知財判例データベース 物の請求項の特定の記載について当業者が技術的意味を把握できるとして、特許明細書及び請求の範囲の記載要件に違反しないと判断した事例

基本情報

区分
特許
判断主体
大法院
当事者
原告・被上告人(無効審判請求人) VS 被告・上告人(特許権者)
事件番号
2024フ10108登録無効(特)
言い渡し日
2024年10月08日
事件の経過
原審判決破棄及び差戻し

概要

物の請求項の特定の記載に関連して、当業者が当該記載について容易に実施できる程度に明細書が記載されているとして、特許法第42条第3項第1号(明細書の容易実施要件)及び特許法第42条第4項第2号(請求の範囲の明確性要件)を満たすと判断した。

事実関係

被告の本件特許発明は、水撃現象(hydraulic shock:管路内を流れる流体の急激な流速変化による大きな圧力波が管路を伝わり管路等に損傷を引き起こす現象)を防止する装置(水撃防止装置)に関する。水撃防止装置は、通常、(水撃防止装置の一部である)圧力や水位のセンサからの出力信号に基づいて、(水撃の危険があると判断されればこれを防止する適切な措置が取られるように)水撃防止装置の駆動装置を制御することによって作動する。このような水撃防止装置の駆動装置が正しく作動されるかを検証するために、実際に水撃を引き起こしてみるテストを行うことは現実的に困難が多い。したがって、実際の水撃なしでも水撃防止装置の駆動装置が正しく作動するかを検証するための「シミュレータ」が必要であり、それが本件発明の対象物(請求項1~請求項3)である。

このシミュレータは、実際のセンサからの(圧力や水位に関する)出力信号がないため、出力信号を代替する「調節値」というものを用いてシミュレーションを行う。また、所望の圧力や水位の信号を多様に変化させて誤動作の有無をチェックするために、当該圧力や水位に対応する入力信号がシミュレータに入力される。本件発明の唯一の独立請求項である請求項1の記載は下記のとおりであり、このうち記載不備(請求の範囲及び/又は明細書の記載要件違反)の核心争点に関連する部分は太字で強調している。

[請求項1]
駆動装置を制御するコントローラに特定の信号を入力するシミュレータと、前記シミュレータに動作のための波形信号を生成して伝達するコンピュータとを含んで構成され、
前記コンピュータは、データ解析を通じて構築された信号データベースの中から選択したデータに該当する波形からなって入力値と水位値が含まれた入力信号を生成し、
前記シミュレータは、コンピュータから入力信号の伝達を受けて電流値と電圧値からなる入力値を生成し、
前記コントローラは、シミュレータから伝達された入力値を通じて水撃防止設備からなる駆動装置を制御するための制御信号を発生し、前記制御信号によって駆動装置で発生する出力信号に対応する調節値を生成してシミュレータに再び伝達すると、
前記シミュレータでは調節値が入力値と同一になるようにフィードバック制御することを特徴とする信号データベースを用いたシミュレータ。

特許審判院審決(特許有効)

審判請求人による、明細書が本件特許発明を実施できる程度に明確に記載されていないとの主張及び請求の範囲の記載が不明確であるとの主張をいずれも排斥し、先行発明による進歩性欠如の主張も認めなかった。

特許法院判決(特許無効)

「調節値」とはどのような意味か、どのように生成されるものであるか等に関して当業者が容易に理解することができず、したがって「駆動装置で発生する出力信号に対応する調節値を入力値と同一になるようにフィードバック制御する」との記載も不明瞭であるという理由で、明細書の記載不備(当業者が発明を容易に実施することができるように記載しなければならないという特許法第42条第3項第1号の違反)及び請求の範囲の記載不備(発明を明確かつ簡潔に記載しなければならないという特許法第42条第4項第2号の違反)があると判断した(先行発明による進歩性欠如については、特に判断していない)。

判決内容

大法院判決(特許有効)

特許法第42条第4項第2号は「請求の範囲には発明が明確かつ簡潔に記載されなければならない」と規定しており、第97条は「特許発明の保護範囲は請求の範囲に記載されている事項によって定められる」と規定している。したがって請求の範囲には明確な記載のみが許容され、発明の構成を不明瞭に表現する用語は原則的に許容されない。また、発明が明確に記載されているか否かは、その発明の属する技術分野で通常の知識を有する者(以下「当業者」)が、発明に関する説明や図面等の記載と出願当時の技術常識を考慮して、請求の範囲に記載されている事項から特許を受けようとする発明を明確に把握できるかにより個別に判断しなければならない。
特許法第42条第3項第1号は「発明に関する説明は、通常の技術者がその発明を容易に実施することができるように明確かつ詳細に記載しなければならない」と規定している。しかし、「物の発明」の場合、その発明の「実施」というのはその物を生産、使用する等の行為をいうため、物の発明において、通常の技術者が特許出願当時の技術水準から見て過度な実験や特殊な知識を付加しなくとも発明の説明に記載されている事項によって物自体を生産し、それを使用することができ、具体的な実験等により証明されていなくとも特許出願当時の技術水準から見て通常の技術者が発明の効果の発生を十分に予測できるのであれば、上記条項で定めた記載要件を満たすということができる
本件請求項1の発明は、通常の技術者がその請求の範囲に記載されている事項から特許を受けようとする発明を明確に把握することができ、その発明の説明に記載されている事項によって物自体を生産し、それを使用することができ、発明の効果の発生を十分に予測できる。

①調節値とは、入力値を受け取ったコントローラによって生成されるものであってシミュレータが入力値と比較する値である。したがって調節値は「コントローラが駆動装置に制御信号を送ったとき、その駆動装置が出力すると予想される出力信号に対応する電流値と電圧値」を意味する。この際、コントローラは、シミュレータから受け取った特定の入力値を認識して駆動装置にその入力値に応じた制御信号を送ったとき、駆動装置がいかなる出力信号を生成するか適切なアルゴリズム等を通じて予想することができ、またその出力信号に対応する電流値と電圧値を適切な方法で設定することができるので、通常の技術者であれば、本件請求項1の発明の出願当時の技術常識を考慮して「駆動装置が出力すると予想される出力信号」や「その出力信号に対応する電流値と電圧値」等の技術的意味を把握してこれを実施するのに特別な困難性がないと思われる。

②「調節値が入力値と同一になるようにフィードバック制御する」とは、入力値を受け取ったコントローラが生成した調節値と当該入力値が同一かどうかシミュレータが比較して、同一であればコントローラの正常動作を確認し、同一でなければコントローラの異常動作を確認した後、同一になるようにフィードバック制御するという意味と理解することができる。

③このように、本件請求項1の発明のシミュレータによって、実際に駆動装置を作動せずとも、コントローラが仮想の入力信号による入力値に基づいて調節値と当該入力値が同一どうか比較してコントローラの正常動作を検証するとともに、調節値が入力値と同一になるようにフィードバック制御をすることでコントローラの安定性を確保することができる。

つまり、本件請求項1の発明は、特許法第42条第4項第2号、第3項第1号で定めた記載要件を満たすといえる。

専門家からのアドバイス

本件において記載不備に該当するか否かの判断の中心となったのは、「駆動装置で発生する出力信号に対応する調節値」を当業者(韓国特許実務上、「通常の技術者」という)が本件明細書の記載に基づいて生成することができるか否かであった。本件明細書には調節値をどのように生成するかについての明示的な記載がなく、原審である特許法院は、本文中で上述したような理由により記載不備に該当すると判断した。
これに対し、本大法院判決は、従来の記載不備の判断法理を説示してそれに基づいて判断しており、この法理自体は特に新たなものではない。具体的に、大法院判決文には原審判断で何を誤ったかについての明示的な指摘はないが、大法院は本件特許発明が物の発明であるという点に注目し、上述した特許法第42条第3項第1号の法理を示した上で(同部分も新たな法理ではない)、当業者であれば、駆動装置がいかなる出力信号を生成するか適切なアルゴリズム等を通じて予想することができ、また、その出力信号に対応する調節値を適切な方法で設定することができるため記載不備ではないと判断している。記載不備の判断法理に立ち返った判断といえよう。
なお、本件で大法院は、特許法院の記載不備の判断についてのみその適法性を判断したものであって、差戻し後、特許法院は大法院が判断した当該部分についてのみ羈束されることになる。したがって、先行発明により進歩性が否定されることを理由に無効と判断した審決の適法性については特許法院が改めて判断することになる。

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