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ワクチン増産に向け、WTOで知財を巡る議論が加熱(世界)

2021年3月24日

途上国では、新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)対策に必要な医療物資の供給が遅れている。ワクチンを含む医療物資の増産を目指し、世界貿易機関(WTO)では一部の途上国が知的財産の保護義務を一時的に免除することを提案しており、これが大きな議論を呼んでいる。対象品目はワクチンのみならず、人工呼吸器や医療従事者用マスクなど幅広く、新型コロナ関連製品の貿易に影響を及ぼす可能性がある。

途上国向けのワクチン供給に遅れ

ワクチンの普及は、ポストコロナの世界経済の回復を大きく左右する。ワクチン接種は、欧米諸国を中心に一部の国で本格化しているものの、2021年3月中旬時点で、世界の大半の国・地域では十分なワクチンを確保できる見通しが立っていない。グテーレス国連事務総長は2月17日、安全保障理事会に対して「10カ国が全ワクチンの75%を投与する一方、130カ国以上がワクチンを1回分も確保できていない」と発言外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます。高・中所得国やドナー(国・団体など)の拠出金を基に、拠出国・途上国向けにワクチン供給を行う国際的共同購入枠組み(COVAXファシリティ)などが機能し始める中、ワクチンへの公平なアクセスに向けたさらなる取り組みを促している。

ワクチンの普及を巡っては、特に途上国での遅れが懸念されている。The Economist Intelligence Unitが発表した1月22日時点の予測外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますによれば、各国で広範なワクチン接種が達成できる時期(注1)について、米国やEU諸国では2021年末までとする一方で、85以上の途上国では2023年以降になるとの厳しい見方が示されている。

医療物資の増産に向け、知財保護義務の免除を求める声

WTOでは、一部の途上国がCOVAXファシリティなどの国際協力を評価する一方、新型コロナ対策に必要な医療物資を確保する上で、現状の対策は不十分であると指摘する(注2)。その解決策として提案するのが、医療物資に係る知的財産の保護義務を一時的に免除することで、生産の拡大を図る方法である。

この提案(IP/C/W/669)は2020年10月、インドと南アフリカ共和国の2カ国により初めてWTOに提出された(以下、本提案)。WTOルールの1つであるTRIPS協定は通商関連分野における知的財産の最低限の保護水準などを定める。WTO加盟国は同協定の下、国内法で知的財産の保護を担保する義務を負うが、提案国は、この保護義務が障害となり安価な医療物資を迅速かつ十分に供給できていないと指摘(注3)。新型コロナの予防、抑制または対応(prevention, containment or treatment)に関する措置について、TRIPS協定で規定される知的財産の保護義務を一時的に免除すれば、医療物資の増産や生産の多元化が可能になると主張する(注4)。提案国は具体的な免除期間を明示していないが、この措置は世界大でワクチン接種が進み、世界の大多数の人口が免疫を獲得できるまで継続すべきとしている(注5)。

提案国は義務の免除を求めるルールとして、まず特許の保護規定を挙げる(注6)。主にワクチンや新型コロナ患者の治療に有効性が認められる治療薬を念頭に、特許の保護を一時的に停止し、医薬品の生産を拡大するよう主張する。また、著作権や意匠権の保護義務の免除も求める。3Dプリンターなどを使用した医療製品の複製(reproduction)に際し、意匠権や著作権で保護される設計データ(3Dデータ)を使用することを想定する(注7)。これにより、人工呼吸器やその部品(バルブなど)、医療従事者用マスクといった医療物資の生産増強が可能になると説明する。さらに、開示されていない情報(営業秘密)についても、保護義務の免除対象とするよう提案されている。

知財の保護と活用のバランスで折り合いがつかず

知的財産の保護義務を一時的に免除するという本提案に対し、複数のWTO加盟国は反対姿勢を見せる。知的財産の保護を通して企業の商業上の利益を確保しないと、今後の研究開発投資へのインセンティブが失われることを懸念するためだ。しかし提案国は、新型コロナのワクチンの開発が成功した理由として、公的資金の投入や公的研究機関の貢献、さらには世界レベルでの公衆衛生情報の共有を挙げており、知的財産の保護が企業の研究開発の動機付けとなったことには否定的な見解を示す(注8)。

知的財産保護の議論と並行して進むのが、強制実施権の活用に関する議論である。TRIPS協定では、政府が一定の条件の下で特許権者の許諾を得なくても特許発明を実施する権利を第三者に認めることができる(注9)(TRIPS協定31条)。これを強制実施権というが、この制度を用いれば、自国で新型コロナ対策に必要な医薬品の特許権者がいても、当該特許権者とライセンス契約を結ばずに、医薬品を第三者に製造させることができる。

通常、この強制実施権を発動する要件の1つとして、特許発明を実施して生産された産品を主として国内市場に供給することが求められる。しかし、強制実施権の下で生産された医薬品に限っては、生産能力のない国に輸出をすることが認められている(31条の2、附属書)。こうして生産能力のない国は、強制実施権の下で、他国が生産したワクチンを輸入することで必要な医薬品の確保ができる。本提案に反対するEUは、この枠組みでワクチンの生産・供給問題を柔軟に解決できると主張する(注10)。

しかし提案国は、強制実施権の活用について、主に2つの理由から懐疑的な見方を示す。1つ目に指摘するのは、同制度の利用国にかかる手続き的な負担だ(注11)。前段のように、生産能力のない国が強制実施権の下で生産された医薬品を他国から輸入する場合、輸入国はTRIPS理事会に対して事前通告をする必要がある。通告では、自国が当該医薬品を生産する能力が不十分または欠如していることを立証した上で、必要な医薬品の名称や予測される輸入数量などを特定する必要がある(注12)。また輸出国側も、医薬品を輸出する条件として、強制実施権の下で輸入国の通告で示された必要量のみを生産すること、輸出品に強制実施権の下で生産されたことを示すラベルやマークなどを貼付すること、輸出品の船積み前にウェブサイト上に当該医薬品の仕向け地や供給量などを掲示することが求められる。提案国は、こうした手続きが煩雑(cumbersome)であるとして、医薬品の供給に不必要な遅れをもたらす、と主張する。

また2つ目の理由として、強制実施権は特許を対象としたものであり、この仕組みが他の知的財産権にも応用できるのか法的に明らかでない点を挙げる(注13)。前述のとおり、提案国は特許に限らず、著作権や意匠権に係る保護義務の免除を求めており、強制実施権の活用可能性は限定的であるとの見解を示す。

提案の支持層は拡大、承認されても1年ごとに見直しが必要

本提案については、現在もTRIPS理事会内で審議が継続する。WTO協定によれば、今後、TRIPS理事会はこの審議結果を全WTO加盟国で構成される閣僚会議(または一般理事会)に報告しなければならない(注14)。その後、閣僚会議で本提案の承認の可否についてコンセンサス(全会一致)方式による審議が行われる。ただし、最大90日間の審議でコンセンサスを形成できない場合、全加盟国の4分の3以上の賛成を要件として、義務の免除が決定される。2021年3月時点で、WTO加盟国(メンバー)数は164である。

本提案の支持は広がりを見せており、現在までに60近くの国々が正式に支持を表明している(注15)。また各種報道によれば、本提案の支持国はおよそ100カ国に及ぶ。WTOでは慣例として、コンセンサス方式による意思決定が重視されており、義務の免除に係る決定についてもその方針が確認されている(注16)。しかし、審議が最終的に多数決に持ち込まれれば、本提案が承認される可能性もある。なお、本提案が承認され義務の免除が開始したとしても、閣僚会議は毎年、その決定の見直しを行う必要がある。見直しでは「免除を正当化する例外的な事情が引き続き存在するか」などが検討される。

WTOのオコンジョ・イウェアラ事務局長は3月1日、本提案について対話を継続していく必要性を指摘外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます。その一方で、逼迫するワクチン需要に対応すべく、ライセンスを有する企業と協働して、途上国や新興国で生産拠点を拡充する考えを示した。また、世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は3月5日の記者会見で、ワクチンの増産に向けて本提案の実現を訴える外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますなど、本提案の支持はWTO外にも広がりを見せる。

3月10日から11日にかけて開催されたTRIPS理事会では、医療物資への迅速で確実なアクセスが加盟国の共通目標であることが再確認された。しかし、知的財産の保護が目標達成に果たす役割について、加盟国の見解は分かれたままで議論は平行線をたどる。本提案を受けて、他の加盟国はさらなる議論を歓迎するとしつつ、知的財産の保護がワクチンの生産・供給をいかに妨げるのかについて、エビデンスに基づく議論を呼びかけている。

WTO加盟国は、次回のTRIPS理事会(6月8~9日)に先立ち、4月にも追加の会合を開催することに合意している。新型コロナ関連製品の生産・供給体制と世界の経済回復に大きく影響するだけに、その動向が注目される。


注1:
成人人口の6~7割がワクチン接種を終えた状態。予測にはワクチンの供給契約や生産能力、国民のワクチン許容度、人口、医療従事者数などが考慮される。
注2:
IP/C/W/672 1.4
注3:
IP/C/W/669 Para 9.
注4:
IP/C/W/672 Para 87.
注5:
Ibid. Para 29.
注6:
TRIPS協定14条〔実演家、レコード(録音物)製作者及び放送機関の保護〕は義務免除の対象に含めないとする。
注7:
IP/C/W/672 Para 89.など
注8:
Ibid. Para 70.など
注9:
TRIPS協定31条(特許権者の許諾を得ていない他の使用)によれば、強制実施権を発動する条件として、特許権者に個々の場合における状況に応じて適当な報酬を与えること、強制実施権の発動や特許権者の報酬に関する決定は加盟国の司法機関などの法的審査に服することなどが定められている。
注10:
例えばEUの3月1日での一般理事会での発言外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますを参照。
注11:
IP/C/W/672 Para 1~5.、IP/C/W/673 Para 44~53.など
注12:
ただし後発開発途上加盟国は、生産能力に係る立証をする必要がない。
注13:
IP/C/W/672 Para 19 など.
注14:
TRIPS理事会では90日を超えない範囲で審議を行い、閣僚会議(一般理事会)に報告をするとされている。しかしTRIPS理事会では本提案の検討が十分になされていないとして、審議を継続している。
注15:
IP/C/W/669、IP/C/W/669/Add. 1~10
注16:
WT/L/93
執筆者紹介
ジェトロ海外調査部国際経済課
山田 広樹(やまだ ひろき)
ダナン市投資促進部、プラハ国際関係研究所を経て、2019年にジェトロ入構。同年より現職。

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