アルジェリア人質事件の歴史的背景−セミナー「日本企業のアフリカ展開とマリ・アルジェリア情勢」(3)−

(マリ、アルジェリア)

中東アフリカ課

2013年03月22日

「日本企業のアフリカ展開とマリ・アルジェリア情勢」セミナー報告の最終回は、ジェトロ・アジア経済研究所地域研究センター・中東研究グループの渡邊祥子研究員の発表。フランス支配からの文化的な脱植民地化が、イスラム主義勢力の発生の背景となったが、行き過ぎたイスラム主義勢力は大衆の支持を失い、中央権力の及ばないマリ北部など周縁地域に新たな拠点を設けた。このことが今般のアルジェリア人質事件につながる、と指摘した。

<旧宗主国フランスへのアンチテーゼとしての自文化形成>
渡邊研究員は講演の中で、フランスからの政治(1960年代)、経済(1970年代)、文化(1960〜80年代)の各段階的な脱植民地化過程が、アルジェリアの自文化形成に大きく寄与しており、特に文化的な脱植民地化を志向して、政府がアラブ化、イスラム化を進めたことが、アルジェリアにおけるイスラム主義発生の1つの背景となったことを指摘。1988年に起こった大衆暴動をきっかけに試みられた政府主導の改革が失敗に終わったこと、イスラム主義勢力が無差別虐殺を開始したことによる内戦の泥沼化という歴史的な背景から、国民の多くは急激な変革を望まない傾向を示すことを紹介した。

<衰退したイスラム主義武装勢力が国外へ>
1990年代の内戦は多くの死傷者を出したが、2000年代にテロは沈静化に向かった。また、1999年に大統領となったブーテフリカ大統領は、自身への権限集中と反対勢力の取り込みに成功し、政権を安定化させた。これらに伴い、イスラム主義武装勢力の活動の場は徐々に狭められた。

アルジェリアで勢いを失いつつあったイスラム主義武装勢力は、国外に新天地を求めた。2013年1月に発生したアルジェリア南東部(イナメナス)での人質事件の首謀者、ベルムフタールの所属した「宣教と戦闘のためのサラフィー主義集団(GSPC)」は、2003年にマリ北部に新たな拠点を作り、サハラ砂漠一帯に活動を広げていった。国際的な情勢の変化も、イスラム主義武装勢力の活動に影響を与えた。2011年8月、リビアでカダフィ長期独裁政権が倒れ、旧政府軍の崩壊で、強力な武器がマリ北部をはじめ周辺地域に流出した。これにより、イスラム主義武装勢力の装備が向上した。

<アルジェリアのジレンマ>
質疑応答では、物流会社の関係者から「政府によるイスラム教育は今も続けられているのか」との質問があった。渡邊研究員は「ナショナル・アイデンティティーとしてのイスラムの重要性は変わらない」とするものの、「最近ではイスラム神秘主義の伝統について紹介される機会が増えるなど、参照されるイスラム文化の内容が多様化してきている」と現状を説明、自分自身の内面と向き合うイスラム神秘主義の教えを通じて、より穏健なイスラムのあり方が提唱されているという。

しかし直近の課題として、セキュリティーに対する不安は残る。金融サービス業の関係者からは「アフリカ諸国に出張する際、社員の安全を危惧する責任者を説得するためによい方法はないか」と質問が出た。アルジェリア人質事件を受け、短期的には現地の治安状況を含め、リスクに対してより慎重になる企業本社と、活動を継続したい現場の姿勢の違いがみえる。渡邊研究員は外務省が提供する海外渡航情報を紹介した上で、「これまでイスラム主義勢力が関与した暴力事件がどの地域で、どのような状況で起こったか、データとして情報を蓄積することも、客観的な根拠を提示するために重要」とした。

<国家が非国家主体に対応する難しさ>
国境で規定される国家が、国境を横断する武装勢力へ完全に対応することは難しい。アルジェリア政府・軍も、これまで堅持してきた「内政不干渉」と、脱領域化する武装勢力との「テロとの戦い」の間で、今後の対応において難しい選択を迫られている。

(松本足渡)

(アフリカ・アルジェリア・マリ)

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