4月から施行の雇用法改正、適用対象者を拡大へ(シンガポール)
2019年3月1日
2019年4月1日、シンガポールにおいて改正雇用法が施行される。同法の改正により、適用対象となる従業員の範囲が大きく拡大され、雇用主は就業規則や雇用契約など社内制度の見直しが必要となる。ジェトロでは2019年1月23日、地場法律事務所のラジャ・タン法律事務所から講師を招き、雇用法のセミナーを開催した。同セミナーにおける大塚周平弁護士らの解説を交えながら、今回の雇用法改正のポイントを解説する。
改正雇用法施行による従業員保護の拡充
日本の労働基準法に相当する改正雇用法が2018年11月、シンガポール国会で可決、成立した。同法は2019年4月1日に施行される。
雇用法は同国での労働条件などに関する基本法であり、今回の改正では、雇用法の対象となる従業員の範囲が大きく拡大する(図参照)。これまで、雇用法の適用従業員は「非管理職および月額基本給4,500シンガポール・ドル(約36万9,000円、Sドル、1Sドル=約82円)以下の管理職」だったが、改正雇用法では月額基本給上限が撤廃され、全従業員(注1)に適用される。また、同法第4章には、勤務時間・残業時間の制限、残業代支給、週1日の休暇(週休)付与の義務など、雇用条件に関わる規定について明記されているが、同規定の対象範囲も拡大される。改正前、「月額基本給2,500Sドル以下の一般従業員および月額基本給4,500Sドル以下の単純労働者」としていた適用対象者のうち、一般従業員については、月額基本給上限が2,600Sドルに引き上げられた。シンガポール人材省(MOM)によると、今回の改正で、新たに約43万人の管理職が改正雇用法の対象になり、約10万人の一般従業員が同法第4章の対象となる見通しだ。
今回の改正には、シンガポールの労働者層のプロファイルと雇用慣行の変化に対応する狙いがある。MOMによると、現地従業員の半数以上が専門職や管理職、技術者となっており、2030年までにその比率が約3分の2に拡大する見込みだ。
当改正により、雇用主と従業員間の紛争解決手段の充実化も図っている。今回の法改正では、従来、一定金額以下の賃金関連紛争のみ扱ってきた労使紛争審判所(ECT)が、不当解雇紛争についても管轄する。ECTは2017年4月に、労使紛争の当事者による安価かつ迅速な解決を目指すために創設された裁判機関だ。不当解雇紛争はこれまで、雇用法の適用対象者についてはMOMを通して提訴をする一方、雇用法の適用対象外の従業員は通常民事訴訟の選択肢しかなかった。今回の双方の一本化で、労使紛争の解決手段が強化されるとともに、より効率的な解決が図られるようになる(注2)。
当改正ではこのほか、残業時間手当の積算基礎に使用する月給上限を2,250Sドルから2,600Sドルに引き上げる。また、病気休暇取得の際に提出が必要な医療診断書(MC)の要件を緩和し、政府または企業が特定する医師によるMCが必要だったものを、法令に基づいて登録された医師によるMCであれば、休暇取得が可能とした(注3)(表参照)。
さらに、これまで同法第4章対象者のみに適用されていた最低年次有給制度は、全従業員に適用される。雇用主は、試用期間中かどうかを問わず、3カ月以上勤続した従業員に対して、1年間の雇用につき最低7日、勤続期間に応じて最大14日の年次有給休暇を付与しなければならない。
表:改正雇用法による主な変更点(一部抜粋)
変更点 | 改正前 | 改正後 |
---|---|---|
雇用法適用対象範囲の拡大 | 非管理職及び月額基本給4,500Sドル以下の管理職 | 月額基本給上限が撤廃。全従業員が雇用法の対象に。 |
雇用法第4章適用対象範囲の拡大 | 月額基本給2,500Sドル以下の一般従業員および月額基本給4,500Sドル以下の単純労働者 | 月額基本給2,600Sドル以下の一般従業員および月額基本給4,500Sドル以下の単純労働者 |
病気休暇取得の際に提出が必要な医療診断書(MC)の要件緩和 | 政府または企業が特定する医師によるMCが必要 | 法令に基づき登録された医師によるMCであれば、取得が可能 |
変更点 | 改正前 | 改正後 |
---|---|---|
労使紛争解決であるECTの管轄範囲の拡大 | 賃金関連紛争はECTが管轄。不当解雇紛争は、MOMを通した提訴もしくは通常民事訴訟 | 賃金関連紛争と不当解雇紛争をECTに一本化 |
出所:2018年12月31日付MOM資料よりジェトロ作成
改めて対応すべき雇用者義務
雇用主は雇用法に基づき、従業員に対する「雇用者義務(注4)」を課せられている。主な雇用者義務に、雇用条件の書面交付、従業員の記録保持、給与等の支払い時期や給与明細の交付などの給与関連規則の整備、各種休暇制度などがある。雇用法改正により全従業員が適用対象となることに伴い、雇用主には、従業員との間の雇用契約、就業規則の整備やその運用について見直しが求められる。
また、同法第4章適用対象の拡大に伴い、新たに対象となる一般従業員に対しては、同章に基づく勤務時間・残業時間の制限や残業代支給などの雇用条件に関わる義務に対応しなければならない。仮に、雇用主が法改正に基づく整備を怠って法令違反が生じた場合、罰則が科せられるので注意が必要だ。
政府の通報案件調査への準備や社内制度の更新を
今回のセミナーにおいて、雇用法に基づき適切な解雇手続きを行うよう注意喚起が行われた。雇用主は従業員を解雇した場合に不当解雇と追及されないよう、適切な解雇手続きについて理解・整備しておく必要がある。雇用法上の解雇には2通りあり、1つは解雇理由を被雇用者に述べる必要のない「無理由の解雇」、もう1つは被雇用者が発生させた雇用条件違反など懲戒理由に基づく「懲戒解雇」である。このうち、「無理由の解雇」は、契約解除を事前に通知する予告通知期間や、予告通知期間に代わる給与相当額の支払い条項などの雇用契約上の解雇条項にのっとった手続きをする必要がある。他方、「懲戒解雇」は、従業員による雇用条件の明確な違反があった場合、即時に解雇ができる。ただし、懲戒理由の有無について適正な調査を実施し、必要に応じて弁明の機会を与える必要がある。
不当解雇と指摘されないためには、解雇に対する適切な評価基準や解雇手続き等に関する社内制度の構築が不可欠だ。ECTが2017年4月の開設から2018年11月末までに対応した賃金関連紛争は、約1,700件に上る。さらに、大塚弁護士は「シンガポールでは労使問題が発生した場合は従業員側がMOMなど当局へ通報することも多い」と警鐘を鳴らす。
当局は通報があった場合、書面やeメール、電話での聞き取り調査のほか、インタビューや書面提出を求める場合もある。同氏は「この調査は行政手続きとして実施され、違反が認定されると就労ビザ発行手続きなど他の行政手続きにも影響を与える恐れがある」とし、「(調査の対応窓口となる)総務・人事部門の適切な対応に向けた研修、法律家など専門家による法的アドバイス、社内制度の継続的なアップデートが重要だ」と指摘した。
さらに同氏は、こうした紛争の増加や当局の厳しい姿勢に対応するため、適切な社内制度の運用に向けて、例えば、本社規程をシンガポール法に合わせず、そのまま運用していないか、社内ハンドブックが数年にわたり未更新の状態になっていないかなど、「社内制度のコンプライアンス違反がないか、ヘルスチェックをすべきだ」と述べた。
なお、こうした各社の取り組みに当たっては、当局が公表している「公平な雇用慣行に関する三者協定ガイドライン 」や「余剰人員の管理・責任ある整理解雇に関する三者協定ガイドライン 」などの労働関連ガイドラインが参考となる。また、MOMは「不当解雇に関する三者協定ガイドライン」の公表を予定している。
- 注1:
- 公務員、家事労働者、船員については、それぞれ別の法令が存在し、雇用法の適用対象に含まれない。
- 注2:
- ECTでの紛争対応の前に、紛争管理機関(TADM)による調停が行われ、TADMによる調停が成立しない場合、ECTが対応する。
- 注3:
- 改正雇用法の詳細はガイドブック(5.9MB) 参照。
- 注4:
- シンガポールの労働法制については「シンガポールの労働法制について(2018年7月)(622KB) 」参照。ただし、2019年3月現在、改正前の雇用法に関する記載のため、留意されたい。
- 執筆者紹介
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ジェトロ・シンガポール事務所
源 卓也(みなもと たくや) - 2013年、富山県庁入庁。2017年4月よりジェトロへ出向。海外調査部アジア大洋州課を経て2018年4月よりジェトロ・シンガポール事務所にて、シンガポールの調査・情報提供に従事。