手厚い社会保障と伝統的な産業が経済を下支え−金融危機後の成長モデルを探る(5)−

(デンマーク)

コペンハーゲン発

2010年06月07日

金融危機の影響で09年には戦後最大のマイナス成長となったが、政府は財政黒字と手厚い所得分配、フレキシキュリティーと呼ばれる柔軟な労働市場政策によって乗り切った。今後は、この間に赤字に転換した財政の健全化や、食品や医薬品といった景気の影響を受けにくい産業、風力発電などの環境技術分野をさらに強化するのが課題だ。

<景気とは無関係に安定的な社会サービスを保障>
デンマークは、九州ほどの大きさの国土に約540万人が住んでいる。ほかの北欧諸国と同様に国民に高負担を課す一方、手厚い所得再分配政策をとっている。高い所得税率(最高税率51.5%)や付加価値税率(25%、軽減税率なし)を維持しつつ、基礎年金や育児補助金などの諸手当などのかたちで再分配する。

労働市場政策は、柔軟な労働市場、手厚い失業手当、積極的労働市場復帰策の3つを柱とし、フレキシキュリティー(2009年7月9日記事参照)と呼ばれ、「デンマーク型労働市場モデル」として注目されてきた。この手厚い所得再分配政策と労働市場政策は、景気の変動にかかわらず安定的に社会サービスを受ける権利を保障している。老後や失業時に備えた個人の貯蓄が不要となり、将来への不安が少ない社会を構成している。

それを支えるのが、伝統的な農業・食品、家具などの産業だ。それに加え、北海油田の原油・天然ガスがある。近年は、医薬品分野の一部で世界有数の技術を確立し、さらに、風力発電に代表される環境技術も高いレベルを誇る。

<危機発生後、政府が迅速な対応>
デンマークにとって、金融危機と世界的な景気低迷は、既に始まっていた景気後退に追い打ちをかけるものだった。というのは、経済の後退傾向は08年9月のリーマン・ショックに先立つ07年末に表面化しはじめたからだ。過去数年続いた不動産価格の高騰と建設ラッシュに陰りがみえ始め、08年には不動産価格の下落が顕著になり、建築プロジェクトが延期されるケースが多々みられるようになった。

同じころ、不動産バブルを機に続いていた消費ブームも去り、国内消費が急速に冷え込んでいた。企業の設備投資意欲も減退し、輸出入の伸び悩みが顕在化し始めた。06年に3.3%だった実質GDP成長率は、07年には1.7%、08年にはマイナス0.9%となった。景気の絶頂で金融危機を迎えた周辺諸国と異なり、金融危機は悪化する経済にさらに悪材料が加わることを意味した。

政府の対応は、極めて迅速だった。金融危機発生後、大きな金融対策を2つ実施し、経済の安定を図った。1つは、民間によって創設された救済基金(2008年10月8日記事参照)、もう1つは銀行への公的資金貸し付け(2009年1月26日記事参照)だ。救済基金には10年5月時点で、国内の金融機関の99%が参加し、不参加は14行のみ。09年までにこの救済基金を通して6行が合計58億デンマーク・クローネ(1デンマーク・クローネ=約15円)を調達した。

<ユーロ不参加の周辺国向け輸出が低迷>
政府の迅速な対応もあって、金融危機の直撃を免れたものの、09年に入ると、内需の冷え込みに加え、輸出が不振になった。

外務省輸出委員会が5月中旬に発表したレポートによると、09年の輸出は12.8%減と低調だった。輸出先の景気低迷が最大の理由だが、主要輸出先のスウェーデン、英国、ノルウェーといったユーロ不参加の周辺国通貨に対し、ユーロに連動するデンマーク・クローネが高めに推移した影響は否めない。特に主要輸出品の原油や食品などは周辺国向けの比率が高く、通貨変動の影響を大きく受けた。対スウェーデン貿易は、輸出で26.4%減、輸入で25.3%減を記録した。

この結果、09年の実質GDP成長率はマイナス4.9%と第二次世界大戦後最悪となった。失業率も上昇に転じ、10年3月には、7.6%を記録した。

7.6%は、デンマークとしては高い数字だ(図参照)。このため、ほかの欧州諸国のメディアでは「危機にひんしたフレキシキュリティー」といった報道も散見された。しかし、手厚い失業手当と積極的な就業支援策や職業訓練策は、失業の増加がもたらす社会不安、治安の悪化を防いでいる。また、失業者の増加による個人消費の冷え込みを抑止する効果も否定できない。実際、米国やほかのEU諸国(ユーロスタットによると09年のEU15平均で9%)と比較すると、失業率は低い水準にとどまっており、さらに各種専門分野で人材不足が恒常的にみられることなどから、大きな不安要素とはみられていない。

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<好況時の財政黒字分を活用>
国内経済は09年第3四半期以降、不動産価格も下げ止まり、四半期ごとのGDPも前期比でプラスに転じるなど、景気回復の兆しを随所にみせている。また、10年4月のIMFの経済見通しによると、09年の1人当たりGDPも07年の7位から5位に上昇、経済危機の影響は比較的少なくて済んだといえよう。

手厚い高福祉社会構造が経済を下支えしたこと、食品や医薬品といった景気の影響を受けにくい産業が主要産業なこと、風力発電などの環境技術が現在の世界的なグリーンエネルギーの潮流に乗り、産業界の強みとなっていることが、理由として挙げられる。

さらに、好況時に財政黒字を積み上げており、それを公共事業に回すことができたことと、好況時に半強制的に積み立てさせた年金の一部を景気低迷時に払い戻すことができたことも理由として挙げられる。

例えば、09年には景気対策として公共事業の追加が行われるとともに、07年の税制改革案に基づいた所得税減税が行われた。企業向けにVAT納税期限の延長、環境配慮型運輸関連ビジネスへの補助金付与、初等教育、介護、道路補修などを管轄する地方自治体への20億クローネの予算増(後にさらに175億クローネ追加)、温暖化防止のための住宅改築補助金付与などを行った。10年には、地方自治体へ200億クローネの予算が分配されている。また、個人消費の刺激を目的に、所得税減税や好景気時に計画的に追加蓄積された年金の払い戻しなどが行われた。

個人が、老後や疾病時に備えて貯蓄をする必要が少ない社会構造下では、可処分所得を増やすような施策は個人消費の拡大に結び付きやすく、景気刺激策が想定どおりに働く余地が大きい。

<緊急経済対策は成功したが、財政収支は赤字に>
経済産業省の経済委員会は10年1月、09〜10年の経済対策を振り返って、この間の政府の経済対策は経済への打撃を軽減することに成功したと評価した。しかし、この間の財政収支は急速に悪化した(表参照)。もともと金融危機の発生を想定せず、病院建設・改築や道路工事などの公共事業の追加、所得税引き下げ、失業給付の増大など景気刺激型予算を組んでいたところに、予想外の金融危機対策支出が加わったからだ。

財政赤字は、09年にはGDPの2.8%、10年には5.1%となり、EUが加盟国に対して安定・成長協定で定めた財政規律の目標数値3%を超えた。今後は、公共支出の軽減が課題となる。経済関連団体やエコノミストは、拙速な縮小財政の導入は輸出入の伸び悩みを招き、経済復興を停滞させると懸念を示している。

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<15年をめどに財政収支均衡へ>
政府は、GDPの1.8%に当たる約310億クローネの歳出削減を図り、15年までに財政安定のための「2015プラン」を実施するとしている。10年の財政赤字は5.1%だが、EUは13年までに3%以下に抑え財政安定化を求めているため、政府は11年から13年の間に、GDPの1.5%に相当する240億クローネの歳出を削減、その後2年間で残りの歳出超過分を削減し、財政収支を均衡させることを目標としている。

今後の課題として、公的支出の抑制と新たな財源確保が必須だ。政府は、閣外協力のデンマーク国民党と具体案について協議し、この先3年間の個人所得税の最高税率の据え置き、労働市場の構造改革、失業手当の支給期間の短縮(4年から2年に)、労働人口の1万人増などについて合意を得て、法制化に向けて協議中だ。

(安岡美佳)

(デンマーク)

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