ジェトロ世界貿易投資報告 2026年版

第Ⅲ章 世界の通商秩序を巡る動向
第3節 ルールと価値に基づく国際経済秩序の広がり
第2項 その他二国間・複数国間協定の動き

多層化する分野別ルールの形成

世界の通商ルール形成は、関税削減や市場アクセス改善を主とする従来型の通商協定を基本としつつ、近年では特定の政策分野に焦点を当てた枠組みも存在感を高めつつある。地政学的緊張の長期化や経済安全保障上の要請、デジタル化や脱炭素化の推進などを背景に、各国・地域は包括的協定の妥結を待つことなく、重要性の高い分野に関し柔軟な協力関係を構築する傾向にある。2026年1月に世界経済フォーラム(WEF)が発表した「世界協力バロメーター2026」は、世界的に多国間主義が停滞する中でも国際協力自体は維持され、その形態が多様化していると指摘する。特に通商分野では、関税交渉中心の枠組みから、サービス、データ、規制協力などの非関税分野に即した小規模・柔軟・目的別(bespoke, interest-based)協力が拡大していると分析した注1。

国際経済法秩序は、長らくWTOを中核とする多国間貿易体制を基軸として構築されてきたが、2000年代以降、その適応範囲と規範形成力の限界も顕在化した。こうした中、FTAの深化と並行して、特定分野や政策目的に焦点を当てた協力枠組みが発展してきた。例えば、後述するデジタル分野におけるセクター特化型ルールは、包括性よりも機動性と柔軟性を重視し、新領域における先行的規律形成を可能にしている(図表Ⅲ- 37)。また、OECD/G20の税源浸食および利益移転(BEPS)包括的枠組みに代表される制度インフラ型ルールは、国際条約によらないソフトローを通じて各国の国内制度を収れんさせ、市場ルール形成を試みてきた。さらに、インド太平洋経済枠組み(IPEF)や後述する重要鉱物関連枠組みのように、経済安全保障を基調とする分野別協力も広がり、国際経済法秩序は機能別に分岐した複合的構造へと多層化している。

分野別協定は、多国間貿易体制を代替するものではなく、同体制が十分に対応できていない領域を補完する役割を果たす。中でも注目されるのが、米国による関税措置やこれに対する報復が数多く導入された2025年、自由で開かれた貿易投資の原則を再確認すべく立ち上げられた「投資と貿易の未来(Future of Investment and Trade, FIT)パートナーシップ」である。FITパートナーシップは、シンガポールやニュージーランドなど貿易依存度の高い中小国を中心に、自由で公正、かつ包括的な貿易投資への支持を掲げ同年9月に発足した、非拘束・原則ベースの枠組みである。WTOを補完しつつ、サプライチェーン強靱化、投資円滑化、非関税障壁削減や貿易技術の活用を重点分野に据える。2026年4月の共同声明までに参加国数は16に拡大し、同月の共同声明では、ホルムズ海峡の封鎖に起因する世界的なサプライチェーン、特に必需品や重要な下流派生製品が混乱するリスクへの懸念を示した。参加国は、サプライチェーンに関連するリスクや混乱を特定し、これらを軽減するための連携を強化することを確認するとともに、情報共有を強化することで一致した。FITパートナーシップは、WTO改革と問題意識を共有しつつ、より柔軟なかたちで価値や規範を通商協力に反映させる試みであり、多国間主義を実務的に補完する位置付けにあると整理される。

図表Ⅲ-37 国際経済秩序における各枠組みの位置付け
国際経済秩序を構成する複数の枠組みを、「ルールの深度」「適用分野」「ハードローかソフトローか」の観点から比較した概念図である。WTOは原則としては伝統的貿易事項を中心とした多国間条約として、ルールの土台を形成している。WTOの例外としてのFTAは、より強い法的拘束力と広範な規律を有する。これに対し、投資協定やデジタルルールは、特定分野に特化したルール形成を担う。また、IPEFや重要鉱物関連枠組みは経済安全保障分野の協力、BEPS包括的枠組みは国際課税分野で各国制度の調和を図る。これらの枠組みはWTOを補完しながら多層的な国際経済秩序を形成している。
注:
  1. 紛争解決の規範密度は高いものの、適用範囲は原則として伝統的貿易事項(関税や輸出入規制など、主にモノの貿易に関する基本的なルール)に限定されるものと整理した。
  2. 「ルールの深度」は、規律の範囲や内容、法的拘束力の有無、規定の具体性および紛争解決手続の適用等を総合的に捉えた概念とした。
出所:
経済産業省「不公正貿易報告書」各年版および各種資料から作成

資源・重要鉱物における協力枠組みが急拡大

いわゆる目的別協力の観点から、とりわけ実務面での進展が顕著な分野の1つが、資源・重要鉱物を巡る国際的なルール形成である。半導体、EV、データセンター、再エネなどの急速な普及を背景に、重要鉱物の需要は、中長期的に拡大が見込まれる。かつて資源確保は、民間企業による調達や市場価格メカニズムに委ねられる側面が大きかった。しかし、電動化やデジタル化の進展により重要鉱物が先端産業や国防の基盤と位置付けられるにつれ、供給網は国家安全保障と不可分の政策対象となった。特に、採掘や精錬工程が特定国に集中する現状は供給途絶リスクをはらんでおり、各国・地域はサプライチェーン強靱化を喫緊の課題と位置付けている(第Ⅱ章第2節、本章第1節参照)。

2020年代以降、主要国・地域は、同志国との間で重要鉱物に関する協力覚書やパートナーシップを相次いで締結している(図表Ⅲ- 38)。これらの国際協力は、価値原則や規律を定める多国間の原則、官民投資や貿易政策を通じて案件形成を支援する協力枠組み、さらに二国間覚書等による個別協力へと段階的に具体化しつつある。UNCTADによれば、こうした枠組みは2026年6月時点で73件あり、うち8割に当たる58件が2022年以降に成立した注2。

鉱物安全保障パートナーシップ(MSP)に象徴される多国間枠組みでは、供給の多様化を図りつつ、ESG(環境・社会・ガバナンス)基準やトレーサビリティといった規律を明示することで、市場の透明性や持続可能性を高めるかたちでルール形成を進める動きがみられる。MSPは、クリーンエネルギー移行に不可欠な重要鉱物のサプライチェーン強靱化を目的に、米国主導で2022年に立ち上げられた。鉱物精錬過程の寡占状況に対応するため、高いESG基準の浸透を図るとともに、同基準に基づく戦略的な鉱山開発・精錬・加工を促進する枠組みとして機能してきた。2026年2月には、「資源の戦略地政学的関与に関するフォーラム(FORGE)」がMSPフォーラムを発展させるかたちで創設され、加盟国・地域はMSP時の15から、見込みも含め55へ大幅に拡大した(本章第1節(2)参照)。これにより、従来の協調と対話中心の枠組みから、官民投資や貿易政策を通じて実際のプロジェクトを進める実装型の多国間枠組みへと再編された。こうした動きを上位から支える政策指針として、2025年6月にはG7が「重要鉱物行動計画」を策定。同計画は重要鉱物を、将来のデジタル経済とエネルギー安全保障経済の土台と位置付け、供給リスクへの対応、基準に基づく市場の構築、資本の動員とパートナーシップへの投資、イノベーションを柱に、国際協力の方向性を示している。

図表Ⅲ-38 主要国・地域による重要鉱物協力枠組み
類型 枠組み 形成時期 参加主体 主目的
原則(多国間) 鉱物安全保障パートナーシップ(MSP) 2022年6月発足 G7(含EU)、オーストラリア、ノルウェー、インド、韓国等15主体 供給源分散、対中依存低減
パックス・シリカ 2025年12月発足(2026年3月基金設立) 米国、EU、英国、日本、韓国、インド、UAE等24主体 経済安全保障強化、先端産業サプライチェーンの統合的確保
協力枠組み(多国間) MSPフォーラム 2024年4月設立 MSP参加国・地域 プロジェクト実装、能力構築
資源の戦略地政学的関与に関するフォーラム(FORGE) 2026年2月設立 米国、日本、EU、オーストラリア等55カ国・地域 官民連携による案件形成、投資促進
協力枠組み(二国間) 日米重要鉱物サプライチェーン強化協定 2023年3月署名・発効 日本、米国 同盟国間サプライチェーン強靭化
個別協力 二国間重要鉱物協力枠組み(米国) 2024年以降加速 米国×タイ、マレーシア、ペルー、UAE等 供給源分散、対中依存低減
戦略的原材料パートナーシップ(EU) 2021年以降順次 EU×アルゼンチン、チリ、カザフスタン、ナミビア等 供給源分散、域内産業基盤確保
二国間MoU(日本) 2010年代以降、2023年頃から加速 日本×インドネシア、アフリカ諸国 長期安定調達
注:
各枠組みの形成時期は公表資料に基づく。EUの戦略的原材料パートナーシップは、第三国との覚書の累積として整理。
出所:
米国務省、欧州委員会、経済産業省などから作成

このほか、米国やEUなどは、それぞれ二国間の重要鉱物協力枠組みや地域別パートナーシップを積極的に拡充し、投資促進や精錬・加工能力の強化に加え、備蓄や価格安定化を含む協力を推進している。こうした枠組みは、資源権益確保にとどまらず、採掘段階における環境配慮や労働基準、トレーサビリティの確保を協力事項として明示した点に特徴がある。資源国側にとっても、持続可能な開発や高付加価値化を通じた産業育成につながる可能性がある。こうした中、資源国自身が主体的にバリューチェーンの高度化を志向する動きもある。例えば、アフリカ連合(AU)が2025年2月に採択した「アフリカ・グリーン鉱物戦略」は、資源の持続可能な開発に加え、バリューチェーンの構築を通じた付加価値創出と産業育成を掲げている。

共通の価値や規範を重視する国・地域を中心に枠組み形成が進む一方、最大の供給源である中国は、アフリカを中心にインフラ投資や資源開発で関与を深めるなど供給能力の拡充に重きを置いていることから、重要鉱物協力を巡るアプローチに違いがあるとの指摘がある注3。中国は、既述の重要鉱物行動計画をはじめ少数国主導のルール形成を強く意識し、例えば2025年12月のG20サミットで提唱した「グリーン鉱物資源の国際経済貿易協力イニシアチブ」では、開放的、互恵的かつ公正で合理的なパートナーシップの構築を打ち出した。とりわけグリーン貿易の自由化・円滑化の文脈では、鉱物資源のサプライチェーン安定維持とともに、産業促進策を策定する際のWTOルール順守も盛り込んだ。重要鉱物の分野で確立してきた自国の優位性を背景に、国際社会における役割をあらためて強調した動きといえる。

成熟期に入るデジタル社会のルール形成

デジタル技術の急速な進展と社会全体のデジタル化の加速を背景に、越境データ流通、個人情報保護、サイバーセキュリティなどのデータガバナンスに関する国際的なルール整備が求められてきた。新型コロナを契機に、WTO発足時には想定しえなかったさらなるデジタル化が進んだことから、関連ルールの調和を図るためFTAのようなハードローに加え、G20、OECD、APECといった枠組みによる原則や行動規範などによる規律も重要な役割を担いつつ進展してきた経緯がある。

デジタル関連の法制度整備状況を地域および分野別にまとめたのが図表Ⅲ-39である。世界的には、電子取引法制の整備が先行しており、アフリカを除く地域では9割以上の国・地域が関連法を整備済みである。世界の90.3%という値は、2020年時点注5からおよそ9ポイントの上昇である。次いで、サイバー犯罪やデータ保護・プライバシーについても世界的にルールが整備されている。一方、比較的新しい論点であるデジタル取引への間接課税(電子商取引などに対して、付加価値税などの間接税を消費地ベースでいかに適切に課税するか)では、関連法規の策定率が50.3%にとどまる。

サイバー犯罪対策やデータ移転、個人情報保護といった技術安全系・社会基盤系の分野では、先進国のみならず多くの地域で法整備が進んでおり、デジタル化に伴うリスク管理が各国共通の課題として認識されている。その半面、デジタル取引に対する間接課税や消費者保護の分野では、整備状況に大きな地域差がある。課税権や市場調整といった国内の利害調整を伴うため、技術的課題よりも制約を強く受ける側面があると考えられる。

図表Ⅲ-39 デジタル関連法規の地域別整備状況(2026年2月時点) (単位:%)
分野 世界 先進国 アジア大洋州 中南米 アフリカ
電子取引法制 90.3 98.1 91.1 97.0 77.8
消費者保護 61.5 80.8 60.7 60.6 44.4
データ保護・プライバシー 79.5 98.1 60.7 87.9 75.9
サイバー犯罪 89.7 98.1 83.9 93.9 85.2
デジタル取引への間接課税 50.3 82.7 44.6 42.4 29.6
注:
  1. 地域定義は原則としてUNCTADに従う。アジア大洋州のみ、先進国および中南米・アフリカの新興・途上国を除き算出。
  2. 法規「制定中」は含まない。
  3. 色が濃いほど、当該分野で法整備がなされた国・地域の割合が高いことを示す。
出所:
UNCTAD“Global Cyberlaw Tracker”から作成

地域や分野によって規律の成り立ちにばらつきがある中、国際的なルール形成においては、従来のFTAに付随する電子商取引章を超え、データ流通やデジタル信頼を中核に据えた新たな協定が増えてきた。デジタル協定を分析したデータベースTrade Agreement Provisions on Electronic-Commerce and Data(TAPED) によると、2000年から2025年9月までに条文が公表されたFTA488件(発効ステータスを問わず)のうち、過半数に当たる262件がデジタル関連規定を有し、160件がデジタル貿易章を設けている。さらにデジタルに特化した協定は、シンガポールが主導するかたちで、2020年頃から本格的に締結が進んだ。2026年5月に妥結したASEANデジタル経済枠組み協定(DEFA)や、EFTAとシンガポール間で署名されたデジタル経済協定がその代表で、2026年6月末時点の状況は図表Ⅲ- 40のとおりである。EUも、既存FTAを補完するかたちでシンガポールとのデジタル貿易協定が発効、韓国とも協定に署名し、デジタル分野におけるルール整備はアジアから欧州にも広がる。これらの協定は、電子認証、越境データ移転、AI活用に関する協力など幅広い分野を対象としつつも、法制度整備の水準が異なる国々の参加を前提に、段階的な整合と実務協力を進める点に特徴がある。

地域横断の枠組みとして、デジタル経済パートナーシップ協定(DEPA)は、世界初のデジタル分野特化型の複数国間協定として、WTO電子商取引協定を補完している。CPTPPの原加盟3カ国(チリ、ニュージーランド、シンガポール)で交渉が先行し、韓国が2024年5月に加わったほか、コスタリカやペルーが加入見込みである。

図表Ⅲ-40 デジタル特化型協定の発効状況(2026年6月時点)
ステータス 協定名 時期 特徴
発効 シンガポール・オーストラリアデジタル経済協定(SADEA) 2020年12月 既存FTAのデジタル貿易に関する規定を置きかえ。例えば、データローカリゼーション要求の禁止に金融サービスも含める規定や、海底通信ケーブルの保護規定を追加。
デジタル経済パートナーシップ協定(DEPA)(注1) 2021年1月 16のテーマ別の条項群から構成される。暗号法を使用する情報通信技術製品、個人または法人のデジタルID、フィンテック、AIなど、CPTPPにはない先進的な規定。
一方、ソースコードの開示要求禁止の規定はなく、データの自由な越境移転、データローカリゼーション要求の禁止は、締約国のコミットメントを確認するのみ。両規定およびデジタル・プロダクトの無差別待遇などは紛争解決の対象外。
英国・シンガポールデジタル経済協定(UKSDEA) 2022年6月 DEPAの広範な内容に加え、法務技術(リーガルテック)の協力も盛り込む。地域内ルール連結のハブ形成として寄与。
韓国・シンガポールデジタルパートナーシップ協定 2023年1月 韓国初の単独デジタル協定。デジタルシステム間の相互運用や標準整合を目的として明示。
英国・ウクライナデジタル貿易協定 2024年9月 デジタル市場、データフロー、消費者および企業の保護、デジタル貿易システム、金融サービス、技術パートナーシップをカバー。協定により、ウクライナの復興に必要な金融サービスへのアクセスを、国境を越えるデータフローの円滑化によって保証。
EU・シンガポールデジタル貿易協定(EUSDTA) 2026年2月 EU初の単独デジタル協定。(1)自由で開かれた安全なデータ流通の実現と促進、(2)エンド・ツー・エンドのデジタル貿易の円滑化、(3)信頼のある安全なデジタルシステムの確立、(4)企業・国民のデジタル経済の機会への参加とアクセス拡大、を盛り込む。(1)では、データローカリゼーション禁止を含む。
署名 EFTA・シンガポールデジタル経済協定(ESDEA)(注2) 2025年9月 参加国間でのデジタル貿易の加速、オープンで安全な国境を越えるデータ流通、相互運用性の促進を目的とし、高水準のルールとコミットメントを規定。電子的送信に対する関税賦課の禁止や、ペーパーレス取引、電子請求書の推進、データローカリゼーション要求の禁止、ソースコードの開示要求禁止を規定。AIや金融技術、能力構築を含むサイバーセキュリティー対応の強化などで協力規定も。
EU・韓国デジタル貿易協定 2026年6月 EU・韓国FTAを補完。国境を超えるデータフロー、プライバシーと個人データ保護、電子送信に対する関税、電子契約、ソースコード保護、オンライン消費者信頼、迷惑ダイレクトマーケティング、オープンガバメントデータ、デジタル貿易に関する規制協力など多岐にわたる項目を規定。
交渉妥結 ASEANデジタル経済枠組み協定(DEFA) 2026年5月 ポストコロナにおける貿易・商業の急速なデジタル化への戦略的対応。(1)人材の流動性に関する協力、(2)AIなど新興技術に関する協力、(3)競争政策、(4)オンラインの安全性とサイバーセキュリティー、(5)ソースコードなどの新興分野に関する規定で合意。
注:
  1. チリ、ニュージーランド、シンガポールが原加盟国。
  2. ノルウェーとシンガポール間は2026年3月発効。
出所:
飯野文「「デジタル貿易」は「貿易協定」に何をもたらしたか?-非貿易的関心事項を中心に-」『フィナンシャル・レビュー155 号』財務省(2024年2月)、Mira Burri and Anupam Chander “What Are Digital Trade and Digital Trade Law?”, AJIL Unbound 117, May 2023、ジェトロ「世界のFTAデータベース」、国連アジア太平洋経済社会委員会(UNESCAP)、各国・地域政府発表から作成

DEPAは、自由なデータ流通などに関してCPTPPの電子商取引章と整合する要素を含みつつ、協力や相互運用性を重視した柔軟な枠組みとして設計されている。他方で、AI条項(8章2条)では、AI倫理およびガバナンスの枠組みを開発することの重要性や、こうした枠組みが国際的に整合することの利益を認識すること、また国際的なガイドラインを考慮して同枠組みの採用を促進することなど、より先進的な規定も盛り込んだ。DEPAは加入を志向する国に開かれた枠組みであり、加入プロセスを通じて高水準のデジタルルールを拡大していく点が特徴である。この意味でDEPAは、既存FTAとも補完的な役割を果たしうる。

このほかASEANでは、加盟国間でのDEFAの交渉が進む。同協定は、ASEAN域内のデジタル決済や相互運用可能な統一事業者識別番号の開発といった、断片的な取り組みを統合し、共通原則を確立した上で、地域全体でデジタル経済統合を実現する拘束力のある約束を確立する構想の下で交渉が進められてきた。2026年5月のASEAN高級経済実務者会合(SEOM)で妥結した。DEFAの規定は、越境データ流通、電子決済、個人データ保護、サイバーセキュリティ、AIガバナンス、人材移動など広範に及ぶ。ASEAN事務局は、越境データ移転に関する法的拘束力のある規定の導入、国連国際商取引法委員会(UNCITRAL)電子移転記録モデル法など国際基準との整合、AIなど新興技術に関する先進的な規定の導入を想定している。また、人の移動に関する協力、AIなど新興技術に関する協力、競争政策、オンラインの安全性とサイバーセキュリティ、ソースコードなど新興分野に関する幅広い規定も盛り込まれる見込みである。2027~2028年の発効を目指す。

EUも、FTAを補完するものとしてデジタル貿易協定の締結に積極的だ。EUが電子商取引に関する章を盛り込んだ最初のFTAは、2008年に署名されたEU・カリブ海諸国経済パートナーシップ協定だが、以降デジタル関連規定を重要な要素として取り上げてきた。2025年5月には、第三国との初のデジタル特化型協定として、EU・シンガポールデジタル貿易協定(EUSDTA)に署名、2026年2月に発効した。EUSDTAの主な目的として、図表Ⅲ-40で示した4項目があり、自由なデータ流通を認めつつも、個人データ保護や規制する権利は確保している。この点で、DEPAほど包括的な協力枠組みではない一方、CPTPP電子商取引章と比べ、国内の法制度を優先できる余地をより明確に確保した、EU型デジタル貿易ルールの原型と位置づけられる。GDPRを中核とするEUのデジタル政策との整合性が高く、かつ第三国にとっても将来のEU市場アクセスを見据えた受容可能性があるため、後続の交渉におけるひな型として機能し始めている。実際EUは、EUSDTAをモデルに、今後他の主要パートナー国との間で同様のデジタル貿易協定を拡大する方針を示しており、カナダとの交渉を2026年3月に開始したほか、CPTPPとのデジタル貿易協力の可能性にも言及している。

デジタル分野の国際ルール形成は、CPTPPに代表される自由化志向に加え、ASEANのように段階的統合、あるいはEUのように規制と主権の確保を重視する方向性が併存する。一方、直近で新規の交渉が大きく増えない背景には、高水準のデジタルルールが既存の特化型協定やFTAのデジタル章で相当程度カバーされつつあることが考えられる。これらのルールは、越境データ流通、ソースコード開示禁止、電子認証といった中核要素を含み、新たに別建て協定を作る必要性を相対的に低下させる。加えて、デジタル分野は個人情報保護やAI規制など国内制度との接合も不可欠であり、既存モデルの横展開が馴染みやすい可能性がある。

そのAIを巡る法制度整備については、生成AIの開発や利用が急速に拡大するとともに安全性を担保するためのルール作りが模索される。例えば、既述のDEPAなどにAI条項が盛り込まれたほか、G7を中心とした国際的な原則形成の試みもある。ただし、AIを巡る規制は国内政策や社会的価値判断との結びつきも強く、デジタル貿易全般で見た特化型の枠組みに直ちに組み込まれるかについては、なお流動的である。今後、デジタル分野における国際ルール形成が、AIを含む新技術領域へどのように射程を拡張していくかが注目される。

重要鉱物やデジタル分野の動きに共通するのは、市場アクセス改善を主眼とする従来協定に一部代わり、サプライチェーン管理やリスク対応といった企業行動のあり方そのものを対象とする点である。こうした枠組みは、国内規制やテーマ別協力を通じて、企業のコスト構造や競争条件に実質的な影響を及ぼす可能性がある。一例が、IPEFの下で合意されたサプライチェーン協定である。同協定は、市場アクセスを相互に約束するものではないが、重要物資の供給途絶リスクを念頭に、平時の情報共有や危機時の政府間協調を制度化することに重点を置く。2024年2月の発効以降、半導体、化学品、重要鉱物、ヘルスケア分野を対象に行動計画チームが設置された。

一方、人権や労働分野では、国際ルール形成を経ず各国・地域の国内法が域外適用されるかたちでより直接的な影響力を持ちつつある。例えば、米国が2022年6月に施行したウイグル強制労働防止法(UFLPA)は、強制労働関与の推定を前提に輸入を差し止める仕組みである。EUが2029年以降適用する企業持続可能性デューディリジェンス指令(CSDDD)も、市場参加の条件としてサプライチェーン全体にわたるリスク管理を企業に求める。環境・脱炭素分野でも同様の傾向が見られる。例えばEUが2026年1月に本格施行した炭素国境調整メカニズム(CBAM)では、輸入者にCBAM証書の購入義務が生じる。英国やオーストラリアでも類似の動きがあり、製品の炭素排出量を通じ、企業の競争条件に影響を与える措置と捉えられる。

注記

注1
WEF “The Global Cooperation Barometer 2026 – Third Edition外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます”(2026年1月8日)元の本文に戻る
注2
UNCTAD “Global trade update (June 2026): The shifting dynamics of critical minerals trade外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます”(2026年6月11日)元の本文に戻る
注3
Olena Borodyna, Overseas Development Institute “Critical minerals geopolitics in 2026: risks, supply chains and global power shifts外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます”(2026年1月27日)元の本文に戻る
注4
2020年版『ジェトロ世界貿易投資報告』第Ⅳ章第3節(2020年7月30日)元の本文に戻る
注5
University of Lucerne “TAPED, A Dataset on Digital Trade Provisions外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます”(2026年5月18日閲覧)元の本文に戻る

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(2026年7月28日)