情勢緊迫、非常事態を宣言−駐在員の国外退避も−
ドバイ発
2011年03月17日
バーレーンでの衝突が激化している。2月19日の軍撤退でいったんは落ち着きをみせたデモは、事態が膠着(こうちゃく)する中で再び先鋭化し、3月11日以降衝突が拡大。14日に湾岸協力会議(GCC)が軍隊を派遣し、翌15日には非常事態が宣言された。日系企業を含む進出企業の間では国外退避の動きも始まっており、衝突の激化や国内経済への影響拡大が強く懸念されている。
<政府の対応策も事態改善につながらず>
バーレーンでは2月中旬に政府治安部隊と反政府デモ隊が衝突して緊張が高まったが、政府が19日に首都マナマから軍を撤退させてからは落ち着きをみせ(2011年2月25日記事参照)、その後のデモでは目立った衝突もみられなかった。親政府派のデモも、市内のグランド・モスク前で連日行われていた。
この間、サルマン皇太子は最大野党で穏健シーア派のウィファークをはじめ、各勢力への対話を呼び掛けるとともに、2月26日にはハマド国王が保健相、住宅相、内閣担当相など王族2人を含む4閣僚を解任し、さらに公営住宅ローンを25%削減すると表明。3月7日には新任のアル=アラウィ労相が今後3年間で総額66億ドル、5万3,000戸の住宅建設計画を実行すると表明するなど、反政府派の要求に対応してきた。
しかしこうした取り組みに効果はなく、特に閣僚の交代が小幅にとどまり、非難が集中するハリーファ首相がその地位にとどまったことから、かえって反政府派の反発を高める結果となった。
一方、シーア派を中心とする反政府勢力の主張もさまざまで、穏健派のウィファークなどが対話に応じる姿勢をみせても、強硬シーア派は王政打倒を主張して妥協しないなど事態は膠着状態になり、政府、親政府派勢力を含めて、互いに不満を募らせることになった。
<GCC軍派遣に反発、翌日に非常事態宣言>
こうした中、3月上旬には小競り合いも発生した。11日の金曜日には王宮府に向けたデモで反政府派と親政府派がにらみ合い、治安部隊が催涙弾などを使用して介入。13日には、金融機関などが入居するバーレーン・フィナンシャル・ハーバーや真珠広場付近のハイウエーなどでも治安部隊と反政府派の衝突が起きた。
周辺国への飛び火を強く警戒するGCC加盟国(注)は、これに前後して10日にはバーレーンとオマーンに対する200億ドルの基金設立を決定するなど、住宅整備や雇用創出に向けた支援策を打ち出すとともに、バーレーンに治安部隊を派遣する準備も進めていた。14日には、バーレーンの要請に応じるかたちでサウジアラビア軍を主力とするGCC軍を派遣。兵士、警察部隊など1,200人以上を展開し、政府施設などの警備に就かせた。GCC軍が出動したのは、湾岸戦争、イラク戦争などに限られ、極めてまれなことだ。
反政府派はこれに反発し、15日にはサウジアラビア大使館に向けてデモを実施。バーレーン治安部隊も強硬な姿勢をとったため、マナマ近郊では2月18日以来の死者が出た。同日午後、ハマド国王は3ヵ月間にわたる非常事態を宣言。翌16日にもデモ隊、警官双方に死傷者が発生し、夜間外出禁止令が発せられるなど、急速に緊張が高まっている。
<経済活動への影響が広がる>
2月下旬に自宅待機や一部の駐在員・家族を出国させるなどの対応をとった日系企業も、多くは2月末以降に業務を再開していた。しかし3月13日以降急速に情勢が悪化する中で状況は一変。14日には全面的な自宅待機となり、15日からは複数の企業が駐在員や家族の国外退避を始めている。日本の外務省は15日、渡航情報を「渡航の延期をお勧めします」に引き上げた。
バーレーン国際空港はほぼ滞りなく運営されているが、バーレーン港では16日から税関が通関業務を停止しているもよう。同港ではそれ以前からもデモによる市街地の交通混乱や現地作業員の減少などで、貨物の引き取りなどに支障が出ていたようだ。在ドバイ日系企業の一部には2月下旬からバーレーンへの出荷を停止しているところもある。
バーレーン証券取引所は、非常事態宣言を受けて16日の取引を中止。ショッピングモールを含む商店なども多くが閉店している。国営企業のアルミニウム・バーレーン(ALBA)、バーレーン・ペトロリアム(BAPCO)など大手企業の労組を傘下に持つ最大労組連合がゼネストに向けた会員労組の合意をほぼ固めるなど、国内の経済活動が大幅に停滞する可能性もある。
治安部隊とデモ隊の衝突にも現時点では有効な打開策はみられず、緊張の長期化や徹底鎮圧に発展することが強く懸念されている。
(注)サウジアラビア、アラブ首長国連邦、クウェート、カタール、バーレーン、オマーンの6ヵ国により構成される。
(宮崎拓)
(バーレーン・湾岸諸国・北アフリカ)
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