老舗刃物メーカーの貝印、インドで高品質爪切りの普及に挑戦
コロナ禍での衛生観念の高まりがチャンスに

2020年9月10日

新型コロナウイルスの感染拡大を受け、インドの衛生観念に大きな変化が起きている。マスクの着用や、手洗い・うがいの徹底、アルコール消毒など、これまでインドでは一般的ではなかった習慣が一気に広まった。インド政府も啓発用のチラシを作成し、こうした対策を取るよう国民に広く呼びかけている。

インドでは、8月下旬に新型コロナウイルス感染者数が累計300万人を超え、3月から5月まで全国的に続いた厳格なロックダウン措置は、経済にも大きな打撃を与えた。このような状況下で、コロナ禍をチャンスととらえ、ブランド浸透に挑戦する日本企業がある。岐阜県で創業した老舗刃物メーカー、貝印だ。同社はインドで、爪切り、カミソリ、包丁の3つの製品を製造販売している。特にコロナ禍を受けて、手先の衛生意識が高まっている中、質の高い爪切りを広く普及させるべく、さまざまな活動に取り組んでいる。同社のインド法人カイ・マニュファクチュアリングインディアのパンディア・ラジェシュ社長(Managing Director)に、主力製品の1つである爪切りを中心に、ブランド戦略やコロナ禍を受けてのインドの変化、そこに潜むビジネスチャンスについて聞いた(8月20日)。


カイ・マニュファクチュアリングインディア社パンディア・ラジェシュ社長(同社提供)
インドの店頭に並ぶ貝印製品(ジェトロ撮影)

インドでは、爪切りの普及は途上

質問:
インド進出の経緯と、これまでのインドでの展開は。
答え:
カイ・マニュファクチュアリングは2012年に設立された。2016年8月から、ラジャスタン州・ニムラナの工場で生産を開始。現在は日本人1人、インド人が194人の体制だ。
貝印は総合刃物メーカーで、日本では包丁などの調理器具から、カミソリなどの美容ケア、業務用・医療用器具などまで、さまざまな製品を取り扱っている。インドで生産をしているのは、爪切り・カミソリ・包丁の3つだ。日本の幅広いラインナップの中で、生活必需品としてインドで需要が高いと思われるものを選んだ。
カミソリの刃は当社の「命」だ。そのため、日本製にこだわり日本から輸入している。一方で、それ以外の部材は現地で調達している。モディ首相の掲げる「メーク・イン・インディア」政策への貢献も考え、当初から現地生産を念頭に進出した。
質問:
インドでは、どのように爪の処理をするのが一般的なのか。競合はどのような企業か。
答え:
インドは、日本ほど衛生に対する意識が高くない。貧富の格差も大きい。そのため、生活のレベルによって爪の処理に対する意識のばらつきが大きくなる。中には、文房具のはさみで処理をしたり、自分の歯でかじったりする人もいる。家庭に爪切りがなく、理髪店で散髪する際に、あわせて爪を切ってもらうこともある。デリー、ムンバイ、ベンガルールなどの大都市では、爪の処理への意識が比較的高い。しかし、そうではない農村部などでは、そもそも爪の処理が必要という教育がいきわたっていない人も大勢いる。
このように、爪切りは日本ほど普及しておらず、家庭で所有していない場合も多い。現在、一般的に流通しているのは、ベガ(VEGA)というインドの美容品メーカーの製品などだ。そのほか、中国や韓国、東南アジアからの安価な輸入品、インド国内の小さな町工場の製品も見られる。

手で食事をする文化に合わせて商品開発

質問:
貝印製の爪切りの特徴やインドの習慣に合わせたセールスポイント、工夫は。
答え:
インドで一般的に流通している爪切りと差別化するために、手で食事するインド人向けに商品開発した。具体的には、手で摂食すると爪の裏に汚れがたまるので、汚れを取り除くピックをつけた。日本では切った爪が飛び散らないようケースが付いているのが一般的だが、インドではあまり見かけない。本体部分はそのままで、切った爪は飛び散ってしまう。差別化を図るために、日本の爪切りと同様、切った爪がたまるケース部分を取り入れた。一番の違いは刃先の質だ。インドでこれまで流通している爪切りは、爪を切るというよりも、ちぎっているイメージに近い。刃先の質が良くないため、ちぎるようにして爪を短くしているというイメージだ。一方、貝印の爪切りは刃先がしっかりしていて、きれいに切ることができる。断面を見れば、違いは一目瞭然だ。

インドで販売している爪切り(同社提供)

爪切りの必要性啓発のために無償配布を実施

質問:
ブランドを浸透させるための取り組みなどは。
答え:
質の良い爪切りという自社ブランド浸透の啓発活動として、2020年3月、デリーの公立学校に1,500個の爪切りを無償配布した。爪切りそのものだけでなく、爪の衛生を保つ必要性を説明した、わかりやすいパンフレットも作成した。
医療関係者の間で爪の衛生への意識を高めてもらう取り組みもした。8月19日にIntegrated Health and Wellbeing Councilという非営利団体主催のウェブセミナーに登壇。4人の医師とのパネルセッションを行った。このウェブセミナーは「Hand and Nail Hygiene(手と爪の衛生)」がテーマで、手先の衛生への関心を喚起するものだった。
モディ政権は、コロナ禍以前から「クリーン・インディア」「ヘルス・インディア」というスローガンを掲げ、衛生や健康への意識向上に取り組んできた。コロナ禍を通じて加速する衛生や健康への意識向上の機運を捉え、今後も爪切りの重要性や大切さを伝える活動をしていきたいと思っている。

啓蒙パンフレット(同社提供) ウェブセミナーでの講演の様子(同社提供)

コロナ禍で衛生観念に大きな変化が

質問:
コロナ禍を受けて、インドの人々の衛生観念や爪の処理についての意識にどのような変化があったとみるか。
答え:
新型コロナによって、マスクをする、手を洗う、という習慣が取り入れられたことは、大きな変化だ。感染を減らすためには衛生を保つことが必要だという認識が根付いた。手を20秒以上洗うという考え方や、消毒の習慣も広まった。爪をきれいに整えるというところまで、人々の意識はまだ向いていない。しかし、こうした手を清潔にするという意識の延長線上に、爪の衛生がある。そうした意識を根付かせていく上で、今は好機といえる。
新型コロナの感染拡大は、私たちにニューノーマルを導いた。マスクは、もともとインドでは全く一般的ではなかった。不殺生を説く戒律に厳しいジャイナ教の僧侶が、虫を吸わないようにするためにつけているくらいだったが、今やすっかり根付いた。ただ、薬やワクチンができ、感染を防ぐ手立てが確立されれば、マスク着用の習慣はインドでいずれ消えていくだろう。しかし、手の衛生を保つことは、コロナウイルスを防ぐためだけでない。さまざまな感染症に対して効果がある。となると、一度根付いた意識は今後もずっと残っていくものだと考えている。手で食事をするというインド人の習慣も変わることはない。
人々の衛生への認識が高くないと、当社商品は売れない。そうしてみると、コロナ禍で手の衛生についての意識が一気に高まったことは、私たちにとってはチャンスだ。
私は小学生の時、指に歯磨き粉をつけ、指で歯を磨いていた。歯ブラシを使えるのは父だけで、歯ブラシは憧れだった。しかし今はどうだろうか。歯ブラシは各家庭に人数分あるのが普通になった。これが変化だ。爪切りもこうした衛生観念の高まりを受け、「各家庭に1つ」が普通という状況になってほしいと考えている。さらに、爪にはさまざまな細菌が潜んでいる。そのため、爪切りを他人と共有することは、本来好ましくない。「各家庭に1つ」が達成されたら、次の段階として「1人に1つ」が当たり前となるような啓発活動をしていきたい。

感染対策啓発用の広報素材(インド政府提供)

ECの伸びでロックダウン中も売り上げは好調

質問:
コロナ禍を受け、これまでと販売戦略に変化はあったか。
答え:
インドでの販売は始めて間もない。そのため、新型コロナ感染拡大以前の売り上げが大きいわけではなかった。いずれにせよ、ロックダウンが明けた6月以降、国内の売り上げは毎月、最高記録を更新している。特に伸びている販路は、電子商取引(EC)を通じた売り上げだ。ECも以前から実施していたが、ロックダウン中に大きく伸長した。インドでは、もともと品質の高い爪切りが普及していなかった。それだけに、商品を検索した時に見た目がしっかりしていて、カラーバリエーションも豊富な当社の爪切りは目を引いたのだと思う。
質問:
今後の貴社の展開方針は。
答え:
古来、インドの伝統医療アーユルヴェーダでは、その人の爪の色を見て、健康状態の診断をしていた。爪の健康は、身体の健康のバロメーターと言える。それほど爪は人々の健康な暮らしにとって重要なものだ。こうした意識を根付かせるために、まずは何よりも教育が大事だと考えている。コロナ禍での衛生観念の高まりをチャンスに、「awareness of nail hygiene(爪の衛生の大切さを気付かせること)」をどんどん広めていきたい。
また、当社は爪切りをそのまま、「TSUMEKIRI」という名称で販売している。インドでは、富士ゼロックスのコピー機が非常に有名だ。そのため、「ゼロックス」という名称がそのまま「コピーすること」という意味にもなっている。「コピー屋さん」の意味で「ゼロックス」という看板を掲げている店舗が多く見かけられるほど浸透しているわけだ。このように、「TSUMEKIRI」と言ったらそのまま爪を切ることという意味となり、その時に使われるのが「KAIJIRUSHI」というのが当たり前になることを目指したい。そうなるよう、爪の衛生管理のため意識・製品・ブランドを、ともに根付かせていきたいと考えている。
執筆者紹介
ジェトロ・ニューデリー事務所
磯崎 静香(いそざき しずか)
2014年、ジェトロ入構。企画部企画課(2014~2016年)、ジェトロ・チェンナイ事務所海外実習(2016~2017年)、ビジネス展開支援部ビジネス展開支援課(2017年~2019年)を経て、2019年11月から現職。