数を人口の0.1%以下に抑える移民割当数を定めており、それが域外の人材を採用したい企業やスタートアップにとって大きな障害となっていた。政府は2017年1月にスタートアップを取りまとめる協会「スタートアップ・エストニア(Startup Estonia)」が提言してきたスタートアップビザの制度を導入した。外国人法の改正により、スタートアップ企業での雇用はこの移民割当数から除外することとした。さらに、翌年の2018年7月、一般企業の外国人採用に関しても、高度外国人材は移民割当数から除外する修正法案を可決している 。

エストニアのスタートアップビザの特徴は、起業家だけでなく、エストニアのスタートアップで勤務する従業員にも適用できる点だ。その際は申請企業がスタートアップ委員会(注4)によってスタートアップとしての認定を受ける必要があり、認定を受けたスタートアップに雇用される従業員に滞在許可を与えるという仕組みだ。スタートアップビザ導入初年となった2017年は47カ国から325件の申請があり、そのうち140件にスタートアップ認定が下りた(表2参照)。スタートアップビザの認知度が上昇した2018年以降は応募企業の数が倍増し、現在では99カ国からの申請があるという。

表2:スタートアップビザの申請件数と認定件数の推移
項目 2017年 2018年 2019年
申請件数 325 783 985
認定件数 140 245 201

出所:Startup Estoniaウェブサイト

もちろん、同制度を悪用したビザ取得の抜け道にならないよう、スタートアップ認定の審査は厳しく行われており、認定件数が申請件数に比例して増加していないのがその証左だろう。政府はスタートアップビザがエストニアのスタートアップの継続的な成長を促進すると期待をしている。スタートアップビザの適用を受けてエストニアに移住した企業家はロシアやインド、トルコが多く、従業員としてはロシア、ブラジル、ウクライナ、インド、イランが多い。

デジタルノマドビザ導入に関する法改正を議会で可決

2020年6月3日、デジタルノマドビザ発給の要件を盛り込んだ外国人法の改正案がエストニア議会で可決された(2020年6月8日付ビジネス短信参照)。この法改正により、場所に依存しない勤務形態を取るデジタルノマドに対して、エストニアでの滞在許可が提供されることになる。つまり、海外で何らかの収入があれば、滞在期間を気にせずにエストニアで生活できるというものだ。

エストニア内務省によると、エストニアはデジタルノマドビザの枠組みを作る最初の国の1つであり、この制度が電子国家としてのエストニアのイメージを強化し、国際的により効果的な発言権を持つことを可能にするとしている。

画期的な政策の下で多くの人材を同国に引き寄せ、経済を活性化させるエストニアを今後とも注視していく必要があるだろう。


注1:
「ノマド」は遊牧民を意味し、職場を固定せず、場所を選ばない新しい働き方をする労働者のこと。
注2:
EU加盟国とノルウェー、アイスランド、リヒテンシュタイン
注3:
テクノロジーベースで革新的かつスケールアップが可能なビジネスモデルを有している企業。
注4:
エストニアのスタートアップコミュニティーから選ばれた委員によって構成される委員会。

エストニア・スタートアップの今

  1. 起業家を引きつけるエストニアのエコシステム
  2. スタートアップ向けのビザ制度緩和でイノベーション取り込み目指す
執筆者紹介
ジェトロ・ワルシャワ事務所(在エストニア)
吉戸 翼(よしと つばさ)
2018年からエストニアでジェトロのコレスポンデントとしての業務に従事。