イラン向け穀物輸出と観光産業の育成を地域振興の柱に(ロシア)
カスピ合意後の地域発展戦略
2018年9月20日
カスピ海沿岸5カ国(ロシア、アゼルバイジャン、イラン、トルクメニスタン、カザフスタン)の首脳は8月12日、カザフスタン西部のアクタウで開催された第5回カスピ海沿岸諸国サミットの場で「カスピ海の法的地位に関する協定」に署名した。22年間の議論を経た後の合意となる。今後、各国で批准作業が行われ、発効する予定だ。プーチン大統領は、サミットでの協定の署名を「歴史的」と評価し、ロシアのカスピ海周辺地域で輸送・観光インフラの開発を進める、と述べている。今回の合意を受け、ロシアのカスピ海沿岸地域での経済発展がどのように進むのか。日系企業に影響はあるのか。今後の地域発展政策の基本となる政府戦略のポイントを紹介する。
カスピ海沿岸の港湾能力の転換と観光産業の振興が政策の中心
カスピ海のロシア領沿岸線は全長695キロ。カスピ海に面する連邦構成体(日本の都道府県に該当)はアストラハン州、カルムィク共和国、ダゲスタン共和国の3つ。地域の中心となる都市はアストラハン州の州都アストラハン市(人口:53万人)、ダゲスタン共和国首都のマハチカラ市(50万人)、第2の都市で観光資源を持つデルベント市(12万人)などだ(図参照)。地域の港湾はアストラハン港、オリャ港(オリャ村、アストラハン州)、マハチカラ港の3つ。政府は港湾・物流開発を中心として、地域経済振興を進める予定だ。今後のカスピ海沿岸地域の総合的な港湾開発計画を定めるのは、2017年11月8日に承認された政府指示第2469-r号「2030年までのカスピ海域のロシア港湾および連絡鉄道・道路の発展戦略」(以下、戦略)となっている。

- 出所:
- 「Googleマップ」を基にジェトロ作成
戦略の根幹は、(a.)南のイラン・中東・インド方面への輸出促進と、(b.)イランからのインバウンド観光客の誘致強化だ。港湾インフラを整備し、さまざまな制度をテコに民間投資を呼び入れ、輸出と観光産業クラスターを形成する。戦略は5章に分かれ、(a.)全般概況(第1章)、(b.)カスピ地域の港湾、輸送接続、民間船舶の状況(第2章)、(c.)港湾の発展の方向性とカスピ海沿岸諸国との貨物の将来動向(第3章)、(d.)優先課題・達成手法と民間船団の建造(第4章)、(e.)戦略の目標値と社会経済効果(第5章)の構成となっている。
2019年まで準備期間、2020年から実際の開発を開始
第1章では、カスピ海沿岸地域を、豊富な資源と物流網に潜在力がある地域と位置付ける。しかし、同地域港湾の取扱貨物量は減少傾向で、その理由は(a.)輸出貨物の時間・コスト面の競争力の欠如、(b.)イラン、インド、ペルシャ湾岸市場で需要が伸びている農産品・工業製品に応じた輸出(販売)能力の欠如、(c.)観光振興政策の欠如の3つだ。問題解決に向けた政策は、(a.)イラン、中東、インド向け輸出に特化した港湾能力の強化、(b.)観光振興、(c.)関連投資の国内企業への裨益(ひえき)、の3つに集約される。
振興政策は、「直接的施策」と「関連的施策」と区分される(参考1参照)。直接的施策で注目すべきは、ロシア極東で地域振興を推進する政策として活用されている「優先的社会経済発展区域(TOR)」と「ウラジオストク自由港(以下、自由港)」制度の導入が明記されていることだ。一方で、関連的施策ではすでに着手されているものもある。例えば、中国との連携、イランとの自由貿易協定(FTA)締結は、2018年5月にロシアが加盟するユーラシア経済連合(EEU)との間で合意済み(2018年5月18日ビジネス短信記事参照)。カスピ海諸国との経済協力・物流協力は、第5回カスピ海沿岸諸国サミットで合意され(2018年8月13日ビジネス短信記事参照)、実現に向かって動き始めている。
参考1:戦略の第1章に記載された施策
直接的施策
- 競争力強化を目的とした輸送運賃の調整
- ロシアとイラン間の貿易手続きの簡素化
- ロシア港湾経由イラン、インド、ペルシャ湾岸諸国への輸送・貿易の発展制度の創設
- イラン経由インド、ペルシャ湾岸向け貿易ルートの発展
- 観光政策の策定・発展
- 観光・輸送事業に不可欠な既存・新規インフラの整備
- 優先的社会経済発展区域(TOR)及びウラジオストク自由港制度の適用可能性の検討
- 輸出製品向け農業・工業(製造)クラスターの形成・発展
- アストラハン港での国境審査場の整備
関連的施策
- カスピ海沿岸諸国との貿易経済協力・輸送協力協定の締結
- 国際輸送路事業「南北」(サンクトペテルブルクからインドのムンバイまでの7,200キロ)の実現
- 中国が掲げる「一帯一路」計画との連携
- イランとのFTAの締結
- カスピ海沿岸諸国間との相互主義に基づくビザ制度の簡素化
出所:2017年11月8日付政府指示第2469-p号
地域振興に向けた施策はいつ動き始めるのか。戦略は、(a.)第1期(準備段階、2018~2019年)、(b.)第2期(基礎段階、2020~2025年)、(c.)第3期(発展段階、2026~2030年)の3段階に分ける。第1期で戦略の実施に向けた法制度の設計と導入、事業計画の詳細設計などを行う。TORと自由港制度の導入や海・河川観光振興計画の立案、輸送で使用される船舶の建造設計、デルベントに新設する旅客ターミナルの設計、ボルガ川・カスピ海運河のしゅんせつ工事準備などだ。第2期で、実際の開発が動き始める。マハチカラ南方のカスピイスクに新設を予定する貨物ターミナルの設計・第1期工事開始、デルベントでの旅客ターミナルの建設、官民パートナーシップによる貨物船の建設開始、ロシア製クルーズ船を利用した観光振興の実施、TORや自由港制度で呼び込んだ民間投資の事業開始などだ。第3期では、戦略で取られた施策の評価と必要に応じた追加策(新設貨物ターミナル第2期工事など)、民間船団を利用したカスピ海の資源利用などが予定されている。
港湾振興のカギは輸出能力の転換
第2章では、3つの連邦構成体の産業の特徴、港湾能力、周辺インフラの状況、貨物の種類ごとの現状が述べられている。ロシアからのカスピ海経由輸出はイラン向け貨物が中心となる。北コーカサス地域で同国向けに輸出可能性がある産品として、農産品(穀物、果実、野菜、ワインなど)、畜産品(ハラル認証済み食肉製品)、カスピ海の地下天然資源を加工した化学素材製品が挙げられる。2010年におけるカスピ海経由イラン向けの主力輸出品目は銑鉄・鉄鋼製品で、輸送実績は500万トンと、全体の79%を占めていた。しかし、イラン側で製鉄分野に積極的な投資が行われ、銑鉄・鉄鋼製品が輸入から自国生産に切り替わったため、2016年までに輸出量は110.7万トンに減り、貿易額に占めるシェアも18.4%まで減少した。一方、ロシアからイランに向けた穀物の輸出に関しては、2010年から2016年の間に30万7,000トンから4倍の125万8,900トンに急増した。イランや隣接するイラク、アフガニスタンでの人口増加が理由だ。2030年には、その3カ国の人口が、現在の1億5,000万人から1億8,600万人に増加することが想定され、穀物需要も伸びる見通しである。2030年には穀物輸出が150万トンまで達する見込みだ。この需要を取り込むため、港湾の鉄鋼製品の輸出能力を、穀物を中心としたドライ貨物向けに切り替えることが必要だ。
加えて、カスピ海経由の物流量をさらに増やすため、ロシアからインド向けのコンテナ輸送の取り込みも図る。2016年におけるロシアとインド間のコンテナ輸送量(双方向)は2013年比で2倍となる12万4,000TEU(20フィートコンテナ換算単位)まで増加した。現在は黒海沿岸のノボロシイスクから地中海、紅海を経由してインドへ輸出されている。これら輸送量の一部をカスピ海ロシア港湾とイラン経由のトランジット輸送で代替し、カスピ海地域の物流増につなげたい考えだ。
次に、各港湾の発展の方向性が明記される(第3章)。アストラハン港、オリャ港、ボルガ川-カスピ海経由の小型貨物船輸送の3つについては、穀物輸出を主力とした機能強化を行う(参考2参照)。液体貨物(原油)の取り扱い施設(ドルフィン)とノボロシイスクまでの原油輸送パイプラインを持つマハチカラ港については、カスピ海域、中央アジアの資源開発の動向などにも開発方針が影響される。カスピ海沖合の油田ツェントラリノエの開発に7~9年必要とされ、国家戦略や石油採掘大手企業の意向もあることから、今回の戦略では同港の開発の方向性は明確に示されていない。コンテナ輸送に関しては、カスピイスクに新設する港が主力となる。大型貨物船にも対応できる規模とし、2030年までには26万5,000TEUまで積み替え能力を引き上げる計画だ。港湾振興と輸出増加に伴う民間船舶と修理などに関する需要には、造船所ロトス(アストラハン州)が引き受ける。
参考2:ロシア港湾の能力、現状
アストラハン港
- 敷地:186.11ヘクタール
- ふ頭数:27
- 貨物ターミナル数:14
- 荷役能力:993万4,500万トン
- 岸壁距離:3,726.81メートル
- 許容喫水:4.5メートル
- 冬季に凍結時期あり(砕氷船利用)
- ドライ貨物が主力(鋳鉄・鉄鋼製品41.8%、穀物29.8%)
- 穀物輸出が過去5年で6倍以上の伸び(2016年実績で73万2,300トン)
- 取扱貨物の82.6%が輸出向け(主としてイラン)
オリャ港
- 敷地:324.84ヘクタール
- ふ頭数:12
- 荷役能力:437万トン
- 岸壁距離:1,877.4メートル
- 輸出貨物が主力(シェア91%、18万500トン、イラン向け)
- ドライ貨物:100%
- 鉄鋼製品のイラン向け輸出、2011年は16万4,500トン(シェア80%)が2016年はほぼゼロ
- (鉄鋼製品に代わり)2016年は穀物輸出がシェア80%以上を占める(2011年時点は0.35%)
マハチカラ港
- 敷地:59.3ヘクタール
- ふ頭数:20
- 岸壁距離:2,113メートル
- 許容喫水:4.5メートル(シーバース:6.5メートル)
- 稼働率:30%(3港湾中最も高い)
- 液体貨物(石油)が主力、2016年実績2.8万トン(全取扱貨物量のシェア87%)
- カザフスタン、トルクメニスタンからの石油を受け入れ、マハチカラーノボロシイスク間のパイプラインで輸送
- 鉄鋼製品輸出は27万トン(2011年実績)ら2万4,500トンに減少
- 穀物輸出は5万1,000トン(2011年実績)から33万2,000トン(2016年実績)に増加
出所:政府指令第2469-p号(2017年11月8日)から一部抜粋
イランからのインバウンド観光客誘致、ヨットなどの小型船舶係留施設を整備
第4章では、観光産業の育成についても触れられている。イランを中心とするカスピ海周辺諸国との経済関係強化を、ロシア・カスピ海沿岸地域住民の生活に裨益(ひえき)させるため、貿易増・造船産業振興に加え、観光産業の育成を優先課題とする。歴史的な観光資源があるデルベントを中心に、カスピ海沿岸諸国・ロシア国内から観光客を誘致し、2025年までにロシア人観光客を年間3万人、イランからの観光客を1万5,000人呼び込む。デルベント市近郊には、ヨットなどの小型船舶向けの停泊地を建設し、サービスを提供する。カスピイスク新港については、民間資本を活用した倉庫、アクセス鉄道、道路なども含む複合開発を実施する。
第5章では、最終的な戦略の到達点を列記している。戦略最終年の2030年までに、年間で(a.)コンテナ輸送実績26万5,000TEU、(b.)穀物輸出700万トン、(c.)その他ドライ貨物700万トン、(d.)ロシア人旅行客3万人の誘致、(e.)イラン人旅行客1万5,000人の誘致、(f.)カスピ海域で利用される船舶10隻の建造のほか、(g.)2,000人以上の雇用創出を実現する。
経済性に基づいた民間投資の継続がカギ
計画倒れに終わった政府戦略は数多く存在する。政府財源が不足している現状では、なおさらリスクがある。戦略の実現性を判断する1つのポイントは、TORと自由港制度の取り扱いだ。ロシア極東では、両制度が民間投資を刺激する効果をもたらした。自由港制度は、外国人のロシアビザ申請を簡略化するE-ビザ(2018年6月26日ビジネス短信記事参照)の基礎となる制度で、イランからの観光客を増やすには不可欠だ。さまざまな施策の中でも大規模な資金拠出が必要なもの(新ターミナルの建設など)や交渉が必要なもの(輸出先国の通関手続き簡略化など)と異なり、国内作業で実行が可能だ。計画では2019年までの実施とあり、議会の審議期間も踏まえると、2019年の秋までに両制度の対象地域を拡大させる法案が政府から議会へ提出される必要がある。
また、持続的な港湾開発を実現するには、政府支援が呼び水となり、民間投資が行われることが必要だ。そのためには、戦略が想定するシナリオに経済性が担保される必要がある。ロシアとイランの中間に位置するアゼルバイジャンは、ロシアとイランを鉄道でつなぐ「南北」輸送路事業を積極的に推進する(2018年2月1日ビジネス短信記事参照)。アゼルバイジャン経由でロシアとイランが鉄道で結ばれた場合、鉄道輸送とカスピ海経由海上輸送が競合関係となり、その場合はアゼルバイジャン・イラン国境アスタラでの軌間変更に伴う時間・コストと、カスピ海のロシア・イラン両港湾の時間・コストが荷主の選択に大きく影響するだろう。ロシアとインドとの間のコンテナ輸送の場合、アゼルバイジャン経由鉄道ルートに加え、既存の黒海ルートとの厳しい競争となる。それら状況を踏まえて、ロシアの穀物輸出大手や輸送大手がカスピ海の港湾整備に投資すれば、今回の戦略は大きく実現に向かう。ロシア極東では現在、港湾整備・開発に多額の民間投資が行われているが、これは制度的支援に加え、アジア太平洋地域での石炭や木材、穀物などへの旺盛な需要を背景にしているものだ。

アゼルバイジャン側サムル近郊にあるトラックの通関ターミナル(ジェトロ撮影)
一方、観光に関しては、観光客の受け入れインフラが整うことで一定の効果が見込める。TOR・自由港制度の適用拡大と観光振興の戦略の一部が先行して進む可能性もある。第5回カスピ海沿岸諸国サミットでは、地域経済協力の手段として「カスピ海経済フォーラム」の実施が合意された。第1回はトルクメニスタンのアシガバードで予定されている。開催時期は未定だが、2019年内に開催されることは確実だ。同フォーラムでロシア政府が、非資源分野での協力事業を戦略の方向性に基づいて打ち出してくる可能性は十分にある。
カスピ海沿岸地域の港湾開発と観光振興は、日本企業にとっても有益だ。物流の効率化と多様化は日系企業の競争力強化に貢献するほか、ロシア極東ですでに実績のある港湾設備や、日本企業が強みを持つ小型船舶関連機器、釣りなどのレジャー分野などでビジネスチャンスが創出される可能性がある。マハチカラとデルベントがあるダゲスタン共和国は、外務省の渡航中止勧告の対象地域であることに注意が必要だが、代理店などを通じた間接的な展開は可能だ。今回のカスピ海の法的地位に関する合意を受け、関係国で協力が進むのは、エネルギー分野だけではない。ロシア、中央アジア、コーカサス、イランなどでビジネスに関わっている企業関係者は、「経済フォーラム」に出席を求められ可能性もある。新しい動きに対応できるよう準備しておきたい。

- 執筆者紹介
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ジェトロ海外調査部欧州ロシアCIS課ロシアCIS班 課長代理
髙橋 淳(たかはし じゅん) - 1998年、ジェトロ入構。2005年から2007年まで海外調査部ロシア極東担当。2009年から2012年までジェトロ・モスクワ事務所駐在。2012年から2014年までジェトロ・サンクトペテルブルク事務所長。ジェトロ諏訪支所長を経て2017年7月より現職。