知的財産ニュース お酒の名前、その変身は無罪!

2012年10月10日
出所: 韓国特許庁

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植民地解放後からお酒の名前は変化、今も変身中

「10年が経つと周りの風景も変わる」という言葉のように、庶民に親しまれているお酒の名前も時代によって変化している。

1945年の植民地解放後から1950年の韓国戦争前に人気を得たお酒の名前は、文明酒造、調和酒造、漢興醸造場、大善発酵工業社などの種類会社が商標出願した「松竹、神仙、調和、百合、新世界」などの名前だった。

韓国戦争後、国の再建が本格化した1960年代までは、調和酒造、大韓醸造、木浦醸造、忠南醸造、忠南醸造会社、大邱飲料、ハイト真露などの会社が商標出願した「白花、栄花、三仙焼酎、宝華、桃花、玉冠、蘇州、鷄龍鶴」などの名前が国民と共にした。

経済発展の初期段階だった1970年代までは、天養酒造、浦項三倫葡萄酒公社、ハイト真露、東洋酒造、舞鶴醸造場、寶海醸造などの会社が商標出願した「徐羅伐、新羅、特率、真露焼酎[1]、朝鮮ビール[2]、クラウンビール[3]、OBビール[4]」など、今まで残されている焼酎とビールの名前がこの時代に本格出現した。

輸出の伸張で国民所得が増加した1980年代までは、ホワイト真露、白花醸造、獬豸(ヘテ)酒造、ロッテ酒造、株式会社 頭山、CJ、三洋食品などの会社が商標出願した「真露、ひき蛙(ドゥコビ)、クラウン、白花醸造、ウイスキー・ベリーナイン、ブラボー、ドン・フアン、スナイカー、マジュアン[5]、ホワイトスノウ」など、焼酎やビール以外にも洋酒及びリキュールの商標名が初めて登場した。

88五輪で韓国の地位を世界に知らしめた1990年代までは、菊醇堂、金福ホールディングス、株式会社頭山、白花醸造、真露ウイスキーなどの種類会社が商標出願した「ナポレオン、真生トーニック、金福酒[6]、OBベアー、ベリーナインシーガル、清河(チョンハ)[7]、ロイヤル・インペリアル、スーパードライビール、梅翠、ジョーカー」など、焼酎、ビール、ウイスキー、ワインなど、さらに多様な商標が出願された時代だった。

1995年に1人当たりの国民所得が1万ドル時代を切り開いたが、通貨危機の影響で減少したものの、2000年代に入り、再び回復した2000年代の時代には、株式会社頭山、ホワイト真露、チャムグリーン、寶海ライト、越月グリーン、グリーン焼酎、宣揚 純」など、今も国民から愛されているアルコール度数が低いまろやかな焼酎の名前が登場し始めた。

「大張今」やK-POPなど、世界に韓流文化が紹介され始まった2010年代は、ハイト真露、菊醇堂、株式会社頭山、裵商冕(ペサンミョン)酒家、寶海醸造などの主な種類会社から「ウグッセン(地産米でつくる生のマッコリ)、地産米の梅マッコリ、山寺院、雲に月行くように、秋菊、淡い香酒、歳月香、歳月献、自自然然 トックリイチゴ」など、マッコリやトックリイチゴ酒などのように韓国伝統酒にちなんだ商標が多く出願され、市場に様々な商品が競うように登場した時代だった。

以上のように、植民地から解放された後に登場した酒名のうち、歳月が過ぎても記憶に残る名前がある一方、完全に消えてしまった名前もある。

特に、「真露焼酎」が「チャミスル」という名前に、「クラウンビール」が「ハイト」ビールに、「OBビール」から「CASSビール」に変わり、絶対的な支持を受けているのは、お酒という嗜好品の味の影響もあるが、何よりも企業が商標の出願及び登録を通じて積極的に管理したのが根本的な背景だと言える。

結局、国民の記憶に残るようなお酒の名前は、韓国特許庁への商標出願及び登録を通じて自己管理を徹底することがポイントになる。お酒の中小企業には、積極的な商標出願を通じて国民に愛されるブランドを構築してほしいものだ。


注記

[1] 1966年に商標出願
[2] 1962年に商標出願
[3] 1964年に商標出願
[4] 1962年に商標出願
[5] 1976年に商標出願
[6] 1984年に商標出願
[7] 1988年に商標出願

ジェトロ・ソウル事務所知的財産チーム

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