知財判例データベース 複合剤発明が医薬用途発明としての明細書の記載要件を満たしていないとして特許が無効とされた事例
基本情報
- 区分
- 特許
- 判断主体
- 特許法院
- 当事者
- 原告 A株式会社 vs 被告 B株式会社ら
- 事件番号
- 2022ホ5195登録無効(特)
- 言い渡し日
- 2023年11月09日
- 事件の経過
- 上告審理不続行棄却
概要
複合剤の発明に関する特許において、明細書には複合剤の薬理効果についての定量的又は具体的な記載がなかった。特許権者は、特許発明が優先日当時まで医薬品としての承認を受けていなかった新規の薬物を新たに導入し、それと従来の薬物との新規の組合せを導き出したことに技術的特徴があることから、特許発明は医薬用途発明には該当せず厳格な明細書の記載要件が適用されないと主張した。しかし、特許法院は、特許発明は医薬用途発明に該当するとし、薬理データの記載不備に該当すると判断した。
事実関係
原告は、「バルサルタン及びNEP阻害剤を含む製薬学的組成物」を発明の名称とする発明について2010年9月27日付で登録を受けた。上記特許発明に対して被告らは原告を相手取って無効審判を請求し、特許審判院は、バルサルタン及びサクビトリル調合物の高血圧若しくは心不全治療についての薬理効果が明細書に具体的に記載されていないため明細書の記載要件を満たしているとはいうことができず、また、先行発明の結合により進歩性が否定されることを理由として、被告らの審判請求を認容する審決をした。原告は、上記審決を不服として審決取消訴訟を提起した。
特許発明の請求項1は、下記のとおりである。
[請求項1]
(i)アンジオテンシンIIのAT-1受容体拮抗剤(以下「ARB」とする)であるバルサルタン又は製薬学的に許容可能なその塩、及び
(ii)中性エンドぺプチダーゼ(以下「NEP」とする)阻害剤であるN-(3-カルボキシ-1-オキソプロピル)-(4S)-p-フェニルフェニルメチル)-4-アミノ-2R-メチルブタン酸エチルエステル(以下「サクビトリル」とする)又は製薬学的に許容可能なその塩と製薬学的に許容可能な担体を含む、
高血圧及び心不全で構成された群から選択された症状又は疾病の治療又は予防のための製薬学的組成物。
特許法院において原告は、明細書の記載要件に関し、特許発明は「医薬用途発明」ではなく「組成物発明」に該当するため明細書に定量的薬理データの記載は要求されず、仮に特許発明が医薬用途発明に該当するとしても医薬用途発明としての明細書の記載要件を満たしていると主張した。
判決内容
特許法院は、まず関連法理として次の内容を挙げた。
医薬用途発明においては、特定物質が有する医薬の用途が発明の構成要件に該当するため、発明の請求の範囲には、特定物質の医薬用途を対象疾病又は薬効として明確に記載しなければならない(大法院2004年12月23日言渡2003フ1550判決参照)。薬理効果の記載が要求される医薬用途発明においては、出願前に明細書に記載の薬理効果を奏する薬理機作が明確になっているといった特別な事情がない場合は、特定物質にそうした薬理効果があることを薬理データ等が示された試験例として記載するか、又はこの代わりとなり得る程度に具体的に記載してこそ、明細書の記載要件を満たしているといえる(大法院2004年12月23日言渡2003フ1550判決、大法院2015年4月23日言渡2013フ730、2015フ727判決等参照)。
続いて特許法院は、特許発明にはその出願(優先日)前に明細書に記載の薬理効果を奏する薬理機作が明確になっているといった特別な事情がなく、その明細書に薬理データ等の試験例又はこの代わりとなり得る程度の具体的な記載もないため、医薬用途発明としての明細書の記載要件を満たしていないと判断した。これにより、進歩性の欠如の無効事由についてはさらに判断する必要もなく特許が無効とされるべきであると判断した。具体的な特許法院の判断は、次のとおりである。
(1)特許発明は医薬の用途発明に該当する
原告は、特許発明は優先日当時まで医薬品として承認を受けていなかったサクビトリルを新たに導入し、それとバルサルタンとの新規の組合せを導き出したことに技術的特徴があるため、特許発明は医薬用途発明に該当せず厳格な明細書の記載要件が適用されないと主張する。しかし、特許発明が、バルサルタン及びサクビトリルという医薬物質と、高血圧又は心不全疾患の治療又は予防という医薬用途とを構成要素とする医薬用途発明に該当することは、請求の範囲及び明細書の記載自体から明確である。医薬用途発明の構成要素のうちの一つとして新規の医薬物質が含まれているとしても、当該発明が医薬用途発明でないとはいえない。
(2)特許発明の出願前に特許発明による組成物の薬理機作が明確になっていたとはいえない
先行発明6には、ARBはアンジオテンシンII受容体中のAT-1受容体を遮断し、これを通じてAT-1受容体により媒介されるアンジオテンシンIIの作用を抑制することにより高血圧を治療又は予防する機能をする点が記載されており、先行発明4、5、7にはバルサルタンがARBに該当する点、先行発明8、9にはサクビトリルがNEP阻害剤の一種として、NEP酵素を抑制することにより心房性ナトリウム利尿因子(ANF)の機能を活性化して高血圧、心不全を治療又は予防する機能をする点が記載されている。したがって、特許発明の優先日前にバルサルタンの薬理機作及びサクビトリルの薬理機作が既に明らかになっていたと認められる。
特許発明は、ARBの中でバルサルタンと、NEP阻害剤の中でサクビトリルとを採択して併用投与することにより示される薬理効果を技術的特徴とするため、特許発明の薬理効果を奏する薬理機作が明確になっていたと認められるためには、バルサルタンとサクビトリルとの組合わせが示す薬理機作が明確になっていなければならない。しかし、互いに相違した2種類の薬物を同時に投与する場合には、2つの薬物間の相互作用が伴うため、2つの薬物を単独で投与したときと同一の薬理機作が作用すると断定することはできない。したがって、特許発明を構成する成分であるバルサルタンとサクビトリルの作用機作が優先日以前に公知となっていた事情だけでは、その当時にバルサルタンとサクビトリルとの組合わせによる薬理機作が明らかになっていたということはできない。
(3)特許発明の明細書に、薬理データ等の試験例又はこの代わりとなり得る程度の具体的な内容が記載されているとはいえない
明細書には、デオキシコルチコステロンアセテート塩高血圧ラット(DOCA-salt)の実験モデル及び自然発症高血圧ラット(SHR)の実験モデルを利用した研究方法が記載されている。しかし、上記明細書の記載のみでは、特許発明の請求の範囲に対応する具体的な投与量と投与方法、投与対象の規模、この中で治療と評価された比率、投与前と投与後の状態を比較した具体的内容が把握できない。たとえ明細書の記載として「より大きい治療効果」、「反応者比率が上昇」、「予想外の治療的効果」等を示し得る内容が含まれているとしても、これは2つの物質の併用により予測又は確認される治療効果を非常に抽象的に記載したものに過ぎず、このことから特許発明による組成物の具体的な治療効果を把握することもできない。したがって、上記明細書の記載にもかかわらず、特許発明の詳細な説明には、特許発明の薬理効果に関して薬理データ等が示された試験例やこの代わりとなり得る程度の具体的な記載があるとは認められない。
(4)明細書の記載要件を満たしているとする原告の主張は理由がない
原告は、通常の技術者が特許発明の明細書を通じて特許発明を明確に理解し再現することができることから、特許発明は明細書の記載要件を満たしている旨の主張もしている。しかし、特許発明の明細書には、薬理効果に対する定量的又は具体的な記載がない。特許発明のような組成物の場合には種々の成分が複合的に作用するため、高血圧、心不全に必ずしも有利な効果のみが発揮されるということもできない。したがって、通常の技術者が上記明細書の記載から特許発明による組成物が高血圧又は心不全疾患に対して相乗的治療効果を奏する点を確認し、再現することが容易であるということはできない。
専門家からのアドバイス
韓国の大法院は、機械装置等に関する発明がその発明の構成からその作用と効果を明確に理解して容易に再現できる場合が多いのとは違って、化学発明の場合には、予測の可能性ないし実現の可能性が顕著に不足しており、実験データが示された試験例が明細書に記載されていなければ当業者がその発明の効果を明確に理解して容易に再現することができるとはいえず、完成した発明とは認められない場合が多いとし、その中でも特に薬理効果の記載が要求される医薬用途発明においては、その出願前に明細書に記載の薬理効果を奏する薬理機作が明確になっているといった特別な事情がない以上、特定物質にそのような薬理効果があることを薬理データ等が示された試験例として記載するか又はこの代わりとなり得る程度に具体的に記載してこそ、発明が完成したといえると共に明細書の記載要件を満たしているということができる(大法院2001年11月27日言渡2000フ3142判決等)と判示している。したがって医薬用途発明の場合には薬理データの記載要件が厳格に判断されるところ、本件は、そもそも医薬用途発明に該当するか否かが争われた事件であった。
本件において特許権者は、新規薬物を一部として含む複合剤組成物に関する発明は医薬用途発明ではない旨を主張したが、特許法院はこの主張を認めなかった。具体的に特許法院は、本件発明は請求の範囲及び明細書の記載自体から医薬用途発明であることが明確であり、医薬用途発明の構成要素の1つとして新規の医薬物質が含まれているとしても、当該発明が医薬用途発明でないとは認められないとして医薬用途発明に該当すると判断している。その上で、特許発明が複合剤組成物に関する場合で、その複合剤を構成する個別の薬物の薬理機作がそれぞれ知られている場合であっても、それらを複合剤として用いられる場合の薬理効果については、複合剤としての具体的かつ定量的なデータが明細書に記載されている必要があるとして、本件発明はこうした要件を満たさず記載不備に該当すると判断した。韓国における医薬用途発明の該当性とその記載要件を理解するうえで、本件は参考になる。
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