特集:世界の貿易自由化の新潮流 投資が再び多国間交渉の舞台に
2017年10月16日
かつて先進国が主導したWTOにおける投資ルール形成の議論は、途上国の反発に遭い頓挫した。しかし今、自身の投資主体としての存在感を認識した途上国が、多国間の投資ルール設立を「円滑化」という切り口で模索しつつある。主役が交代しての国際投資ルール形成は進むか、注目が集まる。
国際交渉の場からいったん姿を消した投資分野
世界の直接投資は1980年代以降急速に拡大を続けている。対外直接投資残高は2016年末時点には、1990年比で約12倍にまで増加した(図)。投資活動の活発化に伴い、それを規律する国際ルールの必要性は従来から指摘されていた。既存の規範としては、WTOの貿易関連投資措置(TRIM)協定がある。TRIM協定は、WTOの紛争解決機能を使用できる点とも相まって、投資受け入れ国による外資企業への差別的措置を撤廃することで、企業活動の予見可能性を高めた画期的な協定であった。一方、TRIM協定の適用範囲は貿易に関する投資措置に限定され、投資活動全体を網羅したルールではない点で不十分である。
そこで、WTOのドーハ・ラウンドでも新たな分野としての投資ルールの取り込みが議論された。1996年にWTOのシンガポール閣僚会議で、貿易円滑化、政府調達の透明性、競争とともに、投資もWTO体制に組み込むか否かを検討することが決まった(シンガポール・イシュー)。ところが途上国の強い反発に遭い、2003年にはこれら分野は貿易円滑化を除きドーハ・ラウンドの交渉対象から外れることとなった。OECDも1995年に多国間投資ルールの策定を目指したが、3年後に交渉は中止してしまった。
投資ルールの国際化がうまくいかなかった要因はさまざまあるが、貿易との構造の違いは大きいと指摘される。貿易の拡大は戦後早い段階から途上国も含めたすべての国・地域の関心事であった。これに対し投資は、今でこそ後述するように途上国も投資主体として台頭してきたが、従来は先進国主体で途上国は受け入れ先という構図があった。ルール形成の前提となる先進国と途上国間の共通基盤がなかったことが、投資に関する国際ルールが形成されなかった主因と考えられる。そのため投資分野では当初から、GATTやWTOが中心となり多国間でできあがった貿易ルールとは異なる成立過程をたどることとなった。
既存の投資協定にルール見直しの動き
国際間でのルール作りが暗礁に乗り上げた結果、外国投資の投資先国での保護を目的に、主に二国間(BIT)や複数国間の投資協定の形で投資ルールは形成されていった。さらにNAFTAに代表されるFTAでは、投資保護に加え外国投資の自由化も盛り込まれるようになった。2016年末時点の投資協定および投資章を含むFTAの件数は3,324件に上る。
投資協定は元々、途上国政府による不当な収用などから、外国投資の安全と権利を守る目的で、先進国が途上国との間で結んできた。そのため投資ルールには、投資家側に有利になりがちな要素が多くみられる。しかしその投資協定は、今転換期を迎えている。2008年の世界金融危機を境に、投資家の権利保全は投資協定の一側面にすぎないという認識が広まり、国家が正当な目的で公共政策を実施し、規制を行う権利にも焦点が当てられるようになったためである。
これに呼応して、既存の投資協定やTPPといった近年のFTAでは、投資ルールの内容を見直し改善する傾向が強まりつつある。その機運を高めた最大の要因は、投資家対国家の紛争解決(ISDS)の利用増加と、同制度に関する論争が顕在化したことである。ISDSは、投資協定に基づく権利の保全に関し、投資企業が投資先国家政府に申し立てを行う制度であり、主に国際仲裁手続きが利用される。近年ではISDSへの警戒が強まり、EUやオーストラリアなどはFTAの中に制度を盛り込むことに消極的である。
見直しの対象はISDSにとどまらず、全般的に「投資財産の保護」と「投資受け入れ国の権利」のバランスに基づいた投資ルールの見直しが進む傾向にある。
途上国主導で模索される「投資円滑化協定」
既存の投資協定見直しの動きが進む一方、WTOでも違った角度から議論再燃の動きが出ている。投資資金のだし手として存在感を高めつつある途上国から、2017年に入り、投資円滑化のルール化に向けた提案が相次いで提案されたのである。実際、途上国の投資元国としての地位は急激に上昇しており、世界の対外直接投資残高に占める比率は2016年には過去最高の23.7%に到達した(図)。中でも2010年代に入ってからの中国のシェア上昇は顕著である。
途上国が出した提案は、投資の円滑化をもっぱら目的としており、具体的には投資政策の透明性向上や行政手続きの効率化が盛り込まれている。特にブラジルとアルゼンチンの共同提案は、具体的な条項を複数、実際の協定に近い形で提示している(表)。ただ、投資受け入れ国としての立場を反映して、先進国のBITやFTAに多い、投資保護やISDSは対象としないことを明示する提案が多い。
これら提案について、中国はアフリカ諸国の賛同を得ようと努めているほか、賛成を表明する先進国も多い。日本、スイス、EU、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドも投資円滑化は重要との理念に賛同したと報じられる。2017年2月に発効した貿易円滑化協定が、途上国を含め全加盟国が合意に至り早期に発効に至った良い前例となり、投資分野にも波及した形である。
提案国 (提案日) |
概要 |
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中国 (4月21日) |
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アルゼンチン ブラジル (4月24日) |
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ロシア (3月30日) |
投資円滑化に関する多国間ルール構築に向けた論点を提示。具体的には、ルールの;
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開発のための投資円滑化の友グループ(注) (4月21日) |
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MIKTA合同提案 (メキシコ、インドネシア、韓国、トルコ、オーストラリア) (4月4日) |
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- 注:
- 参加国は、アルゼンチン、ブラジル、チリ、中国、コロンビア、香港、カザフスタン、韓国、メキシコ、ナイジェリア、パキスタンの11カ国・地域。
- 資料:
- WTO文書JOB/GC/120~124(WTO)から作成
ところが、海外投資プロセスの円滑化を目的としたルール(以下、仮に投資円滑化協定とする)の議論には大きな壁が立ちはだかる。WTOは2017年5月の一般理事会で、上記提案を行った国の要請に基づき、可能であれば同年末の第11回閣僚会議までに何らかの方向性を示すべく対話を行うとしていた。しかしここでインドが、投資は「WTOの目的の範囲に含まれない」として対話に強硬に反対し、一般理事会の開催自体が危ぶまれる事態に一時陥った。南アフリカ共和国、ウガンダ、ボリビア、ベネズエラなども、インドのこの姿勢を支持した。結局、投資円滑化協定は正式な議題からは除外され、WTOの場では結論を追求しない非公式な対話のみ行うとの方針で、一般理事会自体は再開した。
一般理事会で公式な議題とするはずであった内容は、7月上旬に「開発のための投資円滑化の友グループ」が開催するワークショップの形で披露された。ここでは、WTO加盟国の開発を促進させ、グローバル・バリュー・チェーンへの参入を推進するために、投資円滑化が果たせる役割を探った。民間部門からは問題とされる投資障壁が提示されたほか、政府関係者は投資誘致の成功経験を共有した。また、同月下旬に電子商取引の友グループと共催で行ったセミナーでは、双方の要素の相乗効果、開発に向けて電子商取引を活用するための投資環境改善の必要性、およびそのために途上国が進むべき進路につき議論した。
このように、中国など主要な途上国をはじめ、数多くの加盟国が投資円滑化協定に関心を示す一方、根本的な対立が議論の進捗(しんちょく)を阻んでいる。その対立とは、残されたドーハ・ラウンドの議論はいったん棚上げして新たな課題にも対応する用意があるとの立場(中国やブラジルなど)と、まずは既存の議題に終止符を打つべきとする立場(インドや南アフリカ共和国など)、の違いである。この溝が途上国間で埋まらない限り、新分野である投資ですぐに成果を出すのは困難だと指摘される。先進国の中で米国は、WTOが投資を扱うこと自体に反対はしないものの、非公式対話への参加を留保する姿勢を示している。これは、上記の対立があることで、加盟国が近い将来投資円滑化協定に合意できるどうかは疑わしいと見ているためだ。
将来の見通しが立ちにくい投資円滑化協定であるが、いったんは交渉立ち上げを見送られた投資ルールが、競争政策や中小企業、電子商取引といった従来ラウンドの範囲外にあった他の分野とともに、円滑化という切り口で途上国から新たに提案されWTOの舞台に復活したのは特筆すべきことである。投資ルールにおける先進国対途上国という構図はもはや過去のものとなった。しかも貿易と投資が、グローバル・バリュー・チェーンが発達した現代において不可分な関係にあることから、投資の円滑化は貿易拡大にも寄与すると考えられる。2016年に過去最高の対外直接投資額を記録した日本としても、既存の投資協定見直しの動きや、投資円滑化という新規のルールが多国間で検討されている現状に目を配る必要がある。
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- 執筆者紹介
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ジェトロ海外調査部国際経済課
山﨑 伊都子(やまざき いつこ) - 2006年、ジェトロ入構。経済分析部、公益社団法人日本経済研究センター出向を経て、2012年4月より現職。共著『メイド・イン・チャイナへの欧米流対抗策』、『FTAガイドブック2014』(ジェトロ)など。