【中国・潮流】深センのイノベーション評価

2018年10月25日

大島理森衆議院議長(以下、大島議長)が7月26~27日、広東省深セン市(以下、深セン)を訪問した。大島議長は華為技術、柔宇科技を視察した後、深センの王偉中書記と会談した。深センのメディアは、その様子を大きく伝えた。この約半年の間に、大島議長をはじめ、多くの日本の国会議員が深センを訪問しており、中国政府もこれを歓迎している。

深セン市政府の公式サイトによると、大島議長の今回の深セン訪問は、議長自身が決めたという。同サイトによると、訪問地として北京以外を選んだ理由について、大島議長は「西安では歴史を、そして深センでは中国の未来を学ぶことができる」と述べた。

大島議長は「習近平(中国共産党)総書記の指導下での深センの改革開放の成果を自分自身の目で確認し、深センの開拓者精神およびイノベーション精神を肌で感じることができた」と評した。

この「習近平総書記の指導下での深センの改革開放の成果」とは何か。2018年は改革開放40周年に当たるが、40年前の1978年は中国の国家戦略に大きな転換が起こった年であった。1978年8月12日、北京で日中両国は「日中平和友好条約」を締結、同年10月22~29日に、鄧小平氏が、中国の指導者として戦後初となる日本への公式訪問を果たした。

この訪問は、日中平和友好条約締結文書の交換式に出席するためであったが、鄧小平氏にとっては、中国近代化の大戦略(改革開放政策)を準備する「学習の旅」でもあったという。

2017年に日中経済協会のミッションで深センを訪問した産業革新機構会長の志賀俊之氏は「40年前に鄧小平氏が日本の近代的工場を視察し、帰国後、中国の改革開放政策を推進していった。40年が経過し、日本企業は中国、特に深センのオープンイノベーションに学ぶ必要がある」と述べている。

このように、日中平和友好条約締結と中国改革開放政策のはじまりには非常に深い縁がある。また現在、日本の産業界が深センに注目するのは、北京から遠く離れたこの地に育まれた、市場メカニズム重視、電子分野の産業集積とサプライチェーンを生かした独自のエコシステムとそのイノベーション力にある。

この深センのイノベーション評価について、日本企業はおおむね以下の3点を指摘する。まず第1に、資金が豊富であること。日本企業が深センに期待する部分で大きいのはベンチャー資金との意見が多い。一方、有望な中国のスタートアップ企業に資金を提供しようとする大手企業からは、中国のベンチャー企業は既に資金を持っているため、資金を提供するタイミングと関わり方が難しいとの指摘もある。

第2に、深センはハードウエアに強く、開発後(レターステージ)でのイノベーションが得意であるが、開発(アーリーステージ)でのイノベーションは得意でない。中国の投資家は中国市場で使える技術を探し出し、技術よりもスピード感やマーケティング力を重視する傾向が強い。

第3に、深センで実際に起業を試みる企業家には、圧倒的に中国人、華人、華僑が多いということだ。深セン市政府は、(1)高度人材育成誘致、(2)IT技術、金融、科学特定分野の技術人材、(3)グローバル人材誘致などに積極的に補助金を提供している。ただ、こうした補助金を獲得するためには、中国語で申請書を作成する必要があり、外国人や外国企業にはかなり難易度が高い。

現時点では、深センにおける日本企業と中国スタートアップ企業との具体的な協力、取り組み事例をたくさん紹介できるような段階にはない。しかし日本企業は、スマートシティ、自動運転、医療、セキュリティーなどの分野で進むAI(人工知能)技術の活用や、中国のデジタル社会の取り組みに引き続き注目する必要があるだろう。

また、日本政府から日本でもスタートアップ支援に向けた取り組みを強化する方針が示される中、日本企業は自身の特徴、強み、弱みを把握し、積極的に中国を含むさまざまなエコシステムと積極的な交流を続けていくことは極めて重要である。

深センに、日中経済関係の新しい未来をみることができるのか、今後もしっかりと注目していく必要がありそうだ。

執筆者紹介
ジェトロ・広州事務所長
天野 真也(あまの しんや)
1993年、ジェトロ入構。ジェトロ・北京事務所(1998~2002年)、本部海外調査部中国北アジア課課長代理(2002~2005年)、ジェトロ・広州事務所(2005~2010年)、本部企画部北東アジア事業推進主幹(2010~2011年)、ジェトロ・武漢事務所所長(2011~2015年)を経て、2015年より現職。