知られざるウクライナIT産業のポテンシャル
優秀な人材と低コストに注目

2020年7月29日

約4,000万人を擁するウクライナ。旧ソビエト連邦構成国の中で、ロシアに次ぐ2番目に大きな人口を抱える。クリミア問題や東部紛争などネガティブなイメージを持たれがちな国でもある。しかし近年、IT産業が世界から注目されている。人件費が安いことに加え、IT関連の教育機関や人材が、周辺諸国と比較して豊富なためだ。

本稿では、有識者の意見を交えて、ウクライナIT産業の現状とポテンシャルについて報告する。

アウトソーシングを中心に成長続けるウクライナIT市場

ウクライナのIT産業は、1990年代初頭から発展し始めた。2010年代から、その成長は急速だ。ウクライナ投資庁によると、2018年のIT産業市場規模は約45億ドルだった(図1参照)。

図1:ウクライナIT市場規模の推移
2003年1億1,000万ドル、2004年1億6,500万ドル、2005年2億5,000万ドル、2006年3億9,000万ドル、2007年5億4,400万ドル、2008年5億3,000万ドル、2009年6億9,700万ドル、2010年8億7,400万ドル、2011年11億ドル、2012年14億ドル、2013年20億ドル、2014年23億7,900万ドル、2015年25億ドル、2016年30億ドル、2017年36億ドル、2018年45億ドル。

出所:ウクライナ投資庁

ウクライナ国内にはITクラスターが多い。クラスターが所在するのは首都のキエフだけでなく、東部のハリコフやドニプロ、西部のリビウ、南部のオデッサなどにも及ぶ。各クラスターは多くの人材や企業を擁する(図2、図3参照)。

図2:ウクライナ主要都市のIT人材数
キエフが4万人、ハリコフ2万5,000人、リビウ2万人、ドニプロ9,000人、オデッサ8,000人。

出所:ウクライナ投資庁

図3:ウクライナ主要都市のIT企業数
ハリコフ400社、キエフ300社、リビウ250社、ドニプロ170社、オデッサ150社。

出所:ウクライナ投資庁

当地IT企業の特徴は、アウトソーシングサービスを提供する企業が多いことだ。その比率は、ウクライナのIT企業全体の70%に上る(図4参照)。中でも、クラウドデータやビッグデータ、サイバーセキュリティー、人工知能(AI)などのサービスを提供する企業が多い。アウトソーシングサービス以外では、ウクライナに進出したサムスンやジーメンスなど外資系企業を親会社とする企業や、自社製品を開発するプロダクトカンパニーが、それぞれ15%ずつを占めている。

図4:ウクライナのIT企業の内訳
アウトソーシングカンパニー70%、外資系企業を親会社とする企業15%、プロダクトカンパニー15%。

出所:ウクライナ投資庁

ウクライナのIT産業を支える豊富かつ優秀な人材

ウクライナのIT産業が成長している1つの要因は、優秀なIT人材が多いことだ。旧ソ連時代のウクライナでは、核開発や原子力発電、航空宇宙分野の研究が積極的に進められていた。もとより理系教育が進んでいたわけだ。ソ連崩壊後も、その特徴は変わらない。ウクライナ投資庁によると、現在150以上の技術系の高等教育を行う大学などの教育機関が存在する。これは周辺国と比較しても多い(図5参照)。

図5:ウクライナとその周辺国のテック系高等教育機関数
ウクライナ150校、ポーランド31校、ルーマニア15校、ベラルーシ14校。

出所:ウクライナ投資庁

キエフ工科大学をはじめとする高等教育機関は、毎年多くの優秀なIT人材を輩出する。ウクライナ投資庁によると、2018年時点でウクライナのIT専門家は、18万4,000人。2025年には25万人まで増えるとされている。また、IT関連学位を持つ学生も、毎年1万6,000人輩出される。さらに、13万人がエンジニアリングの学位を取得している。これは、西欧諸国を含めた周辺国と比較しても多い水準だ(図6参照)。

図6:エンジニアリングの学位取得者数の比較
ウクライナ13万人、フランス10万5,000人、ドイツ9万3,000人、トルコ7万5,000人、英国7万1,000人、ポーランド6万6,000人、スペイン5万6,000人、イタリア4万8,000人、ルーマニア3万9,000人。

出所:ウクライナ投資庁

ウクライナでIT業界に就労する人が多い背景に、(1)IT産業の給与水準が他業界と比較して高いこと、(2)失業率が高いウクライナにいながら外国の仕事を受注して働く機会が得られること、がある。

(1)に関して、ウクライナの求人サイト「Work.ua」によると、IT産業全体の平均給与は1万5,000フリブニャ(約6万円、UAH、1UAH=約4円)だ。全職業の平均給与が1万2,000 UAHなので、25%程度高水準ということになる。各職種を給与順に並べ替えてみると、上位にはIT関連の職種が並ぶ。

(2)についてだが、ウクライナは失業率が9%前後と高い。この結果2018年時点で、全国民の約25%が国外での就労を余儀なくされている。一方で、ウクライナ投資庁のオルハ・シバク西部ウクライナ代表によると、多くのウクライナ人は国内での就労を希望している。IT産業には、コンピュータ1台とインターネット環境さえ整えば世界のどこからでもできる仕事が多い。ウクライナ国内にいながら外国の仕事を受注し、高水準の報酬を受け取れることは、特に若者にとって魅力的という。

ITだけでなく、語学が堪能な人材も多い。ウクライナIT協会(IT Ukraine Association)の日本担当窓口を務めるAGO-LA IT コンサルティング(注)の柴田裕史最高経営責任者(CEO)によると、若者を中心にウクライナ語とロシア語に加えて流ちょうな英語を話す人材が多い。また、国立キエフ大学やキエフ国立言語大学、ウクライナ日本センターでは日本語の教育が行われ、日本語を話せる者もいるという。

人件費の安さも魅力

コストの低さも外資系企業にとって大きな魅力だ。確かに、IT人材は、他の業種と比較して給与水準が高いことが多い。しかし、例えば、総務や経理など、それ以外の人件費は、高くない。各種固定費も、他国と比べて安価だ。

そのIT人材の人件費も、他国と比較すると決して高いわけではない。ウクライナ投資庁によると、ウクライナのソフトウエアエンジニアの平均給与は2万5,000ドル。これは多くの西欧諸国の約半分、米国の約4分の1だ(図7参照)。ただし、トップエンジニアをはじめとする経験豊富なエンジニアや、珍しいプログラム言語を操れるエンジニアなどへの人件費は、他国と変わらない水準となることが多い。

図7:ソフトウエアエンジニアの平均年収比較
米国10万8,000ドル、ノルウェー7万2,000ドル、デンマーク7万ドル、イスラエル6万4,000ドル、ドイツ5万4,000ドル、オーストラリア4万9,000ドル、カナダ4万8,000ドル、フランス4万1,000ドル、英国4万ドル、ウクライナ2万5,000ドル。

出所:ウクライナ投資庁

自社製品を製造販売するIT企業が今後増加するという見方も

有識者の多くは、ウクライナのIT産業は今後とも成長していくと見る。オフショア開発やR&D拠点設立などさまざまな形態で、外資系企業が続々と進出している。このような動きは、さらに加速する見込みだ。

柴田氏は、将来的に自社でIT製品を開発する企業が増加すると予想する。注目すべき企業として、以下の2社を挙げた。

  • Grammarly外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます
    AIを利用して英文の校正などを行う。米国(カリフォルニア州サンフランシスコ)で登記済み。ただし、創業者はウクライナ人で、R&Dなどの機能は今もウクライナにある。2019年に、ウクライナで2番目のユニコーン企業に認定された。
  • Ring外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます
    個人住宅のドアに付設するセキュリティーカメラを開発する。カメラに搭載された画像認識機能やAIで、来訪者を見分けることができる。2018年にアマゾンに10億ドルで買収された。ただし、オフィスは今もウクライナに所在する。

柴田氏によると、米国や西欧諸国の企業との協業などを通じて自社製品をブランディングし、世界に売り出している企業もある。日本企業がウクライナのIT企業と協業する際、オフショア開発やアウトソーシングだけでなく、ウクライナ企業の製品を日本でブランディングして世界に売り出ことで成功を収める余地もあるという。

ウクライナへの進出は可能な限り迅速に

日本の企業や団体もウクライナのIT市場に注目している。2019年5月、日本システムインテグレーションパートナー協会(JASIPA)は、ウクライナIT協会と覚書を締結した。これにより、両国の会員企業間の協業を足場に東欧含む欧州のマーケットに進出する機会を得ることや、ウクライナの高度IT人材を確保することが可能となった。

2019年10月に日本で、安倍晋三首相とゼレンスキー大統領が会談した際、首相はウクライナに日本のIT調査団を派遣することに言及した(2019年10月31日付ビジネス短信参照)。柴田氏によると、日本からのウクライナIT市場の視察ツアー件数は増加傾向にあるが、実際の進出数は他国と比較すると少ない。他国企業では、アマゾンやグーグル、華為技術(ファーウェイ)、サムスンなどの外資系企業が既にウクライナにR&Dセンターを設立。大韓貿易投資振興公社(KOTRA)によると、サムスンのR&Dセンターはエンジニアを含めて約1,400人のウクライナ人を雇用している。外資系企業からの需要は高く、今も多くの企業がウクライナのIT市場とIT人材を狙っている。優秀な人材は在学時から企業にアプローチされることも多いという。このためオルハ氏は、「進出を検討している日本企業は、可能な限り早く進出するべきだ」と訴える。


2009年キエフに設立されたサムスンの研究開発所(ジェトロ撮影)

日本とは異なるビジネス環境に注意

ウクライナでのビジネスを考える際、日本とは異なるビジネス環境に注意が必要だ。世界銀行が発表する世界のビジネス環境を調査した「Doing Business」によると、ウクライナのビジネス環境は改善傾向にある。2020年調査で、ウクライナのスコアは190カ国中64位だった(表参照)。

ただし、改善傾向にあるとはいえ、ポーランドなどの周辺国と比べ、決して高いスコアではない。特に、法体系の違いや汚職などの問題が深刻だ。ウクライナにある外資系IT企業で日本市場向け営業部門を担当するオレグ・パブリチェンコ氏は「日系企業がいきなりウクライナでビジネスを始めるのは容易ではない。初めはシステムインテグレーターなどを挟んでビジネスをしたほうが良い」とアドバイスする。

表:ビジネス環境ランキングの比較
順位 スコア
1 ニュージーランド 86.8
29 日本 78.0
40 ポーランド 76.4
49 ベラルーシ 74.3
55 ルーマニア 73.3
64 ウクライナ 70.2

出所:世界銀行

ウクライナIT市場の魅力として、柴田氏は(1)欧米諸国などで一般的な規制も、ウクライナでは導入されていない場合が多く、非常に自由なビジネスができること、(2)非常に高い技術を持っていながら、まだ知られていない企業が多くあることの2点を挙げた。あわせて、商習慣や法体系の違いはあるものの、ウクライナは世界各国のIT企業にとって「宝の山」とも述べた。

紛争やビジネスリスクのイメージが強いウクライナだが、IT産業は急速に成長している。人材面などでのメリット、ビジネス環境のデメリットなどをしっかりと考慮した上で、進出を検討するに値する市場だろう。


注:
ウクライナIT協会は、ウクライナのIT企業団体。AGO-LA IT コンサルティングは、ウクライナのIT企業視察ツアーの企画・運営、オフショアIT開発などに従事している。
執筆者紹介
ジェトロ・ワルシャワ事務所
楢橋 広基(ならはし ひろき)
2017年4月、ジェトロ入構。海外調査部中国北アジア課を経て、2019年8月から現職。