世界市場を席巻するパキスタンの手術用器具とスポーツ用品
日本とも通じるものづくり精神

2023年6月8日

パキスタンには、繊維製品以外にも強力な輸出品が存在する。手術用器具とスポーツ用品(特にサッカーボール)だ。両産業ともに、パンジャブ州都ラホールの北約100キロに位置するシアルコート市に集積する。輸出額では繊維製品に遠く及ばないものの、世界市場を席巻する両産業について報告する。

手術用器具メーカーは2,500社以上、製品の95%以上が国外向け

シアルコートには2,500社以上の手術用器具メーカーがあり、直接雇用で10万~15万人、間接雇用は35万~40万人、合わせて45~55万人の雇用を創出する一大産業となっている。医療用、手術用、歯科用、獣医科用、美容用、刃物などの製品の種類は1万を超える。年間1億5,000万~2億個製造され、その95%以上は輸出している。手術用器具で同市は世界有数の産業集積地となっている。

なぜ、シアルコートにこれほどの手術用器具産業が発展したのか。文献をかいつまんで引用する。「シアルコートはパンジャブ地方とカシミール地方を結ぶ交通の要所として、ムガール帝国時代(1526~1858年)から栄えた古都だ。19世紀終わりごろ、米国のキリスト教系団体によって病院が設立された。当時使用していた医療器具は輸入品で、修理が必要な場合、米国や欧州に送って修理するしか方法がなかった。病院はこのコストと時間を解消する方法に頭を痛めていた。ある時、病院長はシアルコート郊外のワジラバードにムガール朝の時代から王室に刀剣を納めている鍛冶屋町があるとの情報を得て、腕のいい鍛冶職人に手術道具の修理をさせた。すると、予想以上によい仕上がりとなった」(出所:ジェトロ刊「パキスタン・ビジネス最前線」佐藤拓著)。こうして、手術用器具産業の発展は始まった。

2021/2022年度(2021年7月~2022年6月)の手術用器具の輸出額は4億7,458万ドル、主な輸出先は米国、ドイツ、英国、中国、アラブ首長国連邦(UAE)となっている。ナイフ(メス)、鉗子(かんし)といった外科手術用器具から、歯科用や獣医科用器具まで幅広く生産されている。ほぼ全ての製品が欧米などの大手メーカーへのOEM生産だ。輸出メーカーは国内でパキスタン医薬品規制庁(DRAP)への登録はもちろんのこと、輸出先に応じて米国食品医薬品局(FDA)登録やEU向けCEマーキング制度にも適合している。

受託生産に徹する大手QSAサージカル

1972年設立のQSAサージカル(QSA)は、外科手術用器具や医療器具などを製造する従業員1,300名の大手企業だ。2022年の売上高は約1,000万ユーロで前年比10%増という。2023年は20%の増加を見込んでいる。同社は製品の100%を輸出しており、輸出先は米国70%、ドイツ30%だ。米国向けに手術用器具を輸出するパキスタン企業としては最大という。QSAはOEMに特化している。そのため、自社ウェブサイトも持たず、ソーシャルメディアでのプロモーションも行わない徹底ぶりだ。同社の強みは、最高の原材料、最新技術、ノウハウ、最高の人材にあるという。製造には日本やドイツ、スイスのコンピュータ数値制御(CNC)マシーンを、サンプル開発には3Dプリンターを導入している。原材料には日本製の鋼材を使っている。ケセル・サリーム・シャビール最高経営責任者(CEO)は「現状は米国やドイツのメーカーからの受注に対応するだけで精一杯な状況だが、長期的には日本市場に参入して販売拠点を持つことを計画している」と語った。


QSAサージカルのシャビールCEO(ジェトロ撮影)

製品の6割をドイツに輸出するエルメッド・インストゥルメンツ

1994年創業のエルメッド・インストゥルメンツ外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます は、創業前に111年間の家族経営企業としての歴史を持ち、従業員700人を有する大手の1つだ。診断用、麻酔科、整形外科、皮膚科、消化器科、産婦人科、心臓外科、美容整形外科用など幅広い再利用可能製品とディスポーザブル(使い捨て)製品の手術用器具を製造している。2022年の売上高は前年比6%増の約1,140万ドルだった。2023年はドルベースで5~7%の増加を見込む。生産量の90%は欧米メーカー向けのOEMで、自社ブランド「ELMED」は残りの10%となっている。輸出先はドイツ(60%)、中東諸国(12%)、米国(10%)、その他欧州(10%)だ。鋼材は日本から輸入しており、日本にも医療機器メーカー4社の顧客を持つ。

バベル・イクバルCEOはジェトロのインタビューに、「頻繁に日本を訪問し、日本企業と長期にわたるビジネスをしている。日本での事業展開のためにもっと多くの日本企業とつながりを持ちたい」と、対日ビジネスへの意欲を語った。

エルメッド・インストゥルメンツのイクバルCEO(左)と手術用器具(右)(ジェトロ撮影)

筆者と同時期にシアルコートに出張で来ていた日本のある医療機器メーカーの仕入調達部長は「数年前までのパキスタンは人海戦術、手仕事が多かったが、最近はCNCマシーンなどを導入して品質、数量ともに拡大する大手が増えている。エルメッドはその先端を走っている」と評価した。また、同部長は業界を取り巻く環境について「日本側の事情として、職人の高齢化と下請けの廃業が進み、パキスタンなしでは成り立たない状態になった。以前は日本で生産していたものをパキスタンに製造委託していたが、最近は初めから新製品をパキスタンで立ち上げている。事情は他国も同様で、特にドイツがそうだ」と語った。さらに同部長は「シアルコートのあるメーカーから、手作業の職人が給料分稼げるようになるには5年、一人前になるには10年かかると聞いた。日本も昔はそうだったが今はそうはできない。人件費の高騰や従業員の離職もあり、企業は即戦力を求めざるを得ない。ゆえに機械化、自動化に進み、職人が育つ環境を持てない。仮に環境を整備しても、コストが跳ね上がり市場価格に対応できない。この状況は他の先進国も同じだ」と人件費の安いパキスタンへの依存が進む業界事情を語った。パキスタンの年間賃金(実負担額)は「製造業・作業員」で2,866ドル、「製造業・エンジニア」で6,467ドルとなっており(2022年度ジェトロ日系企業実態調査(アジア・オセアニア編 PDFファイル(2.0MB))、コスト競争力を支える。

サッカーボール生産世界一のスポーツ用品産業

2021/2022年度のパキスタンのスポーツ用品の輸出額は5億692万ドル。主な輸出先は米国、ドイツ、英国、フランス、カナダ、オランダなどとなっている。輸出の約4割を占める主力製品はサッカーボールだ。同年度には約4,200万個が生産された。2014年ブラジル大会、2018年ロシア大会、2022年カタール大会と3大会連続のFIFA(国際サッカー連盟)ワールドカップ(W杯)でパキスタン製サッカーボールが公式試合球に採用された。その他、フットボール、バレーボールなどの各種ボール、クリケット用品、各種グローブ、野球用品、ボクシング用品、防具など幅広い製品を製造・輸出している。空手着やチャンピオンベルトなども生産している。メーカーは大小合わせて約6,000社あり、20万人の直接雇用と15万人の間接雇用を創出する一大産業となっている。

シアルコートでなぜスポーツ用品産業が発達したのか、前述の「パキスタン・ビジネス最前線」から引用する。「現在のシアルコート市は、ムガール帝国ジャハンギール帝(1569~1627年)の時代にイスラム教徒の侵略を受け、ムガール帝国に併合された。これにより、この地域に平和が訪れ、同市は貿易取引のハブとして繁栄。皮革加工業者は収益率の高い乗馬用具に目を付け、その生産に特化していった。1900年代初頭のシアルコートでは乗馬具、ポロ用やクリケット用のステックなどを生産していたが、英国駐留軍はテニス、サッカー、バドミントンなどのスポーツにも興じた。そこで、シアルコートのメーカーでは、英国軍人のニーズが高かったテニスラケット、バドミントンの羽根、サッカーボールの生産にも取り組み始めた」という。

世界最大のサッカーボールメーカー、フォワード・スポーツ

フォワード・スポーツ外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます のカワジャ・マスード・アクタールCEOは1990年、同社を設立。1994年からアディダスの公式パートナーとしてサッカーボール供給を開始。年間1,500万個を製造する同社は世界最大のサッカーボールメーカーと言われ、世界のアディダスのサッカーボールの60%以上を生産している。「FIFAワールドカップ」をはじめ、「UEFA(欧州サッカー連盟)ユーロ2024」、「2023年FIFA女子ワールドカップ」などへも供給する。同社は従業員4,500人、サッカーボールのほか、バレーボール、バスケットボール、ゴールキーパー用グローブなども製造している。2022年の売上高は約6,400万ドルで、輸出の98%は日本を含む世界各地のアディダス向けだ。


フォワード・スポーツのアクタールCEO
(ジェトロ撮影)

フォワード製ワールドカップ公式球
(ジェトロ撮影)

同社は製造プロセスの多くの手作業を機械化することで大量生産を可能にした。例えば、ボール表皮に使うポリウレタンシートの複雑なパネル形状に対応するために、36台のレーザー加工機を導入し、1日にボール3万個の生産を可能した。自動印刷機やラミネーションマシーンなども導入している。

工場内の撮影は許されなかったが、多くの従業員がきびきびと働いている様子が非常に印象的な工場だった。

アクタールCEOはジェトロに対し、2025年に向けた計画として「倉庫のデジタル化や、生産の可視化、製品の多様化、太陽光発電設備の3メガワット(MW)への拡大など、さらなる生産の拡大と効率化、脱炭素化を目指す」と抱負を語った。

アディダスとの取引をきっかけにビジネスを拡大したキャピタル・スポーツ

1972年創業のキャピタル・スポーツ外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます は1975年からアディダスへのサッカーボール供給を開始。同時にカッパ、スポルディング、モルテン、タチカラといった有名ブランドを顧客として獲得しビジネスを拡大していった。2022年の売上高は前年比30~40%増の約1,000万ドルに達したという。輸出先は、日本(30~40%)、米国(20~30%)、英国(15%)で、全てOEM生産で製品の100%を輸出している。同社の商品ラインは各種ボール、ウエア、シューズ、キャップ、バッグ、格闘技ウエアと多岐にわたる。ノウマン・イドリス・ブットCEOは「日本企業とは35年以上のビジネス経験がある。日本とのビジネスを拡大するために、近い将来、日本に会社を設立したい」と語る。ブットCEOの妻で同社ディレクターのマリアム・ノウマン氏は日本人の母親を持つ二世で、同社事業開発ディレクターのハムダン・ノウマン・ヨシダ氏は息子で三世だ。同社の日本との縁は深い。


キャピタル・スポーツのブットCEO(中央)(ジェトロ撮影)

日本とも通じるものづくり精神

世界市場を席巻する手術用器具やスポーツ用品がパキスタンで生産されていることに意外な印象を持たれる読者も多いかもしれない。しかし、パキスタンの伝統的な木製家具などには、深く細かい彫刻がなされ、また、象眼(真ちゅうや貝殻などの埋め込み)といった非常に手間のかかる細工が施されたものが多い。伝統的なカーペットは、極めて細密な模様が気の遠くなるような時間を経て手作業で作られている。こうしたパキスタンのものづくりに共通するのは、パキスタン人の職人気質、手先の器用さ、粘り強い取り組み姿勢だ。日本のものづくりとも通底するものがあると言えないだろうか。

執筆者紹介
ジェトロ・カラチ事務所長
山口 和紀(やまぐち かずのり)
1989年、ジェトロ入構。ジェトロ・シドニー事務所、国際機関太平洋諸島センター(出向)、ジェトロ三重所長、経済情報発信課長、農水産調査課長、ジェトロ高知所長、知的財産部主幹などを経て、2020年1月から現職。