スタートアップ・エコシステムの構築を目指す(香港)

2018年4月19日

スタートアップ企業がけん引するイノベーションの動きが世界規模で拡大している。香港特別行政区政府(以下、香港政府)も、2017年7月に就任した林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官の下、イノベーションに積極的に取り組む意向を示している。本稿では、香港のスタートアップ企業の状況やそれを取り巻く環境を分析し、日本企業を含めた香港でのスタートアップ・ビジネスの展開について展望する。

「発展途上」にある香港のスタートアップ環境

陳茂波財政長官は、2018年1月29日に開幕したスタートアップ向けのイベント「StartmeupHK Festival 2018」(注1)の一環で開催された「ベンチャー・フォーラム」において講演し、「香港は世界第3位の国際金融センターであり、『一国二制度』体制の下、中国とは異なるルールで経済が運営されている」とした。

香港独自の優位性には (1)コモン・ローに基づく法の支配、(2)行政の高い透明性、(3)低税率、(4)中国に加え、アジア各都市へのアクセスが良好な地理的位置付け、(5)高水準の金融・プロフェッショナルサービスの提供が可能、(6)厳格な知的財産権の保護、などが挙げられる。こうした香港のビジネス環境はスタートアップ・ビジネスやイノベーションの展開にも資するものである。

しかし、香港のスタートアップやイノベーションへの取り組みは「発展途上」段階にある。国内総生産(GDP)に占める研究開発(R&D)支出の割合をみると、韓国が4.24%(2016年)、中国が2.12%(2017年)なのに対し、香港はわずか0.79%(2016年)にとどまる(各国・地域のGDPに占める研究開発支出の割合は図を参照)。この理由は、香港の産業構造がすでに成熟しており、金融、不動産、卸売り・小売業、貿易関連業などの第3次産業が主体となっていることや、人気のある就職先は金融業界や不動産ビジネスを行う財閥企業、もしくは公務員などで、起業意欲が高くないことが挙げられる。

図:各国・地域におけるGDPに占める研究開発支出の割合(2000~2016年)
2016年の各国・地域におけるGDPに占める研究開発支出の割合は、香港0.79%、中国2.11%、米国2.74%、日本3.14%、韓国4.24%であった。
出所:
経済協力開発機構(OECD)、香港特別行政区統計処の資料を基にジェトロ作成

しかし近年、変化もみられる。Invest HK(香港投資推廣署)の調査によると、2016年の香港のスタートアップ企業数は前年比24.0%増の1,926社、スタートアップ関連就業人数は同41.0%増の5,229人と、いずれも大幅に増加した。就業者を出身国・地域別でみると、香港人が62.0%を占めている一方、海外・中国大陸出身者も35.0%を占めており、香港のスタートアップ・ビジネスがさまざまな国・地域の出身者に支えられていることが分かる。

香港政府も取り組みを強化

政府の支援は、スタートアップ・ビジネスの発展に不可欠である。香港政府も科学技術、イノベーション分野を経済発展の新たなエンジンとするべく、施策を強化している。

現在展開されている具体的な施策としては、香港政府が2017年9月、20億香港ドル(約280億円、1香港ドル=約14円)を投入し設立した「技術革新ベンチャー基金(ITVF)」がある。この基金は、ベンチャーキャピタルとの共同出資の形態で香港のテクノロジー・スタートアップに投資し、企業の発展を支援する政策である。このほか、大学への研究資金の投入、イノベーションや研究開発に関連する設備投資に対する優遇税制などの政策も段階的に実施される見通しである。(香港政府が提供している支援計画の詳細については表を参照)

表:香港政府のスタートアップ向け支援策一覧表

インキュベーション/アクセラレーター・プログラム
プログラム 関連部署・組織 支援対象 支援形式・補助金額
Cyberport Incubation Programme サイバーポート IT関連スタートアップ スタートアップのアイデアを実現するため、約24カ月間のインキュベーション期間に33万香港ドルまでの補助金を提供。
Cyberport Accelerator Support Programme サイバーポート サイバーポートのインキュベーション/アクセラレーター・プログラムの参加者・経験者 香港・中国本土・海外で実施したアクセラレーター・プログラムへの参加費用として30万香港ドルまでの補助金を提供。
Incubation Programmes by Hong Kong Science and Technology Parks Corporation 香港科技園 テクノロジー関連スタートアップ Incu-Tech(3年)、Incu-Bio(4年)、Incu-App(18カ月) 三つのスキームがあり、同園内にオフィス・施設および多様な支援サービスを提供。
Leading Enterprises Acceleration Programme 香港科技園 香港科技園の入居企業、インキュベーション・プログラムの参加者・経験者 エリートのスタートアップを地域・世界の技術巨人に育成するため、ウェブ/モバイルアプリケーション(18カ月)、テクノロジー(24カ月)、または生物医学技術(30カ月)分野におけるスタートアップに支援を提供。
TechnoPreneur Partnership Programme 香港科技園 21のパートナー組織メンバー 香港内のスタートアップ関連組織(香港の六大学、アクセラレーター、コワーキングスペース、スタートアップ・コミュニティーのキープレーヤーを含む)とパートナーシップを組んで、支援サービスをシェア。
コワーキング・スペース
プログラム 関連部署・組織 施設概況・支援内容
Cyberport Smart-Space サイバーポート 1カ月から12カ月の契約期間で臨時的なオフィスの賃貸が可能。
HKSTPC Soft Landing Centre 香港科技園 同センターは、香港、中国本土、または他のアジア地域でのテクノロジー関連ビジネス展開を検討している起業家に支援を提供し、外国人材を香港に誘致。
Co-working space programme 香港科技園 香港科技園の入居スタートアップ企業は同園内のコワーキングスペースに加え、同園の北京・天津・上海・深センにおけるパートナーのコワーキングスペースが利用可能。
財政支援
プログラム 関連部署・組織 支援対象 支援形式・補助金額
Cyberport Creative Micro Fund サイバーポート 選定されたプロジェクト(申し込み資格:18歳以上の香港永住権IDカード保有者) 起業家のアイデアをプロトタイプ化するため、選定されたプロジェクトごとにシードファンドとして10万香港ドルを提供。
Technology Start-up Support Scheme for Universities 創新科技署 香港大学、香港中文大学、香港城市大学、香港科技大学、香港浸会大学、香港理工大学 テクノロジー関連ビジネスをスタートし、校内の研究開発成果の実現化を促進するため、上記の大学にそれぞれ年間400万香港ドルの資金を提供。
Angel Investment Matching 香港科技園 特定されていない 起業家とエンジェル投資家とのマッチング、香港ビジネスエンジェルネットワークへのアクセスを提供。(※一般的には、同プログラムにおける投資家の目標投資額は100万米ドル以下となっている)
Innovation and Technology Venture Fund (“ITVF”) 創新科技署 香港の地場スタートアップ 民間VCから香港地場スタートアップへの投資を促進させるため設立した香港政府は20億香港ドル規模のファンドを成立し、1:2の比率で、マッチングの形式で、民間VCとともに共同出資の形で地場スタートアップに出資。
Cyberport Macro Fund サイバーポート サイバーポートのICT関連入居企業、インキュベーション/アクセラレーター・プログラムのICT関連参加者・経験者 民間や公的投資家からより多くの投資資金を誘致するため、同施設のICT関連入居企業に2億香港ドルの投資資金を投入。(※プロジェクトごとの投資額は100万~2,000万香港ドル)
Corporate Venture Fund 香港科技園 香港科技園の入居企業、インキュベーション・プログラムの参加者・経験者 5,000万香港ドルのCVFは初期段階のスタートアップに、シード・ステージからシリーズAまでの段階の資金を共同出資の形で提供。(※1プロジェクトの出資額は200万~300万香港ドルとなり、最大出資額は800万香港ドル)
Science Park Venture Partnership Programme 香港科技園 香港科技園への投資準備が整ったテクノロジー関連企業 園内の投資準備が整ったテクノロジー関連企業と著名なベンチャーキャピタル企業およびコーポレートベンチャーとマッチング。
出所:
香港特別行政区イノベーション・テクノロジー局のウェブサイト

加えて、香港政府はイノベーションやスタートアップの発展環境の整備・改善にも乗り出している。

ハード面では、イノベーション関連施設「香港科技園(Hong Kong Science & Technology Park)」(注2)および「サイバーポート(Cyberport)」(注3)が設置されている。特に、サイバーポートの施設内には「スマートスペース(Smart Space)」というコワーキング・スペースが設置されており、起業家にオフィススペースを提供している。

ソフト面では、両施設は、スタートアップあるいはイノベーション関連企業に対し、さまざまななアクセラレーター(注4)・プログラムやインキュベーション(注5)・プログラムを提供している。香港発のスタートアップだけでなく、海外でのスタートアップに対しても支援を行っている。さらに、サイバーポートは2017年11月、入居企業の資金調達や案件形成の能力を向上させるため、「Cyberport Investor Network(CIN)」という投資家とのネットワーク構築に向けたプラットフォームを設置した。世界中のベンチャー投資家、エンジェル投資家(注6)、プライベート・エクイティ・ファンドの誘致を目指している。


香港科技園(ジェトロ撮影)

サイバーポートの「Smart Space」(サイバーポート提供)

海外にもネットワークを広げる香港発スタートアップ

出遅れたようにも思える香港のスタートアップ・ビジネスだが、ここ数年は関連企業数の増加に加え、知名度のあるスタートアップ企業も誕生しつつある。

具体的な企業の事例としては、2017年に香港初のユニコーン企業(注7)にまで成長したオンデマンド物流プラットフォーム「GoGoVan」が挙げられる。同社の創業者は、運転手などの輸送サービス提供者と物流サービス利用者との間の需給関係が、時間帯や季節によっては大きく変動し、輸送サービス提供側の供給が過剰となっていることに着目した。2013年に同社を創立し、運転手や企業の物流サービスのマッチング・プラットフォーム・ビジネスを開始した。同社は、香港政府が所管するイノベーション関連施設「サイバーポート(Cyberport)」のインキュベーション・プログラムの参加者として、同施設の10万香港ドルの「Cyberport Creative Micro Fund (CCMF)」などの支援も得つつ発展し、2017年時点の香港内におけるサービス利用者数は100万人を超えた。さらに2017年8月、中国の物流サービス企業である「58速運」と経営統合した。58速運の中国国内ネットワークを活用してビジネスの幅を広げ、現在では、世界110以上の都市に120万人もの運転手を擁する物流プラットフォーム企業に成長した。同社は今後、アジアの各都市へのビジネス展開を検討している。

その他の代表的な企業としては、小売店での支払い・個人間送金やグローバル送金が可能な電子マネーアプリを提供する「TNG Wallet」が挙げられる。同社は2015年に設立された。その拠点はサイバーポート外に設置されたが、サイバーポートのサービスを享受できる「サイバーポート・オフサイト・テナント」として位置付けられ、同施設のサポートを受けてきた。同社は現在も、サイバーポートの「イノベーション・コミュニティー」のメンバーである。2017年にはロンドンで開催された「フィンテック・ウィーク」に参加するなど、知名度の向上にも努めている。TNG Walletは香港で最も普及している電子マネーアプリで、香港の1,000以上の小売店舗で利用できる。このアプリの利用者数は80万人にのぼる。さらに同社は、香港にフィリピン人のメイドが多く居住していることから、フィリピン本国への送金ニーズが高いことに着目した。フィリピンを含むアジア14カ国・地域(注8)においてP2P(個人間)送金サービスを展開している。これらの国・地域では、852の提携金融機関を含む18万3,045カ所の窓口で現金の引き出しが可能となっている。

民間の取り組みも活発化

香港のスタートアップ・エコシステムの充実には、政府からの支援のみならず、民間部門の自発的な取り組みも不可欠だ。10年前、香港にはスタートアップの関連施設が存在しなかった。しかし、Invest HKの2016年の発表によると、香港には48のコワーキング・スペース、5,618のワーキング・ステーションがあり、関連施設が充実しつつある。

本稿では、民間部門が設立したコワーキング・スペースのうち、「MakerBay(メーカーベイ)」および「GoodLab(グッドラボ)」の2カ所を取り上げる。

MakerBayは2015年に設立され、現在香港に2カ所の拠点を有する、香港で最も歴史の長いコワーキング・スペースの一つである。新界地区の荃湾に位置する本部には、コワーキング・スペース(1日単位でレンタル可能)、固定スペース(1カ月単位でレンタル可能)、スタジオ(3カ月単位でレンタル可能)が設けられているほか、加工作業ができるように3Dプリンターや金属・木材切断機などの機械も用意されており、モノ作り系のスタートアップ企業に適した施設となっている。

MakerBayで起業した企業には、VR技術と結合した投影機を製造する「Looking Glass」や、地上配達ドローンを開発した「Starship」などがある。


MakerBayの創設者である原田実氏(ジェトロ撮影)

同施設の創設者である原田実(シーザー・ハラダ)氏は、「学生向けワークショップを開催するなど、若い世代の好奇心を喚起し、起業家への支援を行うことがMakerBayの理念である」と語る。原田氏は地元のスタートアップ企業をサポートするため、倒産した企業の機械を購入し、一度失敗した企業に再挑戦の機会を与えることもあったという。加えて、MakerBayは他のコワーキング・スペースと「競争」でなく「共生」の関係を築くことで、香港のスタートアップ・エコシステムのさらなる充実を目指していくとのことだ。

原田氏によれば、最初は広東省深セン市に拠点を置くことを検討したという。しかし、深セン市は賃料などのコスト面では優位性があるものの、資材の調達にあたり、外国人に対する提示価格が地場企業に比べて高いなどの課題があった。そのため、最終的に香港での拠点設置を選択したという。原田氏は香港の魅力について、「国際的視野を持つ人材が豊富で、価格・規制などの面で透明性が高い。治安も良好であり、企業に安心感を提供できる点が最も評価されている。また、中国と異なり、インターネットへの接続、情報や資金の流通が自由であることも香港の強みである」、「MakerBayはアジアや中国への展開を目指すハードウエア系のイノベーション企業にとって理想的な拠点である」と語る。


MakerBayのコワーキング・スペース(油塘にある旧本部にてジェトロ撮影)

MakerBay内の金属・木材切断機(油塘にある旧本部にてジェトロ撮影)

同じ九龍地区の長沙湾に2012年に設立されたGoodLabは、マンションに併設されたコワーキング・スペースで、その面積は2万3,000平方メートルに及ぶ。同スペースを運営する張凌瀚氏は、単なるスペースの提供ではなく、スタートアップ企業にとって極めて重要な人とのつながり・コミュニティー・ネットワークの構築を重視している。そのため、共有スペースを活用してネットワーキングイベントを頻繁に開催し、各入居企業が有意義なコミュニケーションを図れる環境を提供している。また、政府部門や大企業との共同プロジェクトを通じ、政府・各業界の従業員のスタートアップ精神の喚起やイノベーションを活用したオペレーションモデルを図るなど、香港社会全体のスタートアップ・マインドの育成も目指している。


GoodLabのコワーキング・スペース(ジェトロ撮影)

GoodLabの共有スペース(ジェトロ撮影)

スタートアップ環境の向上による日本企業のビジネスチャンス拡大に期待

香港でスタートアップ・ビジネスを展開するには、賃料などの高コストや起業を目指す人材が少ないことなどが課題となる。しかし、近年民間が運営するコワーキング・スペースも増えており、低コストでスペースを確保することも可能となりつつある。

米国のシンクタンク、ヘリテージ財団によれば、香港は「24年間連続で世界一自由な経済体」とされている。こうした自由なビジネス環境で起業を志向する人材が増加すれば、香港のスタートアップ・ビジネスはさらなる発展が期待できる。

一方、現在香港科技園に入居している日本企業は4社、サイバーポートにおいても、入居企業のうち日本企業の比率はわずか3%にとどまっている。香港での日系企業のビジネスは小売りや飲食分野が中心となっているが、香港のスタートアップ環境の向上が日本企業の香港でのビジネスの幅を広げることを期待したい。


注1:
香港政府の投資促進機関である「香港投資推廣署」(「Invest HK」)は、2013年からスタートアップ促進のためのプラットフォームとして「Startmeup HK」を立ち上げ。毎年香港と海外のスタートアップを集めた「StartmeupHK Festival」を開催している。2018年は、1月29日~2月2日に当該イベントを開催し、ベンチャー・フォーラム、ピッチコンテストやネットワーキングイベントなど、さまざまなスタートアップの出会いの場を提供し、スタートアップ・ハブとして香港の魅力をPRしている。
注2:
香港科技園は、建設資金を政府が出資し、香港の法律に基づいて設立された「香港科技園公司」が100%自己資金で運営している。研究開発(R&D)を中心に、園内への企業の誘致のみならず、アクセラレーター、インキュベーションなどのプログラムも実施し、入居企業の海外進出の支援も行っている。約630社のハイテク関連入居企業のうち、263社がスタートアップ企業である。
注3:
サイバーポートは、香港政府が2003年に建設し、フィンテック、ビッグデータ、スマートシティー、eスポーツ、IoT分野のスタートアップ支援を行っている施設である。540社の入居企業のうち、403社のスタートアップがスマートスペースに入居している(2018年3月時点)。
注4:
スタートアップ企業を成長させるプログラムを提供する企業。
注5:
事業の創生、育成のこと。
注6:
創業されたてのベンチャー企業などに投資を行う投資家のこと。
注7:
企業としての評価額が10億米ドル(約1,100億円)以上の、非上場のベンチャー企業を指す。
注8:
中国、香港、フィリピン、マレーシア、インドネシア、オーストラリア、シンガポール、タイ、ベトナム、ネパール、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、インド。
執筆者紹介
ジェトロ・香港事務所
カン カレン
2016年香港大学文学部日本研究学科卒業。2016年9月より現職。