体内埋め込み型デバイスで目指す不妊治療への新たな挑戦(英国)
2026年1月29日
ジェトロ・ロンドン事務所は2025年7月23日、欧州のウィメンズテック(フェムテックよりも広義に女性の健康をカバーする用語として近年現地で使われている言葉)をテーマにオンライン・ピッチイベントを開催した。英国を含む欧州から選ばれたスタートアップ6社が登壇、日本のベンチャー・キャピタル(VC)から3人が審査員として参加し技術を評価した。ピッチの結果、最も多く得票して優勝を飾ったのが、インプリ(Impli)だ。同社は、英国に本社を構え、女性の不妊治療に伴う課題を解決するための体内ホルモン測定用の体内埋め込み型バイオセンサーデバイスを開発中の医療機器企業だ(そのほかのピッチイベント参加企業と審査員は(注1)参照)。
女性ヘルスケア市場のアンメット・メディカル・ニーズ(注2)に挑戦するインプリのアナ・ルイサ最高経営責任者(CEO)および審査員を担ったグローバル・ブレイン(Global Brain)のキャピタリスト髙井弘基氏にインタビューを行い、インプリの技術面での特徴や日本市場における事業展開の可能性について聞いた(取材日:2025年9月16日)。
ホワイトスペースである女性の健康領域
- 質問:
- 会社設立の経緯は。
- 答え:
- (アナ氏)2012~2013年にインペリアル大学の修士課程に在籍していた際、既存のウェアラブル端末ではリアルタイムで体内データを取得できず、医療ニーズを満たせていないことを知った。その後、3人の臨床医とともにさまざまな事例を洗い出した結果、市場規模、競合状況も考慮に入れながら、アンメット・メディカル・ニーズ(注2)がいまだに多く残る女性の健康、特に不妊治療に注目した。不妊治療では頻繁に採血を行い、ホルモンの体内動態を把握する必要があるが、それには限界がある。私自身もホルモンバランスの問題を抱えた経験があり、これは多くの女性が人生のどこかの時点で経験する課題だと考えた。皮下間質液を検知しリアルタイムで女性ホルモンを測定するバイオセンサーデバイスを開発するため、2019年にインプリを創業した。この領域は大手の医療機器メーカーも含めて、競合他社がほとんどいない未開拓の領域であるということも起業を後押しした。
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インプリのバイオセンサーデバイス(インプリ提供) - 質問:
- 現在はどのような事業ステージにあるか。
- 答え:
- (アナ氏)プレシードラウンド(注3)を終えた後、シードラウンドで計220万ドルを調達したところだ。調達したこれらの資金を用いてバイオセンサーデバイスの開発を完了させ、動物での前臨床試験を実施。現在は2025年末から2026年初頭にかけて、初めてヒトを対象とした安全性試験に進む段階だ。次の目標としてはシリーズAでの約2,000万ドル規模の資金調達を考えており、ヒトを対象とした臨床試験を完了させ、上市に向けた準備を進めていく。
- 質問:
- 臨床試験はどこで実施することを考えているか。また、日本市場についてはどうみているか。
- 答え:
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(アナ氏)最初に展開する市場としては米国を考えている。市場の大きさに加えて、民間企業が中心で、ビジネススピードが速いことが理由だ。現在そのための準備を進めている。
日本市場にも関心はあったが、実際にどれほど有望かは分かっていなかった。しかし、2025年6月にジェトロと経済産業省が開催したグローバル・ヘルスケア・チャレンジ(The Global Healthcare Challenge)に採択されて日本を訪れたことで、日本市場には非常に大きなチャンスが存在することを認識した。今では当社の事業戦略において日本は2番目に重要な市場となっている。日本では不妊や女性ホルモンに関連した課題を抱えている人が多い。米国と比べて日本の人口は約3分の1だが、体外受精(IVF)の治療件数は約50万件と米国を上回る。だからこそ、治療サイクルの回数を減らし、より少ない回数で妊娠に至ることができれば、日本社会にも大きなインパクトを与えられると考えている。
今後は日本市場で安全かつ確実に上市ができるよう、規制当局や臨床現場の医師、産業界との関係構築に注力していきたい。 -

インタビューに応じるアナ氏(ジェトロ撮影)
IVFの件数が世界最大規模である日本市場への挑戦
- 質問:
- 投資家として日本の不妊治療の市場についてどのようにみているか。
- 答え:
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(髙井氏)日本のIVF治療件数は世界最大規模だ。グローバル・ブレインは日本企業のコーポレートベンチャーキャピタル(CVC)ファンドをいくつか運営しているが、最近出資者(LP)の中で女性のヘルスケア分野への関心が非常に高まっていると感じ、特にIVFや不妊治療関連のスタートアップに注目している。
規制面において日本では医薬品・医療機器・再生医療などの製品の安全性と有効性を担保するため、規制当局である医薬品医療機器総合機構(PMDA)による審査が必要となる。同審査にはおよそ10~14カ月かかるが、一度承認されれば政府機関から「公的保証」を得るのと同様の信頼が得られる。
さらに日本では不妊治療が国民皆保険(公的医療保険制度)の対象であることから、対象者は治療費の自己負担比率を3割に抑えることができる。出産の高齢化が進む中で治療の需要は確実に増えている。日本企業とのパートナーシップ構築や、仕事をする上での文化の壁など市場参入の障壁はあるものの、1度参入できれば、病院での採用と普及は非常にスムーズに進むと考えられる。 - (アナ氏)日本と米国では保険収載の仕組みが大きく異なる。日本はIVFの費用の70%が公的医療保険制度で負担されるが、これは他国にはない大きな利点だ。市場規模は非常に大きく、今後は日本での医療機器承認に取り組んでいく必要がある。
革新的な技術に積極的な日本のクリニック
- 質問:
- 日本進出の際にどのようなパートナーと協業したいと考えているか。
- 答え:
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(アナ氏)まだ日本のエコシステムに深く入り込めていないため、完全な答えは持っていないが、いくつか明確な軸がある。
1つ目は自分たちのビジョンとミッションに共感してもらえるか。女性の健康をより良くし、より良い結果を届けるという目的に賛同してもらえるか。戦略的にも共通の価値観を持っていることがとても重要だ。
2つ目は「流通ネットワーク」を持っているか。IVFの領域は一般的な医療とは異なり、治療対象者が「病気の人」ではなく「妊娠を希望する人」だ。この特殊な構造の中に既にネットワークを持っているパートナーと協働することが重要だ。 -
(髙井氏)自身の経験から日本の臨床医、特に不妊治療クリニックの医師は新たな技術導入に非常に積極的だと感じている。
理由の1つは日本ではIVFが自費診療の部分が多く(注4)、医師の裁量が大きいためだ。彼らは「より良い結果を出す」ために新しい技術を試そうとしている。こうした積極的な文化は海外のスタートアップにとって非常に有利だ。
例えば、大阪と東京に2つの拠点を有するとある不妊治療専門クリニックは非常に活動的で、新しい技術を積極的に試し、学会などでその結果を発表している。こうしたクリニックと提携することはマーケティングの一貫でもあり、評判が広まり、信頼が形成されるきっかけとなる。 -

インタビューに応じるアナ氏と髙井氏(ジェトロ撮影)
女性の健康分野への投資環境
- 質問:
- 英国をはじめとする欧州におけるウィメンズテックの市場動向は。
- 答え:
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(アナ氏)起業当初の2019年頃、ウィメンズテックはニッチな分野だった。しかし、米国マッキンゼーや米国ゲイツ財団などの大手の機関投資家が女性の健康への投資による社会・経済成長への寄与をテーマにレポートを発表したことをきっかけに、多くの投資家が巨大な未開拓市場だと認識し始めた。
アクセラレーターやインキュベーションプログラム(注5)が次々に誕生し、サポートするエコシステムが整備されつつある一方、資金配分はまだ偏っている。女性の健康分野に投じられる投資額はほかの医療領域の50分の1以下といわれている。 - (髙井氏)製薬会社だけでなく、最近ではマーケティング会社や大手商社・卸会社の間でも関心が高まっている。欧州では女性の健康に特化したVCも増えており、アクセラレーターも活発で市場の勢いは確実に上向きだ。 ただし、製薬を発端とする既存の大手VCはこの分野に慎重だ。今、積極的な活動を展開しているのは第1・第2世代の新興VCが中心だが、今後大手ファンドが女性の健康分野に参入すれば、それがゲームチェンジャーになるだろう。
2人へのインタビューを通じて、ウィメンズテック市場の展望が浮かび上がってきた。近年のウィメンズテックに係る動向として、ロンドンでは2025年11月16~21日の6日間、ライフサイエンス・セクターへの投資・コラボレーションの促進を目的としたロンドン・ライフサイエンス・ウィーク(注6)が開催された。会期中に実施されたウィメンズ・ヘルス・イノベーション・ショーケースでは、女性の健康格差を解消するための投資とイノベーションの緊急性に焦点が当てられた。2024年には欧州初のウィメンズテック分野のユニコーン企業(注7)のフロー・ヘルス(Flo Health)(2024年8月7日付ビジネス短信参照)を輩出した英国は、米国に次いで世界で2番目に多くのウィメンズテックのスタートアップを創出する国として知られている。インプリのような革新的な技術が女性の不妊治療問題を解決する新たな手段となることが期待される。

- 注1:
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ピッチイベント参加企業と審査員
参加企業(アルファベット順)- エンハンスド・ファーティリティ(Enhanced Fertility)
- アイジー(iGii)
- サムフィア・ニューロサイエンス(Samphire Neuroscience)
- トライアルハー(TrialHer)
- 注2:
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「いまだ満たされない医療上の必要性」を意味する。患者や医師から強い期待があるにもかかわらず、有効な既存薬や治療がない状態を指す。
- 注3:
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ベンチャー企業に対して投資する段階を示す。ベンチャー企業のステージに応じて、プレシードラウンド(アイデア段階)、シードラウンド(プロトタイプ開発段階)、シリーズA(創業期)、シリーズB(成長期)、シリーズC(成熟期)、その後もシリーズD(大規模成長・事業安定期)と上がっていく。
- 注4:
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2022年4月より不妊治療は保険適用となったが、治療開始時における年齢制限や回数制限を超える部分に関しては自己負担となる。
- 注5:
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起業したてのスタートアップや新規事業を対象に成長を加速させるための支援プログラムを意味する。
- 注6:
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ロンドン・ライフサイエンス・ウィークは例年11月に開催されているロンドンで最大級のライフサイエンスイベントで、バイオインダストリーアソシエイション(BIA)、メドシティ(MedCity)、ロンドン・アンド・パートナーズ(London and Partners)が共同でプログラム運営をしている。
- 注7:
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設立10年以内で企業価値が10億ドル以上の未上場スタートアップを意味する。
- 執筆者紹介
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ジェトロ・ロンドン事務所
榊原 達也(さかきはら たつや) - 2023年10月からジェトロ・ロンドン事務所勤務。
- 執筆者紹介
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宮崎 莉沙(みやざき りさ)
2025年5月からジェトロ・ロンドン事務所勤務。




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