ASEANの知財法整備に進展、日本企業も活用を
ジェトロと特許庁、海外もつなぎASEAN知財動向報告会をオンラインで開催

2020年8月12日

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大は、ASEAN地域での知的財産権(以下、知財)制度の基盤整備状況にも影響を与えている。マスクや消毒液に関する模倣品の増大といったマイナスの影響が生じつつあることは事実だ。しかし実は、日本企業がASEANでのビジネスを検討する上で明るいニュースも多い。例えば、ミャンマーで知財法の成立が近づいていたり、シンガポールやタイで知財関連手続きに関するオンライン化が促進されていたりする。

このような状況の下、ジェトロと特許庁は6月24日と25日、ASEAN知財動向報告会を開催。ASEANでの知財制度の整備状況や模倣品対策を紹介するのが目的だ。報告会は、オンラインセミナーの形態で実施した。バンコク、シンガポール、日本を中継して、ジェトロ駐在員や法律専門家ら両日計9人が講師として参加。24日は360人、25日は323人が視聴した。大規模なオンラインセミナーの開催は、ジェトロの知財事業として初の試みだ。

本稿では、ASEAN知財動向報告会での講演内容の一部を紹介する。

中国と韓国のASEAN向け知財出願が増加

報告会ではまず、ジェトロ・シンガポール事務所から、ASEANでの主要な知財動向に関して説明された。ASEANの知財動向において昨今の注目すべきポイントとしては、(1)ASEAN各国の国際出願に関する条約加盟、(2)中国・韓国からのASEAN各国への出願増加、(3)新型コロナウイルス感染症の影響、がそれぞれ挙げられる。

ASEANでは、マレーシアのマドリッド協定議定書(注1)への加盟(2019年12月27日)、ベトナムのハーグ協定(注2)への加盟(2019年12月30日)と、国際出願に関する条約加盟が続く。とくに、マドリッド協定議定書については、マレーシアの加入により、ミャンマーを除く全てのASEAN加盟国が同議定書に加入したことになる。特許協力条約(注3)についても、ミャンマーを除く全てのASEAN加盟国が加入している。すなわち、ASEAN域内への知財の国際出願の障壁は大きく下がってきているASEANでは昨今、特許と商標の国際出願の整備が進んでおり、次は、意匠の国際出願の整備を進めるフェーズに入りつつある。

続いて、ASEAN主要国の商標出願状況については、現在、中国と韓国からASEAN主要国への出願が増えている。とくにASEANの先進6カ国ではいずれの国においても、商標出願数で中国が日本を上回る。ベトナムでは、特許と意匠について、韓国企業の出願数が顕著に増加している。

図:ASEAN主要国の商標出願状況
ASEAN主要国の出願状況によれば、中国および韓国からASEAN主要国への出願が増えている。とくにASEANの先進6カ国における商標出願数については、いずれの国においても中国が日本を上回っている。

出所:WIPO統計資料からジェトロ作成

新型コロナウイルスの感染拡大で、ポジティブな効果もみられる。各国知財庁で知財関連手続きのオンライン移行が進んでいるのだ。

具体的には、インドネシア、フィリピン、タイで、書類のオンライン提出が推奨されている。シンガポールでは郵送や持参、ファックス経由での書類受付が完全に停止。知財庁での口頭審理も、ウェブ会議システムを用いて行われるようになった。タイでは、調停手続きがウェブで進められるようになった。ASEANでは、以前から知財関連手続きのオンライン化が進みつつあった。新型コロナウイルスの影響で、その普及が格段に早まっている。

その一方で、マスクやアルコール消毒液の模倣品が出回るような事態も発生している。この結果、病院などでの人的被害の拡大が懸念されている状況だ。模倣品対策には、政府・企業ともに今後一層の取り組みが求められるといえよう。


オンラインセミナーの様子(ジェトロ撮影)

シンガポールで審査期間短縮、インドネシアで特許実施義務撤廃の動き

シンガポール知的財産庁では、知財関連手続きの見直しや新しい取り組みが複数進められている。とくに、早期審査の拡大が進んでいる点は注目に値する。同国では従来、フィンテックや人工知能(AI)をはじめとした特定の技術分野が特許早期審査の対象として指定されていた。しかし、2020年5月の「SG Patent Fast Track」(注4)開始から、早期審査対象となる技術分野に制限がなくなった。また「12 Months File-to-Grant」(注5)によって、新興技術の審査期間がおよそ12カ月に短縮されるようになった。これらの取り組みは、審査のスピードが産業発展に結びつくという思惑のもとに行われている可能性もある。

インドネシアでは、特許実施義務(2016年改正特許法)の改正に動きがあった。特許実施義務とは、特許権者が特許権に基づく製造などを特許付与後36カ月以内にインドネシア国内で行う義務のことだ。この義務に従わなければ、特許技術を第三者が許可なく使用できる強制実施権や特許取り消しの対象となる。この義務に対しては、主に国外から多くの批判が寄せられていた。このことから、投資・雇用の促進を主としたオムニバス法案において、特許実施義務が定められた特許法第20条の撤廃が審議されている(ただし、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う影響で現在、審議停止中)。もっとも、国内の研究者を中心として、同義務の撤廃に反対する声もある。議論の動向には、注意を払う必要がある。

メコン地域では審査遅延と誤訳に注意、ミャンマーの知財法は試行待ちの状態

続いて、ジェトロ・バンコク事務所がASEANメコン地域の知財動向を説明した。

メコン地域で出願する場合は、「審査遅延」と「誤訳」という2つの問題に留意する必要がある。例えばタイにおいて特許の平均権利化期間は、化学分野で10.5年、医薬品分野で12.1年といわれており(2019年時点)審査遅延の問題が存在する。ただし、2015年時点で24人だったタイの特許審査官数は、2019年には106人にまで増えた。審査期間の短縮も進んでいる。このように、審査遅延の問題は徐々に改善されはじめている。また、同国商務省知的財産局と日本の特許庁は、「特許審査ハイウェイ(PPH)」(注6)を試行中だ。それも手伝って特許申請後、早くて1年ほどで査定が出るようになった。ベトナムでも、特許についてはPPHの利用で、権利化期間を大幅に短縮することが可能だ(通常の場合で約5年かかるところ、約6カ月まで短縮)。しかし、商標については早期審査の制度もない。現状、法定期間を大きく上回り、一般に約3年もの期間を要している。

メコン地域で出願を行う際の注意点として、誤訳の問題も挙げられた。例えば、マドリッド協定議定書によってタイを指定国とする商標出願の審査が行われる場合、英語で記載された商品・役務は、同国の知的財産局内でタイ語に翻訳されることになる。その手続きの過程で誤訳が生じ適切な審査が行われないリスクがある。誤訳が発見された場合、公開公報から60日以内に審査官に対して誤訳の修正を依頼する必要がある。同様に、ベトナムにおけるPPHを利用する際も、特許クレーム(注7)をベトナム語に翻訳する際に誤訳が生じ、速やかな権利化につながらないケースもある。もっとも、これらは出願人の努力により防げる余地がある。現地代理人とコミュニケーションを密にすることが重要だろう。

最後に、ミャンマーでの知財法成立の動きについて説明があった。同国では、2019年1月に意匠法と商標法、同年3月に特許法、同年5月に著作権法がそれぞれ法案として成立済みだ。しかし、いずれの法律もいまだ施行されていない。今後は、知的財産局の新設に合わせて商標法が施行。その6カ月後に意匠法・著作権法、1年後に特許法が施行されることになっている。また、知的財産局の開設以前に、登記・先使用商標の出願だけを優先的に受け付ける期間が設けられる予定だ。この場合、出願内容に不備がなければ、出願日は知的財産局の開設日とされるものと見込まれる。なお、同国で相対的拒絶理由の審査が実施されるのは、異議申し立てがされた場合に限られる。十分な注意が必要だ。

ジェトロが提供する知財施策の効果的な活用を

このほか、本報告会では、2019年度に実施された調査結果についても紹介された。具体的には、ASEAN地域の法律事務所、産業財産権データベース、審判制度、模倣品流通実態、インターネット上の模倣品対策、知財統計情報、特許審査基準、冒認商標出願、商標の識別性、知的財産鑑定といったテーマで調査を実施済み。これらの結果は、ジェトロの「知的財産に関する情報」ページで閲覧できる。

ジェトロでは、今後もASEAN地域の知財制度に関するオンラインセミナーを実施する予定だ。セミナーの詳細は、「東南アジア知財ネットワーク」のメールマガジンなどでお知らせしている。会員登録を希望される方は、ジェトロの東南アジア知財ネットワークのウェブサイトから申し込むことができる。


注1:
商標について、指定締約国においてその保護を確保できることを内容とする条約。
注2:
意匠について、登録手続の簡素化と経費節減を目的とした国際条約。
注3:
国ごとに特許を出願する手間を解消するための国際条約。条約に従って1つの出願願書を提出することで、全条約加盟国に同時に出願したことと同じ効果が生じる。
注4:
2020年5月から、シンガポール知的財産庁によって試行されている特許早期審査制度。
注5:
新興技術に特化した早期審査制度。シンガポール知的財産庁によって試行されている。
注6:
各国特許庁間の取り決めに基づき、第1庁(先行庁)で特許可能と判断された発明を有する出願について、出願人の申請により、第2庁(後続庁)において簡易な手続で早期審査が受けられるようにする枠組み。
注7:
特許出願人が特許を受けようとする発明を特定するために必要な事項を記載したもの。特許された後に権利範囲を定める基準にもなる。
執筆者紹介
ジェトロイノベーション・知的財産部知的財産課
中山 尭彰 (なかやま たかあき)
2019年、ジェトロ入構。同年から現職。