規制や保険償還などに構造的課題
米国医療市場参入の壁と道筋(1)

2025年8月18日

2025年6月に大阪で開催されたヘルスケアをテーマにした国際イベント「グローバル・ヘルスケア・チャレンジ(GHeC)」で、米国有数の医療機関・メイヨー・クリニック・アリゾナ内科院長(本院:ミネソタ州ロチェスター)のパスリチャ・ジェイ・パンカジ医師が基調講演した。同クリニックでの医療イノベーションの実践を踏まえ、米国の医療市場に挑むうえで不可避となる規制への対応、保険償還、エグジット戦略について、具体的な数値や事例を交えながら詳細に解説した内容は、日本のヘルスケア関連企業にとって示唆に富むものだった。

本稿では、その講演内容を基に、日本企業が米国市場へ参入する際に直面するだろう課題や意思決定の視点を整理した。とりわけ、製薬・医療機器・デジタルヘルスの各分野における特性を比較しながら、法規制や保険償還に関する構造的な問題点を挙げた。なお、前編では、パスリチャ医師の講演内容における米国ヘルスケア市場の概観部分をまとめた。後編では、日本企業が同クリニックとの連携を通じていかに米国展開を具体化できるか説明する。

米国ヘルスケア市場:成長する3大セクター

米国のヘルスケア産業は、世界の医療費総額の46%を占める世界最大の医療消費市場だ。製薬、医療機器、そしてデジタルヘルスが、その中核にある。パスリチャ医師はこれらを「米国医療市場の3本柱」と位置付けた。それぞれの市場規模と成長性は、表1のとおりだ。

表1:米国のセクターごとのヘルスケア市場規模(単位:億ドル)
セクター 2024年の
市場規模
2033年の
市場規模
製薬 6,392 10,938
医療機器 1,800 3,095
デジタルヘルス 791 2,302

出所:医療系コンサルタント会社のデータからジェトロ作成

2024年時点での市場規模は、製薬が6,390億ドル。3本柱の中で最大だ。これに、医療機器の1,800億ドル、デジタルヘルス790億ドルが続く。

中でもデジタルヘルスは、今後10年で年平均成長率(CAGR)11.6%という高い伸びを見込める。テレメディスン(注1)や人工知能(AI)活用による診断支援ツールの拡大が、その要因。その成長見込みの裏には、疾患の慢性化、遠隔医療の普及、医療人材の偏在といった複合的な社会背景がある。

規制制度の実情:FDA承認は「ゴール」ではない

講演でまず取り上げたのは、製品開発にあたっての「規制の壁」だ。米国では、すべての医療系製品が米国食品医薬品局(FDA)の承認対象になる。しかし、その審査基準はセクターごとに大きく異なる。

  • 製薬
    臨床試験と並行して、製造工程の一貫性や品質保証を含むCMC(Chemistry, Manufacturing and Controls)対応が重視される。「Accelerated Approval」と呼ばれる迅速承認制度は、スピーディーな市場投入が可能となる一方で、1998~2013年の統計では、迅速承認を得た薬剤のうち41%が後に市場から撤退あるいは安全性警告の対象となっているという。
  • 医療機器
    510(k)プロセス(注2)を活用すると、既存製品との「同等性」により承認を得られるケースが多い。
    しかし、過去には事故が多発。そのため近年は、ISO13485(注3)への準拠を義務化するなど、審査が厳格化傾向にある。
  • デジタルヘルス
    FDAの分類上、この分野の取り扱いは医療機器に準じる。しかし、実態としては規制のグレーゾーンで展開している製品が多い。
    さらに、米国の個人情報保護法(HIPAA、注4)の適用範囲拡大により、第三者トラッカー(注5)の使用やIPアドレスの取得が違法と見なされるリスクも高まっている。
    デジタル領域の規制は「流動的かつ不透明」というのが、パスリチャ医師の見解だ。

保険償還制度の現実:製品が「売れない」最大の壁

パスリチャ医師が強調したもう1つの構造的な壁が、「規制と償還の分断」だ。

米国では、FDAによる製品承認(regulation)と、保険者による支払い認可(reimbursement)は完全に独立したプロセスになる。製品が承認された後に、改めて償還審査を受けなければならない。この「二段階審査」構造が、実際の事業化の大きなハードルになっている。

  • 製薬
    米国の高齢者向け医療保険制度「メディケア」の一部で、処方箋を提供する「メディケアパートD(任意加入)」の保険対象処方箋リスト「フォーミュラリ」への掲載のために、臨床的な差別化が不可欠となる。
    また流通面では、保険者、薬剤給付管理業者(PBM)、卸業者など多層的なプレイヤーが関与することになる。
    その結果を踏まえ試算すると、製薬企業が実際に得られる利益は、薬価の約15%に過ぎないという。
  • 医療機器
    診療報酬体系上診断群分類(DRG)方式(注6)に組み込まれることが多く、革新的な新規機器でも既存の手術と同一の包括払いとされる場合、病院が損失を被る構造になっている。このため、新技術導入にあたっては、病院や医療機関において新しい医療機器や技術を導入する際に、その費用対効果を評価・承認する内部委員会VAC(Value Analysis Committee)での承認を経る必要があり、その評価は費用便益を中心とする厳格なものだ。
    パスリチャ医師は、このような包括払いの限界を補う制度として、「新技術加算支払い(NTAP:New Technology Add-on Payment)」を紹介した。NTAPは、(1) FDA承認から2~3年以内の新規技術、(2)既存のDRGではコスト補填(ほてん)が不十分、かつ(3)臨床的な有意性が示される場合に利用可能。適用できると、追加で65〜75%の上乗せ償還を受けられる。これは、特に外科用医療機器メーカーにとって、初期導入のインセンティブとして重要だ。
  • デジタルヘルス
    この分野では、そもそも多くの製品が保険償還コード(CPTやHCPCS)を持たない。そのため、商業化には高い障壁がある。
    保険者や雇用者に支払いに応じてもらうためには、臨床試験、パイロット導入、ピアレビュー(学術論文を専門家が評価・検証する制度)論文といった検証の積み上げが必要だ。そのため、初期投資が膨らみやすい。
    パスリチャ医師は、業界を象徴する失敗事例として、ピア・セラピューティクスの件を挙げた。同社は4億ドル以上を調達しながら、2023年4月に倒産した。制度整備の遅れが市場全体のリスク要因となっていると警告したかたちだ。

開発・エグジット戦略:日本企業はどこに挑むべきか

講演では、各セクターにおける開発費用、期間、失敗率、エグジットの傾向を比較。日本企業が参入戦略を立案するうえでのフレームワークが提示した(表2参照)。

表2:米国におけるヘルスケア分野別の開発特性と規制環境の比較
分野 開発費用 開発
期間
失敗率(注) 主なエグジット 規制の複雑性
製薬 2億〜27億ドル 10〜15年 約90% M&Aが主流 極めて高い。広範な臨床試験とFDA承認が必要。
医療機器 200万〜1億2,000万ドル 3〜7年 約75% M&AまたはPE投資 高い。確立されているが、複雑な承認プロセスが存在する/FDA承認が必要。
デジタルヘルス 50万〜500万ドル 2〜5年 約98% M&A(全体の86%) 中程度。進化中の制度枠組みにより不確実性が生じている(データプライバシー、一部FDAの監督)。

注:各分野の開発プロジェクトが最終的に商業化や上市(市場投入)に至らず、中断・撤退・開発中止となる割合を指す。
出所:パスリチャ医師講演資料からジェトロ作成

新規上場株式(IPO)市場の冷え込みにより、全セクターでM&Aが出口戦略の主流となっている。製薬分野では、フェーズ2(第Ⅱ相臨床試験)の終了が買収タイミングとして最適だ。買収候補になるには、少なくとも1〜2件の有望なパイプラインを保有していることが望ましいと指摘した。

制度理解と戦略設計がカギ

パスリチャ医師の講演から浮かび上がるのは、「技術の優位性だけでは米国市場で成功しない」という厳しい現実だ。FDA承認、償還確保、現場導入といった多層的な壁を越えるには、(1)制度に対する知識、(2)費用対効果の提示、(3)パートナーとの信頼構築など、戦略的視点が欠かせない。

特に重要なのは、規制と償還を完全に別物として捉え、双方に対して早期から並行して戦略設計を行うことだ。この「二段階の審査構造」に適応できるか否かが、成功と失敗の分かれ目になる。

本邦ヘルスケア関連企業の多くにとって、米国市場は未踏の地ではない。しかし、日本とは「異質な市場」ということは、確実だ。従来の技術開発主導型のアプローチに加え、制度・経済性・医療者ネットワークを含めた「全体戦略」を構築することが、今後の成功を左右する分水嶺になるだろう。

後編では、メイヨー・クリニックが擁するイノベーションエコシステムの全貌と、同クリニックとの連携を通じた米国市場参入の道筋について、具体的に紹介する。


GHeCで講演するパスリチャ医師(ジェトロ撮影)

注1:
医師がビデオ通話やチャット機能などのインターネット技術を利用して、遠隔地にいる患者を診療するサービスを指す。
注2:
医療機器産業に特化した品質マネジメントシステムに関する国際規格。
注3:
医療機器の安全性と品質を確保するための国際規格。設計・製造・流通など、全工程で品質を管理する体制の構築を求める。規制対応や市場参入に必須。
注4:
Health Insurance Portability and Accountability Act(医療保険の相互運用性と説明責任に関する法律)。
注5:
ウェブサイトやアプリ上で利用者の行動を追跡し、個人情報を収集するツール。
注6:
DRG(Diagnosis Related Groups)方式は、患者の診断名や治療内容に基づいて分類し、定額の包括払いを行う医療費支払い制度。米国では、メディケアなどで広く導入している。 なお日本でも、「DPC(診断群分類包括評価)」として、急性期入院医療に適用例がある。
執筆者紹介
ジェトロ・シカゴ事務所 ディレクター
井上 元太(いのうえ げんた)
2015年、ジェトロ入構。2024年7月から現職。米国医療機関との戦略連携やBIO出展事業など、日米間のヘルスケアイノベーションを推進するほか、製造業や量子などでの日米連携深化も担当。これまで日本の大学病院と海外企業のオープンイノベーションに従事したほか、企画部やコロンボ事務所での勤務も経験。