金融政策は、インフレ抑止で利上げに転換(ASEAN、南西アジア、オセアニア)
スタグフレーションの懸念も

2022年6月24日

元来、インフレ率が高かった南西アジアに加えて、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻後は、比較的物価水準が落ち着いていたASEAN、オセアニアでもインフレ率は上昇してきた。その結果、各国中央銀行はインフレ率抑止のために、金融政策を引き締め方向に転換し始めた。他方、利上げによっても、インフレ率の上昇がとまらず、景気も後退するスタグフレーションの懸念もちらつく。国民の不満を高めるインフレは、南西アジア中心に政治動乱を引き起こしている。

落ち着いていたASEANにも変化

アジア大洋州地域の中でも、これまでインフレ率が高かった国は、さらにインフレ率が上昇し、低く抑えられていた国でも明確に上昇し始めた。例えば、パキスタンは、2021年前半も6~11%とインフレ率は比較的高い水準にあった(図1参照)。さらに、2022年5月には、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻による混乱が供給不足を招いたことで、13.8%に上昇した。インドについては、2020年こそインフレ率は高かったものの、2021年は落ち着きを見せていた。しかし、2022年に入って、伸び率は加速してきている。さらに、南西アジアと比較して、物価に落ち着きがみられたASEANにおいても、例えばタイでは、2020年のインフレ率がマイナスであったところ、2022年5月には7.1%と明らかにこれまでよりも物価上昇が明確化してきた。元々、インフレ率が高いラオスも2桁に達してきた。

図1:アジア大洋州の多くの国でインフレ率は上昇
図はインド、パキスタン、ニュージーランド、マレーシア、タイ、ラオスの2020年以降のインフレ率の推移を表している。2021年以降にインフレ率の上昇が顕著になってきた。これ以前も高かった南西アジア諸国に加えて、ASEANの一部の国でもじわりとインフレ率が上昇してきている。

出所:各国統計から作成

インフレ率上昇の理由は複合的といえる。各国中央銀行が金融政策会合後に出した声明文を見ると、要因として、(1)新型コロナ抑止のための事業活動停止やそれに伴う物流・サプライチェーンの停滞・寸断がある。(2)ロシアによるウクライナへの軍事侵攻に伴って、ロシアが国際社会から経済制裁を科されたことによる経済的混乱からの資源・食料品の供給減少。(3)景気の先行き不透明感を反映した為替レートの減価を通じた輸入品価格の上昇、が挙げられる。加えて、各国個別の政策、例えば、スリランカやパキスタンなどが実施している外貨準備の減少を防ぐための輸入規制などの保護貿易的措置が供給不足をより深刻化させ、インフレ率上昇に拍車をかけている。

中央銀行は難局に

インフレ率の上昇は、企業の製品のコストアップにつながる。企業が値上げを原価低減によって、吸収できない場合は、最終需要者の家計の購入商品に転嫁される。特に、食料品の支出割合が高い低所得国ほど、日々の生活に直結するだけに、その影響は大きい。そのため、各国中央銀行は政策金利を引き上げて、インフレ率を抑え込む(図2参照)。例えば、マレーシア中央銀行は、2022年5月11日の金融政策会合(MPC)で、政策金利を0.25ポイント引き上げ2.0%にすることを決定した。オセアニアでも、オーストラリア中央銀行は6月7日の理事会で、インフレ率が予想外に上昇していることから、政策金利を過去22年で最大の0.5%ポイント引き上げ、0.85%とした。経済危機にある南西アジアのスリランカでは、中央銀行がサプライチェーンの混乱や物価上昇などから、4月に政策金利の1つ預金金利を6.5%から13.5%に一気に7ポイント引き上げた。

図2:足元、各国中央銀行が利上げ開始
図は、マレーシア、フィリピン、オーストラリア、インド、スリランカ中央銀行の政策金利の推移を表している。各国中央銀行ともに、足元では利上げ政策に舵を切り始めている。

出所:各国中央銀行から作成

物価高は、仕入れ価格の上昇を通じて、企業収益を悪化させると同時に、家計の購買力を減退させるために、一般的には各国中央銀行は利上げを通じて、インフレ率を許容範囲内にコントロールすることを政策目標とする。しかし、経済実勢に見合わない政策金利の引き上げは、例えば、同金利に連動する貸出金利の引き上げなどを通じて、企業の設備投資や家計の消費行動といった実体経済に悪影響を与える。特に、米中貿易摩擦や新型コロナからの回復過程に各国はあるだけに、経済の足腰は盤石とはいえない面もある。その意味では、現状の各国の物価高、それへの対策としての政策金利引き上げは、経済の腰折れを招く懸念を考慮に入れると、経済の先行きを不透明にしている。

金利引き上げの影響は、大型の設備投資を実施する製造業に影響がでやすいことから、同業種の景気の先行指数に当たる景況感をみると(図3参照)、ASEAN、南西アジア、オセアニアの主要国ともに、景況感は足踏み状態にある。例えば、インドは2022年1~3月の経済成長率は前年同期比4.1%と前の3四半期を下回り、減速傾向は鮮明だ。また、フィリピンは5月24日、2022年の経済成長率の予測値の範囲を7~9%から7~8%へ引き下げた。足元ではロシアによるウクライナへの軍事侵攻も重なり、景気の見通しを慎重にみる向きがある。こういった状況下では、インフレ抑止のための安易な金融引き締め政策は、より経済を収縮させる懸念があるために、中央銀行の金融政策の舵(かじ)取りは難しさを増している。世界銀行は6月7日、「世界経済見通し」に関わるプレスリリースの中で、世界経済は物価高と景気後退が併存するスタグフレーションを迎えつつあるとし、その悪影響が中低所得国におよぶリスクに警鐘を鳴らした。

図3:製造業景況感は足踏み
図は、オーストラリア、インド、インドネシア、タイ、ベトナムの景気の先行指標ともいえる製造業の購買担当者景況指数(PMI)の推移を2020年初頭から2022年5月まで図示している。すべての国の景況感は景気の分かれ目といえる50を上回っているものの、景気の足踏み感は鮮明となっている。

注1:PMI指数とは、Purchasing Managers' Index:購買担当者景気指数の略。製造業の購買責任者を対象に、生産高や新規受注、在庫レベル、雇用状況、価格などの指数に一定のウエイトを掛けて算出する指数。0から100の間で変動し、50.0は「前月から横ばい」、50.0を超えると「前月比で改善や増加」を意味して景気拡大を示し、50.0未満は「前月比で悪化や減少」として景気減速を表す。
注2:指数は季節調整値。
出所:S&Pからジェトロ作成

各国政治に波乱

インフレ率の上昇は、各国の政治情勢を揺さぶる。スリランカでは、インフレを一因とする抗議デモが激化し、2022年5月にはマヒンダ・ラージャパクサ首相が辞任した。パキスタンでも、インフレへの対応が後手に回ったカーン首相が4月に失職し、政権が交代した。ネパールのインフレ率も6年ぶりの高水準となり、4月は7.3%上昇した。ロイターは、インフレ率が2022年末に選挙を控えるシェール・バハドゥール・デウバ現政権の悩みの種とする(2022年5月11日付)。

ASEANでも、類似の動きが見られる。マレーシアではイスマイルサブリ・ヤーコブ首相が、所属の統一マレー国民組織(UMNO)から早期選挙の要望を受けているといわれる中、インフレを理由に総選挙の実施には否定的な意向を示した(5月31日付、日経アジア)。オーストラリアでは5月に、インフレから生活水準の低下に不満を持つ有権者の支持を取り込むことで、労働党が政権を奪取し、政権交代につなげた。

インフレ率の上昇は、企業だけではなく、日々の国民生活に直結する大きな経済・政治課題といえる。特に、飲食料品価格の高騰は、エンゲル係数の高い低所得者に打撃が大きい。例えば、スリランカの5月の飲食料品のインフレ率は、58.0%におよぶ。物価の上昇に合わせて、賃金も上昇すれば、実質所得に変化はなく、家計への痛みも軽減される。しかし、景気が先行き不透明感を強める中、積極的な賃上げに動ける企業は限られる。苦境に追い込まれた国民は選挙では政権与党に「No」を突き付ける、あるいは過激なデモ活動で、政権は首相を含めた内閣一新に踏み切らざるを得なかったりする。インフレ率のコントロールを誤れば、政権基盤が崩れる例が今の各国政治に起こっている現状だ。

インフレは長期化も

ASEAN、オセアニア地域を中心にこれまで、インフレ率が低位で安定してきた国も足元では状況が一変してきた。特に、需要に力強さが欠ける国は、中央銀行の引き締め政策のインパクトが大きく、過度に経済が抑制されるリスクもある。インフレ率が落ち着かず、景気も後退する50年ぶりのスタグフレーションの可能性も取りざたされている。経済不安は政治を動揺させ、より国民の日常生活を、不安定にさせかねない。今回のインフレは、エネルギー、食料供給など外部環境に起因する面が大きいだけに、1国で解決できる問題ではなく、各国の経済・政治情勢は不安定な状態が続くとみられる。


スリランカのシャングリラホテル前で大統領退陣を叫ぶデモ隊(4月10日、ジェトロ撮影)
執筆者紹介
ジェトロ海外調査部アジア大洋州課課長代理
新田 浩之(にった ひろゆき)
2001年、ジェトロ入構。海外調査部北米課(2008年~2011年)、同国際経済研究課(2011年~2013年)を経て、ジェトロ・クアラルンプール事務所(2013~2017年)勤務。その後、知的財産・イノベーション部イノベーション促進課(2017~2018年)を経て2018年7月より現職。