日系企業の採用競争力
米LA地域の雇用・賃金動向(後編)

2024年3月15日

本稿の前編では、新型コロナ禍以降のロサンゼルスの雇用状況の変化が日系企業へ与える影響を紹介した。後編では、ロサンゼルスでの賃金の上昇、そして政府が導入する労働法の日系企業の採用競争力への影響について説明する。新型コロナ禍を経たロサンゼルスの雇用環境の変化は、空前の賃金上昇をもたらした。労働需給の逼迫のみならず、最低賃金の引き上げや労働法改正など、カリフォルニア州やロサンゼルス郡が導入する労働者保護の政策も賃金の上昇を後押しする。賃金の上昇を最大の経営課題に挙げる現地の日系企業の中には、賃上げを急ぐ企業も見られる。給与水準が高い米系企業から採用候補者や従業員を保持できるか、日系企業は試されている。

止まらない賃金上昇

新型コロナ禍以降、ロサンゼルスの雇用環境は大きく変化した。雇用環境の変化は賃金の上昇をもたらした。空前の売り手市場で、企業は手厚い待遇を提供しなければ従業員を集めることができなくなった。中小企業は、好条件を提示できる大企業に候補者や従業員を奪われることになり、さらに厳しい状況に陥った。

ロサンゼルス都市圏の報酬額(給与、賃金、その他支払いの合計)の伸びは、ロックダウン措置が導入された2020年3月から少し遅れて12月ごろから顕著となった(図1参照)。12月には前年同月比3.7%増と、同2.6%増の全米の伸びを上回った。以降も米国を上回るペースで増加し、2022年9月には同5.8%増(米国5.2%増)と新型コロナ禍以降最大の増加率を記録した。2023年に入りロサンゼルス都市圏、米国ともに伸びは落ち着きを見せ始め、2023年12月にはそれぞれ4.5%増、4.2%増まで低下したが、いずれも新型コロナ禍前の2019年をまだ上回っている。

図1:ロサンゼルス都市圏・米国民間部門報酬額増減率(前年同月比)
ロサンゼルス都市圏及び米国の民間部門報酬額増減率(前年同月比)の推移について、2019年3月から2023年12月まで示す。ロサンゼルスの報酬額の伸び率は、2020年9月に低下した後、12月頃から上昇していった。2020年12月以降もロサンゼルス市都市圏の報酬額の伸びは米国を上回るペースで増加し、2022年9月にはパンデミック以降最大の増加率を記録した。2023年に入りロサンゼルス、米国共に伸びは落ち着きを見せ始めたが、いずれもパンデミック前の2019年を上回っている。

注:ロサンゼルス都市圏:ロサンゼルス市、ロングビーチ市。報酬額:給料、賃金、その他の支払いの合計。ピンク色は同都市圏でのロックダウン期間。2023年12月データは暫定値。
出所:米労働省労働統計局資料に基づきジェトロ作成

ロサンゼルス都市圏の2022年の平均時給額を職業別にみると(表参照)、新型コロナ禍前の2019年時点のデータと比較して事務スタッフ(営業職)が19.7%増の26.71ドル、店舗スタッフ(小売り)が19.4%増の18.93ドル、ワーカー(一般工員)が18.5%増の22.51ドルと大幅に上昇した。ロサンゼルスの平均時給はどの職業でも米国と比べて高い水準となり、特に中間管理職の平均時給額の差は7.13ドルと開きがある。

表:ロサンゼルス都市圏・米国職業別平均時給(単位:ドル、%)
職業名 コード ロサンゼルス都市圏 米国 2022年
LA-米国
平均時給額
2019年
平均時給額
2022年
増減率 平均時給額
2019年
平均時給額
2022年
増減率
全職業 00-0000 28.7 33.43 16.3 25.72 29.76 15.7 3.67
中間管理職(課長クラス) 11-0000 64.8 70.21 8.4 58.88 63.08 7.1 7.13
ワーカー(一般工員) 51-0000 19.0 22.51 18.5 19.30 21.81 13.0 0.70
エンジニア(中堅技術者) 17-0000 48.1 51.77 7.6 42.69 45.52 6.6 6.25
事務スタッフ(一般職) 43-0000 21.8 24.52 12.4 19.73 21.90 11.0 2.62
事務スタッフ(営業職) 41-0000 22.3 26.71 19.7 20.70 24.22 17.0 2.49
店舗スタッフ(小売) 41-2031 15.9 18.93 19.4 14.12 16.70 18.3 2.23
店舗スタッフ(飲食) 35-3031 15.6 18.08 16.3 12.88 15.87 23.2 2.21

注:ロサンゼルス都市圏:ロサンゼルス市、ロングビーチ市、アナハイム市。
出所:米労働省労働統計局資料に基づきジェトロ作成

最低賃金や法律も賃上げ圧力に寄与

ロサンゼルス市が導入する法定最低賃金も賃金の上昇に寄与している。ロサンゼルス市の法定最低賃金は基本的には1年に1回、7月1日に物価上昇率に基づき調整される(図2参照)。2016年7月1日の最低賃金は、従業員26人以上の企業については10.50ドル、従業員26人未満の企業は10ドルであったが、2024年7月1日にはいずれの企業も17.28ドルに達する。2016年7月1日との比較では従業員26人以上の企業の最低賃金は64.6%増、26人未満は72.8%増と大きく増加している。また、一定規模のホテルの最低賃金は一般企業よりも高く、2023年7月1日には19.73ドルに達している。

図2:ロサンゼルス市の法定最低賃金
ロサンゼルス市の法定最低賃金の推移について、従業員26名以上、従業員25名未満、ホテル従業員別に2016年7月から2024年7月まで示す。2016年7月1日の最低賃金は、従業員26名以上の企業については10.50ドル、従業員26名未満の企業は10ドルであったが、その後上昇を続け、また、ホテル従業員の最低賃金は2016年7月1日には、15.37ドルであったが、2023年7月1日には19.73ドルまで引き上げられている。

注:2021年7月1日以降は従業員の数に関係なく同じレートが適用されている。ホテルの法定最低賃金は150客室以上のホテルが対象。しかし2022年8月12日以降は60客室以上のホテルにも適用。
出所:ロサンゼルス市資料に基づきジェトロ作成

このほか、カリフォルニア州が規定する、特定産業向けの最低賃金もロサンゼルスの企業に適用される。2023年10月には、カリフォルニア州内のヘルスケア産業の最低賃金を引き上げる法案が成立した。病院施設により最低賃金は異なり、たとえば一般的な病院施設では2024年6月1日に21ドルに、2028年には23ドルに引き上げられることになっている。加えて、米国内に60軒以上の店舗を展開するファーストフードチェーンの従業員の最低賃金も2024年4月1日から20ドルに引き上げられる。

特定産業を対象とする最低賃金の引き上げの影響は小さくないと考えられる。カリフォルニア州の非営利報道団体(NPO)のThe CalMattersは、ファーストフードチェーンの最低賃金の引き上げは、対象店舗への人材の流出を食い止めようとするために、同法対象外のレストランなどでの賃上げにもつながる、とのサンフランシスコ州立大学ジョン・ローガン教授の意見を紹介している。同法は、外食産業以外の産業にも影響するとの意見も聞かれる。ロサンゼルスの食品メーカーへのヒアリングでは「ファーストフードチェーンの最低賃金引き上げのニュースを受けて、従業員が弊社に賃上げの要求を始めた」と漏らしていた。

最低賃金が引き上げられたファーストフードチェーンは、商品の値上げに限らず、従業員の削減といった対応を取る可能性がある。2024年2月4日付「ウォールストリート・ジャーナル」紙によると、メキシコ料理のファーストフードチェーンのチポートレは、今回の最低賃金の引き上げにより5%から9%の商品値上げの可能性について触れた。マクドナルドも同様に値上げの可能性を示唆している。また、ABCニュースは最低賃金引き上げ直前の2023年12月28日付記事で、ピザハットのフランチャイズがロサンゼルス都市圏のデリバリー運転手1,200人を削減し、ウーバーイーツやドアダッシュといったデリバリーサービスアプリへ移行する考えについて報じた。これが現実となれば、労働者保護という政府の意図に反して、同法は雇用の損失を招くことになる。

ロサンゼルス郊外の人材紹介・派遣会社テルコワインバーグの照子ワインバーグ代表によると、最低賃金の上昇を受けて、企業は新規採用者に高い給与を支給することになるが、同時に既存の従業員からも賃上げを求める声が出てくる可能性があるという。しかし、企業によってはその雇用体制の硬直性から、従業員に対して迅速な賃上げができず、結果として離職者の増加につながりかねない。

カリフォルニア州では、他州と比べて高い最低賃金 に加えて、賃金を押し上げる効果のある各種法律が導入されている。まず、2017年のカリフォルニア州労働法の改正に伴い、2018年1月以降、採用候補者に対して過去や現在の給与を確認することを雇用者に禁じた。違反者には1件につき100~1万ドルの罰金が科される。ワインバーグ代表は、採用候補者の過去の給与水準という、給与額の判断にあたり貴重な参考材料がなくなったことで、求職者に希望給与額をつり上げる余地を与え、これが近年の賃金上昇の理由の1つになっていると分析している。

次に、2022年の州労働法改正により、2023年1月1日以降、従業員15人以上の企業の雇用者は、採用候補者に対して求人ポジションの給与額を最高額・最低額の範囲で開示する義務が課された。同法により、既存の従業員も当該給与額の範囲を知ることができる。給与額を範囲で示すことで採用候補者による高額な要求を抑える効果はあったが、既存の従業員に同じポジションの他の従業員の給与の最高額が知られることにもなり、仕事意欲にマイナスの影響を与えるだけでなく、「さらに高い給与を求めて転職するインセンティブを与えているという面がある」(前述のワインバーグ代表)という。

賃金上昇の波は日系企業にも

ジェトロが2023年9月に在米日系企業の協力を得て実施したアンケート調査「2023年度海外進出日系企業実態調査(北米編)PDFファイル(1.98MB)」(調査実施期間:2023年9月6~26日)を、ロサンゼルス都市圏の企業に限定して分析すると(回答企業99社)、経営上の課題(複数選択)として最も多くの企業が挙げたのが「従業員の賃金上昇」(54.5%)であった。また、経営上の課題への対応策として、「既存社員賃金の引き上げ」を挙げた企業の割合は44.4%となり、「新規顧客の開拓」(50.5%)に次いで高かった。ロサンゼルスの日系企業は、賃金上昇を重要な課題に位置付け、賃上げによって従業員の確保・維持に努めていることがうかがえる。

ワインバーグ代表によると、一般的には日系企業は米系企業よりも給与水準が低く、特に新型コロナ禍後の売り手市場の局面では採用候補者や従業員を米系企業に取られるケースが散見されたという。加えて、給与を巡る交渉に時間がかかる日系企業は、売り手市場では人材を他社に取られる可能性が高まる。日系企業の中には、給与に関して日本の本社から承認を得なければならない企業があり、賃金の急激な上昇に直面したことがない日本の本社から高い給与について理解を得ることは容易ではなく、結果として人材を取り逃がすことが起きていたと思われる。

2023年を振り返ると、賃金の上昇は落ち着きを見せつつあるものの、新型コロナ禍前の水準には戻っていない。日系企業は引き続き採用競争力を高める・維持する必要がある。当面は賃上げや採用プロセスにおける柔軟性・迅速性が求められると考えられよう。

米LA地域の雇用・賃金動向

  1. 日系企業は人手不足対策に苦慮
  2. 日系企業の採用競争力
執筆者紹介
ジェトロ・ロサンゼルス事務所
堀永 卓弘(ほりなが たかひろ)
2011年財務省入省。財務省主計局調査課、理財局地方企画係、金融庁監督局銀行第二課、 個人情報保護委員会事務局、財務省大臣官房総合政策課などを経て、2023年7月からジェトロに出向、現職。