知財判例データベース 数値範囲で限定された特許発明において、特許明細書の容易実施要件及びサポート要件を満たさないとして特許無効と判断された事例

基本情報

区分
特許
判断主体
大法院
当事者
原告、上告人(特許権者) vs 被告、被上告人(無効審判請求人)
事件番号
2021フ10886登録無効(特)
言い渡し日
2024年10月08日
事件の経過
上告棄却(原審確定)

概要

請求の範囲に限定された数値範囲の全体にわたって通常の技術者が当該発明を容易に実施できる程度に発明の説明が記載されていないため特許法第42条第3項第1号(容易実施記載要件)を満たさず、請求の範囲に限定された数値範囲全体に対応する事項が発明の説明に記載されていないため特許法第42条第4項第1号(サポート要件)を満たさないと判断した。

事実関係

原告の本件特許発明は、携帯電話等の小型電子機器に搭載されるカメラに用いられるレンズ組立体に関する。

携帯電話等の小型電子機器に搭載されるカメラに用いられるレンズ組立体の図面
[本件特許の第1実施例、本件特許の図1a]

上記のようなレンズ組立体は、一般に相反する要件である小型化とイメージ品質の高度化が同時に要求され、本件発明の目的はこれらを同時に達成することである。本件特許は、(i)どの程度の小型化を達成できるかを示す数値として、TTL(Total Track Length、上記図面において第1レンズ102の左面102aとイメージセンサ114との間の距離)、(ii)イメージの品質がどの程度に良好であるかを示す尺度として、EFL(Effective Focal Length、この値がTTLに比べて小さ過ぎないことがイメージの品質に有利)という2つのパラメータを用いている。本件特許の請求項1は、(i) TTLが6.5mm以下、(ii) TTL/EFLが1未満という数値限定がされている。一方、発明の説明及び図面には全3つの実施例が記載されているところ、各実施例における上記2つのパラメータの値は下表のとおりである。

請求項1 実施例1 実施例2 実施例3
TTL 6.5 mm以下 5.904 mm 5.90 mm 5.904 mm
TTL/EFL 1未満 0.856 0.843 0.863

特許審判院の審決(特許無効)

本件特許の請求項1は0 < TTL ≦ 6.5 mmという数値範囲で限定しているが、発明の説明にはTTLが0に近接した場合を含め上記数値範囲の全体にわたって通常の技術者が容易に本件特許発明を実施することができると認められるほどの内容がなく、通常の技術者がTTLの下限値をどの程度にまで下げることができるかについても不明瞭であるため、請求項1の発明を容易に実施できる程度に発明の説明が記載されているとはいえない。

特許法院判決(特許無効)

TTLやTTL/EFL値は、第1レンズの焦点距離、各レンズのアッベ数、各レンズ間の間隔、各レンズの半径、厚さ、屈折率、直径、非球面表面データ等の設計値に応じて変わるところ、本件特許明細書中の発明の説明にはTTL ≦ 6.5 mmの数値範囲内でTTLを適宜調節するための設計の原則や技術的原理等の根拠が全く開示されていない。与えられたTTLから上記の設計値を自明に導き出せるほどの技術常識が存在するともいえない。したがって、通常の技術者が発明の説明から、本件請求の範囲で限定されたTTL ≦ 6.5 mmの数値範囲全体にわたって本件発明を容易に実施することはできないと考えるのが妥当である。また、上記3つの実施例を開示している発明の説明から、請求項で限定されたTTL ≦ 6.5 mmの数値範囲まで拡張ないし一般化することはできない。したがって、本件請求項1は発明の説明によって裏付けられるとはいえない。

判決内容

大法院判決(特許無効)

特許法第42条第3項第1号は、発明の説明について、通常の技術者がその発明を容易に実施することができるように明確かつ詳細に記載することを規定している。これは、特許出願された発明の内容を第三者が明細書のみから容易に把握することができるように公開して、特許権により保護を受けようとする技術的内容と範囲を明確にするためである。上記条項で要求する明細書の記載の程度は、通常の技術者が出願時の技術水準から見て過度な実験や特殊な知識を付加せずとも明細書の記載によって当該発明を正確に理解し再現できる程度をいう(大法院2006月11月24日言渡2003フ2072判決参照)。構成要素の範囲を数値で限定して表現した物の発明においても、請求の範囲に限定された数値範囲全体を示す実施例まで要求されるわけではないが、通常の技術者が出願時の技術水準から見て過度な実験や特殊な知識を付加せずには明細書の記載だけで数値範囲全体にわたって物を生産したり使用したりすることができない場合には、上記条項で定めた記載要件を満たさないと判断しなければならない(大法院2015月9月24日言渡2013フ525判決参照)。
本件特許明細書には、いかなる方法によれば、本件特許の請求項1で限定するTTLが6.5mm以下の数値範囲の全体にわたってTTL/EFLが1.0未満の良好なイメージ品質を具現するレンズ組立体を生産できるのかが記載されていない。明細書の実施例はTTLが5.90mm以上のみであり、TTLが5.90 mm未満かつTTL/EFLが1.0未満の実施例はない。通常の技術者が本件明細書から、TTLが5.90mm未満の数値範囲全体にわたってTTL/EFLが1.0未満の良好なイメージ品質を具現するレンズ組立体を生産できると推論できるほどの示唆や暗示が本件特許明細書には示されておらず、本件特許出願時の技術水準においてそのようなレンズ組立体を生産できると認められるほどの資料もない。結局、通常の技術者が出願時の技術水準から見て過度な実験や特殊な知識を付加せずには本件特許明細書の記載のみから本件特許請求項1で限定されたTTLの数値範囲全体にわたってその物を生産することはできないと解するのが妥当である。したがって、本件特許明細書は特許法第42条第3項第1号の記載要件を満たしていない。
特許法第42条第4項第1号は、請求の範囲において保護を受けようとする事項を記載した請求項が発明の説明によって裏付けられることを規定しているところ、これは、特許出願書に添付の明細書の発明の説明に記載されていない事項が請求項に記載されることによって、出願者が公開していない発明に対して特許権が付与される不当な結果を防ぐためである。請求項が発明の説明によって裏付けられるか否かは、出願当時の技術水準を基準に通常の技術者の立場で請求の範囲に記載された事項に対応する事項が発明の説明に記載されているか否かによって判断しなければならない(大法院2006月10月13日言渡2004フ776判決参照)。出願時の技術常識に照らしても発明の説明に開示された内容を請求の範囲に記載された発明の範囲まで拡張ないし一般化できない場合には、その請求の範囲は発明の説明によって裏付けられると認めることができない(大法院2006月5月1日言渡2004フ1120判決参照)。
本件特許の請求項1にはTTLが6.5mm以下であることが記載されているが、発明の説明にはこれに対応する事項が記載されていない。一部の実施例があるものの、その実施例に開示された内容を請求の範囲に記載されたTTLの数値範囲にまで拡張ないし一般化することができると認められるほどの資料がない。したがって、本件特許明細書は特許法第42条第4項第1号で定めた記載要件を満たしていない。

専門家からのアドバイス

特許明細書の発明の説明に関する記載要件を規定する特許法第42条第3項第1号(容易実施要件)及び第42条第4項第1号(サポート要件)は、いずれも発明の公開に対する対価として独占権を付与するという特許制度の基本原則を実現するための条項である。つまり、ある範囲内で発明者が特許権という独占権を得ようとするのであれば、第三者が当該範囲(又はそれより広い範囲)の発明を容易に実施することができるよう明細書を通じて公開する義務を発明者側に付与しており、この義務を果たしていない特許は登録後でも無効となり得る。
本件特許発明の核心となる目的及び効果は、(イメージの品質は犠牲にすることなく)レンズ組立体を小型化することである。この点につき、請求の範囲にはそのような効果(小型化の尺度として、TTLが6.5mm以下に限定)自体は記載されていたが、当該効果を達成するための技術的手段が何であるかについては特許明細書から不明確であった。特に特許明細書には、TTLが5.9mm前後の3つの実施例が発明の説明に記載されていたのであるが、通常の技術者がTTLを5.9mm以下に下げるために何をどのように調節すればよいか容易に理解できる程度の記載が明細書にはなく、それが理解できると認められる程度の出願当時の技術常識に関する十分な証拠も特許権者側から提示されなかった。これに対し本件特許の請求の範囲は、TTLの下限に関する限定がなく、TTLが5.9mmよりもはるかに小さい(すなわち、明細書に開示された実施例より小型化の面ではるかに卓越した)レンズ組立体にまでその権利範囲が及ぶように記載されていることから、この点に基づき大法院は、(独占権の範囲に相応する程度に発明を公開しなければならないという)特許制度の基本原則に反するとして特許が無効となるべきであると判断した。
本件は、いわゆる数値限定発明における記載要件の充足について判断した事案として、既存の法理に基づくものであったが、韓国における具体的な判断事例として参考になると思われる。特許明細書を作成する実務上、請求の範囲をどの程度に広く又は狭く定めるかを決めるのに考慮すべき事項として、当該発明の性質や出願人が望む独占権の範囲、従来技術との差別化(新規性/進歩性の確保)等の観点に加え、本件で争われたような明細書の記載要件として問題がないという観点からも、十分な検討をする必要がある。

ジェトロ・ソウル事務所知的財産チーム

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