医療データを活用するデジタルヘルスケア(イスラエル)

2020年1月24日

イスラエルでは、個人の医療データが出生時から生涯にわたり継続して電子データの形で蓄積されている。デジタル化された医療記録のビッグデータをAIや機械学習で分析し、医療サービス、健康維持などに活用するデジタルヘルス分野の取り組みが活発だ。医師・医療従事者の負担軽減、国民の健康寿命延伸、医療費の抑制など、日本の社会課題解決のため、デジタルヘルス技術やヘルスケアデータの活用が普及拡大する余地は少なくない。本稿では、デジタル医療データを活用した、イスラエルにおけるデジタルヘルスケアの現状を報告する。

ジェトロは2019年11月にイスラエルへのヘルスケア・ミッション派遣(2019年12月10日付ビジネス短信参照)を実施した。経済省や保険省、社会平等省、イノベーション庁、シバ病院外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます (ARC Innovation Center)、マッカビ(健康維持機構)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます 、デロイト・イスラエルなどを訪問・視察し、イスラエルにおける社会保険・医療政策、医療データの蓄積、データ活用事例についてレクチャーを受ける機会を設けた。

1990年代半ばから蓄積される医療データ

イスラエルには国民皆保険制度があり、医療サービスは4つの健康維持機構(HMO:Health Maintenance Organization)(注)を通じて提供される。2018年末時点でイスラエル最大のHMOのクラリットには、452万4,900人とイスラエル総人口の52.0%が加入している。以下、マッカビ(224万9,700人、25.9%)、メウヒデット(120万6,800人、13.9%)、レウミット(71万7,100人、8.2%)と続く。

表1:イスラエルのHMO加入者数 (2018年末時点)
(健康維持機構:Health Maintenance Organization)(単位:1,000人,%)
名称 クラリット
Clalit
マッカビ
Maccabi
メウヒデット
Meuchedet
レウミット
Leumit
加入者数 4524.9 2249.7 1206.8 717.1
総人口比 52.0 25.9 13.9 8.2

出所:国民保険局(National Insurance Institute of Israel)

紙ベースではなく、電子データで医療情報を記録するイスラエルの電子健康情報システム(EHR:Electric Health Record)は、統一的なデータ基盤で運用されているのが特徴だ(閲覧システムの名称はOFEKと呼ばれる)。患者の情報が生涯にわたりデータベースに保存されているため、イスラエル国内のどの病院からでも必要に応じて患者の医療データにアクセスすることができる。現行のシステムは、1990年代半ばから医療データの蓄積がある。政府は、保険省を中心に2015年からOFEKに続く次世代のプラットフォームとして、EITANと呼ばれるシステムの整備を進めている。

HMOや病院からの説明では、限られたリソースを如何に有効に活用するかという考え方が徹底されている印象を受けた。病院に行く必要がある患者に対して優先的に医療サービスを提供すること、病院に行く必要性が低い、または必要がない場合は、なるべく病院に行かなくて済むような仕組み作りが進んでいる。

例えば、患者は処方箋を受け取るためだけに医療機関に行く必要はなく、スマートフォンのアプリで処方箋発行手続きが完了する。過去の通院、処方履歴も簡単に確認することができる。

また、長年にわたって蓄積された医療データを統計的に分析することにより、病気になる可能性が高いと考えられる対象者をあらかじめスクリーニングし、病気になる前の段階で診断を受けるように促す仕組みが稼働している。医療データの分析により、遺伝や外部環境の要因による疾病を未然に防ぐだけでなく、病気の早期発見と治療、増悪防止、再発防止を実現する予防医療の先進的な取り組みとして参考になる。疾病の管理や予防的な治療、健康寿命の延伸、医療費の抑制に関して、デジタルヘルスが貢献する余地は大きい。

スタートアップ企業が関与するソリューション開発

デジタルヘルス分野でのデータ利活用では、個人情報の保護とアクセスの柔軟さのバランスが取れていることが求められる。プライバシーやセキュリティーに配慮しつつ、必要な医療データに効率的にアクセスできる環境が重要だ。

イスラエルでは、患者の個別の同意がなくても、拒否の意思表示をしない限り、医療情報を特定の第三者に提供できる「オプトアウト」方式が採用されている。外部へのデータ提供に際し、医療情報は匿名化されるものの、データの取り扱いについてはイスラエル独自のフレキシビリティーがある。このような環境の中でHMOや病院と提携し、ソリューションを開発するスタートアップの事例が出てきている。以下、企業情報を簡潔に紹介する。

表2:デジタルヘルスケア分野のスタートアップ企業 (2019年12月時点)(単位:100万ドル)
企業名 事業分野 設立年 投資
ラウンド
調達額 ウェブサイト
エーアイドック
AiDoc
CTスキャンデータの
AIによる解析
2016 ラウンドB 37.5 https://www.aidoc.com/外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます
ゼブラメディカルビジョン
Zebra Medical Vision
医療画像の
AIによる解析
2014 ラウンドC 50 https://www.zebra-med.com/外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます
エムディークローン
MDClone
医療情報
プラットフォーム
2015 ラウンドB 41.25 https://www.aidoc.com/外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます
ダートスヘルス
Datos Health
患者のリモート管理
ソフトウエア
2015 シード n.a https://www.datos-health.com/外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます

出所:各社ウェブサイト、スタートアップネイションセントラル(SNC)

エーアイドック(AiDoc)はディープラーニングを用いた画像認識技術を用い、CTスキャン画像の解析について、放射線科医の意思決定をサポートするソリューションを提供する。

頭部(頭蓋内出血)、脊椎(骨折)、胸部(肺塞栓症 気胸、肋骨骨折、肺結節)の用途については、米国食品医薬品局(FDA)の認証を受けている。 画像診断に人工知能(AI)を活用する点では、ゼブラメディカルビジョンのソリューションも同様に、大量の画像データの分析を自動化することにより、人間の視覚に頼っていた従来の方法を見直し、画像情報から病気の兆候を見落とすことを防ぐ効果が期待される。医療現場の負担を軽減する方策としての、このようなデジタルヘルスの活用がある。医療現場のプロフェッショナル向けにデジタルヘルスのソリューションを提供するマネタイズ・モデルを構築している。エムディークローン(MDClone)は、個人の医療データから疑似データを生成することで匿名化する技術を持つ。

スタートアップのデータベース、スタートアップネ-ションセントラル(Start-Up Nation Central、SNC)によると、デジタルヘルス分野にはおよそ550社のスタートアップがある(2019年12月18日時点)。SNCによると、デジタルヘルスケア分野のスタートアップは2018年に76回の資金調達ラウンドで5億1,150万ドルを調達した。2019年には8億2,240万ドル(64ラウンド、2019年12月末時点)と前年の5割増の水準となっている。2019年11月27日に開催されたデジタルヘルスケアをテーマにしたビジネスイベント「Digital.Health.Now. 2019外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます 」では、30社以上のスタートアップPDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(3MB)がブース出展し、自社のプロモーション活動に取り組んだ。イスラエル政府は「National Digital Health Plan」を策定し、デジタルヘルスを経済成長のエンジンとするため予算を重点的に投入している。

脳卒中や循環器病の対象患者が非常に多い日本では、リスク予測や適切なタイミングで予防・治療対応を実現するデジタルヘルスと親和性が高いと考えられる。そのため、デジタルヘルスを活用して健康寿命を維持するサポートを行い、病院に来る患者を減らすことが重要だが、現在の日本の医療制度の枠組みでは、「患者が病院に行かないとビジネスにならない」仕組みとなっている。

日本の医療現場では医療従事者の人手不足が深刻で、質の高い医療サービスを提供することが困難になりつつある。医師や医療従事者の負担軽減と生産性向上が遅れると、治療をタイムリーに行うことができずに重症患者が発生し、その対応で医療費が増えることが考えられる。予防の面では、病気が発症する前に適切なアドバイスや治療を行うことより国民の健康寿命を延ばすことが実現できる可能性がある。

日本の社会課題解決のためには、デジタルヘルス分野の将来性を医療や福祉の現状と課題から捉えて、どのような将来を目指していきたいかを考える必要がある。イスラエルのデジタルヘルス技術やヘルスケアデータ関連のノウハウを活用し、日本企業が持つ技術や製品、アセットとの組み合わせにより、社会課題解決につなげることが重要だ。


注:
加入者に対して傘下の医療機関で基本的な医療サービスを提供する非政府・非営利の健康保険組織。
執筆者紹介
ジェトロ・テルアビブ事務所
余田 知弘(よでん ともひろ)
1999年、ジェトロ入構。貿易開発部、海外調査部、ジェトロ・ブカレスト事務所、大阪本部を経て、2016年8月から現職。