政府系ファンド、スタートアップを含むテック投資拡大(シンガポール)

2018年8月13日

シンガポール政府系投資ファンド(SWF)のGIC(旧称:シンガポール政府投資公社)とテマセク・ホールディングスは近年、ハイテクや生命科学分野のスタートアップを含む企業への投資を拡大している。両社に加え、貿易産業省管轄下の投資誘致機関の経済開発庁(EDB)傘下の投資会社EDBiも、情報通信技術(ICT)分野の先端技術や振興技術分野などへの投資に積極的だ。なぜ、政府系投資ファンドが、既存の産業をディスラプト(創造的破壊)するテック系企業への投資を加速させるかを分析する。

世界経済の先行き不透明感強まる中でも、投資を拡大

テマセクが7月10日に発表した2018年3月期の年次報告書(テマセク・レビュー)によると、同社の運用資産総額は同年3月末時点で3,080億シンガポール・ドル(約25兆2,560億円、1Sドル=約82円)と、2年連続で過去最高を更新した。前年の2017年3月期にはテマセクの新規投資総額(160億Sドル)は、世界経済危機以来初めて資産売却総額(180億Sドル)を下回っていた。これは、同社が資産価格の過熱を受けて、投資に慎重な姿勢を示していたためだ(通商弘報2017年8月9日付ビジネス短信参照)。しかし、2018年3月期の新規投資総額は290億Sドルと、資産売却総額(160億Sドル)を上回っており、再び投資を拡大している(図参照)。

図:テマセクの新規投資、持ち株売却総額の推移(単位:10億Sドル)
2010年3月期以降では初めて2017年3月期に持ち株売却額が新規投資額を上回った。しかし、2018年3月期は再び新規投資額が持ち株売却額を上回った。
注:
新規投資総額、持ち株売却総額の数値は各年の3月末時点の総額。
出所:
テマセク年次報告書

一方、GICは、具体的な運用資産総額をこれまで公表してこなかった。政府系投資ファンド研究所(SWFI、本部:米国)の世界のSWF運用資産総額ランキングによると、同社の運用資産総額は推定3,900億米ドルと、世界第8位の規模を誇る。なお、テマセクは同ランキングではGICに次ぐ第9位だ。GICとテマセクは共に、財務省管轄下にあり政府準備金(注1)を運用する。GICは海外に限定して、株式や債券、不動産などを中心に投資し、長期運用している。一方、テマセクは当初、国内の政府系企業の持ち株会社としての役割のみになっていたが、2002年からは国外で積極的に投資を展開している。このほか、EDBの下にあるEDBiは、ヘルスケア、ICT、イノベーティブな技術、物流や消費財など国内経済に貢献するような戦略的成長分野に投資している。

テマセク:テックや生命科学など成長分野の投資比率が26%に

テマセクは2011年以降、テククノロジー、生命科学、アグリビジネス、ノンバンクの金融サービス、消費者向けサービスと、成長が見込まれる5分野への投資を拡大している。この結果、同社ポートフォリオに占める同分野の投資比率は2018年3月末時点で26%と、5年前の5%から大きく拡大した。テマセク傘下には国内では最大級のベンチャーキャピタル(VC)のバーテックス・ベンチャーズがあり、東南アジア最大の配車アプリであるグラブ(本社:シンガポール)への出資など、創業間もないテック系スタートアップへの投資にも積極的だ。

テマセクは2018年3月期も、これら5分野への投資を積極化した。同期の新規投資総額290億Sドルのうち同5分野の投資総額が130億Sドルと、半分近くを占めた。テマセクの同期の主な投資例としては、2017年5月に中国で遺伝子テストを消費者向けに提供する米WuXi NextCODEに対する投資がある。本投資は中国のプライベートイクイティー会社などとの総額7,500万米ドルに上る共同出資だ。また、同年同月には、テマセク傘下のバーテックス・ベンチャーズが、がん治療創薬の米バイオ系スタートアップ、パレオン・ファーマスーティカルによる総額4,760万米ドルの「シリーズA」資金調達(注2)に参画した。このほか、同年10月には拡張現実(AR)端末を製造する米マジック・リープの総額5億200万米ドルの「シリーズD」の資金調達に、テマセクとEDBiが参画している(テマセクとGICによる2017年4月以降の主な新興分野の投資案件は表1参照)。

表1:2017年4月以降にテマセク・ホールディングス、GIC、EDBIが実施したテックやライフサイエンスなど「成長分野」への主な投資案件
分野 投資会社 年月 投資先(国) 概要
テクノロジー系 テマセク、EDBI 2017年10月 マジック・リープ (米フロリダ) 米拡張現実(AR)端末を開発する同社の総額5億200万SドルのシリーズD資金調達に、テマセクとEDBIなどが参画。
GIC 2018年3月 オックスフォード・ナノポアテクノロジーズ (英オックスフォード) ポータブルなDNA解析装置を開発する同社の総額1億英ポンドの資金調達に参画。
EDBI 2018年6月 パペット (米オレゴン) 自動化ソフトを開発する同社の総額4,200万米ドルのシリーズF資金調達に、EDBIが参画。
ライフサイエンス テマセク 2017年5月 WuXi NextCODE  (米ケンブリッジ) 中国で消費者向け遺伝子テストを提供する同社のシリーズB資金調達に、中国のジャック・マー氏経営のプライベートイクイティー会社とテマセク率いる投資家らが、総額7500万米ドルを投資。
テマセク 2017年5月 パレオン・ファーマスーティカル(米マサチューセッツ) がん治療創薬をてがける同社の総額4,760万米ドルのシリーズA資金調達に、テマセクのベンチャーキャピタル子会社バーテック・ベンチャーズが参画。
テマセク、EDBI 2017年12月 テッサ・セラピューティクス(シンガポール) がん治療を専門とするバイオ医薬会社の同社に、テマセクとテマセク傘下のヘリコニア・キャピタル、EDBIなどが総額8,000万米ドル投資。
テマセク、EDBI 2018年1月 ペア・セラピューティクス (米ボストン) メンタルヘルスを対象とするデジタル診療を提供する同社の総額5,000万米ドルのシリーズB資金調達に、テマセクとEDBI参画。
アグリビジネス テマセク 2017年5月、2018年4月 インポッシブル・フーズ (米カリフォルニア) 米国で植物由来の食肉を製造する同社に2017年7月、テマセク率いる投資家が総額7,500万米ドルを投資。テマセクは2018年4月の、同社の総額1億4,000万米ドルの転換社債による資金調達にも参画。
テマセク 2018年3月 パーフェクト・デー (米カリフォルニア) 米国で酵母を利用した牛乳を製造する同社の総額2,470万米ドルのシリーズA資金調達に参画。
ノンバンク金融サービス GIC 2017年12月 アファーム(米カリフォルニア) 個々の消費者のニーズに合った融資サービスを提供する同社の総額2億米ドルのシリーズE資金調達に参画。
GIC、 テマセク 2018年6月 アント・フィナンシャル (中国) アリババ集団傘下の金融会社である同社の総額140億米ドルのシリーズC資金調達に、GICとテマセクが参画。
出所:
各社報道発表、地元紙報道から作成

GIC:テック投資専門チームをイノベーション拠点に配置

一方、GICの投資ポートフォリオに占めるテック投資は、比較的小さい。同社のリム・チョーキアットCEO(最高経営責任者)は、「ビジネス・タイムズ」紙とのインタビューで、資産ポートフォリオをより安定した不動産などへ分散化しており、「さまざまな経済環境を乗り越えるため、とてもバランスの取れた資産構成となっている」と説明していた(同紙2018年3月23日)。GICの2018年3月期年次報告書(7月13日発表)によると、同社の資産ポートフォリオに占める公開株の割合は40%、未公開株(インフラを含む)は11%を占める(表2参照)。ただ、同社は2017年1月、「テクノロジー投資グループ(TIG)」という専門チームを新たに設け、米シリコンバレー、中国とインドにオフィスを設置し、テック系スタートアップなどへの投資を本格化させている。

表2:GICの2018年3月末時点の資産別内訳
公開株 先進国 23%
新興国 17%
債券 名目債券・現金 37%
インフレ連動債券 5%
代替投資 不動産 7%
未公開株式・インフラ 11%
合計 100%
出所:
GIC年次報告書

GICの2018年3月期の年次報告書によると、GICはテック系企業の創業期(シード期)から、成長期、IPO(新規株式公開)と、全ての成長段階で投資を実行している。2018年3月期の代表的なテック系企業の投資事例としては、消費者一人一人のニーズに合った融資を提供している米アファームへの投資がある。GICのTIGがシリコンバレーや北京などイノベーション拠点にオフィスを設置するのは、有望な投資機会を探るためだ。GICは2017年12月、アファームへの総額2億米ドルに上るシリーズEの資金調達に参画した。TIG主任を務めるジェレミー・クランズ氏の「ビジネス・タイムズ」紙とのインタビューによると、アファームは既に成熟したテック企業だが、GICは同社の創業段階から創業者と接触していたという(同紙2018年3月23日)。

新興テック分野の投資で、既存ポートフォリオ企業のデジタル化促進へ

テマセクは今後、同社の投資方針を決めるトレンドとして、(1)高齢化、(2)消費力の拡大、(3)持続可能な生活、(4)スマートなシステム、(5)シェア型経済(シェアリング・エコノミー)、(6)コネクテッド化する(ネットワークにつながる)社会、の6つを掲げており、そうしたテーマに基づいた投資を既に実行している。例えば、シェア型経済の分野では、テマセクは2018年1月、米グーグルと飲食店の評価や、宅配サービスを提供する中国の美団点評などと共同で、インドネシアの配車・電子決済アプリのゴジェックに、総額12億米ドルの投資をしている(6つのテーマに基づく最近の投資事例は表3のとおり)。

表3:テマセクの6つの投資テーマと主な投資先
投資テーマ 投資先 (国)
(1)高齢化
  • デナリ・セラピューティクス
    (米サンフランシスコ、バイオ医薬)
  • ACイミューン
    (スイス・ローザンヌ、バイオ医薬)
(2)消費力の拡大
  • 17ZUOYE(一起作業)
    (中国・北京、オンライン教育)
  • シートリップ (中国・上海、オンライン旅行)
(3)持続可能な生活
  • NIO
    (中国・上海、電気自動車(EV))
  • インポッシブル・フーズ
    (米カリフォルニア)
(4)スマートなシステム
  • グローバル・ヘルスケア・エクスチェンジ(GHX)
    (米コロラド、ヘルスケア向けサプライチェーンソリューション)
  • インタップ
    (米カリフォルニア、法律テック)
(5)シェア型経済
  • ゴジェック(Go-jek)
    (インドネシア、配車・電子決済アプリ)
  • エアビーアンドビー(AirBnB)
    (米サンフランシスコ、民泊)
(6)コネクテッド化する(ネットワークにつながる)社会
  • ベリリー・ライフサイエンシズ (旧グーグル・ライフサイエンシズ)
    (米サンフランシスコ)
  • ブルージェイ・ソリューションズ
    (米マサチューセッツ、物流サプライチェーン・ソフト)
出所:
テマセク2018年3月期年次報告書

テマセクとGICが、既存産業に大きな影響を与える可能性のあるテック系企業に投資するのは、両社のポートフォリオにある既存企業を守る狙いもあるようだ。テマセクのプン・チンイー金融サービス主任は7月10日の会見で、こうした新興分野の起業間もないスタートアップに投資している理由として、「(資産ポートフォリオにある)企業にインパクトを与える可能性のあるデジタル・ディスラプション(創造的破壊)を理解したいからだ」と述べた。同主任によると、同社の資産ポートフォリオの既存企業がより良いサービスを提供するため、投資した一部の創業初期の企業を既存企業に紹介している事例もあるという。例えば、テマセクが2014年12月に投資した、オランダのeコマースを専門とする国際決済会社アディアン(Adyen)を、テマセクの既存のポートフォリオ企業に紹介した。一方、アディアンはテマセクの投資をきっかけとして、シンガポールのテマセク傘下の複合企業セムコープ・インダストリーズのビル内に、アジア太平洋統括本部を設置した。プン主任は「テマセクのポートフォリオ企業を紹介したことが、アディアンのアジアでの事業拡大の一助となった」と指摘した。

GICも、既存産業に打撃を与えるような新興テック系企業に投資するメリットについて、年次報告書の中で、「ポートフォリオにある企業が直面する機会や危機を、より理解するためだ」と述べる。同社は、テクノロジーの変化に対して、ポートフォリオの既存企業と共に対応することによって「資産ポートフォリオの価値を守っている」と述べた。


注1:
政府準備金の運用機関としては、GICとテマセクのほか、通貨金融庁(MAS、中央銀行に相当)がある。MASは、外貨準備高を用いて為替市場に介入。MASの資産ポートフォリオの大半は流動性の高い金融資産で占められる。
注2:
スタートアップの資金調達には、起業時のシード・ラウンド、その後1回目の資金調達を「シリーズA」、2回目を「シリーズB」、3回目を「シリーズC」と呼んでいく。
執筆者紹介
ジェトロ・シンガポール事務所 調査担当
本田 智津絵(ほんだ ちづえ)
総合流通グループ、通信社を経て、2007年にジェトロ・シンガポール事務所入構。共同著書に『マレーシア語辞典』(2007年)、『シンガポールを知るための65章』(2013年)、『シンガポール謎解き散歩』(2014年)がある。