知財判例データベース マーカッシュ形式で記載された先行発明に対し、有機電子材料用化合物の発明における構成の困難性および効果の顕著性が認められ進歩性が肯定された事例

基本情報

区分
特許
判断主体
特許法院
当事者
原告 A株式会社 vs 被告 特許庁長
事件番号
2021ホ6177登録取消(特)
言い渡し日
2022年06月23日
事件の経過
判決確定

概要

特許発明の有機電子材料用化合物は、母核構造母核構造にX位置が示されている。のX位置に酸素(O)または硫黄(S)が結合するのに対し、先行発明の化合物は同じ位置に窒素を含む点において差がある。特許法院は、先行発明の化合物においてXをOまたはSに変更することは先行発明の技術的意義を失わせるものであり、先行発明の化合物から優先的または容易に母核構造のXをOまたはSに変更する動機や示唆もないことから構成の困難性が認められ、また、特許明細書における実施例の効果の記載および原告が特許出願日以後に提出した追加資料等により特許発明が顕著な作用効果があることも認められることから、特許発明は先行発明により進歩性が否定されないと判断した。

事実関係

原告は「有機光電子素子用化合物、有機光電子素子および表示装置」を発明の名称とする発明について、2020年8月14日に特許登録を受けた。訴外Bは、上記特許の登録公告日から6カ月以内である2020年11月27日に特許審判院に進歩性の欠如を主張して、特許発明について特許取消申請をした。原告は2021年8月30日に上記特許取消申請の手続において特許発明の請求項1等を訂正する訂正請求をし、特許審判院は、2021年9月29日に原告の訂正請求を認めた上で、訂正後の特許発明は依然として進歩性が欠如しているという理由で特許取消申請を認容する決定をした。原告は特許取消決定を不服として、特許法院に決定取消訴訟を提起した。
特許発明の訂正後の請求項1(以下「訂正発明」という)は、次のとおりである。

【請求項1】下記化学式1Aで示される有機光電子素子用化合物。
化学式1Aで示される有機光電子素子用化合物
上記化学式1Aにおいて、XはOまたはSであり、… (以下、置換基の説明は省略。太字部が訂正された部分)

特許法院において原告は、当業者が先行発明のB-44、B-45、B-46、B-50の化合物から訂正発明の[化学式1A]の化合物を容易に導き出すことができず、また、特許明細書に記載されている実施例と追加で提出した実験資料によると、訂正発明は先行発明に比べて高効率、長寿命の作用効果があることから、訂正発明は構成の困難性および効果の顕著性があって進歩性が認められると主張した。
先行発明は2013年に公開された「新規の有機電子材料用化合物およびこれを採用している有機電界発光素子」という名称の発明であって、B-44、B-45、B-46、B-50の化合物は下記のとおりであった。
新規の有機電子材料用化合物およびこれを採用している有機電界発光素子B-44、B-45、B-46、B-50
これに対して、被告(特許庁)はマーカッシュ形式(Markush Type)で記載された訂正発明は、先行発明に比べて目的の特異性、構成の困難性がなく、全体化合物の効果の顕著性がないため、当業者が先行発明の化合物によって容易に発明でき進歩性が否定されると主張した。

判決内容

特許法院は、まず進歩性の判断法理として下記を提示した。
「提示された先行文献を根拠としてある発明の進歩性が否定されるかを判断するためには、進歩性の否定の根拠となり得る一部の記載だけでなく、その先行文献全体によって当業者が合理的に認識できる事項に基づいて対比・判断しなければならない(大法院2022年1月13日言渡2019フ12094判決参照)。」

続いて、特許法院は、訂正発明は当業者が先行発明からその構成を導き出すことが容易であるとは言えず、改善された効果もあるので、先行発明によって進歩性が否定されないと判断した。

構成の困難性について、特許法院は、訂正発明は[化学式1A]の化合物は母核構造母核構造にX位置が示されている。のX位置に酸素(O)または硫黄(S)が結合するのに対し、先行発明のB-44、B-45、B-46、B-50の化合物は同じ位置に窒素を含む点で差があると判断した。
さらに特許法院は、下記の理由を挙げて当業者がその発明の内容を既に知っていることを前提に事後的に判断しない限り、先行発明のB-44、B-45、B-46、B-50の化合物から訂正発明の[化学式1A]に該当する対応化合物を容易に導き出せると断定することはできないと判断した。

  1. 先行発明の明細書の記載によると、従来のホスト材料をOLED素子に使用する場合には、寿命の面で不十分であり、より性能が優れた赤色ホスト材料の開発が要求されるとして、ベンゾカルバゾール骨格にアミン基を置換基として有する化合物、ベンゾカルバゾール骨格にカルバゾール基を置換基として有する化合物、芳香族環が縮合されたカルバゾール骨格を有する化合物およびジカルバゾール骨格を有する化合物を記載しているため、先行発明はカルバゾール骨格(先行発明のカルバゾール骨格)を有する化合物に注目していることが分かる。さらに、先行発明は上記従来技術の問題を解決するために、ベンゾカルバゾールに多様に置換されたヘテロアリールが結合した化合物を提示している。
    先行発明の明細書には[化学式1]中のXは-O-、-S-、-CR12R13-または-NR14-と記載されている。Xは-O-、-S-、-CR12R13-または-NR14-と記載されている。においてXは-O-、-S-、-CR12R13-または-NR14-と記載されており、[化学式9]Xは-O-、-S-、-CR12R13-または-NR14-と記載されている。においてXは-O-、-S-、-CR12R13-または-NR14-と記載されているため、これらの記載部分だけを見る場合、先行発明のB-44、B-45、B-46、B-50の化合物においてXをOまたはSに変更して訂正発明の[化学式1A]に該当する対応化合物を導き出すことができるかのように見ることもできる。しかし、化学物質に関する発明は、他の分野の発明とは異なって直接的な実験と確認・分析を経ずに化学分野の理論および常識だけで当然に化学反応の結果を予測するというのは容易ではないところ、当業者は、上記のような先行発明の明細書の記載を通じてベンゾカルバゾール(ベンゾカルバゾール骨格)を骨格とする場合に相対的に優れた作用効果を発揮するであろうと認識するはずであり、先行発明のB-44、B-45、B-46、B-50の化合物においてXをOまたはSに変更することは上記のような先行発明の技術的意義を失わせるものであるため、訂正発明を既に知っている状態から事後的に考察することなしに当業者がこれを容易に考え出すのは難しいと認められる。
  2. 先行発明において具体的に開示している化合物のうち先行発明のB-44、B-45、B-46、B-50の化合物は、先行発明の[化学式1]、[化学式9]において母核構造は母核構造にX位置が示されている。、XはNR14である有機電子材料用化合物であるが、当業者が上記のような先行発明のB-44、B-45、B-46、B-50の化合物において、より容易に変更ができる置換基ではない母核構造のXをOに変更してベンゾジベンゾフラン(置換基ではない母核構造のXをOに変更したベンゾジベンゾフラン構造)構造を採択するかSに変更してベンゾジベンゾチオフェン(置換基ではない母核構造のXをSに変更したベンゾジベンゾチオフェン構造)構造を採択する動機があるとか、それに関する示唆があるとは言えない。
    さらに、先行発明は代表的な有機電子材料用化合物として106個の化合物(全て先行発明の[化学式1]でXがNR14である化合物)を挙げているが、大部分が下記[化学式4]や[化学式7]に該当する化合物であり、有機電子材料用として直接製造した製造例1~製造例6の化合物も全て[化学式4]や[化学式7]に該当する化合物である。先行発明は母核構造が下記[化学式4‘]または[化学式7‘]である化合物を優先的に採択する動機や教示を提供していると判断され、母核構造が母核構造にX位置が示されている。である化合物に注目し、これに再度Xに注目してXをOやSに変更する試みを期待することは難しい。
    [化学式4[化学式7[化学式4‘[化学式7’
    [化学式4]      [化学式7]      [化学式4‘]     [化学式7’]
  3. 被告は、特許発明の出願前に公開された多数の先行技術はヘテロアリール環のX位置に結合する元素としてO、S、C、N等を並列的・選択的に羅列しているため、先行発明の化合物から訂正発明の[化学式1A]に該当する対応化合物を容易に導き出せると主張している。しかし、先行文献を根拠として訂正発明の進歩性が否定されるかを判断するためには、先行文献全体によって当業者が合理的に認識できる事項に基づいて判断しなければならない。ところで、提示された各先行文献の有機光電子素子用化合物においてヘテロアリール環のX位置にO、S、C、N等の元素を結合できることが並列的・選択的に記載されているとしても、各先行文献が注目している化合物およびその構造が異なるので、上記のような記載だけで先行発明のB-44、B-45、B-46、B-50化合物から優先的または容易に母核構造のXをOまたはSに変更させる動機があるとか、それに関する示唆があるとは言えない。したがって、当業者が先行発明の化合物から訂正発明の[化学式1A]に該当する対応化合物に到達するまでには、数多くの選択肢を組み合わせて繰り返しの試行錯誤を経なければならないと言える。
    また、特許法院は、下記を理由として訂正発明が顕著な作用効果があると判断した。
    1. 訂正発明の明細書には、[化学式1A]でXがOでありR6がトリアジンイル基である5つの化合物の合成例、および上記化合物を用いて有機発光素子を製作した後、発光効率および寿命を測定した実施例を提示しているところ、これらの化合物の寿命(T97:初期輝度比97%に輝度が減少した時点)は90時間~106時間である。一方、先行発明の明細書には、6つの化合物(A-1、A-47、A-48、A-49、B-1、B-39と表記)を用いてOLED素子を製作した後、電流密度および寿命を測定した実施例を提示しているが、これらの化合物の寿命(T90:5000nitの輝度から発光が90%に落ちるのにかかった時間)は20時間~100時間である。訂正発明と先行発明における有機光電子素子の製作方法と効果の測定条件が同一ではないため正確には比較できないが、訂正発明の化合物が先行発明で実施例として提示された従来の有機電子材料用化合物に比べて長寿命の顕著な作用効果があるといえる。
    2. 訂正発明の明細書に母核構造でXがOである全ての化合物の作用効果について明示的に記載されていなくても、当業者は発明の説明の記載から母核構造でXがOの場合、先行発明に比べて顕著な効果があることを認識または推論することができ、高効率および長寿命の有機光電子素子を具現できる効果があるという内容の訂正発明の明細書の記載内容の範囲を超えない限度で出願日以後に追加の実験資料を提出する等の方法でその効果を具体的に主張・証明することが許容されると言える。原告は出願日以後である2021年12月14日に追加の実験資料として、先行発明のB-44、B-45、B-46、B-50の化合物に該当する化合物の発光効率および寿命を測定したデータ、および訂正発明の[化学式1A]においてXはOであり、置換基は先行発明のB-44、B-45、B-46、B-50の化合物と同一の化合物の発光効率および寿命を測定したデータを提出したところ、訂正発明の化合物が先行発明の化合物に比べて効率は49%以上、寿命は140%以上さらに改善された効果を示したことが分かる。
    3. 訂正発明の[化学式1A]の化合物に該当する化合物のうちXが硫黄(S)である化合物を具体的に提示しており、酸素(O)と硫黄(S)は最外殻電子数と非共有電子対の数が同一なので、訂正発明の[化学式1A]の化合物の母核構造においてXを酸素(O)から硫黄(S)に変更しても、化合物の全体的な化学構造や有機光学的特性は差が大きくはないと予想され、XがOの場合とXがSの場合、化合物のHOMO(Highest Occupied Molecular Orbital)エネルギー値の差が小さいので、同様の正孔特性を示すと予想される。また、原告が提出した追加の実験資料によると、訂正発明の[化学式1A]の化合物のうちXがSである化合物も、XにNを含む化合物に比べて効率および寿命が改善された効果を示している。したがって、訂正発明の明細書から[化学式1A]でXが硫黄(S)の場合に該当する化合物も作用効果があることを認識または推論することができると言える。

専門家からのアドバイス

本判決は進歩性判断の事案であるところ、先行発明におけるマーカッシュ化学式の置換基の記載によると、母核構造のXがOまたはSである化合物が開示されていたため、これに基づき特許発明の化合物が導き出される余地もあった。しかし本判決では、先行発明の技術的課題および実施例に具体的に記載された化合物等、明細書の全体的な記載は、母核構造のXが窒素である化合物を提供するものと認識されるとともに、先行発明の化合物においてXをOまたはSに変更することは先行発明の技術的意義を失わせ、先行発明にはこのような変更に対する動機や示唆もないことから、構成の困難性が認められると判断された。加えて、特許明細書に記載された実施例とともに、出願日以後の追加データで提示された効果も積極的に考慮され(大法院2021年4月8日言渡2019フ10609参照)、効果の顕著性も認められた。本判決は、先行発明に類似の化学構造の化合物が開示された化合物発明の進歩性の判断について参考になる。

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