【中国・潮流】量から質へ成長方式の転換を図る中国
イノベーションの鍵を握るスタートアップ

2019年5月10日

2019年3月5~15日に開催された第13回全国人民代表大会(全人代)については、「実務的な内容であった」という評価が広くなされている。2018年の全人代は、5年に1度開催される共産党大会の直後に開催され、国家主席の任期上限撤廃を始めとする憲法改正などが審議されたのに比べ、2019年は大きな審議事項がなく、李克強首相の政府活動報告の内容も、直面する経済的課題に対する具体的な対応などが中心となった。立法面で注目されたのは、「外商投資法」の制定であった(2019年3月20日付ビジネス短信参照)。

成長率を抑えつつ、「量から質」への転換を図る

中国経済の減速については、国内外でしばしば報道されているところであるが、中国政府は、今後の発展の方針として「質の高い発展」を明確に掲げ、成長率を抑えつつ、イノベーション牽引型への転換を図るとしている。筆者が全人代の会期中にヒアリングを行った中国の有力研究者によれば、こうした構造改革の過程には痛みを伴うため、減税や社会保険料の引き下げ、一部金融緩和を行い、影響をこうむる民営企業などに対応するための猶予を与えること、また、新しい状況に労働力を適応させることが重要であり、そのために職業訓練を含め、雇用面でも手厚い措置を講じている。

「外商投資法」は、外資系企業に関する基本法として数年前から準備が進められていたが、米中貿易摩擦を背景に、制定を急ぐ代わりに、条文を大幅にスリム化したものである。ネガティブリストを用いた内国民待遇、技術移転の強制の禁止、外国送金の自由の保証など、これまで、諸外国、外資系企業から要請があった条項を盛り込む一方で、わずか42条の概括的な規定ぶりにとどまったことから、実効性について疑問を呈する報道が少なくない。既に政府各部門で関連法規の制定作業が始まっており、その中で実効性ある措置が取られるよう注視しつつ、働き掛け続けることが重要である。

中国では最近、日米貿易摩擦やバブル後の日本が規制緩和や市場開放を通じて構造改革を進めたことに注目する論調が目立つ。痛みを伴う改革を通じて、質の高い経済へと構造転換を図ることが課題となる中で、日本の経験への関心が高まっている。

イノベーションを担うスタートアップが不可欠

「質の高い成長」を実現する上で、旺盛なイノベーションや、それを担うスタートアップが不可欠だ。中国南部では、広東省、香港およびマカオを一体として振興する「粤港澳大湾区」という地域建設が進んでいる。筆者は2019年1月下旬に、イノベーション基地として有名な広東省深センにある「前海蛇口自貿片区」を訪れた。ここでは、起業を目指す香港の人材に税金の一部還付、廉価な住宅や事務所の提供など、さまざまな優遇措置を与えている。

香港は人材が豊富である一方、起業のためのコストが高い。すぐ隣にある深センでは、ベンチャーへの投資が得られやすいこと、試作品製作を請け負う企業が多いこと、背後に大きな大陸市場が控えていることなどを強みに、既に多くの起業家を引き付けている。同区の責任者からは、日本の起業家にも同様に優遇措置が適用されるので、ぜひ来てほしいとの期待が寄せられた。

一方、中国で最もユニコーン企業が多くベンチャー投資額が高いのは、深センではなく北京、とりわけ市西部の大学集積地を中心とする中関村だ。3月末に、中国日本商会(北京に所在する日系企業を中心とした商工組織)で視察団を組織して訪れた。訪問先は、Tus Star(清華大学傘下のインキュベーション施設)、Plug and Play(シリコンバレーを拠点とするアクセラレーター。大企業などが抱える課題を解決できるスタートアップ企業との間のマッチング機能を有する)、中関村ソフトウェアパークの3カ所。日本の大企業と協力を希望するスタートアップ企業は多く、前2者の施設からは、日本企業との交流を強化していきたいとの意向が強く示された。

近時、大手企業では課題解決を自社で行うのではなく、スタートアップを中心とした外部の企業に行わせる動き(オープンイノベーション)が広がっていることから、こうした交流は日中双方にとってメリットが多い。中関村ソフトウェアパークで意見交換を行ったある企業は、日本の大学に長く滞在した中国人が帰国して設立した会社で、日本の優れたセンサー技術を生かした、高齢者の見守りサービスなどに使われる商品(心拍数などのデータから、異変を前もって検知)を開発していた。中国の市場規模と治験のしやすさ、恵まれた起業環境と、日本の技術を組み合わせたスタートアップの例と言える。

中国のスタートアップ企業には、日本への進出に関心を持つ者が増えている。日本の人材、技術、コンテンツは、中国側から高い評価を受けており、また、消費財については、厳しい日本の消費者の評価に堪えることが、世界における信頼につながるというのがその理由だ。

執筆者紹介
ジェトロ・北京事務所 所長
堂ノ上 武夫(どうのうえ たけお)
1987年、通商産業省入省、在中国大使館書記官(1996~1999年)、通商産業省貿易局輸入課長補佐(1999~2001年)、九州経済産業局総務課長(2001~2003年)、在中国大使館参事官(2003~2007年)、経済産業省国会担当参事官(2007~2009年)、日中経済協会北京事務所長(2009~2011年)、在中国大使館公使(2011~2013年)、特許庁総務課長(2013~2014年)、特許庁総務部長(2014~2015年)、経済産業省大臣官房審議官(2015~2017年)等を経て、2017年から現職。