知財判例データベース 出願発明と先行発明の数値範囲の差に基づく技術的意義の相違と、数値範囲変更への否定的教示を考慮して出願発明の進歩性を認めた事例

基本情報

区分
特許
判断主体
大法院
当事者
原告、上告人(特許出願人) vs 被告、被上告人(特許庁長)
事件番号
2019フ12094拒絶決定(特)
言い渡し日
2022年01月13日
事件の経過
破棄差戻し

概要

大法院は、出願発明と先行発明の相違点が数値範囲の差にある事案において、先行発明の数値範囲を出願発明の数値範囲に変更するのは先行発明の技術的意義を失わせるものであるため当業者が容易に考え出し難く、また、先行発明において出願発明の数値範囲について否定的教示をしているので、先行発明から出願発明を導き出すのは容易ではないと判断した。

事実関係

原告の出願発明は「鉄合金シートの処理方法」に関するもので、鉄合金シートの表面に存在する酸化物を化学的結合によって除去するために、鉄合金シートを溶融酸化物浴槽に浸漬する段階を含むことを特徴とする。出願発明の請求項1は、溶融酸化物浴の粘度が0.003~3ポアズの範囲で、溶融酸化物浴の組成中においてLi2Oが10%w≦ Li2O≦45%wの範囲となっている。
審査段階で審査官が引用した先行発明は「鋼帯の焼鈍法」に関するもので、粘度が低い溶解塩浴を用いて、その浴中で鋼帯を連続的に短時間浸漬する構成を有し、溶融酸化物浴の粘度は100ポアズ以下で、Li2Oは6%まで添加すると記載されている。
特許庁の審査および特許審判院の拒絶決定不服審判では、出願発明の数値範囲に臨界的意義を認めるだけの理由や実施例の記載がないので、出願発明と先行発明の数値範囲の差は単純な繰返し実験を通じて設計変更できる程度に過ぎないという理由で進歩性が否定された。これに対して、出願人は審決取消訴訟を提起したが、特許法院でも進歩性が否定されたため、上告が提起された。

判決内容

  1. 発明の進歩性の有無を判断するときは、先行技術の範囲と内容、進歩性の判断の対象になった発明と先行技術の差、およびその発明の属する技術分野において通常の知識を有する者(以下、「当業者」という)の技術水準について、証拠等の記録に示された資料に基づいて把握した後、当業者が、特許出願当時の技術水準に照らして進歩性の判断の対象になった発明が、先行技術と差があるにもかかわらずその差を克服して先行技術から容易に発明できるものであったかを詳察しなければならない。この場合、進歩性の判断の対象になった発明の明細書に開示されている技術を知っていることを前提として、事後的に当業者が容易に発明できるかを判断してはならない(大法院2009年11月12日言渡2007フ3660判決、大法院2018年12月13日言渡2016フ1840判決等参照)。
    提示された先行文献を根拠として、ある発明の進歩性が否定されるかを判断するためには、進歩性の否定の根拠となり得る一部の記載だけでなく、その先行文献全体によって当業者が合理的に認識できる事項に基づいて対比・判断をしなければならない(大法院2016年1月14日言渡2013フ2873、2880判決参照)。
  2. 上記法理と原審において適法に採択された証拠に照らして詳察する。
    本件請求項1の発明は、鉄合金シートの表面上に存在する酸化物を化学的結合によって除去するために、鉄合金シートを溶融酸化物浴に浸漬する段階を含むことを特徴とする、鉄合金シートの表面処理方法に関する発明である。本件請求項1の発明は、溶融酸化物浴の粘度を0.003~3ポアズ、溶融酸化物浴の表面は非酸化雰囲気と接触し、溶融酸化物浴の組成中Li2Oの含量を10%w≦Li2O≦45%wに限定している。
    先行発明は「鋼帯の焼鈍法」に関する発明で、100ポアズを超えない粘度を有する950℃以上の溶融塩浴に鋼帯を浸漬させることによって鋼帯を焼鈍し、鋼帯を浴外に取り出すことによって鋼帯上に塩の凝固被膜を形成し、冷却によって凝固被膜を破壊して鋼帯表面から剥がすことを特徴とする。先行発明は溶融塩浴の粘度の範囲、溶融塩浴の表面の接触雰囲気、溶融塩浴の組成中のLi2O含量において本件請求項1の発明と差がある。
    先行発明には溶融塩浴の望ましい粘度が「100ポアズ以下」と記載されており、粘度の下限が記載されていないことから、上記記載の部分だけを見れば、先行発明の粘度の範囲に本件請求項1の発明の粘度の範囲が含まれているように見えるとはいえる。
    しかし、先行発明は、溶融塩浴に浸漬させた鋼帯表面に凝固被膜を形成させることができるほどの付着性がある粘度の範囲を前提とする発明であるため、当業者は、先行発明の全体的な記載を通じて、凝固被膜を形成させることができる最小限の粘度が粘度の範囲の下限となるという点を合理的に認識することができる。一方、粘度が100ポアズに比べて過度に低くなって、本件請求項1の発明のように「0.003ポアズ~3ポアズ」の範囲となれば、鋼帯を塩浴に浸漬させた後に取り出したとしても溶融塩が鋼帯表面に付着せず、いくらかの液滴だけが鋼帯の表面に残留するのみで凝固被膜が形成されることはない。したがって、先行発明の粘度を、凝固被膜が形成できない程度の「0.003ポアズ~3ポアズ」の範囲にまで低める方式に変形することは、先行発明の技術的意義を失わせるものであるため、当業者が容易に考え出すのは困難であると言える。
    さらに、先行発明には「Li2Oは、凝固被膜の熱膨張係数を高めずに浴の溶融温度を低める目的で、6.0%まで添加することができる。6.0%を超えるLi2Oの添加は、凝固被膜と鋼帯表面の密着性が過度に良好であり、凝固被膜の剥離性が悪くなるため避けなければならない。」と記載されている。これは、溶融塩浴の組成について、6.0%wを超えるLi2Oを添加することに関する否定的教示と言えるので、本件請求項1の発明を既に知っている状態で事後的に考察しない限り、当業者がこの否定的教示を無視して先行発明のLi2Oの組成比率を10%w≦Li2O≦45%wに変更することは困難である。
    したがって、当業者が先行発明から本件請求項1の発明を容易に発明できたものとは言えないので、本件請求項1の発明は先行発明によって進歩性が否定されない。
  3. にもかかわらず、原審はこれとは異なって、先行発明により本件請求項1の発明の進歩性が否定されると判断した。この原審の判断には、上告理由の主張のとおり発明の進歩性の判断に関する法理を誤解して判決に影響を及ぼした誤りがある。

専門家からのアドバイス

進歩性判断に関する本事案では、大法院が判示した上述の法理の中でも、とりわけ「提示された先行文献を根拠として、ある発明の進歩性が否定されるかを判断するためには、進歩性の否定の根拠となり得る一部の記載だけでなく、その先行文献全体によって当業者が合理的に認識できる事項に基づいて対比・判断しなければならない」という法理が重要であったと思われる。
この法理に基づいて、本事案における特許庁の審査・審判および特許法院の判断(以下、「下級審の判断」という)と、大法院の判断とが異なった理由を考察してみれば、下級審の判断では先行発明の記載内容のうち出願発明の進歩性を否定する根拠になる記載に重点を置いていたのに対し、大法院は先行発明の全体的な記載を通じて当業者が合理的に認識できる事項が何かについて、下級審とは異なる判断をしたものと思われる。すなわち、大法院は、先行発明の全体的な記載を通じて、当業者は先行発明から「凝固被膜を形成させることができる最小限の粘度が粘度範囲の下限になるであろう」と認識するものと判断し、これに基づいて、事後的考察なしに出願発明を容易に導き出すことは困難であると結論付けた。
特に数値限定が含まれる発明の進歩性判断をする場合には、実務上、本件下級審の判断のような、進歩性否定の判断を受ける場面がよくあるであろう。これに対しては、本事案における大法院の判断のように「先行発明の全体的な記載を通じて当業者が先行発明から認識する内容が何か」を明らかにし、これを正確に把握して対応することが重要となる。本事案は、こうした場面で、どのように具体的な判断をして進歩性を主張するかという観点で、参考にできる事例であろう。

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