求められる法的拘束力
ASEANが模索するAIの法整備(1)
2025年7月9日
生成AI(人工知能)の登場により、世界のAI市場は大きく拡大している。カナダのコンサルティング会社Precedence Researchのレポートによると、世界のAI市場規模は2025年に7,576億ドル、2034年には3兆6,800億ドルに達すると予測されている。地域別の年平均成長率をみると、アジア太平洋が19.8%と最も高く、中国やインド、東南アジアでの導入拡大が成長を牽引している。
各国政府はAIを経済成長の柱と位置づけると同時に、倫理や透明性を担保する法規制の整備にも注力しており、技術革新と制度設計が並行して進んでいる。EUでは、2024年5月に、AIを包括的に規制する規則案(以下、AI法)が採択された(2024年5月27日付ビジネス短信参照)。 AIシステムのリスクを4段階に分類した階層的な規制で、高リスクなAIには透明性、説明責任、データ管理など厳格な要件が課されるほか、さらに上位の容認できないリスクを伴うAIについては、利用を禁止する内容となっている。日本も2025年2月、AI開発促進と透明性確保を目的とする新たな法案を閣議決定した。米国では2025年1月にドナルド・トランプ政権がAIイノベーション推進を掲げ、規制緩和を指示する大統領令を発表している(2025年1月27日付ビジネス短信参照)。このように、AIのリスクに対して厳格な規制を導入する動きと、国際競争力やビジネス促進を重視して規制を緩和する動きの両方が見られる。
他方、ASEANでは、AI市場が活発化する中、各国の法制度を補完するかたちで、AIガバナンスと倫理に関するガイドラインが策定されている。
本レポートでは、ASEANのAI規制の現状を探る。前編では、ASEANで発行されているAIガバナンスと倫理に関するASEANガイド(以下、ASEAN AIガイド)の内容と課題について検討する。
規制よりも産業振興・倫理共有を重視する「自律的ガバナンス」モデル
ASEANでは、2024年2月にASEAN AIガイドが策定され、AIの開発・利用に関する倫理原則と実務上の推奨事項が域内で共有された。このガイドは、法的拘束力を持たない推奨ベースの枠組みで、各国の政策・法律を補完する参考指針として機能する(表1参照)。
リスク分類は「低・中・高」の3段階で、重要性と発生確率に応じた柔軟な運用が前提となる。禁止リストは設けていないが、倫理的懸念がある用途は高リスクと見なされ、慎重な運用が求められる。高リスクAIには、人間の関与を前提とした判断確認と責任を持った管理を推奨しており、人事採用や医療、金融などの分野が該当し得る。
生成AIについては、ASEAN AIガイドで特化した記載はないものの、2025年1月には「生成AIに関するASEAN拡張版AIガバナンスと倫理ガイド」が発行され、生成AIに特化したガイドラインが提供されている。
運用体制について、共通の監督機関は設けられておらず、各国や企業が自律的にガバナンス体制を整備・実施することが想定される。域外適用に関する記載はなく、地域内での活用が前提となっている。このガイドは、ASEAN域内の多様性を踏まえつつ、経済成長と倫理的AI利用の両立を促す「自発的かつ非拘束的」な指針として位置づけられている。
項目 | 内容 | 補足 |
---|---|---|
政策目的 | ASEAN加盟国と関係者に対して、責任あるAIの設計・開発・導入を進めるための自発的かつ非拘束的な指針を提供する。 | 自国に即したAIガバナンス指針・政策枠組みの構築を推奨する。 |
法的拘束力 | 法的拘束力を持たない。 | 各国のAI開発・活用や法律・政策の策定で「参考指針」として推奨される。 |
リスク分類 | 重要性と発生確率に基づき、低リスク / 中リスク / 高リスク の3段階で分類。 | AIのリスクレベルに応じて、意思決定における人間とAIの役割(人間がAIの運用に対してどの程度関与すべきか)を明記している。 |
導入が禁止されているAI | 明文化された禁止リストは存在しない。 | 倫理的懸念がある用途については、高リスクとして慎重な評価・運用が必要。 |
高リスクとされるAI | リスク分類で高リスクとされている、重要性と発生率が高いAI。 | 人間がAIの判断を確認・承認する責任を持ち、厳格に管理されることを推奨する。 |
生成AIの法規制 |
ガイドラインには、生成AIに特化した内容は記載なし。 本ガイドラインを生成AIガバナンスに適応・拡張する必要性を明記。 |
2025年1月に生成AIに特化した 「生成AIに関する ASEAN 拡張版 AIガバナンスと倫理ガイド」を発行。 |
運用体制 | 記載なし。 | 中央監督機関は設けられておらず、各国や企業が自主的にガバナンス体制を整備・実行することが推奨されている。 |
域外適用 | 記載なし。地域内での適用が前提。 | — |
出所:AIガバナンスと倫理に関するASEANガイド(ASEAN事務局)を基にジェトロ作成
求められる倫理的かつ調和の取れた制度
さらに、ASEAN各国でAI活用の拡大に対し、倫理的かつ調和のとれた制度設計が急務となる中、2025年3月5日にASEAN責任あるAIロードマップ(2025–2030)(11.4MB)が発行された。このロードマップは「AIガバナンスと倫理に関するASEANガイド」を補完し、その実装を促進するための行動計画として位置づけられている。ロードマップでは、責任あるAIの導入と展開を支えるための4つのガバナンス施策が提示されている(表2参照)。
第1に、「AIリスク影響評価テンプレートの展開」は、AIのライフサイクル全体にわたる差別・プライバシー・セキュリティーなどのリスクを特定・評価・優先順位付けするための標準的な手法を提供し、倫理的判断の基盤を整備するものだ。
第2に、「AIガバナンス枠組みの開発」では、ASEAN AIガイドに準拠しつつ、アップデートされたガイドラインを策定する予定だ。この枠組みは法的拘束力を持たない非拘束的な原則ベースの設計とし、各国の法的義務や権利を上書きするものではない。ASEANデジタル経済枠組み協定(DEFA)や生成AIガイドラインなど、既存の取り組みとの整合性も重視している。
第3に、「AIガバナンスワーキンググループの設置」では、加盟国間の調整・整合を担い、ガバナンス体制の整備・運用やロードマップの更新を主導する中核機関の整備が期待される。
最後に、「国・地域別のAI活用における勧告」では、加盟国の政策整備段階(成熟度)に応じた実行可能な行動指針を提示する。具体的には、初期段階、発展段階、先進段階の3段階に分類した成熟度に基づき、各国が無理のないステップで責任あるAIを導入できるよう支援する構造となっている。
これらの施策は、ASEAN加盟国の多様な政策状況に対応しながら、域内のAIガバナンスの質を底上げし、信頼性と協調性の高いAI社会の構築を目指すものだ。
項目 | 内容 |
---|---|
AIリスク影響評価テンプレートの展開 | AIリスクを評価するテンプレートを作成する。テンプレートは、AIライフサイクル全体にわたるリスクを特定・評価・優先順位付けするための、構造化された標準評価手法を提供する。 |
ASEAN AIガバナンス枠組みの開発 |
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ASEAN AIガバナンス ワーキンググループの設置 |
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国別・地域別のAI活用における勧告 |
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出所:ASEAN責任あるAIロードマップ(2025–2030)
自律的枠組みに内在する課題と限界
ASEANのAIガバナンスは、加盟国間の政治的・経済的多様性に配慮し、強制力のない自律的な枠組みを採用している。この柔軟な設計は、加盟国の自主性を尊重し、地域全体で共通理解を広げる上で一定の効果を持つ。一方で、こうした枠組みには幾つかの本質的課題が指摘される。
国連が2023年10月に設置したAIガバナンスに関する国際的専門家グループの国連AI高等諮問機関は、今後の国際的AIガバナンスに向けた原則・機能・制度構築の方向性を整理するために、2024年9月に「人類のためのAIガバナンス(4.1MB)」を発表した。同機関は、AIを巡る国際的なガバナンスには深刻な欠如があると指摘する。倫理や原則は語られている一方で、制度としての規範は未整備で、多くの抜け穴を抱える。とりわけ、説明不可能なAIシステムが他者に影響を及ぼす場合の、説明責任が欠如しており、多くの対応は自発的努力にとどまり、理念と現実の間に大きなギャップが存在する。また、制度的・技術的成熟度には国や地域によって大きな差がある。十分な制度や人材・資源を有する一部の国がAIの恩恵を享受し、意思決定を主導する一方、多くの国は議論や運用から取り残されるという不均衡も深刻な課題として挙げられている。
この指摘は、ASEANの枠組みにも当てはまる。第1に、法的拘束力を持たないことによって、各国の解釈や実施状況にばらつきが生じやすく、共通ガイドラインとしての実効性が担保されにくいという問題がある。例えば、高リスクAIへの対応でも、ある国では人間の関与を前提とした管理体制が構築されている一方、別の国ではリスク評価や透明性確保が不十分なまま運用されているケースも考えられる。
第2に、加盟国間での制度的・技術的成熟度の格差も大きな課題だ。AIに関する国家戦略を策定し、既に民間への導入が進んでいる国と、まだ基本的な法制度が未整備の国とでは、同じガイドラインでも対応可能な内容に大きな開きがある。これにより、各国の取り組み状況に応じた適切な実装支援がなされない限り、結果的にガイドラインが形骸化する恐れもある。
こうした課題への対応としては、まず、推奨ベースのガイドラインから、共通の最低基準を備えた制度枠組みへと段階的に移行していくことが望まれる。急速に進化するAIに対応するには、制度も一度整備して終わりではなく、柔軟に見直しと更新を重ねていく必要があると考えられる。また、加盟国間の制度的・技術的成熟度の差にも配慮が求められる。整備の遅れている国に対しては、段階的な実装支援や人材育成を通じて、取り組みの足並みをそろえていく工夫が重要となるだろう。
こうした取り組みを積み重ねることで、ASEAN域内でも、多様性を尊重しながら、一定の共通基準に基づいた調和的なAIガバナンスの構築が期待される。今後のASEANでのAIガバナンスの展開には、引き続き注視が必要だ。

- 執筆者紹介
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ジェトロ・クアラルンプール事務所
近藤 皐平(こんどう こうへい) -
2018年、TOKAIコミュニケーションズ入社。
2024年からジェトロに出向。調査部アジア大洋州課を得て、2025年4月から現職。
- 執筆者
- アジア大洋州課