知財判例データベース 特許発明の数値範囲の記載部分の技術的意義が認められて進歩性が肯定された事例
基本情報
- 区分
- 特許
- 判断主体
- 特許法院
- 当事者
- 原告 株式会社A vs 被告 特許庁長
- 事件番号
- 2023ホ10576拒絶決定(特)
- 言い渡し日
- 2023年11月24日
- 事件の経過
- 原告勝(確定)
概要
出願発明は、半導体製造においてEUVパターニングに使用される非スズ金属汚染度が低いモノアルキルスズトリアルコキシドに関するものであり、先行発明は非スズ金属汚染度を「10ppb以下」に限定しているのに対し、出願発明は「3ppb以下」にさらに限定している点に差異がある。これについて特許審判院は、先行発明の数値範囲に出願発明の数値範囲が含まれ、出願発明の数値範囲による顕著な効果が発生するといえるだけの記載もないと判断し、出願発明の進歩性を否定した。しかし特許法院は、先行発明が出願発明の非スズ金属汚染度の「3ppb以下」を達成できる具体的な精製方法を提示しておらず、そのような精製方法が一般的又は周知慣用であるということもできないため、出願発明はさらに低い汚染度を備えた組成物の開発が要求される技術分野において、これまで得ることができなかった特定数値の汚染度を得る技術を開示した化合物の純度限定発明であるところ、出願発明の「非スズ金属汚染度3ppb以下」は、それ自体により意義を有するものであって単純な数値限定に過ぎないということはできないとし、出願発明の進歩性を認めた。
事実関係
原告は「低い金属汚染及び/又は微粒子汚染を有するモノアルキルスズトリアルコキシド及び/又はモノアルキルスズトリアミド、及びそれに対応する方法」を発明の名称とする発明について拒絶決定を受けた後、特許審判院に拒絶決定の取消を求める審判を請求したが、特許審判院は「出願発明の請求項1は先行発明により進歩性が否定されるため、残りの請求項についてさらに判断する必要なく出願発明は一体として拒絶されるべきである」ことを理由として原告の審判請求を棄却する審決をした。
原告の出願発明の請求項1は、次のとおりである。
[請求項1]
溶媒及びモノアルキルスズトリアルコキシド(RSn(OR')3)を含み(以下「構成1」という)、0.004M~1.4Mのスズ濃度(以下「構成2」という)、及び
それぞれ質量基準で3ppb(parts-per-billion)以下の他の金属又はメタロイド元素の汚染を有する(以下「構成3」という)組成物。
一方、先行発明は、有機スズオキサイドヒドロキシドパターニング組成物、前駆体及びパターニングに関する発明であって、金属汚染の減少を提供する処理方法が開発され、非常に低い水準の非スズ金属を有する前駆体溶液を作ることができ、溶液中には約0.005M~約1.4Mのスズを含み意図しない金属濃度はいずれも個別に約10ppb以下の値に減少し得ると記載している。
特許審判院は、出願発明の進歩性に関し、下記のように判断した。
(1) 出願発明と先行発明は、半導体加工分野において使用する非常に低い金属汚染水準の組成物を提供しようとする点において技術分野及び目的が共通する。
(2) 出願発明の構成1は、溶媒及びモノアルキルスズトリアルコキシド(RSn(OR')3)を含む組成物に関するのものであって、先行発明の有機溶媒及びMeSn(OtBu)3を含む前駆体溶液と構成が同一である。構成2は、組成物中にスズが0.004M~1.4Mの濃度で含まれることであって、先行発明の前駆体溶液中にスズカチオンが0.005M~1.4Mの濃度で含まれることと構成が同一である。
(3) 出願発明の構成3は、組成物に含まれる他の金属又はメタロイド元素との汚染がそれぞれ質量基準で3ppb以下であるのに対し、先行発明は前駆体溶液中の意図しない金属濃度が約10ppb以下の値に減少し得ることを開示しているため、両者は組成物中の汚染金属の許容範囲に差異がある。しかし、先行発明の意図しない金属濃度が10ppb以下に減少し得ることは、特に下限を金属濃度が3ppb以上であるとする根拠もないことから、先行発明は出願発明において限定している数値範囲である3ppb以下も含むものであり、出願発明には許容範囲を3ppb以下に限定することによる通常の技術者が予測できない顕著な効果が発生するといえるだけの何らの記載もない。
請求人が提出した参考資料には、金属汚染濃度の許容限界及び検出限界が商業的要求に応じて持続的に低くなっている旨が記載されているところ、出願発明の請求項1は組成物を請求する物の発明に関するものであって、先行発明とは相違する製造方法によって汚染度をさらに低くしたものであるとしても生成された物の特性に影響を及ぼすものではなく、先行発明における10ppb以下とは分析装置の検出限界及び業界において許容される範囲まで汚染度を低くすることができることを意味するというのが妥当で、他に先行発明の組成物が出願発明において濃度の限界として設定した3ppb以上の汚染濃度を有するというべき根拠もない。
原告は、先行発明により出願発明の進歩性を否定した特許審判院の審決を不服として、特許法院に審決取消訴訟を提起した。
判決内容
特許法院は、出願発明と先行発明には次のような差異点があると判断し、このような差異点は通常の技術者が先行発明から容易に導き出すことができないものであるため、出願発明の進歩性は否定されないと判断した。
(1) 差異点及びそれに対する判断
先行発明は非スズ金属汚染の許容程度を非スズ金属それぞれの重量(質量)基準で「10ppb以下」に限定しているのに対し、出願発明の構成3はそれぞれの質量基準で「3ppb以下」にさらに限定している点に差異がある。特許法院は、次の点により通常の技術者が先行発明から非スズ金属それぞれに対して「3ppb以下」の汚染度を有する出願発明のモノアルキルスズトリアルコキシド組成物を容易に導き出すことができるとは認め難いと判断した。
① 出願発明の明細書は、非スズ金属汚染度を構成3の水準(それぞれ質量基準で3ppb以下)に達成できる具体的な精製方法(すなわち「4桁のキレート化剤」の添加による錯体形成と共に「分溜」を実施する方法)を提示しているが、先行発明は金属汚染度を低くするために「汚染度が少ない出発物質の使用」と「精製」のような一般的な内容を記述しているのみで具体的な精製方法は提示していない。
② 先行発明の実施例においては、製造されたモノアルキルスズトリアルコキシド(MeSn(OtBu)3)組成物を「蒸留」したとあるのみで非スズ金属の汚染度を測定した結果を示しておらず、実施例を通じて精製されたモノアルキルスズトリアルコキシド(MeSn(OtBu)3)組成物の非スズ金属の汚染度として10ppb以下を達成したかが分からない。
③ 出願発明において、非スズ金属の汚染度を低くするために使用した精製方法(4桁のキレート化剤添加による錯体形成と共に分溜を実施する方法)が有機金属化合物の組成物において金属汚染度を低くするのに周知慣用的に使用される技術であるといえるだけの資料がなく、その他出願発明の構成3(それぞれ質量基準で3ppb以下)のような水準の金属汚染度を達成できる周知慣用的な精製方法が存在するといえる資料もない。
(2) 被告の主張に対する判断
被告は、先行発明に引用された従来文献の実施例8を根拠とし、先行発明にもスズ(Sn)濃度が0.042Mであるとき非スズ金属の濃度が10ppb以下である組成物が実質的に開示されており、この組成物を希釈して構成3の非スズ金属汚染度を容易に達成することができる旨の主張をしている。しかし、先行発明に引用された従来文献の実施例8に開示された組成物は、モノアルキルスズオキサイドヒドロキシド(i-PrSnO(3/2-x/2)(OH)x)組成物であって出願発明のようなモノアルキルスズトリアルコキシド(RSn(OR')3)組成物ではない点に加え、先行発明に引用された従来文献には、モノアルキルスズトリアルコキシド(RSn(OR')3)組成物中の非スズ金属濃度を確認できる他の実施例も存在しない点等に鑑みると、先行発明に引用された従来文献の実施例8のみにより構成3の非スズ金属汚染度を容易に達成することができるとは断定し難い。
被告は、出願発明に限定した3ppb以下の汚染度水準は臨界的意義がない単純な数値限定に過ぎず、進歩性が否定される旨を主張する。しかし、(i)出願発明は、非スズ金属汚染度の水準を先行発明に記載された10ppb以下の水準からさらに3ppb以下に下げる発明である点、(ii)2020年3月30日付で公開された「高純度酸化スズの蒸着のための有機金属化合物及び方法の発明」によると、多段階蒸留(分溜)を使用して有機スズ化合物(SnMe4)を精製したにもかかわらず、多くの非スズ金属(Ag、Al、As、Au、Ca、Cu、Fe、K、Mg、Na、Sb)が3ppb以下に除去できていない点、(iii)出願発明において、非スズ金属の汚染度を3ppb以下に下げるために用いられている精製方法(4桁のキレート化剤添加による錯体形成と共に分溜を実施する方法)が有機金属化合物の精製のための通常の技術であるといえる資料がない点、(iv)出願発明の属する技術分野においては、さらに低い汚染度を備えた組成物の開発が持続的に要求されている点等の事情を加味すると、出願発明は、さらに低い汚染度を備えた組成物の開発が要求される技術分野において、これまで得ることができなかった特定数値の汚染度を得る技術を開示した化合物の純度限定発明と認められることから、出願発明の「非スズ金属汚染度が3ppb以下」は、それ自体により意義を有するといえ、これは通常の技術者が通常的かつ反復的な実験を通じて適宜選択できる単純な数値限定に過ぎないとは言えない。
被告は、半導体等の電子材料に使われる溶液の汚染度をppb水準以下に管理することは当該技術分野において広く知られている技術常識であって、出願発明により初めて出願発明に記載された汚染度が達成されたとはいえないと主張しているが、被告提出の証拠を詳察しても、出願発明のようなモノアルキルスズトリアルコキシド(RSn(OR')3)組成物がppb水準により管理されているとの記載は見出せないのみならず、電子材料に使われる溶液の汚染度をppb水準に下げるための具体的な精製技術が提示されてもいないため、被告提出の証拠のみにより出願発明の進歩性を否定することも難しい。
被告は、出願発明の明細書にはスズ(Sn)濃度が0.044Mであるときの金属汚染度に関する実施例のみがあり、出願発明において限定している0.004M~1.4Mのスズ(Sn)濃度のすべてにおいて3ppb以下の金属汚染度の数値範囲が達成されるとはいうことができない旨を主張する。これに関連し、出願発明の明細書の発明の説明において、スズ(Sn)濃度が0.044Mに希釈されたモノアルキルスズトリアルコキシド(t-BuSn(Ot-Am)3)組成物の非スズ金属の汚染度が2ppb未満の実施例のみを開示しており、上記実施例に開示された組成物を出願発明において限定しているスズ(Sn)濃度(0.004M~1.4M)の範囲において濃縮する場合、出願発明において限定している3ppb以下の非スズ金属汚染度の範囲を逸脱する可能性を排除できない。しかし、これは特許法第42条請求項4第1号による特許要件、すなわち請求項に記載された発明が発明の説明によって裏付けられるか否かに関するものであって、本件審決において拒絶理由として挙げた進歩性欠如の事由とは関連のない新たな事情であるため、本件審決の違法性を詳察する本件において考慮の対象とはなり得ない。
専門家からのアドバイス
本件の出願発明は、その発明の内容中に数値が記載されており、いわゆる数値限定発明として当該数値範囲の顕著な効果や臨界的意義が問われる可能性もあった。これに関連して過去の大法院判例では、特許登録された発明がその出願前に公知となった発明が有する構成要素の範囲を数値により限定して表現した場合において、その特許発明の課題及び効果が公知となった発明の延長線上にあり、数値限定の有無のみにおいて差がある場合には、その限定された数値範囲内において顕著な効果の差が生じないときは、その特許発明は通常の技術者が通常的かつ反復的な実験を通じて適宜選択できる程度の単純な数値限定に過ぎず、進歩性が否定されると判示されている(大法院1993年2月12日言渡92ダ40563判決など参照)。
しかし発明の内容中に数値が記載されているからといって、必ずしも単純な数値限定発明に該当するものではない。具体的に本件の事例では、先行発明は非スズ金属汚染の許容範囲を「10ppb以下」という数値で限定しているのに対し、出願発明は「3ppb以下」という数値でさらに限定しており、講学上は数値限定発明に該当し得るものであった。
これについて特許法院は、出願発明における当該数値範囲を達成するための具体的な解決手段ないし方法(4桁のキレート化剤添加による錯体形成とともに分溜を実施する方法)が先行発明には記載されておらず、そうした具体的な解決手段ないし方法が一般的又は周知慣用であると認めることもできないことから、出願発明の当該数値範囲はこれまでに達成できなかった技術を開示したものとして数値範囲自体により技術的意義を有するとして、出願発明の進歩性が否定されないと判断した。
加えて本件で原告は、出願発明の当該数値範囲の技術的意義を立証するため、従来の蒸留方法を用いることでは当該数値範囲を達成できない証拠を積極的に提出した。これに対して被告が提出した証拠には、出願発明のようなモノアルキルスズトリアルコキシド組成物に対して非スズ金属の汚染度を低くすることは記載されていなかった。こうした事情も加味されて、特許法院は、被告が提出した証拠によっては出願発明の進歩性を否定できないと判断したと見られる。
本件は、特許発明に数値範囲が記載されている場合であっても、必ずしも単純な数値限定に該当するわけではなく、特許発明の進歩性判断の根本原則が変わるものでもないことを実際に示した事例といえる。韓国の実務上、特許発明に数値が記載されている場合において、本件のように従来の技術ないし方法によっては当該数値範囲が達成できなかった事情を主張することや、特許発明の解決手段ないし方法が周知慣用的な技術や通常の技術ではないことを主張することも検討してみてもよいであろう。
ジェトロ・ソウル事務所知的財産チーム
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