EU離脱後の農業政策、英国は今後どう動く

2021年4月21日

2020年12月31日に移行期間を終え、英国のEU離脱(ブレグジット)が完了した。これに伴い、英国政府は新たな独自の農業政策の構築が可能になった。一方で、農業界ではその対応が必要になっている。

本稿では、英国における3つの新たな農業政策の概要を紹介。その上で、EU離脱後、主権の回復を訴える英国の農業政策の今後の見通しを考察する。

共通農業政策から独自の農業政策へ

はじめに、最も基本的な農業政策に焦点を当てる。英国の農業政策は、従来、EU全体の共通農業政策(Common Agricultural Policy外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます : CAP)を根幹に据えて進められてきた。CAPは、農地面積に応じた直接支払いを中心とする所得・価格政策と、環境や地域社会に配慮した取り組みに支払いを行う農村振興政策の2本柱で構成されている(表1参照)。近年、第1の柱の中でも環境対応の側面が重視され、両者の相互性が増してきた。だとしても、あくまでその中心は第1の柱の所得政策におかれている(図1参照)。

表1:EUの共通農業政策(CAP)の基本構成
第1の柱所得・価格政策 第2の柱農村振興政策
直接支払
デカップル支払(生産量などとリンクしない支払)
  • 基礎支払(注)
  • 上乗せ支払(グリーニング、青年農業者向け、再分配、自然制約地向け)
カップル支払(生産量などとリンクした支払)
価格支持
  • 特定品目において、市場価格が支持価格を下回った際の買い支え等。
  • 環境、気候変動関連施策
  • 自然等制約地関連施策
  • 青年農業者支援
  • 経営近代化への投資助成
  • 小規模農家向け施策
  • リスク管理策

注:農地面積に応じた支払い。
出所:欧州委員会、欧州連合日本政府代表部

図1:CAPにおける項目別支出額の推移
1996年は、輸出補助金が60億ユーロ、その他の市場支持が70億ユーロ、カップル払いの直接支払いが250億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが0ユーロ、グリーニングが0ユーロ、農村開発が60億ユーロ、環境や気候関連が0ユーロ。 1997年は、輸出補助金が60億ユーロ、その他の市場支持が70億ユーロ、カップル払いの直接支払いが260億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが0ユーロ、グリーニングが0ユーロ、農村開発が60億ユーロ、環境や気候関連が0ユーロ。 1998年は、輸出補助金が50億ユーロ、その他の市場支持が60億ユーロ、カップル払いの直接支払いが260億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが0ユーロ、グリーニングが0ユーロ、農村開発が60億ユーロ、環境や気候関連が0ユーロ。 1999年は、輸出補助金が60億ユーロ、その他の市場支持が50億ユーロ、カップル払いの直接支払いが260億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが0ユーロ、グリーニングが0ユーロ、農村開発が80億ユーロ、環境や気候関連が0ユーロ。 2000年は、輸出補助金が60億ユーロ、その他の市場支持が50億ユーロ、カップル払いの直接支払いが260億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが0ユーロ、グリーニングが0ユーロ、農村開発が60億ユーロ、環境や気候関連が0ユーロ。 2001年は、輸出補助金が30億ユーロ、その他の市場支持が60億ユーロ、カップル払いの直接支払いが280億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが0ユーロ、グリーニングが0ユーロ、農村開発が80億ユーロ、環境や気候関連が0ユーロ。 2002年は、輸出補助金が30億ユーロ、その他の市場支持が70億ユーロ、カップル払いの直接支払いが290億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが0ユーロ、グリーニングが0ユーロ、農村開発が70億ユーロ、環境や気候関連が0ユーロ。 2003年は、輸出補助金が40億ユーロ、その他の市場支持が60億ユーロ、カップル払いの直接支払いが300億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが0ユーロ、グリーニングが0ユーロ、農村開発が80億ユーロ、環境や気候関連が0ユーロ。 2004年は、輸出補助金が30億ユーロ、その他の市場支持が50億ユーロ、カップル払いの直接支払いが300億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが0ユーロ、グリーニングが0ユーロ、農村開発が100億ユーロ、環境や気候関連が0ユーロ。 2005年は、輸出補助金が30億ユーロ、その他の市場支持が50億ユーロ、カップル払いの直接支払いが320億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが10億ユーロ、グリーニングが0ユーロ、農村開発が100億ユーロ、環境や気候関連が0ユーロ。 2006年は、輸出補助金が20億ユーロ、その他の市場支持が60億ユーロ、カップル払いの直接支払いが180億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが160億ユーロ、グリーニングが0ユーロ、農村開発が110億ユーロ、環境や気候関連が0ユーロ。 2007年は、輸出補助金が10億ユーロ、その他の市場支持が30億ユーロ、カップル払いの直接支払いが70億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが300億ユーロ、グリーニングが0ユーロ、農村開発が80億ユーロ、環境や気候関連が30億ユーロ。 2008年は、輸出補助金が10億ユーロ、その他の市場支持が30億ユーロ、カップル払いの直接支払いが60億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが310億ユーロ、グリーニングが0ユーロ、農村開発が80億ユーロ、環境や気候関連が30億ユーロ。 2009年は、輸出補助金が10億ユーロ、その他の市場支持が30億ユーロ、カップル払いの直接支払いが60億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが330億ユーロ、グリーニングが0ユーロ、農村開発が70億ユーロ、環境や気候関連が20億ユーロ。 2010年は、輸出補助金が0ユーロ、その他の市場支持が40億ユーロ、カップル払いの直接支払いが60億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが340億ユーロ、グリーニングが0ユーロ、農村開発が90億ユーロ、環境や気候関連が30億ユーロ。 2011年は、輸出補助金が0ユーロ、その他の市場支持が30億ユーロ、カップル払いの直接支払いが30億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが370億ユーロ、グリーニングが0ユーロ、農村開発が90億ユーロ、環境や気候関連が30億ユーロ。 2012年は、輸出補助金が0ユーロ、その他の市場支持が30億ユーロ、カップル払いの直接支払いが30億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが380憶ユーロ、グリーニングが0ユーロ、農村開発が100億ユーロ、環境や気候関連が30億ユーロ。 2013年は、輸出補助金が0ユーロ、その他の市場支持が30億ユーロ、カップル払いの直接支払いが30億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが390億ユーロ、グリーニングが0ユーロ、農村開発が100億ユーロ、環境や気候関連が30億ユーロ。 2014年は、輸出補助金が0ユーロ、その他の市場支持が20億ユーロ、カップル払いの直接支払いが30億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが390億ユーロ、グリーニングが0ユーロ、農村開発が80億ユーロ、環境や気候関連が30億ユーロ。 2015年は、輸出補助金が0ユーロ、その他の市場支持が30億ユーロ、カップル払いの直接支払いが30億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが390億ユーロ、グリーニングが0ユーロ、農村開発が80億ユーロ、環境や気候関連が40億ユーロ。 2016年は、輸出補助金が0ユーロ、その他の市場支持が30億ユーロ、カップル払いの直接支払いが50億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが250億ユーロ、グリーニングが120億ユーロ、農村開発が90億ユーロ、環境や気候関連が40億ユーロ。 2017年は、輸出補助金が0ユーロ、その他の市場支持が30億ユーロ、カップル払いの直接支払いが50億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが250億ユーロ、グリーニングが120億ユーロ、農村開発が80億ユーロ、環境や気候関連が30億ユーロ。 2018年は、輸出補助金が0ユーロ、その他の市場支持が30億ユーロ、カップル払いの直接支払いが50億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが250億ユーロ、グリーニングが120億ユーロ、農村開発が90億ユーロ、環境や気候関連が40億ユーロ。 2019年は、輸出補助金が0ユーロ、その他の市場支持が20億ユーロ、カップル払いの直接支払いが50億ユーロ、デカップル払いの直接支払いが240億ユーロ、グリーニングが120億ユーロ、農村開発が100億ユーロ、環境や気候関連が40億ユーロ。

注1:グリーニングを除く。
注2:直接支払(デカップル)とグリーニングが第1の柱の中心部分。グリーニングは第1の柱の中で環境への対応に応じた支払相当。農村開発と環境・気候関連が第2の柱の中心部分。
出所:欧州委員会

英国環境・食糧・農村地域省(DEFRA)は2020年11月、CAP後の英国の新たな農業政策として「農業移行計画2021-2024:持続可能な農業への道外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます 」(以下、「移行計画」)を発表した(注1)。

キーワードは、環境と公平性

移行計画では、2028年までに改革を通じ、農家などの食料生産者が健康的な食料を生産するにあたり、補助金なしで経済的に持続可能な経営状態を実現することを目指している。これを実現するまでの2021年から2028年までを移行期間としつつ、大きく3つの枠組みから構成されている(表2参照)。大枠の計画文書のため、詳細な支払い基準などは現時点では公表されていない。もっとも、それらの背後に見えるキーワードは、「環境」と「公平性」だ。

表2:移行計画における主な政策の概要
環境と動物福祉の成果への対価
持続可能な農場経営への誘導
持続可能性な農場環境に資する農地管理の取り組み(土壌の栄養状態や水質の改善、灌木林の拡大、病虫害の管理)に対する支援。
土地特有の自然環境の回復
その土地固有の自然環境へと回復させる取り組み(動植物生息地の保全、天然河川の管理、種の多様性の保全等)に対する支援。
景観の回復
長期的な土地利用の転換、自然林の保存、大規模な植林を通じた、広く土地一体の景観や生態系を回復させる取り組みに対する支援。
景観保護地域での農場経営
厳しい自然環境にありながら、景観保護地域で環境や景観に資する取り組み(泥炭地帯、牧草地帯、雑木地帯等の回復、植林)を行う農家、土地管理者に対する支援。
家畜の健康と福祉
牛、豚、羊に係る疾病予防や動物福祉環境の改善、獣医師からの助言、学習機会の提供などに対する支援。
農場発展の向上
農場投資基金
環境面で持続可能な形での生産性向上への取り組み(農場での水貯蔵施設、動物福祉改善への設備、ロボットや自動化技術の導入)に対する支援。
新規参入支援
新規参入者が高価な農地を取得・利用できるようにするため、地域組織や土地所有者等と共同で基金を創設(計画中)。
スラリー投資
スラリー(発酵した家畜排せつ物)による環境悪化を防ぐため、適切なスラリー貯蔵処理設備への投資を支援する基金を創設。
技術革新及び調査研究
生産性向上や環境負荷低減を目指し、生産者や様々な関係者が一体となった調査研究に対して、数年単位で支援。
技術、訓練、基準策定
農家の技術水準向上のため、技能習得のための新たな団体を設立。
直接支払 従来、根幹をなしてきた所得政策。今後は予算を徐々に減少させ、大規模経営ほど累進的に削減率を拡大。その後は農地とのデカップリングに移行。

1つ目の枠組みは、「環境と動物福祉の成果への対価」だ。環境や動物福祉への配慮が要件となっている。日本で農業は、自然と調和しているイメージが強い。しかし英国では、農業の環境や気候変動に及ぼす負の影響への関心が高まっている。すなわち、耕作地開発による森林破壊や土壌環境の悪化、家畜が排出する温室効果ガスなどだ。そうした考え方がこの枠組みの背景にある。

2つ目の枠組みは「農場発展の向上」。ロボット技術の導入や調査研究など、生産性向上への取り組みが並ぶ。ここでも、環境と調和した持続可能な生産性向上、家畜排せつ物による汚染最小化などが重視されている。共通するキーワードは、やはり環境と言える。

3つ目の枠組みは「直接支払い」。EUで最重視されてきた分野だ。移行計画では、3つの重要な政策転換要素が含まれており、そのキーワードは公平性だ。

直接支払いは農地面積と切り離し、公平性の改善へ

「移行計画」で明示された「直接支払い」に関する1つ目の政策転換要素は、段階的な割り当て予算の削減だ。移行計画全体の予算のうち、直接支払いの比率は、2021年度の68%から2024年度の34%に削減。その分は、既述の重点分野「環境と動物福祉の成果への対価」に充当される(図2参照)。

2つ目の政策転換要素は、受給者別支払額の累進的な削減だ。これにより全体の「直接支払い」にかかる予算を削減する。例えば支払額6万ポンドの生産者の場合、2021年度は、3万ポンド(約450万円、1ポンド=約150円)までの部分について前年度比5%減少、3万ポンド超5万ポンド以下は同10%減少、5万ポンド超6万ポンド以下は同20%減少としている(表3参照)。この背景には、CAPの仕組みに対する根強い批判がある。CAPでは、農地面積に応じて支払われることになっている。そのため、広大な土地を有し一般に裕福な生産者への支払額が、相対的に過大と指摘されてきた。加えて、不必要に農地価格を押し上げ、新規参入への障壁になっているともされた。

3つ目の政策転換要素として、こうした問題を受け2024年度から、農地面積と直接支払いの結びつきを切り離す(デカップリング)仕組みが導入される。移行期間終了後の2028年度からは、完全に新たな制度に移行するとされる。今のところ詳細は未定だ。しかしデカップリング後も、一見すると公平な土地面積見合いの支払いを補正した上で一定の水準を継続することにより、支払いの公平性を改善することを志向しているといえる。

図2:移行計画における3つの枠組みごとの予算割合(見込み)
2021年度は環境と動物福祉の成果への対価が23パーセント、農場発展の向上が9パーセント、直接支払いが68パーセント。 2022年度は環境と動物福祉の成果への対価が36パーセント、農場発展の向上が9パーセント、直接支払いが55パーセント。2023年度は環境と動物福祉の成果への対価が42パーセント、農場発展の向上が10パーセント、直接支払いが48パーセント。2024年度は環境と動物福祉の成果への対価が57パーセント、農場発展の向上が9パーセント、直接支払いが34パーセント。

出所:DEFRA

表3:直接支払における生産者の受給額別の削減率
支払受給額の幅
(ポンド)
2021年度 2022年度 2023年度 2024年度
3万以下 5% 20% 35% 50%
3万超から5万以下 10% 25% 40% 55%
5万超から15万以下 20% 35% 50% 65%
15万超 25% 40% 55% 70%

出所:DEFRA

農業団体からは厳しい反応も

イングランドとウェールズの農業界を代表する全国農業者連合(NFU)は、「直接支払いは、価格や生育環境の急変に対する生産者の生命線(life line)だ。本計画では、例えば畜産経営では、2024年までに所得の60%から80%は減少することになる」と深刻な懸念を示した。そのため、今後様々な議論が繰り広げられることが予想される。当初の移行計画のまま実施されるか、予断を許さない状況だ。一方で、環境面を重視すること自体はNFUも否定していない。同時に、EUのCAPでも長年志向されてきたものでもある。英国は、複雑な合意形成過程を要するEUに先立ち、EU離脱をいわば利用して、野心的な計画を発表したとも言える。

2つ目に紹介する英国の新農業政策は、畜産関連の貿易に関するものだ。DEFRAは2020年12月、イングランド、ウェールズにおいて、と畜向けおよび肥育向けの家畜の生体輸出を禁止する計画外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます を発表した。ジョージ・ユースティスDEFRA相は「EU離脱により可能になった計画で、動物福祉改善への重要なステップ」と評する趣旨の発言をした。これに対し、NFUは、生体輸出は生産者にとって重要な選択肢として、家畜の健康に配慮した形で継続すべきと強く求める。ここでも対立が生じたかたちだ(「ファーマーズウィークリー」誌2020年12月3日)。なお、本計画の主な想定は、肥育またはと畜用途の牛と羊だ。鶏などの家きん類や、牛や羊であっても繁殖向けは対象外となる。

さらに、NFUは2021年3月22日、移行期間終了後、英国から欧州大陸への牛、羊、豚、ヤギの輸出が停止されているとしている。これは、EU側の国境管理施設(BCP)でこれらの家畜を受け入れていないなど、欧州大陸側のBCP が未整備のためとした。

実際の影響は限定的か

家畜の輸出を巡っては、政府と国内農業界、英国とEUの間で混乱が生じている。ただし、本計画による影響はある程度限られたものと考えられる。英国政府によると、2018年のと畜向けの欧州大陸への生体輸出は、約6,400頭だ。英国の年間と畜頭数(牛・羊の合計)が約1,800万頭であることを踏まえると、わずかな割合に過ぎない。また、NFUは、欧州大陸向け生体輸出に占める肥育・と畜向けの割合は全体の約5%としている(「ガーディアン」紙2021年2月5日)。そもそも、英国の牛肉生産量のうち輸出向けは約2割、羊肉は約3割にとどまる。英国の食肉産業にとって、主な市場は国内向けなのだ。

この点は、EUとの比較に視点を転じると、一層明らかになってくる。同じく動物福祉への意識の高いEUで同様の規制がない背景の1つに、EU内での家畜・畜産物流通の広域化がある。豚を例にみると、豚肉主要生産国であるデンマークは、環境や動物福祉に基づく飼養密度の国内規制のため、体長の大きな肥育段階まで飼育せず、子豚段階で、隣国ドイツや比較的規制が緩やかで賃金の安価なポーランドなどに輸出する傾向が高まっている。そして、ポーランドで肥育、と畜され、EU諸国で消費されるといった構造だ。つまり、サプライチェーンの広域化と生産段階での動物福祉規制が、結果的に輸送段階での動物福祉規制を妨げている側面がある。この観点で英国に視点を戻すと、英国は相対的に欧州本土に家畜・畜産物のサプライチェーンが統合されておらず影響も限定的という見立てが、本計画の背景にあると推察できる。もちろん、人々に受容されやすく、しかもEUでは実施が難しい政策を実施する、という政治的なアピールが内在していることも考えられる。

EU離脱を契機にゲノム編集計画を発表

3つ目に紹介する英国の新たな農業政策は、技術開発関連のものだ。DEFRAは2021年1月、ゲノム編集(注2)に関する計画外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます を発表した。ユースティスDEFRA相は、「ゲノム編集は、自然の遺伝資源を利用して、農家のコストと環境への影響を低減しながら、作物の繁殖性を高める可能性をもつ。EUは、ゲノム編集の可能性を閉ざされてきた。しかし離脱に伴い、科学と証拠に基づく政策を実施することができる」という趣旨で発言している。EUでは、2018年のEU司法裁判所の裁定において、2001年以降に開発された突然変異誘発技術に2001年のEU指令による遺伝子組み換えと同等の規制を設けることになっている。ゲノム編集は2001年当時に存在せず、遺伝子組み換えとは技術内容も異なる。しかし、事実上、遺伝子組み換えと同等に規制されることとなり、EUの科学者の間でも規制の変更を訴える活動が見られている。今回の発表には、EU離脱を機にEU司法裁判所の裁定にとらわれず、科学的妥当性・有用性から、柔軟に判断する英国の合理的姿勢が見てとれる。

なお、BBC(2021年1月7日放送)によると、農業関係の科学者や団体からは、この政策に対しておおむね歓迎の意思が表明された。食品産業団体の英国食品飲料産業連盟は、競争力と持続可能性を高める技術として期待する一方、将来的なEU向けの食品輸出への影響についても考慮すべきとしている(「ジャストフード」1月7日)。本格的な始動はこれからだ。しかし、本計画は1つの農業政策にとどまらず、新技術の国際的な競争にも関わっていくものと考えられる。

貿易、生産者支援策、労働力の3点から長期的見通しを示す

英国の農業の今後の見通しはどのようなものだろうか。英国を代表する農業関連公的機関、英国農業園芸開発公社は2021年1月、貿易、生産者支援策、労働力という3つの観点から、英国農業に関する長期的な見通しを示した。

まず、貿易については、英国の貿易協定を巡る状況から、比較的前向きな見通しを示した。すなわち、EUとの無関税、無割当の通商協定の締結、60を超える国とのEU離脱後の継続的な貿易協定の締結、アジア太平洋地域での新たな自由貿易協定(FTA)締結機会の創出により、今後の英国の貿易環境は良好と見ている。

次に、CAPの後継としての生産者支援策について、直接支払いの削減は、生産基盤の脆弱(ぜいじゃく)な穀物生産者や家畜生産者を中心に影響が深刻となるとした。また、従来通りの農業経営では、環境対応を求める新たな支援策の要件を満たさず、生産者の受給額は減少すると予想している。一方で、英国の生産者にはそれに対応する能力があるとして、与えられた状況下での前向きな取り組みを求めている。

対して、労働力については、その確保に見通しが立っていないのが実情だ。英国では、年間6万から7万人の農業季節労働者のうち95%がEU国籍とされている。しかし、離脱により、そのための自由移動が終了した。英国政府の新たな移民制度では、農業や食品産業関連の多くの職種が滞在・労働許可を得やすい技能労働に位置付けられていない。結果、労働力確保への懸念につながることになる。また、国内労働力の確保のため、他産業との競争から今後賃金の引き上げを迫られることも予想される。中長期的な対応を考えなければならず、課題があるという見立てだ。

主権回復後の農業政策は、いまだ不確実な様相

以上、EU離脱後の英国の新たな農業政策を概観してきた。その背景に一貫して見えるのは、EU離脱の根本的な目的である主権の回復だ。さらにそれは、3つの観点からとらえることができる。

1つ目は、政治的アピールだ。3つの農業政策いずれでも、EUによる制度的な制約や非合理性を批判しつつ、新たな政策の意義を強調している。現在も種々な混乱が生じている中、国民及びEUに対し最大限その意義や努力をアピールする姿勢が見て取れる。

2つ目は、実行可能性。単なるアピールにとどまらず、国民に受容されやすい政策、社会的・科学的に利益のある政策を、これまでに比べ容易に実行できる事実が認められる。国民の支持と実利を見込める政策を柔軟に取り入れる姿勢が示されたわけだ。

一方で、3つ目として、そうした新たな自由の代償としての不確実性がある。CAPの後継政策への懸念は強く、労働力確保は見通しが立っていない。アジア太平洋地域との貿易拡大は現時点で単に可能性に過ぎず、アジア太平洋地域側の期待も明らかとなっていない。政治的パフォーマンスと実利志向の融合としての新たな農業政策が実を結ぶか、現時点ではまだ不確実で、今後の本格的な始動を待つ必要がある。


注1:
ただし、EU離脱後の農業政策は、各地域(イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド)ごとの強い自律性の下で実施される。本計画は、イングランドにおいて適用される。
注2:
ゲノム編集とは、当該生物内部の特定遺伝子に変化を加え、突然変異を起こすもの。他の生物の遺伝子を取り入れる遺伝子組み換えとは、異なる。また、多大なコストや不確実性が課題だった従来の品種改良に比べて効率性が大幅に向上するとされ、日本やオーストラリアなどでもすでに研究開発が進んでいる。
執筆者紹介
ジェトロ・ロンドン事務所
根本 悠(ねもと ゆう)
2010年、農畜産業振興機構入構。2019年4月からジェトロに出向し、農林水産・食品部農林産品支援課勤務を経て2020年9月から現職。